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【逢引ホテルは】アンチ文楽【ワシソトソ】

1 :重要無名文化財:03/01/24 20:33
馬鹿がまた張りコして容量ageましたんで、アンチ用に
作っておきます。
今までのまとめは>>2
以下に

2 :重要無名文化財:03/01/24 20:37
ブソラクの世界、ブソラク掲示板に巣食うデムパを上げへつらう
スレです。

<主な登場人物>

Kさん、Tさん
何人も愛人がいる芸人の鏡。
共にキャリアは上80過ぎのブソラクの世界では浅いが、
えげつない女遊びで一躍アンチスレの人気者に。
共に既婚(1月24日現在)。

3 :重要無名文化財:03/01/24 20:39
クリ子さん

多数の掲示板を余すところなく巡回し、
私は芸人の妻ですなどど書き込み掲示板を荒らす、デムパな方。

4 :重要無名文化財:03/01/24 20:40
能と文楽人形浄瑠璃は所取(実体措定された主観・客観/物心二元論的領野・遍計的領野)は無く、
虚妄分別(超越論的領野、実体措定“化”・物心ニ元論“化”という“事”)のみが実在。
虚妄分別(依他起)から、実体措定性(能遍計)を除いた状態が円成実。
能と文楽人形浄瑠璃の大きな違いは、この依他起に見分・相分を認めるか否か。
前者は否定し後者は認める。この違いは遠く真如縁起論や如来蔵思想とも絡む。

後者では、見分・相分は、実体措定された主観・客観(「我法の仮設」)と同義ではなく、
我法「として」みなされる当体として似我似法(ノエシス・ノエマ)として、在るとされる。
それは能縁・所縁としてあり相依的であり、能取・所取のように
他を待たない絶対的存在者ではなく相依的(「主観が因で客観が果=物心二元論的観念論」や、
「客観が因で主観が果=物心二元論的唯物論」のように、どちらかを絶対的根拠とし、
他方をその従属物として包摂する、という不毛で形而上学的な“諦めない”思考法を認めない=中道、
それは、刹那をまたいでの因果としての主客/能取・所取ではなく同時的・相依的ということ。)
であり、また無始時来の歴史的な因縁所生とされる。

前者で見分・相分が依他起とされないのは、能取・所取と見分・相分の別があることが、
認められていない故かもしれない。(←違っている可能性あり)
仮に別を認めているにも関わらず、依他起と認めない場合、それは如何なる理由からなのか。
(『根本中頌』や『中遍分別論』に依拠するから、ということなのだろうか。
だがその場合でも、この二書が能取・所取を認めないのは当然にしても、
上述したような相依的な見分・相分を認めないのだろうか。)
あるいは、別は認めていてもノエシス・ノエマとしてではないから依他起ではない、
ということなのかもしれない。前者が見分・相分を依他起と見とめないについては、
御覧の通り不明瞭なので知者の補足を御願いしたい。


5 :重要無名文化財:03/01/24 20:40
文楽の本質とか本質的とかの言葉を、俺が使ったように使わなければならないという考えは、
本質的でない。例えば、日常生活の中で、内容の核心をつかなければだめだ、という意味で、
「本質的に考えなくてはだめだ」と言うことは、問題ない。「言葉の定義」の話だ。今まで俺が問題にしたのは「事物の定義」の話。

ただ、文楽は、「人形浄瑠璃の定義」の方を求めてないと思う。なぜかというと、
それを求めることは個性を認めないことと同じ事であり、そんな質問に
答えられるかどうかをテストする、と思われるからだ。

文楽が真剣に取り組むべき課題を、いろいろ検討するといい。
検討した結果から、帰納的に人間に共通する特徴を導き、
(言葉の定義の方の)本質とすればいい。
次に、その特徴が克服されるべきか、伸ばされるべきかを論じ、
伸ばされるべきなら、伸ばされるべき点を、素直に(言葉の定義の方の)本質と
結論とし、克服されるべきであるなら、今まで論じた話を含めてやればいい。

実際は前述の通り、両方の面が出てくるはずだから、本質をOFWのように分けて
考えなければ、正確な答えが与えられないことになるはずだ。
もちろん、面倒であれば、言葉の定義の方の枠内でとどめても問題ない。

それだけでも、文楽が真剣に取り組むべき課題を検討する中で現れてくる、
人形浄瑠璃の特徴を丁寧に捉えようとするだけで、きちんとした評価を得られるだろう。


6 :重要無名文化財:03/01/24 20:41
論理実証的認識における文楽人形浄瑠璃と感覚実証的認識による演劇
の概念というものは、デカルト以来、反概念的に考えられてきま
したが、そもそも反概念とする理由は何かということと、
どうして分節させるのか、という問いに帰着します。
前者の問いは、反概念とせず、個別に存する、関連性の無い概念ではないか、と考えるところに
非常に興味を覚えます。研究する余地が残されていそうですね。
また、後者についてですが、論理は人間を介在させず分析に頼り、
感覚はその出発点を人間に求めているわけですから、両者を
主体と客体の二元論的な構造として捉えることは異を挟めないでしょう。
この分節の所以は、主客合一論で説明が可能なのではないかと考察する。
この思想は知る限りでは、文楽人形浄瑠璃の経験論および認識論に記述されていたと記憶しております。
文楽人形浄瑠璃を分化という過程を経てから、片方で論じ、片方で感じるの
ではなく、未分化な状態で直観すべきである。 傾聴すべき示唆なのではないかと思います。
これら二点から、文楽人形浄瑠璃の本質は演劇を含めた世界そのものであると
考察する。感覚価値(感情・信仰)に共同体的恣意性があるのは、
そうしたものが、「文楽人形浄瑠璃」を中心とした愛憎距離の玉葱状の同心円をなす感覚価値世界にあり、
その世界では「文楽人形浄瑠璃」と「演劇」が対称(同格)では無いからなのです。
「文楽人形浄瑠璃」を中心とした感覚感情世界は、「近松」を中心としたものとは、もはや別の世界なのです。
「文楽人形浄瑠璃」即ち「演劇」は、拡大したり縮小したりします。
例えば、文楽人形浄瑠璃が「自己」として振舞います。
そうしたときに、その感覚感情世界の「自己」の内部の他我は解消します。
そこに、善や利他的行為の倫理性の原理があると思われます。


7 :重要無名文化財:03/01/24 20:41
さまざまな粘着さん

コピペ粘着さん…つまらない長文を貼り付け容量をあげます。
AA粘着さん…つまらないAAを貼り付け以下同文


8 :重要無名文化財:03/01/24 20:41
文楽人形浄瑠璃における知識の道と存在の道の乖離、また、その乖離の部分的には原因であり、
結果でもある理解の欠如は、一つは人の話している言語に由来する。
この言語は、誤った概念や分類、誤った連想でいっぱいだ。

そして重要なことは、普通の思考法の本質的な特性、つまりその曖昧さと不適切さの為に、
個々の演目は、語り手が好き勝手に出す話題と、その時に彼の中で働いている連想の複雑さに従って、
何千という違った意味を持ちうるということだ。

自分達の言葉がどれほど主観的であるか、つまり、
同じ語を使う時でも一人一人がいかに違うことを言っているかを人々ははっきりと認識していないのだ。
彼らは、他の人の言葉をただ曖昧に理解するかもしくは全く理解せず、また、
自分には未知の言葉を話しているなどとは考えもせず、
それぞれ自分勝手な言葉を話しているということにも気づいていない。

彼らは、自分達は同じ言語を話しており、互いに理解しあっているという強い確信、
あるいは信念を持っている。
実際にはこの確信には何の根拠もない。

彼らの話している言語は、実際の生活の中でだけなら何とか使い物になる。
つまり、実務的な性質の情報であれば彼らは互いに意思疎通ができるのだが、
少しばかり複雑な領域に踏み込んだとたんに道を失い、
気づかない内に互いに文楽人形浄瑠璃を理解することをやめてしまうのだ。


9 :重要無名文化財:03/01/24 20:41
確かに文楽人形浄瑠璃は迷妄の源泉ではあります。無我説は、そういう迷妄につながる
自我への執着の克服を説いているのだと思います。竹本義太夫の最後の語りでは、
「自らを拠り所とし、人形浄瑠璃を拠り所とせよ(自灯明・法灯明)」とも説かれて
います。また、人形浄瑠璃では、われわれの心の本質は光り輝けるものとも説
いています。社会学者のいう自我とはどのような関係になるかは明言できま
せんが、自己の確立を否定するものではないのです。仮に悟ったとしても、
無分別智を得たとしても、自己がなくなるわけではないのです。唯識でも菩
薩の修行階梯である修道位を十地という段階で説明しますが、自己の変容・
深化を目指しています。それは、智慧によって生かされている自己でありま
しょう。

例えば、文楽人形浄瑠璃の最高指導者4世竹本越路大夫は、芸術家という側面も持っ
ていますが、毎日の冥想は欠かさないようですし、絶えず現代的な問題につ
いて発言もし、行動もしています。確かに坐禅だけを強調するつもりはあり
ませんが、それを抜いたら文楽人形浄瑠璃ではなくなるでしょう。例えば、戒律・
禅定・智慧の三学、聞・思・修の三慧ともいいます。聞とは、仏教の教えを
聞くことであり、今日では仏教書を通して学ぶことも含まれるでしょう。思
では、それを根源的に、批判的に思索していく。私の書いていることだって、
すべて受け売りの域は出ませんが、より納得のいくものを求めているつもり
です。そして、やはり修という禅定が挙げられています。文楽人形浄瑠璃における悟りを徹底
して思考する傾向は、確かに現実とかけ離れているようにも見えますが、そ
れでは、なぜ近松は、文楽人形浄瑠璃下での成道の後、四十年近くも作劇し続け
たのでしょうか。

ちなみに、文楽人形浄瑠璃では、論理学を重んじるようですね。偉大な文楽人形浄瑠璃理学者として尊敬もしています。彼らは中観派の立場から
唯識を部分的には批判もしています。しつこいようですが、自証分の文楽人形浄瑠璃
意義を心からお持ちしています。どうぞ、皮相的かつ無知な私をご指導くだ
さい。


10 :重要無名文化財:03/01/24 20:42
文楽人形浄瑠璃は去りゆくのみと書いてしまって矛盾していますが、そういう質問には維摩の
ように沈黙していられない質なので、私なりの思いを書かせてください。

まずは理想と現実という問題だと思います。私は僧でもありませんし、仏教
以外も含めて特定の団体には所属したことがありません。伝統芸能には、期
待を持っていません。ただし、真摯に修行をされ、文楽人形浄瑠璃の現状に憂いを
感じているお坊さんもいるとは思います。実際に文楽界に詳しくないので、
推測の域を出ませんが。私がはっきり言えることは、文楽人形浄瑠璃そのものの潜在力
には期待を持っています。そして、現代に即した文楽人形浄瑠璃みたいなものを、
自分のなかでは心に描いています。

以前、仕事でアメリカに滞在していた時に、感じたのですが、カリフォルニ
アだけでも、かなりの文化センターがありました。
聞いてみるとキリスト教徒も多いんですね。宗教というよりは、一種の精神
療法のように捉えられているのかもしれません。しかし、単なる東洋的なも
のへの好奇心などという半端なものではなかったと思います。私自身も、学
生時代から鎌倉に通って禅を組んだり、禅のみならず、色々な身体技法を学
んできました。現在は、もっぱら我流ですが。
文楽人形浄瑠璃の出演者さんが、堕落している云々というだけでは、単なる現状認識に過ぎ
ません。ここへも、唯識哲学を語ろうとあったので、とても希望のようなも
のを感じてやってきたのです。一素人として。


11 :重要無名文化財:03/01/24 20:42
一般に「文楽人形浄瑠璃」と呼ばれているのは、厳密には「浄瑠璃」という高度な
修行の境地を指しており、通常の認識一般を説明するものではなかった。
上記の差異は「無境(対象がないこと)」との関係づけで、さらにまった
く意味が違ってきます。加えて、義太夫の解釈では、対象は外部に実在する
ものではなく識に内在的なものとし、認識一般の心のあり方として理解さ
れてしまったのです。すなわち、主体も客体も義太夫によって仮に作
り出されたものにすぎない。ところが、bの文脈(初期説)では、「唯識
無境」という場合に、何らの対象を措定することなしに、識bのみがある
ことで、近松は、これを無相、一切浄瑠璃とも換言している。一切の対
象化を廃して、自己が自己をあるがままに見ているとでも言ったらよいだ
ろうか。この辺は言葉にすると誤解されそうですが、何も対象を持たずに
認識されたもののみがあるということは、認識主体それ自体が無相である
認識されたものと一体となることであり、最初に引用した「二つのものは
存在しない」がまさにこれに相当するのです。ここに無分別智が生ずると
考えます。これを井筒氏の『意識と本質』の表現を借りれば、「…の意識」
としてあるものが、「…」を失うことに他ならず、このような存在の無文
節的真相をそのまま本源的な形で受け入れようとすると、近松の「文楽人形浄瑠璃」体験に至るというのです。しかし、文楽人形浄瑠璃は、このような
境地においても狼狽しないだけの方法が準備されていると断言している。

さて唐突ながら、この境地は、キリスト教神秘主義者エックハルトが説く
「無心の意識」とも重なりを見せることになるし、ヴェーダーンタにおけ
る「無分別三昧」とも合致してくる。さらに言えば、トランスパーソナル
学の理論家であるウィルバーが究極の段階とする「非二元知の様式」の代
表例として、この文楽人形浄瑠璃の概念を紹介していることも理解に役立つと思いま
す。


12 :重要無名文化財:03/01/24 20:42
クリ子さっそくキターーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!

13 :重要無名文化財:03/01/24 20:42
文楽人形浄瑠璃は確かに文楽人形浄瑠璃「心」論だけど、その「文楽」とか「浄瑠璃」というのは、
常識的な「物的に対しての心的」ということではない。
心的だから心持ち次第で、物的・感覚的なものが全く制約を受けずに
思い通りになるとかといっているのではない。
そもそも苦というのは「思い通りにならない」ということであり、文楽人形浄瑠璃もその線上。
この基本を間違えると、とんでもない誤解になる。
だから基本的には心理学とかでの対象化(分別)された対象(施設・仮説)としての「心」とは、
全く意味合いが全く違う。中観が全ては空だと述べたのに対して、
文楽人形浄瑠璃は、四諦(四つの真理。「文」とは真理の謂、世間のは誤用。勿論誤用には誤用の理由があるのだが…。
「楽」=一切皆苦、「人形」=苦の原因・構成過程、「浄瑠璃」=苦の滅、
の内の「人形」と「浄瑠璃」を熱心に考察した。
一切は浄瑠璃ならば、文楽でないものを想定し、苦に縛せられているかそれを問題にした。
何故なら文楽の成立過程を厳密に諦めねば、浄瑠璃を対治する道などありえないからだ。
病を治すのに病がどのようなものかを理解せずに病を治すことは不可能なのだ。
というわけで文楽人形浄瑠璃は「対象化」という「事」を問題にする。だから現象学等と比較される。
深層心理学については、U女史が文楽人形浄瑠璃を勉強したことを知ってるぐらいだが、
無意識を立ててそれを分析することによって、意識をよくしようとする=肯定する
(無意識を立てたとはいっても、この発想はいかにも義太夫的だ)のだから、動機の部分が全く違うし、
それだと「諦めない=あきらかに観ない」姿勢の地平内で終始する。
だから、それを受けた文楽人形浄瑠璃とかは「抑圧された感情を解放して、自己実現する自己を構築する」
みたいなことを発想し実践するんだろうが…。たしかに途中が重なっているから、
素人的には同じように見えるが、これだと浄瑠璃的には問題があると思う。
現象学と比すのは良いが、文楽人形浄瑠璃と比すのは問題があると個人的には思う。


14 :重要無名文化財:03/01/24 20:43
文楽人形浄瑠璃は客観的な思考ができるだけでは文楽人形浄瑠璃とはいえないのでは?
根拠もないのに信じる人は非哲学的じゃないですかね。
私は根拠ないのに信じてることたくさんあると思う。
だから中途半端に哲学的ですね。
原因のない結果はない、これ哲学の基本ですね。
でもこれじゃ底がない。だから神様登場ってわけです。
数学には底として公理がある。公理が正しくなければそれから演繹したことも
正しくないわけですか? 公理が現実を反映していないとそれから導かれた論理的体系は
現実を反映しないのでしょうか? 非ユークリッド幾何学は現実性あったん
でしたよね。公理は不自然であるように思えたのにもかかわらず。
さらに応用可能な数学である条件としてはもう現実を反映していること
というのはいらないんですよね。人間には創造性があるから。いままでにない、
ものを作ることができるわけだから。だから公理が現実を反映してない、
直感的にいって明らかに間違っているしそれから導いた体系なんてのは
無意味だなんてことはですよ、もう時代遅れな話ですよね。
そのおかしな体系を反映した世界を計算機上に反映できて、
かつそれは有用かもしれないのだし。文楽人形浄瑠璃は自然を反映する必要はないです。
ブール代数はそのいい例ですよね。このブール代数ってのはそれまでに作られた
文楽人形浄瑠璃とは矛盾してませんでしたっけ? 0+0=0、1+0=1
0+1=1、1+1=1 だったような。
つまりは人間には今までになかったものを創りだす創造性があるということ。
その新しいものを応用してまた何か新しいものを創るのに利用することもできるということ。
人間は既成の文楽人形浄瑠璃世界に囚われている必要などないと言うことですね。


15 :重要無名文化財:03/01/24 20:43
おはよう。
旦那の勧進帳はどうよ(プ そら去年

16 :重要無名文化財:03/01/24 20:43
文楽人形浄瑠璃のもう一つの点は、人間は、本当に義太夫を聞くこともできなければ、
床本を読むこともできなければ、舞台をながめることもできない、
ということ。
人が丸本を読んで理解している、と思い込んでいるとき、
じつは、そのひと(ルール構造)は、
その人のオリジナルの解釈をその本の文面から創りあげているだけで、
じつはその本そのものを理解しているわけではない。
その本そのものを理解するなんて、まったく不可能。

これは、人間を理解する場合も同じ。たとえば、
あたしは、短文御免さんを、こういう人間なんだな、
と文面をみながら理解していくけど、じつは、
それは、あたしが、あたしのオリジナルの短文御免解釈を
創りあげているだけで、あたしが短文御免さんそのものを
理解しているわけではない。

もちろん、これは程度問題と場合によるで、理解しているというのが
適切な場合もあれば、解釈を創り出している、というのが
適切な場合もある。

これは、文楽人形浄瑠璃をみることでも同じ。あたしというルール構造
は、何かを見聞きするたびにあたし独自の新しいルール構造を
つくり続けているわけです。なにしろ、あたしは外からの情報を
取り入れることが一切できず、外からの情報を参考に、
その情報の解釈をあたし自身の内部で創りあげるしかないので。


17 :重要無名文化財:03/01/24 20:44
文楽人形浄瑠璃とは
それは、人間が分子からできているから、人間は、物質にすぎない、という議論と同じでは?
たしかに人間は、分子から構成されているけど、
その分子の組み合わせ方が創り出した人間という構造に意味があるのであって、
人間の価値が、酸素分子の多さや炭素分子の多さで決まらないのと同じ。

もちろん、昔は、あたしも、「文楽人形浄瑠璃」とは、単なる邦楽ではないかと考えたことも
ありましたが。。。
たとえば、いちいち細かい指示だしをしなければ、なにも自分で
判断できない部下を持つことって、ありますよね。
そういう部下にドキュメントをつくらせる場合、
細かいことをいちいちきいてくるものだから、時間をとられるのを覚悟で、
細かく細かく指示しますよね。
そうしてできあがってくるドキュメントって、
細部に渡るまで、あたしの精神が忠実に反映されているわけですよ。
一方で、ドキュメントに彼の判断はほとんどはいっていない。
そうすると、そのドキュメントの中身は、たしかに彼が書いたものだけど、
そのドキュメントの精神を創り出した、百個の連続した判断はあたしが
紡ぎだしたものなわけ。
その百個の判断も、じつはあたしは、他のさまざまな情報を見聞きした結果、
総合的に行っているのだけど、ただ単に他のさまざまな情報を集めてくるだけでは、
なにも判断ができない。なにも「構造」が創り出されない。
構造は、結局のところ、あたしの判断を組み合わせた構造が決めてるわけ。
あたしを構成する部品は、あたしの過去の経験集合だとしても、
その過去の経験集合(=部品集合)そのものがあたしではなく、
その部品をどのような構造に組み立ていくかには、
無限のバリエーションがあるわけで、その無限の
バリエーションのなかから、ただひとつをあたしは、
自ら(=ルール構造)の自由意志であたし独自の構造に
組み立て続けているわけですよ。
そこに文楽人形浄瑠璃の難しさが存在しうる。


18 :重要無名文化財:03/01/24 20:44
文楽人形浄瑠璃においてもし、新しい局面がもうないとするのなら、たぶんもう「文楽人形浄瑠璃は終わった」のだと思う。そうすると、わたしたちにできるのは、せいぜい「文楽人形浄瑠璃を学んで実践すること」であって、「文楽人形浄瑠璃すること」ではなくなる。

だとすると、わたしたちが、文楽人形浄瑠璃に疑問や衝動を抱いても、そのすべては、すでに本の中にあるので、その疑問や衝動は、なにも本質的なものは生み出さないということになる。

しかし、ほんとうに「文楽人形浄瑠璃は終わった」のだろうか?
わたしは文楽人形浄瑠璃の本をあまり読んだことがないのでよく知らないのだけど、とくに近現代において、文楽人形浄瑠璃の新しい局面を切り開いてきた人たちの何人かは、どこか、彼らの生きた時代の空気(Zeitgeist)と戦ってきたようなところがあるのではないの?

だから、文楽人形浄瑠璃の新局面を切り開く鍵があるとしたら、それは、わたしたちの生きている、この現代日本の時代の空気の中にあるのじゃないの。

今の日本において、「自分で考える」とは、なんなのか、という疑問を抱いて、その答えを何百年も前のヨーロッパに
生きた人間の書いた本の中を探し回ったとしても、はたして、納得のいく文楽人形浄瑠璃についての答えが得られるだろうか?

今の日本社会で、「自分で考える」ということの最も大切な本質は、時代の空気の中にあるのではないの?

これは、あなた自身が、どこまで「わがまま」になれるかどうか、ということにかかっているのかもしれない。つまり、他人の創り出した
「自分で考える」ということの説教臭い理屈を権威主義的にそのまま受け入れてしまうのではなく、いいやこんなもんでおれは納得しないぞ、
と、理屈とかではなく、自分の体が、ほんとに自然にすっと受け入れられるような、
「自分で考える」というこを今の日本の時代の空気の中から、
つかみだそうとする姿勢。そういう姿勢が、哲学の新局面を切り開く可能性があるんじゃないの。少なくとも、そういう努力をただの一度もしたことのない人間が
文楽人形浄瑠璃を語るのは、哲学という言葉に対する冒涜というものではないかしら。

まぁ、文楽人形浄瑠璃について無知な人間のたんなる思いつきなので、それほど真剣に考えるようなことじゃないのかもしれませんが・

19 :重要無名文化財:03/01/24 20:44
かく文楽人形浄瑠璃を考察する結果、そういう境遇に追い詰められた批評家タイプの人間は、金持ちや自由経済的価値観を否定する傾向にあり、
そのうち何%かが、本で読みかじった哲学的知識を振り回して、自由経済的価値観を否定したり相対化したりすることで、反撃します。

しかし、「自分で考える」人間を厚遇し、「自分で考えない」人間を冷遇するという原則において、自由経済の風土と哲学の風土は共通しています。
したがって、そもそも、「自分で考えない」ために社会から否定された人間が、「自分で考える」ことに価値をおく哲学の知識を振り回して、
社会的価値観を否定し返すというのは、根本的な方法論において、自己矛盾に陥っており、単なる逆恨み、自己欺瞞でしかないのではないでしょうか。

真に哲学をやる資格のあるのは、「自分で考える」タイプの人間で、自由経済システムにおいても十分に成功するだけの潜在能力、
分かりやすくいえば、金持ちになろうと思えばなれる能力と気概と謙虚さを持ちながら、あえて哲学する道を選んだ人間だけではないでしょうか。

ましてや、実社会を動かして、自分の未来を切り開くのがしんどいので、文楽人形浄瑠璃に現実逃避しているような人間が哲学をやる場合、その人間は哲学に復讐される運命にあります。
すなわち、文楽人形浄瑠璃の価値観が、その人間を否定しようと、その人間の未来で待ち受けているのです。
もちろん、わたしが文楽人形浄瑠璃というものの本質を理解していないという可能性も十分ありますが、
実社会でのし上がるのと同じくらいしんどい「文楽する」でなければ、「文楽している」と呼ぶに値しないのではないでしょうか?




20 :重要無名文化財:03/01/24 20:45
「文楽を自分で考える」ということの定義の問題なのでしょうが、、、、
「文楽における自分の考え」とは、「自分で考えるタイプの人間」の考えです。このタイプの人間とそうでない人間について以下に考察してみます。

たとえば、他人の考えを振り回して人を批判するだけの批評家タイプの人間と、自分なりによく考えて、自分の考えを自分の言葉で話す人間の違は感覚的にわかりますよね。
なにも決められない、なにも生み出さない人間と、ものごとを前に前進させる人間、いろいろなものを生み出し続ける人間の違いです。
あるいは、すでに終わってしまったものごとに対して、ああすればよかったと言う人間と、これからどうしていくべきかを打ち出す人間の違いです。

誤解されるのを覚悟で、もっとイメージしやすい例えをだすと、、、、たとえば、業界を実質的に動かしている、キーパーソンと呼ばれる人たちは、ほぼ例外なく、
自分で考えて、自分で価値判断し、自分で見極めて、自分でビジョンと方針を打ち出します。
また、業界を動かすとまではいかなくても、単なる下請けでなく、自分のプロジェクトの戦略を打ち出す人間というのは、職種に限らず、それぞれの専門分野で、自分の考えを持って動いています。

一方で、他人の考えを批判ばかりして、具体的な提案や問題解決プランを自分で創り出したり、その採用の可否を価値判断/意思決定しない人間は、 役に立たず、なにも生み出しません。
そういうタイプの人間は、自由経済システムに対し、価値を提供しないので、自由経済システムは、彼らに対して復讐します。つまり、会社は彼らを評価しません。
この復讐の結果、彼らはたいてい下っぱのまま、年をとっていきます。
年収も低く、遠距離通勤を強いられるか、ウサギ小屋のような狭い部屋での暮らししか知らずに生涯を終えます。



21 :重要無名文化財:03/01/24 20:45
義太夫は確かにわかりにくい。生理的な作用なしで情報だけ伝達すると言うふうに読めますね。
しかしうろ覚えでそんなハイブロウ(笑)な事言ってもしょうがないですから、
言いたいところは簡単に言葉の問題で、
「義太夫」は他の邦楽と違ってある進化の結果からセキシュツされる概念であるし、
それに謡曲ほどじゃないけどやはり比喩が含まれてる、くらいの事です。

進化するのが「義太夫という実体でない」、についても、
進化論の情報理論的な側面で、理論がメディアに依存してないって事です。
要はリボ核酸でもフロッピーでもいいんです。
そういえば義太夫による
非天然アミノ酸なんかが脳に作られているとか(いないとか)。
どこかの海底にわれわれとはまったくちがう基底物質でできた生命なんてのもいるかもしれません。

ところで1さんは結局、普通に文楽にご関心あるんでしょうか?
もしでしたら、専門分野以外ならかっこつけないで面白い啓蒙書たくさん読む
(というのは理系の方には常識なのかもしれませんが)のがいいですよね。
たとえばブンケイで脳とか認知科学に興味あるのに
養老先生みたいな思想っぽいのとかデネットとかから読んじゃうのは
なんか違うと個人的に思います。デカルトからとか。
「文楽」は当時の義太夫自身も自分のいわんとしてることを誤解してたようなフシがありますので
これから読む必要はないと思いますが、T木氏なんか読まないですか?
東京だとああいうの意外とないですよね。
もちろん全否定する人はいないでしょうし、
諸宗教の神罰、天罰の概念の分析としてほとんど正当なものだと思います。
実はストーリー仕立てにしてくださいとお願いしようとしてたとこなんですよ。
自分の意見はそれがごく一般的に起こりうる事だというだけです。
とどのつまりはT木氏以外の書いた最近の文楽義太夫書籍は間違いだらけだから
すべて排除されたい。


22 :重要無名文化財:03/01/24 20:45
The high caliber of English on business means the ablity
to speak English on a daily conversation level to the full,
not being well-versed in the business terms or
having the experience and the knowledge on business.
When you are talking with your friends and if you don't know
a word, you can ask "What does it mean?" and get the meaning
of the word so that keep conversation going.
In business, however, you don't have a moment to do that.
I mean, there are few peope who graduated from Kansai Gaidai
University and who have good command of English covering
business category as well as a daily situation.
We call this sort of fancy picture an Ideal; and the policy of forcing individuals to an act
on the assumption that all ideals are real, and to recognize and accept such
action as standard moral conduct, absolutely valid under all circumstances,
contrary conduct or any advocacy of it being discountenanced and punished
as immoral, may therefore be described as the policy of Idealism.
Get a regular deck of cards (BICYCLE IS BEST) and shuffle it. Then have
a spector choose and card he/she wants. While he/she is doing this
FINGER BREAK the top two cards of the deck. Then take the card and slip
it in between the little gap you left it adds an extra depth to it, to
make it look like you put it in the middle of the deck. Then do a
DOUBLE LIFT of the top two cards and flip them over. It then shows
their card on top. Flip it back over and do once again the DOUBLE LIFT
and slip the supposed card in the middle really not in between the cards.
The real signed card is already on top.


23 :重要無名文化財:03/01/24 20:45
There are many reasons for returning to study: to get a qualification, improve your knowledge and skills, change direction, further your career or simply for enjoyment.
Goldsmiths offers full-time and part-time courses at a range of levels. Full-time undergraduate
degrees generally take about 30 hours per week for three to four years. Part-time degrees
take less time per week but are spread over a greater number of years; the number of hours varies between subjects. Access courses,
certificates and foundation courses need less time per week.
The amount of time you spend in the classroom depends on your subject. Most of your time will be spent studying, in the library or in studios so there is some room for flexibility.
You don't necessarily need A-levels to study at Goldsmiths. We offer courses at a range of levels including undergraduate
and postgraduate degrees, certificates, Access and foundation courses.
You can join a certificate, Access or foundation course with few formal qualifications. If you complete the programmes
at the right level, you can apply to do a degree at Goldsmiths or another university.
Undergraduate degrees require A-levels, an Access course or equivalent qualifications or experience. You may have
life or work experience which is relevant to your studies which can be taken into account when you apply.
Goldsmiths offers courses in a wide range of subjects. Contact the admissions tutor for the course
if you have further questions; you'll find their name in the course description in the Undergraduate
Prospectus (or online under the various programme descriptions), or talk to staff at our Open Day in June. If you are uncertain
about the qualifications you need for your chosen career, visit your local


24 :重要無名文化財:03/01/24 20:46
New Cross station: turn right out of the station, and right again into New Cross Road. For the Main Building,
cross New Cross Road at the pedestrian crossing into Amersham Road, keeping on the right hand side.
Follow the road round to the right into Parkfield Road. The Main Building is straight ahead, at the junction
of Parkfield Road and Lewisham Way. For Deptford Town Hall Building, keep straight ahead on New Cross Road.
Deptford Town Hall Building is on the left hand side after about five minutes' walk.
New Cross Gate: turn left and cross the road at the pedestrian lights.
Deptford Town Hall Building is just to the left of you; for the Main Building,
turn left and follow New Cross Road, past Laurie Grove onto Lewisham Way,
and past the Rutherford Information Services Building, and Dixon Road.
The Main Building is on the right immediately after this.
From Heathrow Airport (LHR): Piccadilly Underground Line to Central London,
change at Green Park onto the Jubilee Line to Canada Water,
then the East London Line to New Cross or New Cross Gate
From Stansted Airport (STN): train to Liverpool Street,
then by Hammersmith and City Underground Line to Whitechapel.
Change onto East London Underground Line to New Cross or New Cross Gate.
From City Airport (LCY): the airport is five miles from Goldsmiths.
Take the shuttle bus to Canning Town. Catch a Jubilee Line tube westbound to Canada Water,
then the East London Line to New Cross or New Cross Gate.
From Luton Airport (LTN): shuttle buses connect
the airport to Luton station, from where you catch the
hameslink to London Bridge, then travel to New Cross or New Cross Gate stations.
From Gatwick Airport (LGW): train from the station in the airport to
East Croydon station. Change there and take the first train to New Cross Gate.
he journey time is about one hour.


25 :重要無名文化財:03/01/24 20:46
Major delays on A2 at New Cross Gate March 2001 - May 2003 (estimated finish date).
On the A2 by New Cross Gate Station, Railtrack is currently strengthening
the road bridge and there are lane restrictions resulting in severe disruption
to traffic on all approach roads - especially at peak times, but also throughout weekends.
We advise you to travel on public transport by rail or underground to either
New Cross or New Cross Gate Stations, whenever possible.
Alternatively, park in adjacent streets and walk to Goldsmiths. T
he main streets are on a red route and it is not possible to park at any time.
Please park considerately and be aware of local restrictions in force.
If you have mobility difficulties, please contact the person at
Goldsmiths who you are meeting, for advice.
A major section of the A2 (Blackheath Hill) has been closed in
both directions near its junction with the A2211 (Greenwich South Street
and Lewisham Road) following subsidence. It is likely to remain closed
until mid-June 2002 at least.The closure has meant that all traffic including
some bus routes has been diverted, resulting in heavy traffic and delays
along the diversion routes, in Greenwich and Lewisham town centres,
in Blackheath Village and on local roads.London Buses have also re-scheduled
certain routes including the 53 - Plumstead/Oxford Circus, which travels via New Cross.
For further informtion please call Transport for London on 020 7941 7335
for details on road works and traffic diversions.


26 :重要無名文化財:03/01/24 20:46
Noh developed into its present form during the 14th and 15th centuries under the leadership
of the distinguished performer -playwrights Kannami and his son Zeami. Zeami, in particular,
wrote numerous plays which are still performed in today's classical reper-tory of some 250 plays.
He also wrote a number of secret works which explain
the aesthetic principles governing Noh and give details on how the art should
be composed, acted, directed, taught, and produced.
Noh flourished during Zeami's time under the patronage
of the mili-tary shogun Ashikaga Yoshimitsu. Later during the Edo period (1603-1868),
Noh became the officialperformance art of the military government.
Feudal military lords throughout the country supported their
own troupes and many studied and performed the art themselves.
With the societal reforms of the Meiji period (1868-1912),
Noh lost its govern mental patronage and was leftto fend for itself. a
lthough it nearly died out, enough performers regrouped, found private spon-sors,
and began teaching the art to amateurs so that i
t slowly began to flourish again. Today, like many classical performance
forms throughout the world, Noh cannotbe described as a popular art
among the Japanese people as a whole. Yet its supporters are enthusiastic
and its professional per-formers are highly trained and extremely
busy performing and teaching throughout the country.
There are today approximately 1,500 professional performers who make their living


27 :重要無名文化財:03/01/24 20:47
Instrumentalists known as hayashi sit at the back of the stage.
They consist of a transverse flute (nohkan), an hourglass-shaped
drum held at the shoulder (kotsuzumi), a slightly larger hourglass-shaped
drum placed on the lap (okawa or otsuzumi), and a barrel-shaped drum
placed on a small floor stand and played with two sticks (taiko).
The rhythms and melody of these instruments follow highly prescribed systems.
One particularly unique feature is the use of drum calls (kakegoe),
the shouts or cries of the drummers which serve as signals between
the drummers as well as between the drummers and singers.
These drum calls also add an important element to the sound texture of the performance.
A performance of Noh is not a performance of realistic theatre. Rather,
its movement is highly stylized and prescribed. While some gestures have specific meaning,
others serve as an abstract aesthetic expression to convey the emotions of the main character.
All of Noh can be described as dance. Sometimes there is very little movement
as dramatic tension is built mainly through narration. At other times there is strong,
vigorous movement. Movement takes place sometimes to the singing of the chorus
or sometimes to purely instrumental music. In general, deliberateness, brevity,
suppression and abstraction are important features of Noh movement.



28 :重要無名文化財:03/01/24 20:47
Makeup is not used in Noh. Rather, delicately carved masks are usually used by the shite main
character and/or the tsure attend-ant. These masks are considered objects of superb beauty
as well as powerful means of expression. Any character being portrayed which is not a middle
aged man living in the present will wear a mask. There-fore all characters portraying women
and old men wear masks as well as supernatural beings such as ghosts, deities, demons, and divine beasts.
In general, masks either have a more or less neutral express-ion or portray a very strong emotion.
The former in fact allows the mask a variety of expression with the play of light and shadow on it
as the actor changes slightly the tilt of the mask. Even in roles in which an actor does not wear a mask,
the sense of a masked face is evident. This is called hitamen, literally “direct mask." For this,
the actor does not use his face for realistic expression but rather for mask-like expression.
Costumes in Noh are elaborately made with gorgeously dyed silk. These costumes reveal the type
of character being portrayed and follow prescribed conventions as to their use. Still,
there is much variety. The detail of design, the color combinations, the rich-ness of texture,
and the strength of form give noh its visual impact. All characters, whether rich or poor, young or old,
male or female, are all beautifully costumed. The costuming process is complex. Rather
than the actor putting on his own costume, two or three costumers are needed to sculpt the costume on the actor



29 :重要無名文化財:03/01/24 20:47
1.Curtain 2.Third Pine 3.Bridge 4.Second Pine 5.First Pine 6.Shite pillar 7.Eye-fixing pillar 8.Flute pillar
9.Waki pillar 10.Cut-through door 11.Back panel 12.Main Stage 13.Moat Steps 14.Pebble Moat 15.Side Stage
16.Rear Stage 17.Mirror Room The curtainless stage used in Noh is square with a bridge-way leading to
it from backstage over which the characters make their entrances and exits. Stages were traditionally outside
and covered with a long sloping roof. During the last century they have been moved inside.
These inside stages are open on two sides in a kind of semi-theater-in-the-round. There is no attempt
at designing a realistic stage set. Rather, only symbolic stage properties are used. The pine tree painted
on the back wall of the stage represents the tree through which Noh was, by legend, passed down
from heaven to mankind. In Japanese culture, the evergreen pine has come to be an important symbol
of longevity and unchanging steadfastness. In general, the use of space and time is not portrayed realistically.
Rather, there is a freedom of portrayal which requires the audience members to use their imaginations.
Characters take only a few steps and through their song or that of the chorus, the audience knows
that they have travelled a great distance. Two characters may appear on the stage nearly side by side
but again the audience comes to understand that they are not yet in each other's prescence.While this
may be confusing for the first time viewer, for many people who come to understand these and other conventions,
Noh creates a much more powerful theatre than realistic theatre.
(Associate Professor, Noh Research Archives, Musashino Women's College, Tokyo)



30 :重要無名文化財:03/01/24 20:47
Noh Training Project--- Tokyo, JapanSpring Session 2001Noh Training Project (NTP) Programs in Tokyo for 2001
The Noh Training Project based in Tokyo provides instruction in the chant and dance of Japanese classical
noh drama for speakers of English. This is the eleventh year of the program which has 12-14 week sessions
in the Spring (April thru July) and Fall (September thru December), as well as occasional shorter
Winter sessions (January thru March) of usually 3-8 weeks. Participants are mainly actors, directors,
dancers and musicians, but others are also invited to attend. Instruction is three times per week
for three hours each class. The instructor is Richard Emmert, a certified Kita school teacher and
an American who has studied, taught and performed noh in Japan since 1973. Supplementary
instruction is by Omura Sadamu, a professional Kita School shite main role actor.
Participants work at their own pace receiving individual instruction in dance and group instruction in the chant.
A number of short dances and songs representing scenes from traditional plays are taught in their Japanese form
with occasional English versions.NTP 2001 Spring Session InformationDATES: Tuesday, April 3rd thru Saturday,
July 7th, every Tuesday evenings and Thursday and Saturday mornings. Total 14 weeks.
TIMES: Mornings 9:30-12:30 (Sat/Thur)Evenings 6:00-9:00 (Tues)LOCATION: Nomura (Toto-kai) Rehearsal
Noh Stage Near Shin-Koenji Station, Marunouchi Subway Line,Occasional participation: 2500 yen per session.
First time participants, full, partial, or occasional, must pay a beginners fee of 10,000 yen which
includes payment for a rehearsal fan.YOU WILL ALSO NEED: 1) white split-toe sox (tabi) which can be purchased



31 :重要無名文化財:03/01/24 20:47
in the Japanese traditional clothing section of any department store. Cost: 2500-3000 yen. You may be able to find stores where these can be purchased can be purchased even more cheaply. 2) If desired, an extra rehearsal fan costs 4500 yen.
INSTRUCTOR: Richard Emmert (Kita School Licensed Instructor)SUPPLEMENTARY INSTRUCTION: Omura Sadamu (Kita School Shite Actor) (Omura Sensei will be asked to come as many as three times only if there are at least 8 participants)
STAGE: Nomura (Toto-kai) Rehearsal StageThe Noh Training Project is a three week intensive, performance-based
training in the dance, chant, music, and performance history of Japanese Noh Drama. Taught by internationally
acclaimed Noh expert Richard Emmert and hosted by the Bloomsburg Theatre Ensemble, NTP is now entering
its seventh summer of bringing intensive training in Noh to the United States. Again this summer,
Mr. Emmert will be joined for the final week of training by Noh Master actor/teacher Akira Matsui.
In addition to teaching traditional perfomance practice, Matsui will lead special sessions designed
to help participants experiment with using Noh techniques with non-Noh musical accompaniment and/or text.
The training project culminates in a final recital for an invited public.
Training sessions go from 9-4:30 M-F under the guidance of Mr. Emmert and teaching assistants.
In addition to daily training sessions, twice weekly evening sessions are held to discuss the history,
literature and performance elements of Noh, along with viewing videos of Noh performances.
Students are divided into beginner or intermediate/advanced sections. New students will learn a number
of short dances and chants from Noh plays, learn about the musical instruments associated with Noh,
and work briefly with a Noh mask. Intermediate/Advanced students will work on longer pieces.
One of the oldest continually performed theatre forms in the world, Noh combines dance, chant,


32 :重要無名文化財:03/01/24 20:48
INSTRUCTORS Richard Emmert is an American who has studied, taught and performed classical
Noh in Japan since 1973. A certified Kita school noh instructor, Emmert has studied all aspects
of Noh performance with a special concentration in movement and music. In addition to performing
and teaching in Japan, he is a professor at Mushashino Women's College in Tokyo where he teaches
Asian theatre and music. He also runs an ongoing Noh Training Project for non-Japanses living in Tokyo.
Emmert frequently writes and speaks about Noh and has led numerous Noh workshops in Japan and abroad.
He co-authors a series of Noh performance guides for the National Noh Theatre in Tokyo and has composed,
directed, and performed in several English Noh plays, excerpts of which have been issued in a compact
disk issued by Teichiku Records entitled "Noh in English." Akira Matsui is a master actor-teacher
of the Kita School of Japanese classical Noh Theatre. He began studying Noh at the age of 7, and at the age of 12,
he became a"live-in apprentice INSTRUCTORS Richard Emmert is an American who has studied, taught
and performed classical Noh in Japan since 1973. A certified Kita school noh instructor, Emmert has studied
all aspects of Noh performance with a special concentration in movement and music. In addition to performing
and teaching in Japan, he is a professor at Mushashino Women's College in Tokyo where he teaches Asian theatre and music.
He also runs an ongoing Noh Training Project for non-Japanses living in Tokyo. Emmert frequently writes and speaks
about Noh and has led numerous Noh workshops in Japan and abroad. He co-authors a series of Noh performance guides
for the National Noh Theatre in Tokyo and has composed, directed, and performed in several English Noh plays, excerpts
of which have been issued in a compact disk issued by Teichiku Records entitled "Noh in English."



33 :重要無名文化財:03/01/24 20:48
The Japan Arts Council is managed and operated by an executive board consisting of a president, an executive director,
managing directors (no more than five persons), auditors (maximum of two persons), and a staff of 321 persons.
A Board of Councilors is set up to serve as the council president's advisory body, whose function is the deliberation
of important issues pertaining to the management of the Japan Arts Council. The Board of Councilors consists
of less than 20 persons of high academic standing, appointed by the Minister of Education, Culture, Sports,
Science and Technology.Furthermore, the president of the National Theatre entrusts matters of special importance
or matters requiring specialized advice to expert committees consisting of individuals of high academic standing such
as the Japan Arts Fund Management Committee, New National Theatre Reserch Special Committee,
National Theatre Reserch Special Committee, the Engei Hall Management Committee and National
Bunraku Theatre Management Council.


34 :重要無名文化財:03/01/24 20:48
The Japan Arts Council budget can be separated into two major categories: the Japan Arts Fund budget; and the National
Theatre budget.The Japan Arts Fund budget is used for activities related to the Japan Arts Fund for promotion
of arts and culture. Its source of revenue is income from investment, which is used to finance activities related
to the creation and dissemination of art, regional cultural activities, and the subsidization of groups engaged
in the propagation of culture, etc. The Council also receives state subsidies, which it has used since 1996 to help support
the performing arts. From 2001, these subsidies will be also channeled into projects intended to stimulate artistic
and cultural efforts at the local level, to encourage work in film, and to help revive folk cultures.
The National Theatre budget is categorized into three areas: the subsidy budget, the budget for items other
than subsidies, and the investment budget. The subsidy budget, having received subsidies from the national government,
is used to finance remuneration for management and personnel, maintenance and management of the facilities, and training
of folklore artists. The budget for items other than subsidies, which receives its revenues from admission fees
and rental charges on equipment, is used to finance public performances and public relations. Furthermore,
it provides performance operating expenses and Environmental Impact Assessment costs by covering facility usage
fees incurred in the management of the National Theatre of Japan. The investment budget, having obtained funds
from the National Government, is used to cover the expenses of repairs to the facilities including the main building
of the National Theatre.


35 :重要無名文化財:03/01/24 20:49
事実の掲載によって教導者に自覚を促し、
過ちを認めさせるいう意図は、無惨にも破綻しました。
まぁ他に彼を説得する方策がない。何故なら、
彼は完全に論破されたから事実とはかけ離れた妄想によって
荒らして議論を妨害するだけですから。
それをまずは自覚させるほかないのですが、それは不可能です。
私は、円滑かつまともな態度で教導者という粘着嵐に対処することは不可能だと
今までの長い長い努力によって思い知りました。
彼が自分を論破した者たちに「負け犬」と延々冠し続けているのは、
自分の敗北を認めたくないという屈折した心理によるものです。
ですから真摯に主張する他の死刑廃止論者が彼と同類と思われないためにも
荒らしには屈せず教導者を駆除すべきという態度がよろしいと判断したものです。
今までに私が負け犬死刑支持論者の事実誤認や論理破綻を指摘し、
その反面負け犬死刑支持論者は、都合の悪い指摘をことごとく無視して反論していない。
過去ログから明らか。
負け犬負け犬死刑支持論者は、今までに何回も、ありもしない「事実」を
タテに取ってきたのだから、具体的に典拠を示すことを
条件とするのは当然だ。
今までに大勢の人間が教導者の事実誤認や論理破綻を指摘してきたし、
その反面教導者は、都合の悪い指摘をことごとく無視して反論していない。
過去ログから明らか。
過去ログという客観的な事実さえも直視する勇気を持てない教導者は、
自らの敗北を直視することもなく、永遠に勝ち誇り続けるであろう。
ついでに言わせて貰えれば、議論を中断させるために中傷をしたり、
自分に都合の悪い意見を封殺するためにオウム返しをするのは、
議論を進める上で非建設的であるばかりではなく、そのような行為を
した側(中傷やオウム返しをされた側ではなく)の知性や常識の程度を
著しく低く見せる行為です。



36 :重要無名文化財:03/01/24 20:49
今までに私が負け犬死刑支持論者の事実誤認や論理破綻を指摘し、
その反面負け犬死刑支持論者は、都合の悪い指摘をことごとく無視して反論していない。
過去ログから明らか。
負け犬負け犬死刑支持論者は、今までに何回も、ありもしない「事実」を
タテに取ってきたのだから、具体的に典拠を示すことを
条件とするのは当然だ。
場を荒らしているのは、
みんなに論破されたからといって腹いせに荒らしている教導者でして、
彼は死刑論議のみならずあらゆる議論をぶちこわして回っています。
今までに、教導者に屈して議論スレがいくつ台無しになってしまったでしょうか。

教導者が必要かどうかは、多数決の結果であっても自分に都合悪ければ「衆愚状態だ」と
決めつけたがる駄々っ子が判断してよいものではない。
この程度のオウム返しに対して必死になっているところをみると、負け犬教導者は、
自らの敗北を認めている兆候が見られる。
今までに大勢の人間が教導者の事実誤認や論理破綻を指摘し、
その反面教導者は、都合の悪い指摘をことごとく無視して反論していない。
過去ログにいくらでも例がある。
負け犬教導者は、今までに何回も、ありもしない「事実」を
タテに取り、一方で他人の主張は「妄想」呼ばわりしてきたのだから、
具体的に典拠を示すことを条件とするのは当然だ。
ポパーの『よりよき世界を求めて』の第14章、寛容と知的責任にもあるように
自由な議論はそのままよりよき理論を淘汰し選別する、と思います

他の板では非現実的で効果がないかもしれませんが
哲学板ぐらいは議論におけるルールの押し付けではなく、
自由な議論をできる場でありたいと僕は願っています
そして、これは僕個人の意見ですが、
荒らしに対して最も効果がある行為は、誠実な文章の書き方であると思います



37 :重要無名文化財:03/01/24 20:49
決して意味の無い中傷やオウム返しで勝敗を分かつためではないでしょう
誰もが自由に思想を持つことができるというのはすばらしいことではないでしょうか
例え、それがはたからは愚かに見えたとしても
その愚かさもまた、真理の探究という行動のもとに、自由な討論のもとに
よりよき理論の追求に役立つこともあると思います

主張はただ一つ
中傷をするなら、議論をしましょう
時間と労力の無駄使いであり、何より板に負荷がかかり落ちやすくなります
負け犬死刑支持論者は私の論理的な発言を無視し、
その反面私は如何なる指摘をも反論している。
過去ログから明らか。
負け犬死刑支持論者は、今までに何回も、ありもしない「事実」を
タテに取ってきたのだから、具体的に典拠を示すことを
条件とするのは当然だ。
教導者が必要かどうかは、教導者本人ではなく、そこの住民が決めること。
というわけで、死刑論議があるかぎりどこへでも荒らしに行く教導者は迷惑。
負け犬を教化するといいながら、いまだに一人も教化できていない教導者は
名前の根拠がないのである。
しかし、場を荒らしているのは、
私に論破されたからといって腹いせに荒らしている連中でして、
私は死刑論議に関する主張ならば如何なるものを中傷せず(言葉がもともと汚いので
完全にとはまだいえませんが)
やってきております。
しかし、ここで荒らしに屈してしまうと折角の議論スレが台無しになってしまいます。
私が必要かどうかは衆愚状態の客観的な考察が出来ない
連中が判断してよいものではない。
負け犬を教化して、負け犬死刑支持論者の行動から
焦っているところをみると負け犬死刑支持論者は自らの敗北を
認めている兆候が見られる。


38 :重要無名文化財:03/01/24 20:49
負け犬死刑支持論者は、もとより荒らすことしか出来ない。
負け犬死刑支持論者の主張に沿って誤りを懇切丁寧に指摘すると「妄想」呼ばわり。
負け犬死刑支持論者は反論できなくなったのでスレを荒し始める。よって、
彼と対話可能な唯一の形式は、もはや存在しなくただ負け犬死刑支持論者のキチガイ振りを見て楽しむのみ。
まことに馬鹿々々しいが、負け犬死刑支持論者が妄想を垂流すこと禁忌とするのが彼ら負け犬死刑支持論者のルール。
ではとりあえず、ルールをつくるにはどのような方法をとればよいのか、について話しましょうよ
そしてそれに従ってローカルルールをたて、そのルールに従って議論を再開しましょうよ
荒らしに付き合ってはならないというのはわかりますけどね。
ほっとくとこのような連中の荒らしがやまないのは過去ログをみれば明らかなのですよ。気分を害したのであれば、この辺で止めておきます。
教導者に付き合ってはならないというのはわかりますけどね。ほっといても教導者の荒らしがやまないのは過去ログをみれば明らかなのですよ。「この辺で止めておきます」なんて
彼が自分の書き込みを二日以上覚えていたことが過去にありましたか。負け犬死刑支持論者は自分の書き込みすら覚えていないから、その観点でも過去ログを目を通すことを条件とするのは妥当だ。
新たにスレッドを立てて、「負け犬」(笑)を全員隔離すること。「負け犬」以外は、このスレッドで引き続き「論理的な議論」を続ける。「負け犬」は、「隔離スレ」で「主観的な妄想」を続ける。
もちろん、勝者である教導者は「隔離スレ」には立ち入らず、「妄想」に干渉しない。このルールを教導者が順守すれば、棲み分けが出来て、何も問題はないと思われる。
ルールはすでに出ている、荒らしはまともに付き合わないこと。(言ってる教導者が荒らしなのだから無意味だが)
というわけで、別に誰も司会しなくても、教導者が他人の論理的な発言に耳を傾けさえすれば良いだろう。(但し「過去ログにある」と言う場合には、part何のレス何番と
 明記することを条件とする)負け犬教導者は、今までに何回も、ありもしない「事実」をタテに取ってきたのだから、具体的に典拠を示すことを条件とするのは当然だ。


39 :重要無名文化財:03/01/24 20:50
一番うさんくさい伝統芸能と思う。
常識ないね、顔だす必然性ないのに
目立ちたいいやらしい心でやっちゃった。
日本の恥じさらし。俺もやめれに大賛成。
精神的グロ趣味!。
文楽やってるやつは代々コンプレックス受け継いでるね。
家族的無意識が続けて伝わっていくんだよ。
関わってくる人にも接していくうち伝わってしまう。
顔出すまでいったら、そういった先人たちの屈折した意識も晒してしまうのだろう。
顔出してやることになるときの気持ち、深層にある抑圧されたどろどろの意識が、
そのひとの表面まで出てきて支配するのだろう。
どいつも目が満足げに腐って、妖しい光が覗いてる。
はっきりいって毒々しいな。顔は隠したほうが全体的に健全になる
文楽の例えば、足使い見てるととてつもなくへたくそなのには笑ってしまう。
足の長さは一定なのにまるでゴムで出来た足のようにズルズルのびて
ろくろっ首のような動きで足が動く。人形に股関節の仕組みがないことが
原因だろうけど。伝統芸だからすごい技術持ってるんだという変な思いこみして
ありがたがってる連中は気の毒だと思う。
話を元に戻すと、一体の人形に何人もの人間が付いてるのに何で一人だけ
顔を出すのかということである。
出すなら全員出せばいいものを。足であろうが手であ
ろうが首であろうがどの動きも大事だろなら全員顔出せ。
出せないところ、そこに特権意識きわまれりのイヤーなものをいつも思う。だから
いっそ、出さないでほしいのだ。


40 :重要無名文化財:03/01/24 20:50
When Kuheiji has gone, Tokubei proclaims his innocence to bystanders and hints that he will make amends by killing himself.
Scene 2: It is the evening of the same day and Ohatsu is back at Temma House, the brothel where she works. Still distraught
at what has happened, she slips outside after catching a glimpse of Tokubei. They weep and he tells her that the only option left for him is suicide.
Ohatsu helps Tokubei hide under the porch on which she sits, and soon Kuheiji and his friends arrive. Kuheiji continues to proclaim
Tokubei's guilt, but Ohatsu says she knows he is innocent. Then, as if talking to herself, she asks if Tokubei is resolved to die. Unseen by the others,
he answers by drawing her foot across his neck. (Since female puppets do not have legs, a specially made foot is used for this scene.)
Kuheiji says that if Tokubei kills himself he will take care of Ohatsu, but she rebukes him, calling him a thief and a liar. She says she is sure that
Tokubei intends to die with her as she does with him. Overwhelmed by her love, Tokubei responds by touching her foot to his forehead.
Once Kuheiji has left and the house is quiet, Ohatsu manages to slip out.
Scene 3: On their journey to Sonezaki Wood, Tokubei and Ohatsu speak of their love, and a lyrical passage
spoken by the narrator comments on the transience of life. Hearing revelers in a roadside teahouse singing about an earlier
love suicide, Tokubei wonders if he and Ohatsu will be the subject of such songs. After reaching Sonezaki Wood, Ohatsu cuts her sash.
and they use it to bind themselves together so they will be beautiful in death. Tokubei apologizes to his uncle, and Ohatsu to her parents,
for the trouble they are causing. Chanting an invocation to Amida Buddha, he stabs her and then himself.



41 :重要無名文化財:03/01/24 20:50
Scene I: Making the rounds of his customers, Tokubei, clerk at a soy sauce dealer, meets his beloved, the courtesan Ohatsu,
by chance at Ikutama Shrine in Osaka. Weeping, she criticizes him for neglecting to write or visit. Tokubei explains
that he has had some problems, and at her urging he tells the whole story.
Tokubei's uncle, the owner of the soy sauce business, had asked him to marry his wife's niece, but Tokubei refused because
of his love for Ohatsu. However, Tokubei's stepmother agreed to the marriage behind his back and took the large dowry
with her to the country. When Tokubei again refused the marriage, his angry uncle demanded the return of the dowry money.
After finally managing to get the money from his stepmother, Tokubei lent it to his good friend Kuheiji, who is late paying it back.
Just then a drunken Kuheiji arrives at the shrine with a couple of friends. When Tokubei urges him to return the money,
Kuheiji denies borrowing it, and he and his friends beat up Tokubei.


42 :重要無名文化財:03/01/24 20:51
Like the puppeteers, the tayu and the shamisen player were originally hidden from the audience but, in a new play in 1705,
Takemoto Gidayu chanted in full view of the audience, and in 1715 both the tayu and shamisen player began performing
on a special elevated platform at the right of the stage, where they appear today. The tayu has traditionally had the highest
status in a bunraku troupe. As narrator, he creates the atmosphere of the play, and he must voice all parts, from a rough bass
for men to a high falsetto for women and children.
The shamisen player does not merely accompany the tayu. Since the puppeteers, tayu, and shamisen player do not watch each other
during the performance, it is up to the shamisen player to set the pace of the play with his rhythmic strumming.
In some large-scale bunraku plays and extravaganzas adapted from kabuki, multiple tayu-shamisen pairs and shamisen ensembles are used.
A Bunraku Play: Sonezaki shinju (The Love Suicides at Sonezaki)
History of Bunraku//Puppets and Performance
This masterpiece of Chikamatsu Monzaemon was the first of the new genre of domestic drama (sewa-mono) plays focusing
on the conflicts between human emotions and the severe restrictions and obligations of contemporary society. The great success
of this play led to many more dramas on the tragic love affairs of merchants and courtesans, and it is also said
to have spawned a string of copycat love suicides.



43 :重要無名文化財:03/01/24 20:51
There are about 70 different puppet heads in use. Classified into various categories, such as young unmarried woman or young man of great strength, each head is usually
used for a number of different characters, although they are often referred to by the name of the role in which they first appeared.
The omozukai (principal operator) inserts his left hand through an opening in the back of the costume and holds the head grip. With his right hand he moves
the puppet's right arm. Holding a large warrior puppet can be an exercise in endurance since they weigh up to 20 kilograms. The left arm is operated
by the hidarizukai (first assistant), and the legs are operated by the ashizukai (second assistant), who also stamps his feet for sound effects and
to punctuate the shamisen rhythm. For female puppets, the ashizukai manipulates the lower part of the kimono to simulate leg movement.
In Chikamatsu's day, puppets were operated by one person; the three-man puppet was not introduced until 1734. Originally this single operator
was not seen on stage, but for The Love Suicides at Sonezaki, master puppeteer Tatsumatsu Hachirobei became the first to work in full view
of the audience. Today all three puppeteers are out on stage in full view. The operators usually wear black suits and hoods that make
them symbolically invisible. A celebrity in the bunraku world, the principal operator often works without the black hood and
in some cases even wears a brilliant white silk robe.


44 :重要無名文化財:03/01/24 20:51
Throughout the 18th century, bunraku developed in both a competitive and cooperative relationship with kabuki. At the individual role level,
kabuki actors imitated the distinctive movements of bunraku puppets and the chanting style of the tayu, while puppeteers adapted the stylistic
flourishes of famous kabuki actors to their own performances. At the play level, many bunraku works, especially those of Chikamatsu, were adapted
for kabuki, while lavish kabuki-style productions were staged as bunraku.
Gradually eclipsed in popularity by kabuki, from the late 18th century bunraku went into commercial decline and theaters closed one by one until only
the Bunraku-za was left. Since World War II, bunraku has had to depend on government support for its survival, although its popularity has been increasing
in recent years. Under the auspices of the Bunraku Association, regular performances are held today at the National Theater in Tokyo and the National
Bunraku Theater in Osaka. Bunraku performance tours have been enthusiastically received in cities around the world.
One-half to two-thirds life-size, bunraku puppets are assembled from several components: wooden head, shoulder board, trunk, arms, legs, and costume.
The head has a grip with control strings to move the eyes, mouth, and eyebrows. This grip is inserted into a hole in the center of the shoulder board.
Arms and legs are hung from the shoulder board with strings, and the costume fits over the shoulder board and trunk, from which a bamboo hoop is hung
to form the hips. Female puppets often have immovable faces, and, since their long kimono completely cover the lower half of their bodies, most do not need to have legs.


45 :重要無名文化財:03/01/24 20:52
of his life he wrote exclusively for the puppet theater. There has been much debate as to why Chikamatsu turned to writing
for kabuki and then returned to bunraku, but this may have been the result of dissatisfaction with the relative position
of the playwright and actor in kabuki. Famous kabuki actors of the day considered the play raw material to be molded
to better display their own talents.In 1703, Chikamatsu pioneered a new kind of puppet play, the domestic drama (sewa-mono),
which brought new prosperity to the Takemotoza. Only one month after a shop clerk and a courtesan committed double suicide,
Chikamatsu dramatized the incident in The Love Suicides at Sonezaki. The conflict between social obligations (giri)
and human feelings (ninjo) found in this play greatly moved audiences of the time and became a central theme for bunraku.
Domestic dramas such as Chikamatsu's series of love-suicide plays became a favorite subject for the puppet theater. Historical
dramas, however, also continued to be popular, and became more sophisticated as audiences came to expect the psychological depth
found in the domestic plays. One example of this is Kanadehon Chushingura, perhaps the most famous bunraku play. Based on the true
story of the 47 ronin (masterless samurai) incident of 1701-1703, it was first staged 47 years later in 1748. After drawing his sword
in the Edo castle in response to insults by the Tokugawa shogun's chief of protocol (Kira Yoshinaka), the feudal lord Asano Naganori
was forced to commit suicide and his clan was disbanded. The 47 loyal retainers carefully plotted and carried out their revenge
by killing Kira nearly two years later. Even though many years had elapsed since the incident, playwrights still changed the time,
location, and character names in order to avoid offending the Tokugawa shogun. This popular play was soon adapted to the kabuki stage
and continues to be an important part of both repertoires.



46 :重要無名文化財:03/01/24 20:52
In the 16th century, puppeteers from these groups were called to Kyoto to perform for the imperial family and military
leaders. It was around this time that puppetry was combined with the art of joruri.A precursor of joruri can be found
in the blind itinerant performers, called biwa hoshi, who chanted The Tale of the Heike, a military epic depicting the
Taira-Minamoto War, while accompanying,themselves on the biwa, a kind of lute. In the 16th century, the shamisen replaced
the biwa as the instrument of choice, and the joruri style developed. The name joruri came from one of the earliest
and most popular works chanted in this style, the legend of a romance between warrior Minamoto no Yoshitsune and the
beautiful Lady Joruri.The art of puppetry combined with chanting and shamisen accompaniment grew in popularity in the
early 17th century in Edo (now Tokyo), where it received the patronage of the shogun and other military leaders. Many
of the plays at this time presented the adventures of Kimpira, a legendary hero renowned for his bold, outlandish exploits.
It was in the merchant city of Osaka, however, that the golden age of ningyo joruri was inaugurated through the talents
of two men: tayu (chanter) Takemoto Gidayu (1651-1714) and the playwright Chikamatsu Monzaemon.
After he opened the Takemotoza puppet theater in Osaka in 1684, Gidayu's powerful chanting style, called gidayu-bushi,
came to dominate joruri. Chikamatsu began writing historical dramas (jidai-mono) for Gidayu in 1685. Later he spent more
than a decade writing mostly for kabuki, but in 1703 Chikamatsu returned to the Takemotoza, and from 1705 to the end



47 :重要無名文化財:03/01/24 20:52
Bunraku puppets History of Bunraku//Puppets and Performance//A Bunraku Play: Sonezaki shinju (The Love Suicides at Sonezaki)
BUNRAKUPuppet theater brings old Japan to lifeBunraku is Japan's professional puppet theater. Developed primarily
in the 17th and 18th centuries, it is one of the four forms of Japanese classical theater, the others being kabuki, noh,
and kyogen. The term bunraku comes from Bunraku-za, the name of the only commercial bunraku theater to survive into
the modern era. Bunraku is also called ningyo joruri, a name that points to its origins and essence. Ningyo means "doll"
or "puppet," and joruri is the name of a style of dramatic narrative chanting accompanied by the three-stringed shamisen.
Together with kabuki, bunraku developed as part of the vibrant merchant culture of the Edo period (1600-1868).
Despite the use of puppets, it is not a children's theater. Many of its most famous plays were written by Japan's greatest
dramatist, Chikamatsu Monzaemon (1653-1724), and the great skill of the operators make the puppet characters and their
stories come alive on stage.History of BunrakuPuppets and Performance//A Bunraku Play: Sonezaki shinju (The Love Suicides
at Sonezaki) Already in the Heian period (794-1185), itinerant puppeteers known as kugutsumawashi traveled around Japan
playing door-to-door for donations. In this form of street entertainment, which continued up through the Edo period,
the puppeteer manipulated two hand puppets on a stage that consisted of a box suspended from his neck. A number
of the kugutsumawashi are thought to have settled at Nishinomiya and on the island of Awaji, both near present-day Kobe.



48 :重要無名文化財:03/01/24 20:52
In Chikamatsu's day, puppets were operated by one person; the three-man puppet was not introduced until 1734.
Originally this single operator was not seen on stage, but for The Love Suicides at Sonezaki, master puppeteer
Tatsumatsu Hachirobei became the first to work in full view of the audience.Today all three puppeteers are out on stage
in full view. The operators usually wear black suits and hoods that make them symbolically invisible. A celebrity
in the bunraku world, the principal operator often works without the black hood and in some cases even wears a brilliant
white silk robe.Like the puppeteers, the tayu and the shamisen player were originally hidden from the audience but,
in a new play in 1705, Takemoto Gidayu chanted in full view of the audience, and in 1715 both the tayu and shamisen
player began performing on a special elevated platform at the right of the stage, where they appear today. The tayu
has traditionally had the highest status in a bunraku troupe. As narrator, he creates the atmosphere of the play, and
he must voice all parts, from a rough bass for men to a high falsetto for women and children.The shamisen player does not
merely accompany the tayu. Since the puppeteers, tayu, and shamisen player do not watch each other during the performance,
it is up to the shamisen player to set the pace of the play with his rhythmic strumming. In some large-scale bunraku plays
and extravaganzas adapted from kabuki, multiple tayu-shamisen pairs and shamisen ensembles are used.



49 :重要無名文化財:03/01/24 20:53
One-half to two-thirds life-size, bunraku puppets are assembled from several components: wooden head, shoulder board,
trunk, arms, legs, and costume. The head has a grip with control strings to move the eyes, mouth, and eyebrows.
This grip is inserted into a hole in the center of the shoulder board. Arms and legs are hung from the shoulder board
with strings, and the costume fits over the shoulder board and trunk, from which a bamboo hoop is hung to form the hips.
Female puppets often have immovable faces, and, since their long kimono completely cover the lower half of their bodies,
most do not need to have legs.There are about seventy different puppet heads in use. Classified into various categories,
such as young unmarried woman or young man of great strength, each head is usually used for a number of different
characters, although they are often referred to by the name of the role in which they first appeared.The omozukai
(principal operator) inserts his left hand through an opening in the back of the costume and holds the head grip.
With his right hand he moves the puppet's right arm. Holding a large warrior puppet can be an exercise in endurance since
they weigh up to twenty kilograms. The left arm is operated by the hidarizukai (first assistant), and the legs are
operated by the ashizukai (second assistant), who also stamps his feet for sound effects and to punctuate the shamisen
rhythm. For female puppets, the ashizukai manipulates the lower part of the kimono to simulate leg movement.



50 :重要無名文化財:03/01/24 20:53
famous bunraku play. Based on the true story of the 47 ronin (masterless samurai) incident of 1701-1703, it was first
staged 47 years later in 1748. After drawing his sword in the Edo castle in response to insults by the Tokugawa
shogun's chief of protocol (Kira Yoshinaka), the feudal lord Asano Naganori was forced to commit suicide and his clan
was disbanded. The 47 loyal retainers carefully plotted and carried out their revenge by killing Kira nearly two years
later. Even though many years had elapsed since the incident, playwrights still changed the time, location, and character
names in order to avoid offending the Tokugawa shogun. This popular play was soon adapted to the kabuki stage and continues to be an important part of both repertoires.
Throughout the eighteenth century, bunraku developed in both a competitive and cooperative relationship with kabuki.
At the individual role level, kabuki actors imitated the distinctive movements of bunraku puppets and the chanting style
of the tayu, while puppeteers adapted the stylistic flourishes of famous kabuki actors to their own performances.
At the play level, many bunraku works, especially those of Chikamatsu, were adapted for kabuki, while lavish kabuki-style
productions were staged as bunraku. Gradually eclipsed in popularity by kabuki, from the late 18th century bunraku went
into commercial decline and theaters closed one by one until only the Bunraku-za was left. Since World War II,
bunraku has had to depend on government support for its survival, although its popularity has been increasing in recent
years. Under the auspices of the Bunraku Association, regular performances are held today at the National Theater
in Tokyo and the National Bunraku Theater in Osaka. Bunraku performance tours have been enthusiastically received
in cities around the world.



51 :重要無名文化財:03/01/24 20:53
It was in the merchant city of Osaka, however, that the golden age of ningyo joruri was inaugurated through the talents
of two men: tayu (chanter) Takemoto Gidayu (1651-1714) and the playwright Chikamatsu Monzaemon.
After he opened the Takemotoza puppet theater in Osaka in 1684, Gidayu's powerful chanting style, called gidayu-bushi,
came to dominate joruri. Chikamatsu began writing historical dramas (jidai-mono) for Gidayu in 1685. Later he spent more
than a decade writing mostly for kabuki, but in 1703 Chikamatsu returned to the Takemotoza, and from 1705 to the end
of his life he wrote exclusively for the puppet theater. There has been much debate as to why Chikamatsu turned
to writing for kabuki and then returned to bunraku, but this may have been the result of dissatisfaction with the
relative position of the playwright and actor in kabuki. Famous kabuki actors of the day considered the play raw material
to be molded to better display their own talents.
In 1703, Chikamatsu pioneered a new kind of puppet play, the domestic drama (sewa-mono), which brought new prosperity
to the Takemotoza. Only one month after a shop clerk and a courtesan committed double suicide, Chikamatsu dramatized
the incident in The Love Suicides at Sonezaki. The conflict between social obligations (giri) and human feelings (ninjo)
found in this play greatly moved audiences of the time and became a central theme for bunraku.
Domestic dramas, such as Chikamatsu's series of love-suicide plays, became a favorite subject for the puppet theater.
Historical dramas, however, also continued to be popular and became more sophisticated as audiences came to expect
he psychological depth found in the domestic plays. One example of this is Kanadehon Chushingura, perhaps the most


52 :重要無名文化財:03/01/24 20:54
Already in the Heian period (794-1185), itinerant puppeteers known as kugutsumawashi traveled around Japan playing
door-to-door for donations. In this form of street entertainment, which continued up through the Edo period,
the puppeteer manipulated two hand puppets on a stage that consisted of a box suspended from his neck. A number
of the kugutsumawashi are thought to have settled at Nishinomiya and on the island of Awaji, both near present-day Kobe.
In the sixteenth century, puppeteers from these groups were called to Kyoto to perform for the imperial family and military leaders. It was around this time that puppetry was combined with the art of joruri.
A precursor of joruri can be found in the blind itinerant performers, called biwa hoshi, who chanted The Tale of the Heike,
a military epic depicting the Taira-Minamoto War, while accompanying themselves on the biwa, a kind of lute.
In the sixteenth century, the shamisen replaced the biwa as the instrument of choice, and the joruri style developed.
The name joruri came from one of the earliest and most popular works chanted in this style, the legend
of a romance between warrior Minamoto no Yoshitsune and the beautiful Lady Joruri.
The art of puppetry combined with chanting and shamisen accompaniment grew in popularity in the early seventeenth century
in Edo (now Tokyo), where it received the patronage of the shogun and other military leaders. Many of the plays
at this time presented the adventures of Kimpira, a legendary hero renowned for his bold, outlandish exploits.


53 :重要無名文化財:03/01/24 20:54
The narrator sits with his shamisen accompanist, each resplendent in traditional kamishimo dress, in full view on
an elevated dais at the right side of the stage. The shamisen accompanist is no less important an element in the puppet
show. The shamisen provides not only a musical accompaniment to the joruri narration but also an indication,
where appropriate, of the sound of rain or wind or other effects to heighten the atmosphere of the scene.
Most of the plays in the bunraku repertoire are classics written in the l8th century. Although about 50 new plays
have been presented since World War II, most of them are not likely to be staged again, whereas most of the classics
are certain of constant repetition. The Government is giving great support to Bunraku puppet theater, designating
it as an important intangible cultural asset. In 1984 the National Bunraku Theater was established in Osaka,
the birthplace of bunraku. Six series of bunraku performances, each lasting about two weeks, are scheduled to be heldevery year at the theater.


54 :重要無名文化財:03/01/24 20:54
The samisen accompanist is no less important an element in the puppet show. The samisen provides not only a musical
accompaniment to the joruri recitation but also an indication, where apprpriate, of the sound of rain or wind or
other effects to heighten the atmosphere of the scene.Most of the plays in the Bunraku repertoire are classics written
in the 18th century. Though about 50 new plays have been presented after World War U、most of them are not likely
to be staged again, where as most of the classics are certain of constsnt repetition.
The Goverment is giving great support to the Bunraku Puppet Theatre, designating it as an important intangible cultural
asset. In 1984 the National Bunraku Theatre was established in Osaka, the birthplace of Bunraku. At this theatre
six series of Bunraku performances, each lasting about two weeks, are scheduled to be held every year.



55 :重要無名文化財:03/01/24 20:54
which is operated by three manipulators is about a half life-size. The puppets seen on stage are elaborately
costumed in traditional Japanese style. The Chief Manipulator (Omodzukai) holds the puppet and moves
it's head (Kashira) and body using his left hand in the body through the opening at the back of the puppet. He also controls the puppet's right hand with his right hand. Only the Chief Manipulator shows his face in most scenes (Dedzukai).
The Second Manipulator (Hidaridzukai) moves the puppet's left hand and assists the Chief Manipulator.
The Third Manipulator (Ashidzukai) moves the puppet's legs. Usually, a female puppet has no legs as a rule,
so the Third Manipulator moves its skirt and creates the illusion of moving legs.
Imagine three individual people moving one puppet, even a simple movement, like clapping hands, is difficult
to accomplish. Learning manipulate a Bunraku puppet requires hard training for many years. A Ningyo operated
by skilled manipulators looks as if it has life.On an elevated platform at the right side of the stage, two people
in formal dress (Kamishimo) are sitting. They are the Joruri reciter (Tayu) and the Shamisen player (Shamisen).
Tayu is the only person who makes vocalization in the play. He recites special music (Gidayu Bushi),
tells the story and takes charge of the puppets' voices. He is a singer, a narrator and a vocal player
(provide various kinds of voices of characters). Tayu often plays the role of a conductor by reciting Joruri
because Bunraku consists of three parts (Ningyo, Joruri, Shamisen). The play is called Joruri and is usually
recited using the Kamigata dialect.The Shamisen is an orchestra made of one person. It is not only accompaniment music,
the largest body and the thickest strings, which make a dramatic resonant sound. Another kind of music which uses
the Hutozao, the Tsugaru Shamisen is also famous. But, the mood created is very different from BUNRAKU.



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staged 47 years later in 1748. After drawing his sword in the Edo castle in response to insults by the Tokugawa
shogun's chief of protocol (Kira Yoshinaka), the feudal lord Asano Naganori was forced to commit suicide and his clan
was disbanded. The 47 loyal retainers carefully plotted and carried out their revenge by killing Kira nearly two years
later. Even though many years had elapsed since the incident, playwrights still changed the time, location, and character
names in order to avoid offending the Tokugawa shogun. This popular play was soon adapted to the kabuki stage and continues to be an important part of both repertoires.
Throughout the eighteenth century, bunraku developed in both a competitive and cooperative relationship with kabuki.
At the individual role level, kabuki actors imitated the distinctive movements of bunraku puppets and the chanting style
of the tayu, while puppeteers adapted the stylistic flourishes of famous kabuki actors to their own performances.
At the play level, many bunraku works, especially those of Chikamatsu, were adapted for kabuki, while lavish kabuki-style
productions were staged as bunraku. Gradually eclipsed in popularity by kabuki, from the late 18th century bunraku went
into commercial decline and theaters closed one by one until only the Bunraku-za was left. Since World War II,
bunraku has had to depend on government support for its survival, although its popularity has been increasing in recent
years. Under the auspices of the Bunraku Association, regular performances are held today at the National Theater
in Tokyo and the National Bunraku Theater in Osaka. Bunraku performance tours have been enthusiastically received
in cities around the world.


57 :重要無名文化財:03/01/24 20:55
It was in the merchant city of Osaka, however, that the golden age of ningyo joruri was inaugurated through the talents
of two men: tayu (chanter) Takemoto Gidayu (1651-1714) and the playwright Chikamatsu Monzaemon.
After he opened the Takemotoza puppet theater in Osaka in 1684, Gidayu's powerful chanting style, called gidayu-bushi,
came to dominate joruri. Chikamatsu began writing historical dramas (jidai-mono) for Gidayu in 1685. Later he spent more
than a decade writing mostly for kabuki, but in 1703 Chikamatsu returned to the Takemotoza, and from 1705 to the end
of his life he wrote exclusively for the puppet theater. There has been much debate as to why Chikamatsu turned
to writing for kabuki and then returned to bunraku, but this may have been the result of dissatisfaction with the
relative position of the playwright and actor in kabuki. Famous kabuki actors of the day considered the play raw material
to be molded to better display their own talents.
In 1703, Chikamatsu pioneered a new kind of puppet play, the domestic drama (sewa-mono), which brought new prosperity
to the Takemotoza. Only one month after a shop clerk and a courtesan committed double suicide, Chikamatsu dramatized
the incident in The Love Suicides at Sonezaki. The conflict between social obligations (giri) and human feelings (ninjo)
found in this play greatly moved audiences of the time and became a central theme for bunraku.
Domestic dramas, such as Chikamatsu's series of love-suicide plays, became a favorite subject for the puppet theater.
Historical dramas, however, also continued to be popular and became more sophisticated as audiences came to expect
he psychological depth found in the domestic plays. One example of this is Kanadehon Chushingura, perhaps the most


58 :重要無名文化財:03/01/24 20:55
famous bunraku play. Based on the true story of the 47 ronin (masterless samurai) incident of 1701-1703, it was first
staged 47 years later in 1748. After drawing his sword in the Edo castle in response to insults by the Tokugawa
shogun's chief of protocol (Kira Yoshinaka), the feudal lord Asano Naganori was forced to commit suicide and his clan
was disbanded. The 47 loyal retainers carefully plotted and carried out their revenge by killing Kira nearly two years
later. Even though many years had elapsed since the incident, playwrights still changed the time, location, and character
names in order to avoid offending the Tokugawa shogun. This popular play was soon adapted to the kabuki stage and continues to be an important part of both repertoires.
Throughout the eighteenth century, bunraku developed in both a competitive and cooperative relationship with kabuki.
At the individual role level, kabuki actors imitated the distinctive movements of bunraku puppets and the chanting style
of the tayu, while puppeteers adapted the stylistic flourishes of famous kabuki actors to their own performances.
At the play level, many bunraku works, especially those of Chikamatsu, were adapted for kabuki, while lavish kabuki-style
productions were staged as bunraku. Gradually eclipsed in popularity by kabuki, from the late 18th century bunraku went
into commercial decline and theaters closed one by one until only the Bunraku-za was left. Since World War II,
bunraku has had to depend on government support for its survival, although its popularity has been increasing in recent
years. Under the auspices of the Bunraku Association, regular performances are held today at the National Theater
in Tokyo and the National Bunraku Theater in Osaka. Bunraku performance tours have been enthusiastically received
in cities around the world.



59 :重要無名文化財:03/01/24 20:55
In Chikamatsu's day, puppets were operated by one person; the three-man puppet was not introduced until 1734.
Originally this single operator was not seen on stage, but for The Love Suicides at Sonezaki, master puppeteer
Tatsumatsu Hachirobei became the first to work in full view of the audience.Today all three puppeteers are out on stage
in full view. The operators usually wear black suits and hoods that make them symbolically invisible. A celebrity
in the bunraku world, the principal operator often works without the black hood and in some cases even wears a brilliant
white silk robe.Like the puppeteers, the tayu and the shamisen player were originally hidden from the audience but,
in a new play in 1705, Takemoto Gidayu chanted in full view of the audience, and in 1715 both the tayu and shamisen
player began performing on a special elevated platform at the right of the stage, where they appear today. The tayu
has traditionally had the highest status in a bunraku troupe. As narrator, he creates the atmosphere of the play, and
he must voice all parts, from a rough bass for men to a high falsetto for women and children.The shamisen player does not
merely accompany the tayu. Since the puppeteers, tayu, and shamisen player do not watch each other during the performance,
it is up to the shamisen player to set the pace of the play with his rhythmic strumming. In some large-scale bunraku plays
and extravaganzas adapted from kabuki, multiple tayu-shamisen pairs and shamisen ensembles are used.



60 :重要無名文化財:03/01/24 20:56
Bunraku puppets History of Bunraku//Puppets and Performance//A Bunraku Play: Sonezaki shinju (The Love Suicides at Sonezaki)
BUNRAKUPuppet theater brings old Japan to lifeBunraku is Japan's professional puppet theater. Developed primarily
in the 17th and 18th centuries, it is one of the four forms of Japanese classical theater, the others being kabuki, noh,
and kyogen. The term bunraku comes from Bunraku-za, the name of the only commercial bunraku theater to survive into
the modern era. Bunraku is also called ningyo joruri, a name that points to its origins and essence. Ningyo means "doll"
or "puppet," and joruri is the name of a style of dramatic narrative chanting accompanied by the three-stringed shamisen.
Together with kabuki, bunraku developed as part of the vibrant merchant culture of the Edo period (1600-1868).
Despite the use of puppets, it is not a children's theater. Many of its most famous plays were written by Japan's greatest
dramatist, Chikamatsu Monzaemon (1653-1724), and the great skill of the operators make the puppet characters and their
stories come alive on stage.History of BunrakuPuppets and Performance//A Bunraku Play: Sonezaki shinju (The Love Suicides
at Sonezaki) Already in the Heian period (794-1185), itinerant puppeteers known as kugutsumawashi traveled around Japan
playing door-to-door for donations. In this form of street entertainment, which continued up through the Edo period,
the puppeteer manipulated two hand puppets on a stage that consisted of a box suspended from his neck. A number
of the kugutsumawashi are thought to have settled at Nishinomiya and on the island of Awaji, both near present-day Kobe.




61 :重要無名文化財:03/01/24 20:56
In the 16th century, puppeteers from these groups were called to Kyoto to perform for the imperial family and military
leaders. It was around this time that puppetry was combined with the art of joruri.A precursor of joruri can be found
in the blind itinerant performers, called biwa hoshi, who chanted The Tale of the Heike, a military epic depicting the
Taira-Minamoto War, while accompanying,themselves on the biwa, a kind of lute. In the 16th century, the shamisen replaced
the biwa as the instrument of choice, and the joruri style developed. The name joruri came from one of the earliest
and most popular works chanted in this style, the legend of a romance between warrior Minamoto no Yoshitsune and the
beautiful Lady Joruri.The art of puppetry combined with chanting and shamisen accompaniment grew in popularity in the
early 17th century in Edo (now Tokyo), where it received the patronage of the shogun and other military leaders. Many
of the plays at this time presented the adventures of Kimpira, a legendary hero renowned for his bold, outlandish exploits.
It was in the merchant city of Osaka, however, that the golden age of ningyo joruri was inaugurated through the talents
of two men: tayu (chanter) Takemoto Gidayu (1651-1714) and the playwright Chikamatsu Monzaemon.
After he opened the Takemotoza puppet theater in Osaka in 1684, Gidayu's powerful chanting style, called gidayu-bushi,
came to dominate joruri. Chikamatsu began writing historical dramas (jidai-mono) for Gidayu in 1685. Later he spent more
than a decade writing mostly for kabuki, but in 1703 Chikamatsu returned to the Takemotoza, and from 1705 to the end





62 :重要無名文化財:03/01/24 20:56
Throughout the 18th century, bunraku developed in both a competitive and cooperative relationship with kabuki. At the individual role level,
kabuki actors imitated the distinctive movements of bunraku puppets and the chanting style of the tayu, while puppeteers adapted the stylistic
flourishes of famous kabuki actors to their own performances. At the play level, many bunraku works, especially those of Chikamatsu, were adapted
for kabuki, while lavish kabuki-style productions were staged as bunraku.
Gradually eclipsed in popularity by kabuki, from the late 18th century bunraku went into commercial decline and theaters closed one by one until only
the Bunraku-za was left. Since World War II, bunraku has had to depend on government support for its survival, although its popularity has been increasing
in recent years. Under the auspices of the Bunraku Association, regular performances are held today at the National Theater in Tokyo and the National
Bunraku Theater in Osaka. Bunraku performance tours have been enthusiastically received in cities around the world.
One-half to two-thirds life-size, bunraku puppets are assembled from several components: wooden head, shoulder board, trunk, arms, legs, and costume.
The head has a grip with control strings to move the eyes, mouth, and eyebrows. This grip is inserted into a hole in the center of the shoulder board.
Arms and legs are hung from the shoulder board with strings, and the costume fits over the shoulder board and trunk, from which a bamboo hoop is hung
to form the hips. Female puppets often have immovable faces, and, since their long kimono completely cover the lower half of their bodies, most do not need to have legs.



63 :重要無名文化財:03/01/24 20:57
There are about 70 different puppet heads in use. Classified into various categories, such as young unmarried woman or young man of great strength, each head is usually
used for a number of different characters, although they are often referred to by the name of the role in which they first appeared.
The omozukai (principal operator) inserts his left hand through an opening in the back of the costume and holds the head grip. With his right hand he moves
the puppet's right arm. Holding a large warrior puppet can be an exercise in endurance since they weigh up to 20 kilograms. The left arm is operated
by the hidarizukai (first assistant), and the legs are operated by the ashizukai (second assistant), who also stamps his feet for sound effects and
to punctuate the shamisen rhythm. For female puppets, the ashizukai manipulates the lower part of the kimono to simulate leg movement.
In Chikamatsu's day, puppets were operated by one person; the three-man puppet was not introduced until 1734. Originally this single operator
was not seen on stage, but for The Love Suicides at Sonezaki, master puppeteer Tatsumatsu Hachirobei became the first to work in full view
of the audience. Today all three puppeteers are out on stage in full view. The operators usually wear black suits and hoods that make
them symbolically invisible. A celebrity in the bunraku world, the principal operator often works without the black hood and
in some cases even wears a brilliant white silk robe.



64 :重要無名文化財:03/01/24 20:57
Like the puppeteers, the tayu and the shamisen player were originally hidden from the audience but, in a new play in 1705,
Takemoto Gidayu chanted in full view of the audience, and in 1715 both the tayu and shamisen player began performing
on a special elevated platform at the right of the stage, where they appear today. The tayu has traditionally had the highest
status in a bunraku troupe. As narrator, he creates the atmosphere of the play, and he must voice all parts, from a rough bass
for men to a high falsetto for women and children.
The shamisen player does not merely accompany the tayu. Since the puppeteers, tayu, and shamisen player do not watch each other
during the performance, it is up to the shamisen player to set the pace of the play with his rhythmic strumming.
In some large-scale bunraku plays and extravaganzas adapted from kabuki, multiple tayu-shamisen pairs and shamisen ensembles are used.
A Bunraku Play: Sonezaki shinju (The Love Suicides at Sonezaki)
History of Bunraku//Puppets and Performance
This masterpiece of Chikamatsu Monzaemon was the first of the new genre of domestic drama (sewa-mono) plays focusing
on the conflicts between human emotions and the severe restrictions and obligations of contemporary society. The great success
of this play led to many more dramas on the tragic love affairs of merchants and courtesans, and it is also said
to have spawned a string of copycat love suicides.



65 :重要無名文化財:03/01/24 20:57
Scene I: Making the rounds of his customers, Tokubei, clerk at a soy sauce dealer, meets his beloved, the courtesan Ohatsu,
by chance at Ikutama Shrine in Osaka. Weeping, she criticizes him for neglecting to write or visit. Tokubei explains
that he has had some problems, and at her urging he tells the whole story.
Tokubei's uncle, the owner of the soy sauce business, had asked him to marry his wife's niece, but Tokubei refused because
of his love for Ohatsu. However, Tokubei's stepmother agreed to the marriage behind his back and took the large dowry
with her to the country. When Tokubei again refused the marriage, his angry uncle demanded the return of the dowry money.
After finally managing to get the money from his stepmother, Tokubei lent it to his good friend Kuheiji, who is late paying it back.
Just then a drunken Kuheiji arrives at the shrine with a couple of friends. When Tokubei urges him to return the money,
Kuheiji denies borrowing it, and he and his friends beat up Tokubei.



66 :重要無名文化財:03/01/24 20:57
When Kuheiji has gone, Tokubei proclaims his innocence to bystanders and hints that he will make amends by killing himself.
Scene 2: It is the evening of the same day and Ohatsu is back at Temma House, the brothel where she works. Still distraught
at what has happened, she slips outside after catching a glimpse of Tokubei. They weep and he tells her that the only option left for him is suicide.
Ohatsu helps Tokubei hide under the porch on which she sits, and soon Kuheiji and his friends arrive. Kuheiji continues to proclaim
Tokubei's guilt, but Ohatsu says she knows he is innocent. Then, as if talking to herself, she asks if Tokubei is resolved to die. Unseen by the others,
he answers by drawing her foot across his neck. (Since female puppets do not have legs, a specially made foot is used for this scene.)
Kuheiji says that if Tokubei kills himself he will take care of Ohatsu, but she rebukes him, calling him a thief and a liar. She says she is sure that
Tokubei intends to die with her as she does with him. Overwhelmed by her love, Tokubei responds by touching her foot to his forehead.
Once Kuheiji has left and the house is quiet, Ohatsu manages to slip out.
Scene 3: On their journey to Sonezaki Wood, Tokubei and Ohatsu speak of their love, and a lyrical passage
spoken by the narrator comments on the transience of life. Hearing revelers in a roadside teahouse singing about an earlier
love suicide, Tokubei wonders if he and Ohatsu will be the subject of such songs. After reaching Sonezaki Wood, Ohatsu cuts her sash.
and they use it to bind themselves together so they will be beautiful in death. Tokubei apologizes to his uncle, and Ohatsu to her parents,
for the trouble they are causing. Chanting an invocation to Amida Buddha, he stabs her and then himself.


67 :重要無名文化財:03/01/24 20:58
The Japan Arts Council budget can be separated into two major categories: the Japan Arts Fund budget; and the National
Theatre budget.The Japan Arts Fund budget is used for activities related to the Japan Arts Fund for promotion
of arts and culture. Its source of revenue is income from investment, which is used to finance activities related
to the creation and dissemination of art, regional cultural activities, and the subsidization of groups engaged
in the propagation of culture, etc. The Council also receives state subsidies, which it has used since 1996 to help support
the performing arts. From 2001, these subsidies will be also channeled into projects intended to stimulate artistic
and cultural efforts at the local level, to encourage work in film, and to help revive folk cultures.
The National Theatre budget is categorized into three areas: the subsidy budget, the budget for items other
than subsidies, and the investment budget. The subsidy budget, having received subsidies from the national government,
is used to finance remuneration for management and personnel, maintenance and management of the facilities, and training
of folklore artists. The budget for items other than subsidies, which receives its revenues from admission fees
and rental charges on equipment, is used to finance public performances and public relations. Furthermore,
it provides performance operating expenses and Environmental Impact Assessment costs by covering facility usage
fees incurred in the management of the National Theatre of Japan. The investment budget, having obtained funds
from the National Government, is used to cover the expenses of repairs to the facilities including the main building
of the National Theatre.


68 :重要無名文化財:03/01/24 20:58
INSTRUCTORS Richard Emmert is an American who has studied, taught and performed classical
Noh in Japan since 1973. A certified Kita school noh instructor, Emmert has studied all aspects
of Noh performance with a special concentration in movement and music. In addition to performing
and teaching in Japan, he is a professor at Mushashino Women's College in Tokyo where he teaches
Asian theatre and music. He also runs an ongoing Noh Training Project for non-Japanses living in Tokyo.
Emmert frequently writes and speaks about Noh and has led numerous Noh workshops in Japan and abroad.
He co-authors a series of Noh performance guides for the National Noh Theatre in Tokyo and has composed,
directed, and performed in several English Noh plays, excerpts of which have been issued in a compact
disk issued by Teichiku Records entitled "Noh in English." Akira Matsui is a master actor-teacher
of the Kita School of Japanese classical Noh Theatre. He began studying Noh at the age of 7, and at the age of 12,
he became a"live-in apprentice INSTRUCTORS Richard Emmert is an American who has studied, taught
and performed classical Noh in Japan since 1973. A certified Kita school noh instructor, Emmert has studied
all aspects of Noh performance with a special concentration in movement and music. In addition to performing
and teaching in Japan, he is a professor at Mushashino Women's College in Tokyo where he teaches Asian theatre and music.
He also runs an ongoing Noh Training Project for non-Japanses living in Tokyo. Emmert frequently writes and speaks
about Noh and has led numerous Noh workshops in Japan and abroad. He co-authors a series of Noh performance guides
for the National Noh Theatre in Tokyo and has composed, directed, and performed in several English Noh plays, excerpts
of which have been issued in a compact disk issued by Teichiku Records entitled "Noh in English."



69 :重要無名文化財:03/01/24 21:00
しかしすごい荒らしだな

70 :重要無名文化財:03/01/24 21:00
旦那さん2亀に飲みに逝っちゃうからさみしいのよ
かわいそうに

71 :重要無名文化財:03/01/24 21:01
しかも大人数の所とは別行動だからね

72 :重要無名文化財:03/01/24 21:02
も一人の馬鹿は一日くらいはツマガキと一緒に帰るのにね

73 :重要無名文化財:03/01/24 21:03
でもここまできたら精神病の域だよ。
あなたのプロバイダー調べてますなんて

74 :重要無名文化財:03/01/24 21:03
ホントはH谷の関係者もここ来てたのにね

75 :重要無名文化財:03/01/24 21:04
月末に20代愛人来るから情緒不安定なのよ。
愛人呼ぶ香具師多いからね

76 :重要無名文化財:03/01/24 21:06
しかし公演終了後タクで芸人と飲みに逝く香具師らは
皆がんばって着物着込んでる割にはブスばっかね。
昔のあべ静江に似たのが一人いたけど。

77 :重要無名文化財:03/01/24 21:07
荒らしがやんだね。
旦那が帰ってきたのかしら。

78 :重要無名文化財:03/01/24 21:22
>>76
>昔のあべ静江に似たのが一人

そんなのホントにいたか?
現在のあべ静江の間違いだろがや

79 :重要無名文化財:03/01/24 21:24
>>69 :重要無名文化財 :03/01/24 21:00
>>しかしすごい荒らしだな

というか、この短時間に完全だな。
削除依頼出す理由もないしな。
プロの潰し屋かもな。それも数人の。
一人で一台のパソコンじゃ絶対無理だしな。

80 :重要無名文化財:03/01/24 21:25
>76
かわいいじゃん>「昔の」あべ静江
>77
連続投稿で引っかかりでもして串刺しなおしてんじゃない

81 :重要無名文化財:03/01/24 21:27
>79
今トチ狂ってるあのお方なら、プロを雇うことも
十二分に考えられるね。

あのお方でなくても893がらみの知り合い持ってる香具師多いし

82 :重要無名文化財:03/01/24 21:29
>79
でも荒らしこぴぺの内容に整合性あるよ。
パソコンは数台あるかもしれないけど。
ケーブル用と串刺してる別のがあんじゃない。
どの道もうあの女性も終わりだし彼も潰れるね。

83 :重要無名文化財:03/01/24 21:30
>76
伊達締めしないで着物着る香具師らだからね
一人男漁りしてる肉便器いるし

84 :重要無名文化財:03/01/24 21:31
>>80

連続投稿なら8〜9個でとっくにひっかかってる筈だぜ。
それに二重カキコもかいくぐってるし、IPも自由に操作してる。
これはただのPC素人じゃ絶対無理だぜ。
2ちゃんねるのクセも知り尽くしてるしな。
おれは複数のプロの潰し屋が入り込んできてると思う。

85 :重要無名文化財:03/01/24 21:32
>83
分かってねえなあ。
ババアもてめえ一人じゃうざがられるのわかってっから
とりあえずブスでも若いの集めて提供すんだろうが。
斡旋置屋と同じよ。

にしてもブスばかり(プ
まーーー歯茎でも本命になれたりするしね。

86 :重要無名文化財:03/01/24 21:34
>>82
>どの道もうあの女性も終わりだし彼も潰れるね

ってさ 最初からつぶれてるんじゃないのかしらん

87 :重要無名文化財:03/01/24 21:34
>84
問題は、誰が依頼したのかと言う事よ。
やっぱりトチ狂ってるあの人じゃないの?
しかしIP操作できてるかあ?偏りありすぎなんだが

88 :重要無名文化財:03/01/24 21:35
>86
文化人気取ってる香具師らはKよりむしろ奴を押してたよ。

今は知らないけど

89 :重要無名文化財:03/01/24 21:38
クセ知り尽くしてねえだろう〜
このスレ実は「最もつまらない荒らしスレ(のひとつ)」として
認定されてて、話にあげようにもスルーされてんの知ってた?

90 :重要無名文化財:03/01/24 21:38
>>87

一人の主婦が出来るようなワザじゃないよ絶対。
それも漬物つけるだけの主婦じゃね。
プロでも一人じゃ大変過ぎると思う。
せめて三人以上で5台以上のパソコン使ってるような気がする。
とカキコしてる俺のIPも捜索されてるかもな。


91 :重要無名文化財:03/01/24 21:41
今日2ちゃんねる行ったんです。2ちゃんねる。
そしたらなんかきたねえスレがいっぱいで読めないんです。
で、よく見たらなんか【ヤラセ拍手】アンチ文楽スレ【山の↑ホテル】 とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、普段来ない2ちゃんねるに来てんじゃねーよ、ボケが。
2ちゃんねるだよ、2ちゃんねる。
なんかバカ女とかもいるし。夫の不倫相手への復讐か。おめでてーな。
Kヤの不倫相手の話とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、多田K子の掲示板やるから、その席空けろと。
2ちゃんねるってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
掲示板の隙間と隙間で、いつ喧嘩が始まっても
おかしくない、 刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと通れたかと思ったら、隣の奴が、文楽スレ、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、文楽なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、文楽、だ。
お前は本当に大阪人なのかと問いたい。問い詰めたい。3時間以上問い詰めたい。
お前、本当は姫路や奈良のインチキ関西人ちゃうんかと。
大阪通の俺から言わせてもらえば今、大阪通の間での最新流行都市はやっぱり、
飛田、これだね。
道路にヤクの売人。これが通の大阪の観光の仕方。
飛田ってのは二階に上がって座布団が布団代わり。そんかわりエイズも多め。これ。
で、それに金出せば薬処方してくれる病院。これ最強。
しかしこれを頼むと次から警察にマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らドタロシは、信太山でも逝ってなさいってこった。


92 :重要無名文化財:03/01/24 21:42
>90
皆T個の犯罪にしたがるけど(藁)ここで名前aga ってる
数人の知り合いの一人(もしくは仲間)じゃないの?
去年の会とかその他もろもろの公演で、さっすが本拠地、
猟師街神戸!格が違いますね級のあっちの組の人わらわら
来てたよ。そいつらだと思うよ。

93 :重要無名文化財:03/01/24 21:42
昨日、ブソラクの若手の会逝ったんです、若手会。
そしたらなんか国立の発表会みたいに無料だと思ったら、有料っぽいんです。
で、よく調べたらなんか一般一人2千円前後で、チケピでも取り扱いしてるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、何でこんな若いのの発表会に2300円も払わなきゃなんねーんだよ、ボケが。
若手会だよ、若手会。
なんか最後にまたカーテンしてるし。皆でやらせ拍手か。おめでてーな。
よーし次は全国公演だ!とかほざいてんの。もう見てらんない。
お前らな、津軽三味線若手全国大会入場券やるからその席空けろと。
若手会ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
忠臣蔵で主人公と準主人公になった芸人と芸人の、いつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったと思ったら、馬鹿な落ヲタが、質屋芝居、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、質屋芝居なんて今時流行んねえんだよ、ボケが。
得意げな顔して何が、質屋芝居、だ。
お前は本当にブソラク好きなのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、自分が古典に造詣深いですと言いたいだけちゃうんかと。
若手会通の俺から言わせてもらえば今、若手会通の間での流行はやっぱり、
花ショー、これだね。
八坂神社に逝って若いのの汗を浴びるくらいがぶりつき。これが通の若手の会の楽しみ方。
京都ってのは地域に芸が密着してるぜ豆腐。これ。
で、さらに祇園コーナーで茂山兄弟が出てないかヲチ。これ最強。
しかしこのやり方だと、2500円払ったのに出演者がそけらの神社の趣味連中である場合
があるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、とりあえず若き獅子たちでも見てなさいってこった。


94 :重要無名文化財:03/01/24 21:43
昨日、自称作家主催のパーティ行ったんです。パーティ。
そしたらなんか参加に規定があって、やらせ拍手に協力しないと入れないんです。
で、よく見たらなんかアホな公共電波垂れ流し放送局と左寄り新聞の連中がいて、仕切ってるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、やらせ拍手くらいで普段来ない永田町来てんじゃねーよ、ボケが。
やらせ拍手だよ、やらせ拍手。
なんか歌うたいとか年金ジジイもいるし。皆でやらせ拍手か。おめでてーな。
よーし青森や湯布院でもやらせ仕掛けけちゃうぞーとか叫んでるの。もう見てらんない。
お前らな、サッカーのWカップのチケットやるからその席空けろと。
ブソラク鑑賞ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
隣に座った武智と山城の、いつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったと思ったら、次の奴が、後は浄瑠璃を題材に新作を、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、浄瑠璃で新作なんていまどき流行んねーんだよ、ボケが。
得意げな顔して何が、浄瑠璃の新作、だ。
お前は本当に作家なのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、自分は美人で役者の愛人ですって言いたいだけちゃうんかと。
ブソラク鑑賞通の俺から言わせてもらえば今、鑑賞通の間での最新流行はやっぱり、
床そばで1500円観劇、これだね。
床そばで義大夫節チェック。これが通のブソラクの見方。
床ぞばってのは声がダイレクトに伝わってくる。そん代わりお囃子が聞こえない。これ。
で、それにブソラクせんべい。これ最強。
しかしこの見方だと舞台センターがまるっきし見えないという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、プラソタソ銀座のレクチャー講座でも申し込みなさいってこった。



95 :重要無名文化財:03/01/24 21:43
昨日、早稲田の演劇博物館行ったんです。演劇博物館。
そしたらなんかチラシが置いてあって、ブソラク座NPO法人に、とか書いてあるんです。
で、よく見たらなんか結局目的は金集めみたいで、寄付金集めて普及活動、とか言ってるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、寄付金ほしいからってだけでNOP法人申請してんじゃねーよ、ボケが。
NPOだよ。特定非営利団体。
なんかバカな伝芸オタが金出してるし。皆で助成か。おめでてーな。
よーし将来は海外公演だーとか叫んでるの。もう見てらんない。
お前らな、世界文化遺産認定やるからその席空けろと。
NPO法人ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
中東と北米連合の、いつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったと思ったら、次の奴が、新人の発掘、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、新人発掘なんていまどき流行んねーんだよ、ボケが。
得意げな顔して何が、新人の発掘教育が、だ。
お前は本当に伝芸の世界で師匠に師事した事があるのかかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、必用な金を浮かしたいだけちゃうんかと。
NPO通の俺から言わせてもらえば今、NPO通の間での流行はやっぱり、
子供の為の団体、これだね。
子供の為の団体に寄付金。これがNPOへの協力の仕方。
子供の為の団体は子供に教育の機会を与える。そんかわり貧しい国が優先。
で、それに児童虐待(買春)防止法。これ最強。
しかしこれをやるとハリウッド勘違い養子縁組バカ親と一緒にされるという
危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、とりあえず老人ボランティアでみしてなさいってこった。



96 :重要無名文化財:03/01/24 21:43
昨日、ある女の与謝野晶子研究本読んだんです。与謝野晶子。
そしたらなんか後書きしてる香具師が、彼女と与謝野は似ている、とか書いてるんです。
で、よく見たらなんか作者の名前はMMという人みたいで、芸人と不倫の過去があった人なんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、何で子供11人私学にやらした肝っ玉かあさんと不倫女が似てるんだよ、ボケが。
与謝野晶子だよ。与謝野晶子。
なんか野菜みたいな名前の歌集出してるし。皆で連歌か。おめでてーな。
いつもチケット20枚くらいとってんの。もう見てらんない。
お前らな、屁タレ新聞の家庭欄のスペース4分の1やるからその席空けろと。
歌人ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
隣に座った鉄幹と有島の、いつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったと思ったら、次の奴が、浄瑠璃と対比させ歌を、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、本歌取りなんていまどき流行んねーんだよ、ボケが。
得意げな顔して何が、近松の恋は、だ。
お前は本当に歌人なのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、過去の愛人Nとの関係を歌に残してあてつけしたいだけちゃうんかと。
歌通の俺から言わせてもらえば今、歌通の間での流行はやっぱり、
種田山頭火、これだね。
山頭火の幼少母親自殺体験と放蕩記。これが通の歌の楽しみ方。
山頭火の歌は心に染み入る。しかしこいつは社会不適合人間。
で、わけいってもわけいってもあおいやま。これ最強。
しかしこいつを好きだというと、妻や息子が可愛そうだったと反論されるという
危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、とりあえず正岡子規の横顔でも見てなさいってこった。





97 :重要無名文化財:03/01/24 21:43
プロかもね。
それか2ちゃんに知り合いでもいんじゃない?
ケーブルのときも簡単にバレてたしね。

98 :重要無名文化財:03/01/24 21:43
1月3日、日本橋行ったんです。日本橋。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで先に進めないんです。
で、よく見たらなんか垂れ幕下がってて、文楽新春特別公演、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、振る舞い酒如きで普段来ない日本橋に来てんじゃねーよ、ボケが。
日本橋だよ、電気街。
なんか親子連れとかもいるし。一家4人で文楽鑑賞か。おめでてーな。
よーしパパさんばそー特等席で見ちゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、四天王寺のお神酒やるからその席空けろと。
日本橋ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
ワシントンのテーブルの向かいに座ったデリヘル関係者と市場のヤクザの、いつ喧嘩が始まっても
おかしくない、 刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと通れたかと思ったら、隣の奴が、なんばウオーク、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、なんばウオークきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、なんばウオーク、だ。
お前は本当に大阪人なのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、本当は姫路や奈良のインチキ関西人ちゃうんかと。
大阪通の俺から言わせてもらえば今、大阪通の間での最新流行都市はやっぱり、
河内、これだね。
道路におばちゃんホルモン焼き川のもろそば。これが通の大阪の観光の仕方。
河内ってのはおばちゃんまで道に寝てる。そん代わり犬が多め。これ。
で、それに金出せば薬処方してくれる病院。これ最強。
しかしこれを頼むと次から警察にマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、アメ村大阪城でも逝ってなさいってこった。


99 :重要無名文化財:03/01/24 21:44
昨日、屋魔の↑ホテル逝ったんです、屋魔の↑ホテル。
そしたらなんか前のプルカーがチェックインてこずってて、こっちもチェックインできないんです。
で、よく見たらなんか見覚えのある顔だなとおもったら、NとMなんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、不倫逢い引きくらいで普段来ないお茶の水来てんじゃねえよ、ボケが。
屋魔の↑だよ、屋魔の↑。
なんか他のカップルもいるし。皆で逢い引きか。おめでてーな。
よーしパパ会員券買っちゃうぞ!とかほざいてんの。もう見てらんない。
お前らな、朝食チケットやるからその席空けろと。
不倫逢い引きってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
偶然出くわした女の夫と芸人の、いつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったと思ったら、その女が、フランス産ワイン、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、核の国フランスなんて今時流行んねえんだよ、ボケが。
得意げな顔して何が、フランス産、だ。
お前は本当に何をしに来たのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、男は肉便器としてしか見てないんちゃうんかと。
不倫逢い引き通の俺から言わせてもらえば今、不倫逢い引き通流行はやっぱり、
移動の中日に中点とって観光、これだね。
東京名古屋間で熱海へ。これが通のばれにくい逢い引きの仕方。
実家にはまめに電話。これ。
で、さらにカードは使わない。これ最強。
しかしこれだと、宿が団体と外れるのでばれやすくなるという
危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、とりあえずパークハイヤットでも逝ってなさいってこった。

100 :重要無名文化財:03/01/24 21:44
また始まったい

101 :重要無名文化財:03/01/24 21:44
昨日、文学賞選考会逝ったんです、選考会。
そしたらなんか皆どんぐりの背比べみたいで、なかなか決まらないんです。
で、よく見たらなんか学歴経歴が大事みたいで、選考にも影響してるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、W卒でNHKに勤めてるってくらいでヘタクソな文章に軍杯上げてんじゃねえよ、ボケが。
文学賞だよ、文学賞。
なんか学歴で派閥あるし。後輩を受賞させようってか。おめでてーな。
よーし次は芥川賞だ!とかほざいてんの。もう見てらんない。
お前らな、コスモス文学賞やるからその席空けろと。
受賞選考会ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
選んだ井伏と漏れた太宰の、いつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったと思ったら、次の香具師が、追っかけハンドブック、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、ハンドブックなんて今時流行んねえんだよ、ボケが。
得意げな顔して何が、ハンドブック、だ。
お前は本当に小説家なのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、ただのミーハー同人作家ちゃうんかと。
新人賞通の俺から言わせてもらえば今、新人賞通の間での流行はやっぱり、
坊ちゃん文学賞、これだね。
これで若い才能を青田買い。これが通の楽しみ方。
腐っても夏目漱石ブランド。これ。
で、さらに賞金を高めに設定。これ最強。
しかしこれだと、ワープロ以外不可だから手書きのいい才能を見落とすという
危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、とりあえずコバルト新人賞にでも作品送ってなさいってこった。


102 :重要無名文化財:03/01/24 21:44
昨日、新宿2丁目逝ったんです。2丁目。
そしたらなんかどこかで見覚えがある顔がいると思ったら、ブソラクの技芸員なんです。
で、よく見たらなんかそこはモーホー・両刀のハッテン場みたいで、チークタイムにちんぽ晒してるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、何でこんな場末のくそったれ店でストレス解消してんだよ、ボケが。
新宿2丁目だよ、新宿2丁目。
なんか最後に乱交してるし。皆で入り乱れてフェラチオか。おめでてーな。
よし!おじさん舞台の打ち上げでもちんぽ出しちゃうぞー!とか叫んでんの。もう見てらんない。
お前らな、台湾美女足裏マッサージ割引券やるからその席空けろと。
ハッテン場ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
サウナで隣に座ったホモとホモの、いつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったと思ったら、一緒の芸人が、この業界は両刀が多いから、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、稚児を愛でるなんで今時流行んねえんだよ、ボケが。
得意げな顔して何が、この世界は両刀が、だ。
お前は本当に芸人なのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、自分の趣味の性癖を業界のせいにしてるだけちゃうんかと。
2丁目通の俺から言わせてもらえば今、2丁目通の間での流行はやっぱり、
○○○、これだね。
邪ニーズに所属する売れない青年を2時間2万ほどで買う。これが通の2丁目の楽しみ方。
2丁目ってのは芸能人予備軍がいっぱい埋もれてる。これ。
で、さらに売れてる芸人のお相手をする。これ最強。
しかしこのやり方で遊んでいると、東京都に捕まり社会的地位もすべて失うという
危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人ホモは、とりあえずユー民のコンサートでも逝ってなさいってこった。


103 :重要無名文化財:03/01/24 21:44
昨日、ブラジルのBPホテル逝ったんです、ブラジリア。
そしたらなんか人がいっぱいでチェックアウトできないんです。
で、よく見たら並んでるの全員日本人で、皆ブソラクの技芸員なんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、国際交流基金がらみで普段これねえ海外旅行来てんじゃねーよ、ボケが。
ブラジルだよ。ブラジル。
なんか寿司食いに逝ってるやつもいるし。地球の裏側まで来て日本食か。おめでてーな。
インチキ外交官、商社、大使館がらみの馬鹿のオンパレードなの。もう見てらんない。
お前らな、マラドーナの足型やるからその席空けろと。
ブラジルってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
大統領選挙の敵と見方の、いつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。白痴ニポンジンは、すっこんでろ。
で、やっといなくなったと思ったら、馬鹿な広報が、A火の記者動向させてるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、経費で旅行なんて今時流行んねえんだよ、ボケが。
得意げな顔して何が、A火の記者です、だ。
お前は本当に社会人なのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、会社の経費でうまいもん食えて旅行できておいしいと思ってるだけちゃうんかと。
ブラジル通の俺から言わせてもらえば今、ブラジル通の間での流行はやっぱり、
「TSUBASAツアー」、これだね。
サンパウロに逝ってロベルト本郷探して道場破り。これが通の観光のし方。
ブラジルにはディアスとパスカル。これ。
で、さらにプレイが反則すれすれ。これ最強。
しかしこのツアーで使用される地図は、すべて陽ちゃんの脳内でできているので
大変な危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、とりあえずおネエちゃんのハイレグでも見てなさいってこった。


104 :重要無名文化財:03/01/24 21:45
今日、TVない人からも受信料ふんだくる局の、朝のニュース見てたんです、朝のニュース。
そしたらなんか三味線引きの若い真面目ないい子出てきたんです。
で、よく見たらおじいちゃんも有名な三味線引きさんなんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、おいしい設定だからって、普段特集しないもん扱ってんじゃねーよ、ボケが。
朝のニュースだよ、朝のニュース。
なんか生活ほっととか言ってるし。ネーミングセンス氷川の衣装並なんだよ。おめでてーな。
あらあら?とかナレーションいれてんの。もう見てらんない。
お前らな、私の青空スペシャルエンドレス放送してていいからその席空けろと。
朝のニュースってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
斜め座りで態度悪いアナ松平と視聴者の、いつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったと思ったら、馬鹿なレポーターが、体揺らして感情表現とか逝ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、基礎も出来ねえうちから体揺らすわけねえんだよ、ボケが。
得意げな顔して何が、体揺らして感情表現、だ。
お前は本当に取材したのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、おいしい設定生かして表面なぞって取材しただけちゃうんかと。
朝ニュース通の俺から言わせてもらえば今、朝ニュース通の間での流行はやっぱり、
おはようくらしのジャーナル上田早苗、これだね。
朝テレビをかけて上田早苗の声と共に目覚める。これが通ニュースの楽しみ方。
上田早苗ってのはメイクが馬鹿の有働や久保より薄め。これ。
で、さらに爪も短く切ってある。これ最強。
しかし調子にのって見ていると、出勤までの大事な時間数分時報が出なくなるという
危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、とりあえず目覚ましTVでも見てなさいってこった。


105 :重要無名文化財:03/01/24 21:45
昨日、着物の雑誌買ったんです、着物雑誌。
そしたらなんか普通の雑誌よりすげえ高くて2000円もするんです。
で、よく見たらなんか「ブソラクの魅力」とか逝って変なババアが対談してやがんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、対談だからって普段着ない着物着てんじゃねーよ、ボケが。
着物で対談だよ。着物で対談。
なんか相手は玉の末裔だし。その文章でプロかよ。おめでてーな。
よーし次は紬揃えちゃうぞーとか叫んでるの。もう見てらんない。
お前らな、インチキちりめんティッシュケースやるからその席空けろと。
着物対談ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
向かいに座った津川@グランパパとからくさ店主の、いつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったと思ったら、次の馬鹿が、着物で楽屋訪問とか逝ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、着物で楽屋訪問なんて今日日流行んねーんだよ、ボケが。
得意げな顔して何が、着物で楽屋訪問、だ。
お前は本当に着付けられるのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、場末のセット専門美容院で着付けてもらうだけちゃうんかと。
着物好きヲチ通の俺から言わせてもらえば今、着物好きヲチ通の間での流行はやっぱり、
群よう子、これだね。
部屋に入って3分で500万。これが通の着物の買い方。
リーズナブルに普段着揃え。そんかわり訪問着が少ない。これ。
で、さらに収納がダンボール。これ最強。
しかしこのやり方で楽しむと、林真理子をはじめとした、ブランド糞高作家
至上主義の目の敵にされるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、原宿モナコでも逝ってなさいってこった。


106 :重要無名文化財:03/01/24 21:46
昨日、親睦パーティ行ったんです。パーティ。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで食事とれないんです。
で、よく見たらなんか素人のバカ女でいっぱいなんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、月に2、3回チケット取ってるくらいで本来入る権利ないパーティきてんじゃねえよ、ボケが。
親睦パーティだよ。ぱあてぃ。
なんか芸人の愛人とかもいるし。皆で乾杯か。おめでてーな。
よーし次は初日と楽日おさえてね、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、激安ホテルバイキング招待券やるからその席空けろと。
パーティってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
挨拶の主賓来賓の、リボン序列の、いつ喧嘩が始まっても
おかしくない、 刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと食えたかと思ったら、隣の奴が、二次会の場所は、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、素人引き連れて二次会なんぞ今日日流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、二次会、だ。
お前は本当に芸人なのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、本当はぼくちゃんはこんなに素人にもてもての芸人なのよ、と言いたいだけちゃうんかと。
パーティ通の俺から言わせてもらえば今、パーティ通の間での最新流行はやっぱり、
海運クラブ、これだね。
料理はうまいし駅のもろそば。これが通のパーティ会場の発注の仕方。
海運クラブはパーコンついてる。そんかわり料金高め。これ。
で、場所は最上階。これ最強。
しかしこれをやると主催者のお財布が傷むという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、かに道楽で忘年会でもしてなさいってこった。



107 :重要無名文化財:03/01/24 21:46
昨日、アンティーク着物屋(平たく言うと、古着屋)逝ったんです。着物屋。
そしたらなんかいけてない女どもが小紋の周り占領してるんです。
で、よく見たらなんかいつもブソ楽見に来てるうるせえ女どもなんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、ブソ楽見にいくくらいで、普段着ない着物着てんじゃネエよ、ボケが。
アンティーク着物だよ。アンティーク着物。
なんか男と別れたばっかのやつもいるし。男捨ててまでブソ楽鑑賞か。おめでてーな。
ああ、私はブソ楽ないと生きていかれないとか言ってんの。もう見てらんない。
お前らな、東寺の骨董市逝っていいからその席あけろと。
古着屋ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
クリーニング無しで安く売る店と有りで品数少ない店の、いつ喧嘩が始まっても
おかしくない、 刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと小紋見れたかと思ったら、隣の奴が、色無地、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、色無地なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、色無地、だ。
お前は本当に着物TPO知ってるのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、本当は芸人に着物姿見せたいだけちゃうんかと。
古着物通の俺から言わせてもらえば今、古着物通の間での最新流行はやっぱり、
西村、これだね。
大正ロマン柄なのに生地厚。これが通の古着物の買い方。
西村は柄が個性的なの揃えてる。そん代わり古典柄少ない。これ。
で、それに襦袢も合わせておしゃれ。これ最強。
しかしこれをやると紬大好き伝芸おばちゃんに文句たれられるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、ながもち屋でも逝ってなさいってこった。



108 :重要無名文化財:03/01/24 21:46
この間も昼過ぎNHKで文楽放送していた。最近なぜか良く目にする。
こないだの休日見たのと違って今日はうじゃうじゃと人形ごとに生顔のオンパレード。
いっぺんに先日の気持ちが冷めてしまった。  

外の世間を知ってるのか知らないのか、たぶん狭い世界しかしら無さそうな、他の
芝居も見たことなさそうなボーとした顔の連中が顔出して、ぞろぞろ、うろうろホント
にうっとうしかった。

映画館や芝居小屋やコンサート会場にはスタッフはゲートを自由に出入り出来る。
一般人は許されない。当然タブーである。それは分かる。でもゲートで開場を待ってるとき
客の目の前で当然みたいな顔されスタッフが出たり入ったりすると頭に来る。良くでき
たスタッフは客にそんな思いをさせないよう裏口から出入りし気を客に遣う。

文楽もこれと同じだ。文楽の顔出しは、「俺は当事者だ。顔出して何が悪い、俺は偉いんだ
他の連中は黒頭巾かぶってりゃいいんだよ。なにせ俺は上手なんだから。下積みの時には
顔出したくてうずうずしてたんだ。やっと顔出せるようになったんだ。どうだ見てくれこの俺の
晴れ姿を・・・・  と言わんがばかりの気取り顔。
裏口から出入りする気遣い持とうともしない。

悲しそうなときは俺の顔も悲しそうだろ、怒った芝居の時は俺の顔も怖いだろ。長年やってきた
からこの芸が出来るんだどうだ見てくれ俺の芝居を。たまらなくぞっとするだろ。すごいだろ俺の顔。

お前の顔見に来たんでないよ。こういう人形劇大嫌いだ。
他のこと勉強して気合い入れて出直して来るな。他のことやれ。


109 :重要無名文化財:03/01/24 21:46
昨日、アンティーク着物屋(平たく言うと、古着屋)逝ったんです。着物屋。
そしたらなんかいけてない女どもが小紋の周り占領してるんです。
で、よく見たらなんかいつもブソ楽見に来てるうるせえ女どもなんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、ブソ楽見にいくくらいで、普段着ない着物着てんじゃネエよ、ボケが。
アンティーク着物だよ。アンティーク着物。
なんか男と別れたばっかのやつもいるし。男捨ててまでブソ楽鑑賞か。おめでてーな。
ああ、私はブソ楽ないと生きていかれないとか言ってんの。もう見てらんない。
お前らな、東寺の骨董市逝っていいからその席あけろと。
古着屋ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
クリーニング無しで安く売る店と有りで品数少ない店の、いつ喧嘩が始まっても
おかしくない、 刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと小紋見れたかと思ったら、隣の奴が、色無地、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、色無地なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、色無地、だ。
お前は本当に着物TPO知ってるのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、本当は芸人に着物姿見せたいだけちゃうんかと。
古着物通の俺から言わせてもらえば今、古着物通の間での最新流行はやっぱり、
西村、これだね。
大正ロマン柄なのに生地厚。これが通の古着物の買い方。
西村は柄が個性的なの揃えてる。そん代わり古典柄少ない。これ。
で、それに襦袢も合わせておしゃれ。これ最強。
しかしこれをやると紬大好き伝芸おばちゃんに文句たれられるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、ながもち屋でも逝ってなさいってこった。


110 :重要無名文化財:03/01/24 21:47
昨日、親睦パーティ行ったんです。パーティ。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで食事とれないんです。
で、よく見たらなんか素人のバカ女でいっぱいなんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、月に2、3回チケット取ってるくらいで本来入る権利ないパーティきてんじゃねえよ、ボケが。
親睦パーティだよ。ぱあてぃ。
なんか芸人の愛人とかもいるし。皆で乾杯か。おめでてーな。
よーし次は初日と楽日おさえてね、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、激安ホテルバイキング招待券やるからその席空けろと。
パーティってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
挨拶の主賓来賓の、リボン序列の、いつ喧嘩が始まっても
おかしくない、 刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと食えたかと思ったら、隣の奴が、二次会の場所は、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、素人引き連れて二次会なんぞ今日日流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、二次会、だ。
お前は本当に芸人なのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、本当はぼくちゃんはこんなに素人にもてもての芸人なのよ、と言いたいだけちゃうんかと。
パーティ通の俺から言わせてもらえば今、パーティ通の間での最新流行はやっぱり、
海運クラブ、これだね。
料理はうまいし駅のもろそば。これが通のパーティ会場の発注の仕方。
海運クラブはパーコンついてる。そんかわり料金高め。これ。
で、場所は最上階。これ最強。
しかしこれをやると主催者のお財布が傷むという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、かに道楽で忘年会でもしてなさいってこった。



111 :重要無名文化財:03/01/24 21:47
ハリコ=ブソラク関係者

112 :重要無名文化財:03/01/24 21:47
今日2ちゃんねる行ったんです。2ちゃんねる。
そしたらなんかきたねえスレがいっぱいで読めないんです。
で、よく見たらなんか【ヤラセ拍手】アンチ文楽スレ【山の↑ホテル】 とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、普段来ない2ちゃんねるに来てんじゃねーよ、ボケが。
2ちゃんねるだよ、2ちゃんねる。
なんかバカ女とかもいるし。夫の不倫相手への復讐か。おめでてーな。
Kヤの不倫相手の話とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、多田K子の掲示板やるから、その席空けろと。
2ちゃんねるってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
掲示板の隙間と隙間で、いつ喧嘩が始まっても
おかしくない、 刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと通れたかと思ったら、隣の奴が、文楽スレ、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、文楽なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、文楽、だ。
お前は本当に大阪人なのかと問いたい。問い詰めたい。3時間以上問い詰めたい。
お前、本当は姫路や奈良のインチキ関西人ちゃうんかと。
大阪通の俺から言わせてもらえば今、大阪通の間での最新流行都市はやっぱり、
飛田、これだね。
道路にヤクの売人。これが通の大阪の観光の仕方。
飛田ってのは二階に上がって座布団が布団代わり。そんかわりエイズも多め。これ。
で、それに金出せば薬処方してくれる病院。これ最強。
しかしこれを頼むと次から警察にマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らドタロシは、信太山でも逝ってなさいってこった。


113 :重要無名文化財:03/01/24 21:48
ドタロシはここには二度とくるな
私が鸚鵡返しをするのは、内容を見てもらえれば理解できるように。すべて的確な反論になっているのです。
その反論が都合が悪く反論できないので、私に完全に論破された論客は、
鸚鵡返しだからといって中傷してにげるのです。これは内容が的確な反論になっている鸚鵡返しをされた側の
知性や常識の程度を 著しく低く見せる行為です。
このような常軌を逸した行動が議論の場で許されないのは当然です。
また、過去ログを見れば明らかにわかる内容の質問や、議論の蒸し返しを行うなど効率的な議論を妨害する行動も
議論の場で許されるものでは当然ありません。
そうやって私が客観的な主張を論じても私に論破された論客の共通点は 追証不可能で反論に耐えられない「思いこみ」を
指す出張する点で、このような論者の主張は、まさに「妄想」でしょう。
教導者による鸚鵡返しは、内容を見てもらえれば理解できるように、的確な反論どころか、句読点や
テニヲハさえもおかしく、主語と述語の対応すらしていない、デタラメなコピペでしかありません。
たとえば↓>そうやって私が客観的な主張を論じても
>私に論破された論客の共通点は 追証不可能で反論に耐えられない「思いこみ」を
>指す出張する点で、このような論者の主張は、まさに「妄想」でしょう。
このことは、教導者の日本語作文能力を著しく低くみせるものであるばかりではなく、渠の読解力の低さを露呈するものでもあります。
このような常軌を逸した文章が議論の場で通用しないのは当然です。
また、過去ログを見てもそんな主張は無かったという指摘を無視し、
自分がシカトした質問の蒸し返しを許さないなど、正常な議論を
妨害する行動も許されるものではありません。
いくら皆さんが論理的な主張を行っても、皆さんに論破された教導者は、
追証不可能で反論に耐えられない「思いこみ」を主張し続けるだけなのです。
このような論者の主張は、まさに「妄想」でしょう。


114 :重要無名文化財:03/01/24 21:48
昨日、ブソラクの若手の会逝ったんです、若手会。
そしたらなんか国立の発表会みたいに無料だと思ったら、有料っぽいんです。
で、よく調べたらなんか一般一人2千円前後で、チケピでも取り扱いしてるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、何でこんな若いのの発表会に2300円も払わなきゃなんねーんだよ、ボケが。
若手会だよ、若手会。
なんか最後にまたカーテンしてるし。皆でやらせ拍手か。おめでてーな。
よーし次は全国公演だ!とかほざいてんの。もう見てらんない。
お前らな、津軽三味線若手全国大会入場券やるからその席空けろと。
若手会ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
忠臣蔵で主人公と準主人公になった芸人と芸人の、いつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったと思ったら、馬鹿な落ヲタが、質屋芝居、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、質屋芝居なんて今時流行んねえんだよ、ボケが。
得意げな顔して何が、質屋芝居、だ。
お前は本当にブソラク好きなのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、自分が古典に造詣深いですと言いたいだけちゃうんかと。
若手会通の俺から言わせてもらえば今、若手会通の間での流行はやっぱり、
花ショー、これだね。
八坂神社に逝って若いのの汗を浴びるくらいがぶりつき。これが通の若手の会の楽しみ方。
京都ってのは地域に芸が密着してるぜ豆腐。これ。
で、さらに祇園コーナーで茂山兄弟が出てないかヲチ。これ最強。
しかしこのやり方だと、2500円払ったのに出演者がそけらの神社の趣味連中である場合
があるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、とりあえず若き獅子たちでも見てなさいってこった。


115 :重要無名文化財:03/01/24 21:48
昨日、自称作家主催のパーティ行ったんです。パーティ。
そしたらなんか参加に規定があって、やらせ拍手に協力しないと入れないんです。
で、よく見たらなんかアホな公共電波垂れ流し放送局と左寄り新聞の連中がいて、仕切ってるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、やらせ拍手くらいで普段来ない永田町来てんじゃねーよ、ボケが。
やらせ拍手だよ、やらせ拍手。
なんか歌うたいとか年金ジジイもいるし。皆でやらせ拍手か。おめでてーな。
よーし青森や湯布院でもやらせ仕掛けけちゃうぞーとか叫んでるの。もう見てらんない。
お前らな、サッカーのWカップのチケットやるからその席空けろと。
ブソラク鑑賞ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
隣に座った武智と山城の、いつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったと思ったら、次の奴が、後は浄瑠璃を題材に新作を、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、浄瑠璃で新作なんていまどき流行んねーんだよ、ボケが。
得意げな顔して何が、浄瑠璃の新作、だ。
お前は本当に作家なのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、自分は美人で役者の愛人ですって言いたいだけちゃうんかと。
ブソラク鑑賞通の俺から言わせてもらえば今、鑑賞通の間での最新流行はやっぱり、
床そばで1500円観劇、これだね。
床そばで義大夫節チェック。これが通のブソラクの見方。
床ぞばってのは声がダイレクトに伝わってくる。そん代わりお囃子が聞こえない。これ。
で、それにブソラクせんべい。これ最強。
しかしこの見方だと舞台センターがまるっきし見えないという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、プラソタソ銀座のレクチャー講座でも申し込みなさいってこった。


116 :重要無名文化財:03/01/24 21:49
昨日、早稲田の演劇博物館行ったんです。演劇博物館。
そしたらなんかチラシが置いてあって、ブソラク座NPO法人に、とか書いてあるんです。
で、よく見たらなんか結局目的は金集めみたいで、寄付金集めて普及活動、とか言ってるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、寄付金ほしいからってだけでNOP法人申請してんじゃねーよ、ボケが。
NPOだよ。特定非営利団体。
なんかバカな伝芸オタが金出してるし。皆で助成か。おめでてーな。
よーし将来は海外公演だーとか叫んでるの。もう見てらんない。
お前らな、世界文化遺産認定やるからその席空けろと。
NPO法人ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
中東と北米連合の、いつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったと思ったら、次の奴が、新人の発掘、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、新人発掘なんていまどき流行んねーんだよ、ボケが。
得意げな顔して何が、新人の発掘教育が、だ。
お前は本当に伝芸の世界で師匠に師事した事があるのかかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、必用な金を浮かしたいだけちゃうんかと。
NPO通の俺から言わせてもらえば今、NPO通の間での流行はやっぱり、
子供の為の団体、これだね。
子供の為の団体に寄付金。これがNPOへの協力の仕方。
子供の為の団体は子供に教育の機会を与える。そんかわり貧しい国が優先。
で、それに児童虐待(買春)防止法。これ最強。
しかしこれをやるとハリウッド勘違い養子縁組バカ親と一緒にされるという
危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、とりあえず老人ボランティアでみしてなさいってこった。




117 :重要無名文化財:03/01/24 21:49
ドタロシはここには二度とくるな
私が鸚鵡返しをするのは、内容を見てもらえれば理解できるように。すべて的確な反論になっているのです。
その反論が都合が悪く反論できないので、私に完全に論破された論客は、
鸚鵡返しだからといって中傷してにげるのです。これは内容が的確な反論になっている鸚鵡返しをされた側の
知性や常識の程度を 著しく低く見せる行為です。
このような常軌を逸した行動が議論の場で許されないのは当然です。
また、過去ログを見れば明らかにわかる内容の質問や、議論の蒸し返しを行うなど効率的な議論を妨害する行動も
議論の場で許されるものでは当然ありません。
そうやって私が客観的な主張を論じても私に論破された論客の共通点は 追証不可能で反論に耐えられない「思いこみ」を
指す出張する点で、このような論者の主張は、まさに「妄想」でしょう。
教導者による鸚鵡返しは、内容を見てもらえれば理解できるように、的確な反論どころか、句読点や
テニヲハさえもおかしく、主語と述語の対応すらしていない、デタラメなコピペでしかありません。
たとえば↓>そうやって私が客観的な主張を論じても
>私に論破された論客の共通点は 追証不可能で反論に耐えられない「思いこみ」を
>指す出張する点で、このような論者の主張は、まさに「妄想」でしょう。
このことは、教導者の日本語作文能力を著しく低くみせるものであるばかりではなく、渠の読解力の低さを露呈するものでもあります。
このような常軌を逸した文章が議論の場で通用しないのは当然です。
また、過去ログを見てもそんな主張は無かったという指摘を無視し、
自分がシカトした質問の蒸し返しを許さないなど、正常な議論を
妨害する行動も許されるものではありません。
いくら皆さんが論理的な主張を行っても、皆さんに論破された教導者は、
追証不可能で反論に耐えられない「思いこみ」を主張し続けるだけなのです。
このような論者の主張は、まさに「妄想」でしょう。


118 :重要無名文化財:03/01/24 21:49
昨日、ある女の与謝野晶子研究本読んだんです。与謝野晶子。
そしたらなんか後書きしてる香具師が、彼女と与謝野は似ている、とか書いてるんです。
で、よく見たらなんか作者の名前はMMという人みたいで、芸人と不倫の過去があった人なんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、何で子供11人私学にやらした肝っ玉かあさんと不倫女が似てるんだよ、ボケが。
与謝野晶子だよ。与謝野晶子。
なんか野菜みたいな名前の歌集出してるし。皆で連歌か。おめでてーな。
いつもチケット20枚くらいとってんの。もう見てらんない。
お前らな、屁タレ新聞の家庭欄のスペース4分の1やるからその席空けろと。
歌人ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
隣に座った鉄幹と有島の、いつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったと思ったら、次の奴が、浄瑠璃と対比させ歌を、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、本歌取りなんていまどき流行んねーんだよ、ボケが。
得意げな顔して何が、近松の恋は、だ。
お前は本当に歌人なのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、過去の愛人Nとの関係を歌に残してあてつけしたいだけちゃうんかと。
歌通の俺から言わせてもらえば今、歌通の間での流行はやっぱり、
種田山頭火、これだね。
山頭火の幼少母親自殺体験と放蕩記。これが通の歌の楽しみ方。
山頭火の歌は心に染み入る。しかしこいつは社会不適合人間。
で、わけいってもわけいってもあおいやま。これ最強。
しかしこいつを好きだというと、妻や息子が可愛そうだったと反論されるという
危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、とりあえず正岡子規の横顔でも見てなさいってこった。

119 :重要無名文化財:03/01/24 21:49
事実の掲載によって教導者に自覚を促し、
過ちを認めさせるいう意図は、無惨にも破綻しました。
まぁ他に彼を説得する方策がない。何故なら、
彼は完全に論破されたから事実とはかけ離れた妄想によって
荒らして議論を妨害するだけですから。
それをまずは自覚させるほかないのですが、それは不可能です。
私は、円滑かつまともな態度で教導者という粘着嵐に対処することは不可能だと
今までの長い長い努力によって思い知りました。
彼が自分を論破した者たちに「負け犬」と延々冠し続けているのは、
自分の敗北を認めたくないという屈折した心理によるものです。
ですから真摯に主張する他の死刑廃止論者が彼と同類と思われないためにも
荒らしには屈せず教導者を駆除すべきという態度がよろしいと判断したものです。
今までに私が負け犬死刑支持論者の事実誤認や論理破綻を指摘し、
その反面負け犬死刑支持論者は、都合の悪い指摘をことごとく無視して反論していない。
過去ログから明らか。
負け犬負け犬死刑支持論者は、今までに何回も、ありもしない「事実」を
タテに取ってきたのだから、具体的に典拠を示すことを
条件とするのは当然だ。
今までに大勢の人間が教導者の事実誤認や論理破綻を指摘してきたし、
その反面教導者は、都合の悪い指摘をことごとく無視して反論していない。
過去ログから明らか。
過去ログという客観的な事実さえも直視する勇気を持てない教導者は、
自らの敗北を直視することもなく、永遠に勝ち誇り続けるであろう。
ついでに言わせて貰えれば、議論を中断させるために中傷をしたり、
自分に都合の悪い意見を封殺するためにオウム返しをするのは、
議論を進める上で非建設的であるばかりではなく、そのような行為を
した側(中傷やオウム返しをされた側ではなく)の知性や常識の程度を
著しく低く見せる行為です。


120 :重要無名文化財:03/01/24 21:50
まあハリコの皆さん
月末にお会いしようぜ

そしてタク送の肉便器をチェックして藁ってやれや

121 :重要無名文化財:03/01/24 21:50
今までに私が負け犬死刑支持論者の事実誤認や論理破綻を指摘し、
その反面負け犬死刑支持論者は、都合の悪い指摘をことごとく無視して反論していない。
過去ログから明らか。
負け犬負け犬死刑支持論者は、今までに何回も、ありもしない「事実」を
タテに取ってきたのだから、具体的に典拠を示すことを
条件とするのは当然だ。
場を荒らしているのは、
みんなに論破されたからといって腹いせに荒らしている教導者でして、
彼は死刑論議のみならずあらゆる議論をぶちこわして回っています。
今までに、教導者に屈して議論スレがいくつ台無しになってしまったでしょうか。

教導者が必要かどうかは、多数決の結果であっても自分に都合悪ければ「衆愚状態だ」と
決めつけたがる駄々っ子が判断してよいものではない。
この程度のオウム返しに対して必死になっているところをみると、負け犬教導者は、
自らの敗北を認めている兆候が見られる。
今までに大勢の人間が教導者の事実誤認や論理破綻を指摘し、
その反面教導者は、都合の悪い指摘をことごとく無視して反論していない。
過去ログにいくらでも例がある。
負け犬教導者は、今までに何回も、ありもしない「事実」を
タテに取り、一方で他人の主張は「妄想」呼ばわりしてきたのだから、
具体的に典拠を示すことを条件とするのは当然だ。
ポパーの『よりよき世界を求めて』の第14章、寛容と知的責任にもあるように
自由な議論はそのままよりよき理論を淘汰し選別する、と思います

他の板では非現実的で効果がないかもしれませんが
哲学板ぐらいは議論におけるルールの押し付けではなく、
自由な議論をできる場でありたいと僕は願っています
そして、これは僕個人の意見ですが、
荒らしに対して最も効果がある行為は、誠実な文章の書き方であると思います


122 :重要無名文化財:03/01/24 21:50
我々が哲学板でやるべきことは真理の探究に寄与することであって決して意味の無い中傷やオウム返しで勝敗を分かつためではないでしょう
誰もが自由に思想を持つことができるというのはすばらしいことではないでしょうか
例え、それがはたからは愚かに見えたとしても
その愚かさもまた、真理の探究という行動のもとに、自由な討論のもとに
よりよき理論の追求に役立つこともあると思います

主張はただ一つ
中傷をするなら、議論をしましょう
時間と労力の無駄使いであり、何より板に負荷がかかり落ちやすくなります
負け犬死刑支持論者は私の論理的な発言を無視し、
その反面私は如何なる指摘をも反論している。
過去ログから明らか。
負け犬死刑支持論者は、今までに何回も、ありもしない「事実」を
タテに取ってきたのだから、具体的に典拠を示すことを
条件とするのは当然だ。
教導者が必要かどうかは、教導者本人ではなく、そこの住民が決めること。
というわけで、死刑論議があるかぎりどこへでも荒らしに行く教導者は迷惑。
負け犬を教化するといいながら、いまだに一人も教化できていない教導者は
名前の根拠がないのである。
しかし、場を荒らしているのは、
私に論破されたからといって腹いせに荒らしている連中でして、
私は死刑論議に関する主張ならば如何なるものを中傷せず(言葉がもともと汚いので
完全にとはまだいえませんが)
やってきております。
しかし、ここで荒らしに屈してしまうと折角の議論スレが台無しになってしまいます。
私が必要かどうかは衆愚状態の客観的な考察が出来ない
連中が判断してよいものではない。
負け犬を教化して、負け犬死刑支持論者の行動から
焦っているところをみると負け犬死刑支持論者は自らの敗北を
認めている兆候が見られる。



123 :重要無名文化財:03/01/24 21:50
負け犬死刑支持論者は、もとより荒らすことしか出来ない。
負け犬死刑支持論者の主張に沿って誤りを懇切丁寧に指摘すると「妄想」呼ばわり。
負け犬死刑支持論者は反論できなくなったのでスレを荒し始める。よって、
彼と対話可能な唯一の形式は、もはや存在しなくただ負け犬死刑支持論者のキチガイ振りを見て楽しむのみ。
まことに馬鹿々々しいが、負け犬死刑支持論者が妄想を垂流すこと禁忌とするのが彼ら負け犬死刑支持論者のルール。
ではとりあえず、ルールをつくるにはどのような方法をとればよいのか、について話しましょうよ
そしてそれに従ってローカルルールをたて、そのルールに従って議論を再開しましょうよ
荒らしに付き合ってはならないというのはわかりますけどね。
ほっとくとこのような連中の荒らしがやまないのは過去ログをみれば明らかなのですよ。気分を害したのであれば、この辺で止めておきます。
教導者に付き合ってはならないというのはわかりますけどね。ほっといても教導者の荒らしがやまないのは過去ログをみれば明らかなのですよ。「この辺で止めておきます」なんて
彼が自分の書き込みを二日以上覚えていたことが過去にありましたか。負け犬死刑支持論者は自分の書き込みすら覚えていないから、その観点でも過去ログを目を通すことを条件とするのは妥当だ。
新たにスレッドを立てて、「負け犬」(笑)を全員隔離すること。「負け犬」以外は、このスレッドで引き続き「論理的な議論」を続ける。「負け犬」は、「隔離スレ」で「主観的な妄想」を続ける。
もちろん、勝者である教導者は「隔離スレ」には立ち入らず、「妄想」に干渉しない。このルールを教導者が順守すれば、棲み分けが出来て、何も問題はないと思われる。
ルールはすでに出ている、荒らしはまともに付き合わないこと。(言ってる教導者が荒らしなのだから無意味だが)
というわけで、別に誰も司会しなくても、教導者が他人の論理的な発言に耳を傾けさえすれば良いだろう。(但し「過去ログにある」と言う場合には、part何のレス何番と
 明記することを条件とする)負け犬教導者は、今までに何回も、ありもしない「事実」をタテに取ってきたのだから、具体的に典拠を示すことを条件とするのは当然だ。


124 :重要無名文化財:03/01/24 21:51
一番うさんくさい伝統芸能と思う。
常識ないね、顔だす必然性ないのに
目立ちたいいやらしい心でやっちゃった。
日本の恥じさらし。俺もやめれに大賛成。
精神的グロ趣味!。
文楽やってるやつは代々コンプレックス受け継いでるね。
家族的無意識が続けて伝わっていくんだよ。
関わってくる人にも接していくうち伝わってしまう。
顔出すまでいったら、そういった先人たちの屈折した意識も晒してしまうのだろう。
顔出してやることになるときの気持ち、深層にある抑圧されたどろどろの意識が、
そのひとの表面まで出てきて支配するのだろう。
どいつも目が満足げに腐って、妖しい光が覗いてる。
はっきりいって毒々しいな。顔は隠したほうが全体的に健全になる。
文楽の例えば、足使い見てるととてつもなくへたくそなのには笑ってしまう。
足の長さは一定なのにまるでゴムで出来た足のようにズルズルのびて
ろくろっ首のような動きで足が動く。人形に股関節の仕組みがないことが
原因だろうけど。伝統芸だからすごい技術持ってるんだという変な思いこみして
ありがたがってる連中は気の毒だと思う。
話を元に戻すと、一体の人形に何人もの人間が付いてるのに何で一人だけ
顔を出すのかということである。ここでの>>10(どなたか本スレからコピーしてくれ
てるけど)で述べているが出すなら全員出せばいいものを。足であろうが手であ
ろうが首であろうがどの動きも大事だろなら全員顔出せ。
出せないところ、そこに特権意識きわまれりのイヤーなものをいつも思う。だから
いっそ、出さないでほしいのだ。


125 :重要無名文化財:03/01/24 21:51
この間も昼過ぎNHKで文楽放送していた。最近なぜか良く目にする。
こないだの休日見たのと違って今日はうじゃうじゃと人形ごとに生顔のオンパレード。
いっぺんに先日の気持ちが冷めてしまった。

外の世間を知ってるのか知らないのか、たぶん狭い世界しかしら無さそうな、他の
芝居も見たことなさそうなボーとした顔の連中が顔出して、ぞろぞろ、うろうろホント
にうっとうしかった。

映画館や芝居小屋やコンサート会場にはスタッフはゲートを自由に出入り出来る。
一般人は許されない。当然タブーである。それは分かる。でもゲートで開場を待ってるとき
客の目の前で当然みたいな顔されスタッフが出たり入ったりすると頭に来る。良くでき
たスタッフは客にそんな思いをさせないよう裏口から出入りし気を客に遣う。

文楽もこれと同じだ。文楽の顔出しは、「俺は当事者だ。顔出して何が悪い、俺は偉いんだ
他の連中は黒頭巾かぶってりゃいいんだよ。なにせ俺は上手なんだから。下積みの時には
顔出したくてうずうずしてたんだ。やっと顔出せるようになったんだ。どうだ見てくれこの俺の
晴れ姿を・・・・  と言わんがばかりの気取り顔。
裏口から出入りする気遣い持とうともしない。

悲しそうなときは俺の顔も悲しそうだろ、怒った芝居の時は俺の顔も怖いだろ。長年やってきた
からこの芸が出来るんだどうだ見てくれ俺の芝居を。たまらなくぞっとするだろ。すごいだろ俺の顔。

お前の顔見に来たんでないよ。こういう人形劇大嫌いだ。
他のこと勉強して気合い入れて出直して来るな。他のことやれ。


126 :重要無名文化財:03/01/24 21:52
行っとくけどブラクラ使えば簡単に君たちのID調べて個人情報知れるんだからね
もう職業とか住所、氏名、家族構成、病歴、電話番号なんかも簡単に調べられるんだよ
僕を怒らせたのガいけないんだよ
今までも2chで僕にIDばれて悲惨な目に会った人がたくさんいたっけ
住所わかれば君たちに時限式ダイナマイトだって送れるんだよ
ダイナマイトって意外と簡単に作れるんだよね〜
コンビニの花火をちょっといじるだけでね
後悔してもおそいからね
もう君たち普通の生活を出来ないだろうね
あ、住所とか変えても無駄だから
僕はクラッカーだからブラクラとかウイルスとか色々使って君を追いかけるよ
あはははははははははは
これから君たちのID調べるから
もう謝っても無駄だよ
ご愁傷様


127 :重要無名文化財:03/01/24 21:52
今日2ちゃんねる行ったんです。2ちゃんねる。
そしたらなんかきたねえスレがいっぱいで読めないんです。
で、よく見たらなんか【ヤラセ拍手】アンチ文楽スレ【山の↑ホテル】 とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、普段来ない2ちゃんねるに来てんじゃねーよ、ボケが。
2ちゃんねるだよ、2ちゃんねる。
なんかバカ女とかもいるし。夫の不倫相手への復讐か。おめでてーな。
Kヤの不倫相手の話とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、多田K子の掲示板やるから、その席空けろと。
2ちゃんねるってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
掲示板の隙間と隙間で、いつ喧嘩が始まっても
おかしくない、 刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと通れたかと思ったら、隣の奴が、文楽スレ、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、文楽なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、文楽、だ。
お前は本当に大阪人なのかと問いたい。問い詰めたい。3時間以上問い詰めたい。
お前、本当は姫路や奈良のインチキ関西人ちゃうんかと。
大阪通の俺から言わせてもらえば今、大阪通の間での最新流行都市はやっぱり、
飛田、これだね。
道路にヤクの売人。これが通の大阪の観光の仕方。
飛田ってのは二階に上がって座布団が布団代わり。そんかわりエイズも多め。これ。
で、それに金出せば薬処方してくれる病院。これ最強。
しかしこれを頼むと次から警察にマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らドタロシは、信太山でも逝ってなさいってこった。


128 :重要無名文化財:03/01/24 21:52
本名ネタ来るの怖いからって
ハリコしてんなや
インチキ法律家はっくさんよ
今度は大原町にでも住んだらどうですか?
お仲間が多くて楽しいわよ(プ

129 :重要無名文化財:03/01/24 21:52
昨日、ブソラクの若手の会逝ったんです、若手会。
そしたらなんか国立の発表会みたいに無料だと思ったら、有料っぽいんです。
で、よく調べたらなんか一般一人2千円前後で、チケピでも取り扱いしてるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、何でこんな若いのの発表会に2300円も払わなきゃなんねーんだよ、ボケが。
若手会だよ、若手会。
なんか最後にまたカーテンしてるし。皆でやらせ拍手か。おめでてーな。
よーし次は全国公演だ!とかほざいてんの。もう見てらんない。
お前らな、津軽三味線若手全国大会入場券やるからその席空けろと。
若手会ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
忠臣蔵で主人公と準主人公になった芸人と芸人の、いつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったと思ったら、馬鹿な落ヲタが、質屋芝居、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、質屋芝居なんて今時流行んねえんだよ、ボケが。
得意げな顔して何が、質屋芝居、だ。
お前は本当にブソラク好きなのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、自分が古典に造詣深いですと言いたいだけちゃうんかと。
若手会通の俺から言わせてもらえば今、若手会通の間での流行はやっぱり、
花ショー、これだね。
八坂神社に逝って若いのの汗を浴びるくらいがぶりつき。これが通の若手の会の楽しみ方。
京都ってのは地域に芸が密着してるぜ豆腐。これ。
で、さらに祇園コーナーで茂山兄弟が出てないかヲチ。これ最強。
しかしこのやり方だと、2500円払ったのに出演者がそけらの神社の趣味連中である場合
があるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、とりあえず若き獅子たちでも見てなさいってこった。



130 :重要無名文化財:03/01/24 21:53
昨日、自称作家主催のパーティ行ったんです。パーティ。
そしたらなんか参加に規定があって、やらせ拍手に協力しないと入れないんです。
で、よく見たらなんかアホな公共電波垂れ流し放送局と左寄り新聞の連中がいて、仕切ってるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、やらせ拍手くらいで普段来ない永田町来てんじゃねーよ、ボケが。
やらせ拍手だよ、やらせ拍手。
なんか歌うたいとか年金ジジイもいるし。皆でやらせ拍手か。おめでてーな。
よーし青森や湯布院でもやらせ仕掛けけちゃうぞーとか叫んでるの。もう見てらんない。
お前らな、サッカーのWカップのチケットやるからその席空けろと。
ブソラク鑑賞ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
隣に座った武智と山城の、いつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったと思ったら、次の奴が、後は浄瑠璃を題材に新作を、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、浄瑠璃で新作なんていまどき流行んねーんだよ、ボケが。
得意げな顔して何が、浄瑠璃の新作、だ。
お前は本当に作家なのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、自分は美人で役者の愛人ですって言いたいだけちゃうんかと。
ブソラク鑑賞通の俺から言わせてもらえば今、鑑賞通の間での最新流行はやっぱり、
床そばで1500円観劇、これだね。
床そばで義大夫節チェック。これが通のブソラクの見方。
床ぞばってのは声がダイレクトに伝わってくる。そん代わりお囃子が聞こえない。これ。
で、それにブソラクせんべい。これ最強。
しかしこの見方だと舞台センターがまるっきし見えないという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、プラソタソ銀座のレクチャー講座でも申し込みなさいってこった。


131 :重要無名文化財:03/01/24 21:53
昨日、ワシソトソったんです、ワシソトソ。
そしたらなんか若造りした帽子男と女がいんです。
で、よく見たらなんか女の名でチェックインしてんのに男も部屋に入ってんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、わざわざセークスのためにそんな近いホテル使ってんじゃネエよ、ボケが。
ワシソトソだよ、ワシソトソ。
なんかなんばWの地下でゴム買ってるし。マイルーラかよ。おめでてーな。
一階の喫茶店で逢い引きの打ち合わせしてんの。もう見てらんない。
お前らな、扇地陰の旦那の異名やるからその席空けろと。
ワシソトソってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
ビジネスホテルとラブホ・デリヘルホテルのギリの、ゴムがないことでようやくビジネスホテルと識別される、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったと思ったら、次の男が、裏口から逢い引きに入ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、裏口から間男なんて今日日流行んねーんだよ、ボケが。
得意げなグラサンして何が、不倫、だ。
お前は本当に芸能人なのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、自分の性欲満たしたいだけちゃうんかと。
逢い引き通の俺から言わせてもらえば今、逢い引き通の間での流行はやっぱり、
地方に行くときの移動日、これだね。
移動日に観光。これが通の逢い引きの楽しみ方。
移動の日なので家に帰らなくても不自然はない。そん代わり女房には宿はみんなと一緒という。これ。
で、さらに観光地は目的地の中点。これ最強。
しかし調子に乗ってると、観光にきた他グループに目撃されたり女房に疑われたりする
という危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、とりあえずちょこちょこ会ってなさいってこった。



132 :重要無名文化財:03/01/24 21:53
昨日、湯布院逝ったんです、湯布院。
そしたらなんか東京大阪でよく見るブサイクなババアがいっぱいいんです。
で、よく見たらなんか垂れ幕みたいの下がってて、文楽公演とか書いてあんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、わざわざ文楽見るために九州くんだりまで来てんじゃねーよ、ボケが。
湯布院だよ。湯布院。
なんかテント小屋だし。寺山修司かよ。おめでてーな。
よしっ私技芸員さんの追っかけしちゃうぞとかいってんの。もう見てらんない。
お前らな、大分産しいたけやるからその席空けろと。
湯布院ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
南の軽井沢と本家軽井沢の、別荘地と別荘地のいつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったと思ったら、馬鹿な文ヲタが、やみつく、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、やみつくなんて日本語今時流行んねえんだよ、ボケが。
得意げな顔して何が、やみつく、だ。
お前は本当に言葉を扱う職業の人間なのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、自分の追っかけ日記晒したいだけちゃうんかと。
大分通の俺から言わせてもらえば今、大分通の間での流行はやっぱり、
ふぐと猿、これだね。
猿山逝って猿とたわむれふぐを食う。これが通の大分の楽しみ方。
大分は以外にふぐの穴場。しかし知られてない。これ。
で、さらにきもを食う。これ最強。
しかしこれしてっと、何さだまさしとアサ○ソーラの県なんかに金使ってんだといわれる
という危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、とりあえず福岡でも逝ってなさいってこった。



133 :重要無名文化財:03/01/24 21:53
そうだそうだ
カーテンも見守っとけや

134 :重要無名文化財:03/01/24 21:53
昨日、アンティーク着物屋(平たく言うと、古着屋)逝ったんです。着物屋。
そしたらなんかいけてない女どもが小紋の周り占領してるんです。
で、よく見たらなんかいつもブソ楽見に来てるうるせえ女どもなんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、ブソ楽見にいくくらいで、普段着ない着物着てんじゃネエよ、ボケが。
アンティーク着物だよ。アンティーク着物。
なんか男と別れたばっかのやつもいるし。男捨ててまでブソ楽鑑賞か。おめでてーな。
ああ、私はブソ楽ないと生きていかれないとか言ってんの。もう見てらんない。
お前らな、東寺の骨董市逝っていいからその席あけろと。
古着屋ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
クリーニング無しで安く売る店と有りで品数少ない店の、いつ喧嘩が始まっても
おかしくない、 刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと小紋見れたかと思ったら、隣の奴が、色無地、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、色無地なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、色無地、だ。
お前は本当に着物TPO知ってるのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、本当は芸人に着物姿見せたいだけちゃうんかと。
古着物通の俺から言わせてもらえば今、古着物通の間での最新流行はやっぱり、
西村、これだね。
大正ロマン柄なのに生地厚。これが通の古着物の買い方。
西村は柄が個性的なの揃えてる。そん代わり古典柄少ない。これ。
で、それに襦袢も合わせておしゃれ。これ最強。
しかしこれをやると紬大好き伝芸おばちゃんに文句たれられるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、ながもち屋でも逝ってなさいってこった。



135 :重要無名文化財:03/01/24 21:54
昨日、親睦パーティ行ったんです。パーティ。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで食事とれないんです。
で、よく見たらなんか素人のバカ女でいっぱいなんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、月に2、3回チケット取ってるくらいで本来入る権利ないパーティきてんじゃねえよ、ボケが。
親睦パーティだよ。ぱあてぃ。
なんか芸人の愛人とかもいるし。皆で乾杯か。おめでてーな。
よーし次は初日と楽日おさえてね、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、激安ホテルバイキング招待券やるからその席空けろと。
パーティってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
挨拶の主賓来賓の、リボン序列の、いつ喧嘩が始まっても
おかしくない、 刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと食えたかと思ったら、隣の奴が、二次会の場所は、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、素人引き連れて二次会なんぞ今日日流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、二次会、だ。
お前は本当に芸人なのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、本当はぼくちゃんはこんなに素人にもてもての芸人なのよ、と言いたいだけちゃうんかと。
パーティ通の俺から言わせてもらえば今、パーティ通の間での最新流行はやっぱり、
海運クラブ、これだね。
料理はうまいし駅のもろそば。これが通のパーティ会場の発注の仕方。
海運クラブはパーコンついてる。そんかわり料金高め。これ。
で、場所は最上階。これ最強。
しかしこれをやると主催者のお財布が傷むという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、かに道楽で忘年会でもしてなさいってこった。


136 :重要無名文化財:03/01/24 21:54
昨日、着物の雑誌買ったんです、着物雑誌。
そしたらなんか普通の雑誌よりすげえ高くて2000円もするんです。
で、よく見たらなんか「ブソラクの魅力」とか逝って変なババアが対談してやがんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。  
お前らな、対談だからって普段着ない着物着てんじゃねーよ、ボケが。
着物で対談だよ。着物で対談。
なんか相手は玉の末裔だし。その文章でプロかよ。おめでてーな。
よーし次は紬揃えちゃうぞーとか叫んでるの。もう見てらんない。
お前らな、インチキちりめんティッシュケースやるからその席空けろと。
着物対談ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
向かいに座った津川@グランパパとからくさ店主の、いつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったと思ったら、次の馬鹿が、着物で楽屋訪問とか逝ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、着物で楽屋訪問なんて今日日流行んねーんだよ、ボケが。
得意げな顔して何が、着物で楽屋訪問、だ。
お前は本当に着付けられるのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、場末のセット専門美容院で着付けてもらうだけちゃうんかと。
着物好きヲチ通の俺から言わせてもらえば今、着物好きヲチ通の間での流行はやっぱり、
群よう子、これだね。
部屋に入って3分で500万。これが通の着物の買い方。
リーズナブルに普段着揃え。そんかわり訪問着が少ない。これ。
で、さらに収納がダンボール。これ最強。
しかしこのやり方で楽しむと、林真理子をはじめとした、ブランド糞高作家
至上主義の目の敵にされるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、原宿モナコでも逝ってなさいってこった。




137 :重要無名文化財:03/01/24 21:54
今日、TVない人からも受信料ふんだくる局の、朝のニュース見てたんです、朝のニュース。
そしたらなんか三味線引きの若い真面目ないい子出てきたんです。
で、よく見たらおじいちゃんも有名な三味線引きさんなんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、おいしい設定だからって、普段特集しないもん扱ってんじゃねーよ、ボケが。
朝のニュースだよ、朝のニュース。
なんか生活ほっととか言ってるし。ネーミングセンス氷川の衣装並なんだよ。おめでてーな。
あらあら?とかナレーションいれてんの。もう見てらんない。
お前らな、私の青空スペシャルエンドレス放送してていいからその席空けろと。
朝のニュースってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
斜め座りで態度悪いアナ松平と視聴者の、いつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったと思ったら、馬鹿なレポーターが、体揺らして感情表現とか逝ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、基礎も出来ねえうちから体揺らすわけねえんだよ、ボケが。
得意げな顔して何が、体揺らして感情表現、だ。
お前は本当に取材したのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、おいしい設定生かして表面なぞって取材しただけちゃうんかと。
朝ニュース通の俺から言わせてもらえば今、朝ニュース通の間での流行はやっぱり、
おはようくらしのジャーナル上田早苗、これだね。
朝テレビをかけて上田早苗の声と共に目覚める。これが通ニュースの楽しみ方。
上田早苗ってのはメイクが馬鹿の有働や久保より薄め。これ。
で、さらに爪も短く切ってある。これ最強。
しかし調子にのって見ていると、出勤までの大事な時間数分時報が出なくなるという
危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、とりあえず目覚ましTVでも見てなさいってこった。



138 :重要無名文化財:03/01/24 21:55
ふぐ屋チェックもな
けけけ

139 :重要無名文化財:03/01/24 21:55
昨日、ある女の与謝野晶子研究本読んだんです。与謝野晶子。
そしたらなんか後書きしてる香具師が、彼女と与謝野は似ている、とか書いてるんです。
で、よく見たらなんか作者の名前はMMという人みたいで、芸人と不倫の過去があった人なんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、何で子供11人私学にやらした肝っ玉かあさんと不倫女が似てるんだよ、ボケが。
与謝野晶子だよ。与謝野晶子。
なんか野菜みたいな名前の歌集出してるし。皆で連歌か。おめでてーな。
いつもチケット20枚くらいとってんの。もう見てらんない。
お前らな、屁タレ新聞の家庭欄のスペース4分の1やるからその席空けろと。
歌人ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
隣に座った鉄幹と有島の、いつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったと思ったら、次の奴が、浄瑠璃と対比させ歌を、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、本歌取りなんていまどき流行んねーんだよ、ボケが。
得意げな顔して何が、近松の恋は、だ。
お前は本当に歌人なのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、過去の愛人Nとの関係を歌に残してあてつけしたいだけちゃうんかと。
歌通の俺から言わせてもらえば今、歌通の間での流行はやっぱり、
種田山頭火、これだね。
山頭火の幼少母親自殺体験と放蕩記。これが通の歌の楽しみ方。
山頭火の歌は心に染み入る。しかしこいつは社会不適合人間。
で、わけいってもわけいってもあおいやま。これ最強。
しかしこいつを好きだというと、妻や息子が可愛そうだったと反論されるという
危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、とりあえず正岡子規の横顔でも見てなさいってこった。


140 :重要無名文化財:03/01/24 21:55
今日、TVない人からも受信料ふんだくる局の、朝のニュース見てたんです、朝のニュース。
そしたらなんか三味線引きの若い真面目ないい子出てきたんです。
で、よく見たらおじいちゃんも有名な三味線引きさんなんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、おいしい設定だからって、普段特集しないもん扱ってんじゃねーよ、ボケが。
朝のニュースだよ、朝のニュース。
なんか生活ほっととか言ってるし。ネーミングセンス氷川の衣装並なんだよ。おめでてーな。
あらあら?とかナレーションいれてんの。もう見てらんない。
お前らな、私の青空スペシャルエンドレス放送してていいからその席空けろと。
朝のニュースってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
斜め座りで態度悪いアナ松平と視聴者の、いつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったと思ったら、馬鹿なレポーターが、体揺らして感情表現とか逝ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、基礎も出来ねえうちから体揺らすわけねえんだよ、ボケが。
得意げな顔して何が、体揺らして感情表現、だ。
お前は本当に取材したのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、おいしい設定生かして表面なぞって取材しただけちゃうんかと。
朝ニュース通の俺から言わせてもらえば今、朝ニュース通の間での流行はやっぱり、
おはようくらしのジャーナル上田早苗、これだね。
朝テレビをかけて上田早苗の声と共に目覚める。これが通ニュースの楽しみ方。
上田早苗ってのはメイクが馬鹿の有働や久保より薄め。これ。
で、さらに爪も短く切ってある。これ最強。
しかし調子にのって見ていると、出勤までの大事な時間数分時報が出なくなるという
危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、とりあえず目覚ましTVでも見てなさいってこった。



141 :重要無名文化財:03/01/24 21:55
昨日、自称作家主催のパーティ行ったんです。パーティ。
そしたらなんか参加に規定があって、やらせ拍手に協力しないと入れないんです。
で、よく見たらなんかアホな公共電波垂れ流し放送局と左寄り新聞の連中がいて、仕切ってるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、やらせ拍手くらいで普段来ない永田町来てんじゃねーよ、ボケが。
やらせ拍手だよ、やらせ拍手。
なんか歌うたいとか年金ジジイもいるし。皆でやらせ拍手か。おめでてーな。
よーし青森や湯布院でもやらせ仕掛けけちゃうぞーとか叫んでるの。もう見てらんない。
お前らな、サッカーのWカップのチケットやるからその席空けろと。
ブソラク鑑賞ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
隣に座った武智と山城の、いつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったと思ったら、次の奴が、後は浄瑠璃を題材に新作を、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、浄瑠璃で新作なんていまどき流行んねーんだよ、ボケが。
得意げな顔して何が、浄瑠璃の新作、だ。
お前は本当に作家なのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、自分は美人で役者の愛人ですって言いたいだけちゃうんかと。
ブソラク鑑賞通の俺から言わせてもらえば今、鑑賞通の間での最新流行はやっぱり、
床そばで1500円観劇、これだね。
床そばで義大夫節チェック。これが通のブソラクの見方。
床ぞばってのは声がダイレクトに伝わってくる。そん代わりお囃子が聞こえない。これ。
で、それにブソラクせんべい。これ最強。
しかしこの見方だと舞台センターがまるっきし見えないという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、プラソタソ銀座のレクチャー講座でも申し込みなさいってこった。


142 :重要無名文化財:03/01/24 21:56
昨日、呉服屋逝ったんです。呉服屋。
そしたらなんかヤラセ拍手の女連中が売り場占領してるんです。
で、よく見たらなんか皆ブサばっかりで、逝き遅れか離婚した女ばっかなんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、いくら男にもてないからって、着物で役者の気を引こうとなんてしてんじゃねーよ、ボケが。
呉服屋だよ。呉服屋。
なんかインチキ紬に騙されてる奴もいるし。印刷マルキか。おめでてーな。
正月に七五三みたいな小紋着てヤンの。もう見てらんない。
お前らな、弘法市逝っていいからその席あけろと。
呉服屋ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
展示会でクーリングオフさせない香具師らと客の、いつ喧嘩が始まっても
おかしくない、 刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったかと思ったら、バカの一人が、着物で食事、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、着物で会食なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、着物で食事、だ。
お前は本当に着物が似合うのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、本当は芸人に着物姿見せたいだけちゃうんかと。
呉服屋通の俺から言わせてもらえば今、呉服屋通の間での最新流行はやっぱり、
着物マン、これだね。
男ばっかの着物店。これが通の呉服屋の利用の仕方。
マンは本人の希望通りの品物探してくれる。そん代わり要予約。これ。
で、それに兵児帯。これ最強。
しかしこれをやると生地代だけでボーナスが吹っ飛ぶという、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、レンタル着物でも借りてなさいってこった。


143 :重要無名文化財:03/01/24 21:56
昨日、口語ブソラク逝ったんです。口語ブソラク。
そしたらなんか普通に逝けば入れるのかと思ったら、ハガキで抽選制なんです。
で、よく見たらなんか皆知ってる顔ばっかで、抽選って知り合いってことか状態なんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、いくら客が来ないからって、口語で客の気を引こうとしてんじゃねーよ、ボケが。
口語ブソラクだよ。口語ブソラク。
なんか東京の香具師もいるし。よくわざわざこんなん来るよ。おめでてーな。
三十年前の大映ドラマみてえな台詞いってんの。もう見てらんない。
お前らな、赤いシリーズ見てていいからその席あけろと。
口語モノってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
新しい試みで客層を広げようという若者と邪道は許さんという年寄りの、いつ喧嘩が始まっても
おかしくない、 刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったかと思ったら、バカの一人が、陰陽師、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、安陪清明なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、陰陽師、だ。
お前は本当に陰陽道わかってんのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、本当は流行に乗ってイケると思っただけちゃうんかと。
清明通の俺から言わせてもらえば今、清明通の間での最新流行はやっぱり、
納音、これだね。
陰陽五行に風水配置。これが通の陰陽道の利用の仕方。
納音はたしかに当たる。そん代わり勉強必用。これ。
で、それに道長。これ最強。
しかしこれをやると逆に呪詛返しされかねないという、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、野村版陰陽師でも見てなさいってこった。


144 :重要無名文化財:03/01/24 21:56
一番うさんくさい伝統芸能と思う。
常識ないね、顔だす必然性ないのに
目立ちたいいやらしい心でやっちゃった。
日本の恥じさらし。俺もやめれに大賛成。
精神的グロ趣味!。
文楽やってるやつは代々コンプレックス受け継いでるね。
家族的無意識が続けて伝わっていくんだよ。
関わってくる人にも接していくうち伝わってしまう。
顔出すまでいったら、そういった先人たちの屈折した意識も晒してしまうのだろう。
顔出してやることになるときの気持ち、深層にある抑圧されたどろどろの意識が、
そのひとの表面まで出てきて支配するのだろう。
どいつも目が満足げに腐って、妖しい光が覗いてる。
はっきりいって毒々しいな。顔は隠したほうが全体的に健全になる
文楽の例えば、足使い見てるととてつもなくへたくそなのには笑ってしまう。
足の長さは一定なのにまるでゴムで出来た足のようにズルズルのびて
ろくろっ首のような動きで足が動く。人形に股関節の仕組みがないことが
原因だろうけど。伝統芸だからすごい技術持ってるんだという変な思いこみして
ありがたがってる連中は気の毒だと思う。
話を元に戻すと、一体の人形に何人もの人間が付いてるのに何で一人だけ
顔を出すのかということである。
出すなら全員出せばいいものを。足であろうが手であ
ろうが首であろうがどの動きも大事だろなら全員顔出せ。
出せないところ、そこに特権意識きわまれりのイヤーなものをいつも思う。だから
いっそ、出さないでほしいのだ。


145 :重要無名文化財:03/01/24 21:57
負け犬死刑支持論者は、もとより荒らすことしか出来ない。
負け犬死刑支持論者の主張に沿って誤りを懇切丁寧に指摘すると「妄想」呼ばわり。
負け犬死刑支持論者は反論できなくなったのでスレを荒し始める。よって、
彼と対話可能な唯一の形式は、もはや存在しなくただ負け犬死刑支持論者のキチガイ振りを見て楽しむのみ。
まことに馬鹿々々しいが、負け犬死刑支持論者が妄想を垂流すこと禁忌とするのが彼ら負け犬死刑支持論者のルール。
ではとりあえず、ルールをつくるにはどのような方法をとればよいのか、について話しましょうよ
そしてそれに従ってローカルルールをたて、そのルールに従って議論を再開しましょうよ
荒らしに付き合ってはならないというのはわかりますけどね。
ほっとくとこのような連中の荒らしがやまないのは過去ログをみれば明らかなのですよ。気分を害したのであれば、この辺で止めておきます。
教導者に付き合ってはならないというのはわかりますけどね。ほっといても教導者の荒らしがやまないのは過去ログをみれば明らかなのですよ。「この辺で止めておきます」なんて
彼が自分の書き込みを二日以上覚えていたことが過去にありましたか。負け犬死刑支持論者は自分の書き込みすら覚えていないから、その観点でも過去ログを目を通すことを条件とするのは妥当だ。
新たにスレッドを立てて、「負け犬」(笑)を全員隔離すること。「負け犬」以外は、このスレッドで引き続き「論理的な議論」を続ける。「負け犬」は、「隔離スレ」で「主観的な妄想」を続ける。
もちろん、勝者である教導者は「隔離スレ」には立ち入らず、「妄想」に干渉しない。このルールを教導者が順守すれば、棲み分けが出来て、何も問題はないと思われる。
ルールはすでに出ている、荒らしはまともに付き合わないこと。(言ってる教導者が荒らしなのだから無意味だが)
というわけで、別に誰も司会しなくても、教導者が他人の論理的な発言に耳を傾けさえすれば良いだろう。(但し「過去ログにある」と言う場合には、part何のレス何番と
 明記することを条件とする)負け犬教導者は、今までに何回も、ありもしない「事実」をタテに取ってきたのだから、具体的に典拠を示すことを条件とするのは当然だ。


146 :重要無名文化財:03/01/24 21:57
決して意味の無い中傷やオウム返しで勝敗を分かつためではないでしょう
誰もが自由に思想を持つことができるというのはすばらしいことではないでしょうか
例え、それがはたからは愚かに見えたとしても
その愚かさもまた、真理の探究という行動のもとに、自由な討論のもとに
よりよき理論の追求に役立つこともあると思います

主張はただ一つ
中傷をするなら、議論をしましょう
時間と労力の無駄使いであり、何より板に負荷がかかり落ちやすくなります
負け犬死刑支持論者は私の論理的な発言を無視し、
その反面私は如何なる指摘をも反論している。
過去ログから明らか。
負け犬死刑支持論者は、今までに何回も、ありもしない「事実」を
タテに取ってきたのだから、具体的に典拠を示すことを
条件とするのは当然だ。
教導者が必要かどうかは、教導者本人ではなく、そこの住民が決めること。
というわけで、死刑論議があるかぎりどこへでも荒らしに行く教導者は迷惑。
負け犬を教化するといいながら、いまだに一人も教化できていない教導者は
名前の根拠がないのである。
しかし、場を荒らしているのは、
私に論破されたからといって腹いせに荒らしている連中でして、
私は死刑論議に関する主張ならば如何なるものを中傷せず(言葉がもともと汚いので
完全にとはまだいえませんが)
やってきております。
しかし、ここで荒らしに屈してしまうと折角の議論スレが台無しになってしまいます。
私が必要かどうかは衆愚状態の客観的な考察が出来ない
連中が判断してよいものではない。
負け犬を教化して、負け犬死刑支持論者の行動から
焦っているところをみると負け犬死刑支持論者は自らの敗北を
認めている兆候が見られる。


147 :重要無名文化財:03/01/24 21:57
今までに私が負け犬死刑支持論者の事実誤認や論理破綻を指摘し、
その反面負け犬死刑支持論者は、都合の悪い指摘をことごとく無視して反論していない。
過去ログから明らか。
負け犬負け犬死刑支持論者は、今までに何回も、ありもしない「事実」を
タテに取ってきたのだから、具体的に典拠を示すことを
条件とするのは当然だ。
場を荒らしているのは、
みんなに論破されたからといって腹いせに荒らしている教導者でして、
彼は死刑論議のみならずあらゆる議論をぶちこわして回っています。
今までに、教導者に屈して議論スレがいくつ台無しになってしまったでしょうか。

教導者が必要かどうかは、多数決の結果であっても自分に都合悪ければ「衆愚状態だ」と
決めつけたがる駄々っ子が判断してよいものではない。
この程度のオウム返しに対して必死になっているところをみると、負け犬教導者は、
自らの敗北を認めている兆候が見られる。
今までに大勢の人間が教導者の事実誤認や論理破綻を指摘し、
その反面教導者は、都合の悪い指摘をことごとく無視して反論していない。
過去ログにいくらでも例がある。
負け犬教導者は、今までに何回も、ありもしない「事実」を
タテに取り、一方で他人の主張は「妄想」呼ばわりしてきたのだから、
具体的に典拠を示すことを条件とするのは当然だ。
ポパーの『よりよき世界を求めて』の第14章、寛容と知的責任にもあるように
自由な議論はそのままよりよき理論を淘汰し選別する、と思います

他の板では非現実的で効果がないかもしれませんが
哲学板ぐらいは議論におけるルールの押し付けではなく、
自由な議論をできる場でありたいと僕は願っています
そして、これは僕個人の意見ですが、
荒らしに対して最も効果がある行為は、誠実な文章の書き方であると思います



148 :重要無名文化財:03/01/24 21:57
事実の掲載によって教導者に自覚を促し、
過ちを認めさせるいう意図は、無惨にも破綻しました。
まぁ他に彼を説得する方策がない。何故なら、
彼は完全に論破されたから事実とはかけ離れた妄想によって
荒らして議論を妨害するだけですから。
それをまずは自覚させるほかないのですが、それは不可能です。
私は、円滑かつまともな態度で教導者という粘着嵐に対処することは不可能だと
今までの長い長い努力によって思い知りました。
彼が自分を論破した者たちに「負け犬」と延々冠し続けているのは、
自分の敗北を認めたくないという屈折した心理によるものです。
ですから真摯に主張する他の死刑廃止論者が彼と同類と思われないためにも
荒らしには屈せず教導者を駆除すべきという態度がよろしいと判断したものです。
今までに私が負け犬死刑支持論者の事実誤認や論理破綻を指摘し、
その反面負け犬死刑支持論者は、都合の悪い指摘をことごとく無視して反論していない。
過去ログから明らか。
負け犬負け犬死刑支持論者は、今までに何回も、ありもしない「事実」を
タテに取ってきたのだから、具体的に典拠を示すことを
条件とするのは当然だ。
今までに大勢の人間が教導者の事実誤認や論理破綻を指摘してきたし、
その反面教導者は、都合の悪い指摘をことごとく無視して反論していない。
過去ログから明らか。
過去ログという客観的な事実さえも直視する勇気を持てない教導者は、
自らの敗北を直視することもなく、永遠に勝ち誇り続けるであろう。
ついでに言わせて貰えれば、議論を中断させるために中傷をしたり、
自分に都合の悪い意見を封殺するためにオウム返しをするのは、
議論を進める上で非建設的であるばかりではなく、そのような行為を
した側(中傷やオウム返しをされた側ではなく)の知性や常識の程度を
著しく低く見せる行為です。


149 :重要無名文化財:03/01/24 21:58
昨日、ある女の与謝野晶子研究本読んだんです。与謝野晶子。
そしたらなんか後書きしてる香具師が、彼女と与謝野は似ている、とか書いてるんです。
で、よく見たらなんか作者の名前はMMという人みたいで、芸人と不倫の過去があった人なんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、何で子供11人私学にやらした肝っ玉かあさんと不倫女が似てるんだよ、ボケが。
与謝野晶子だよ。与謝野晶子。
なんか野菜みたいな名前の歌集出してるし。皆で連歌か。おめでてーな。
いつもチケット20枚くらいとってんの。もう見てらんない。
お前らな、屁タレ新聞の家庭欄のスペース4分の1やるからその席空けろと。
歌人ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
隣に座った鉄幹と有島の、いつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったと思ったら、次の奴が、浄瑠璃と対比させ歌を、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、本歌取りなんていまどき流行んねーんだよ、ボケが。
得意げな顔して何が、近松の恋は、だ。
お前は本当に歌人なのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、過去の愛人Nとの関係を歌に残してあてつけしたいだけちゃうんかと。
歌通の俺から言わせてもらえば今、歌通の間での流行はやっぱり、
種田山頭火、これだね。
山頭火の幼少母親自殺体験と放蕩記。これが通の歌の楽しみ方。
山頭火の歌は心に染み入る。しかしこいつは社会不適合人間。
で、わけいってもわけいってもあおいやま。これ最強。
しかしこいつを好きだというと、妻や息子が可愛そうだったと反論されるという
危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、とりあえず正岡子規の横顔でも見てなさいってこった。


150 :重要無名文化財:03/01/24 21:58
ドタロシはここには二度とくるな
私が鸚鵡返しをするのは、内容を見てもらえれば理解できるように。すべて的確な反論になっているのです。
その反論が都合が悪く反論できないので、私に完全に論破された論客は、
鸚鵡返しだからといって中傷してにげるのです。これは内容が的確な反論になっている鸚鵡返しをされた側の
知性や常識の程度を 著しく低く見せる行為です。
このような常軌を逸した行動が議論の場で許されないのは当然です。
また、過去ログを見れば明らかにわかる内容の質問や、議論の蒸し返しを行うなど効率的な議論を妨害する行動も
議論の場で許されるものでは当然ありません。
そうやって私が客観的な主張を論じても私に論破された論客の共通点は 追証不可能で反論に耐えられない「思いこみ」を
指す出張する点で、このような論者の主張は、まさに「妄想」でしょう。
教導者による鸚鵡返しは、内容を見てもらえれば理解できるように、的確な反論どころか、句読点や
テニヲハさえもおかしく、主語と述語の対応すらしていない、デタラメなコピペでしかありません。
たとえば↓>そうやって私が客観的な主張を論じても
>私に論破された論客の共通点は 追証不可能で反論に耐えられない「思いこみ」を
>指す出張する点で、このような論者の主張は、まさに「妄想」でしょう。
このことは、教導者の日本語作文能力を著しく低くみせるものであるばかりではなく、渠の読解力の低さを露呈するものでもあります。
このような常軌を逸した文章が議論の場で通用しないのは当然です。
また、過去ログを見てもそんな主張は無かったという指摘を無視し、
自分がシカトした質問の蒸し返しを許さないなど、正常な議論を
妨害する行動も許されるものではありません。
いくら皆さんが論理的な主張を行っても、皆さんに論破された教導者は、
追証不可能で反論に耐えられない「思いこみ」を主張し続けるだけなのです。
このような論者の主張は、まさに「妄想」でしょう。


151 :重要無名文化財:03/01/24 21:58
昨日、早稲田の演劇博物館行ったんです。演劇博物館。
そしたらなんかチラシが置いてあって、ブソラク座NPO法人に、とか書いてあるんです。
で、よく見たらなんか結局目的は金集めみたいで、寄付金集めて普及活動、とか言ってるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、寄付金ほしいからってだけでNOP法人申請してんじゃねーよ、ボケが。
NPOだよ。特定非営利団体。
なんかバカな伝芸オタが金出してるし。皆で助成か。おめでてーな。
よーし将来は海外公演だーとか叫んでるの。もう見てらんない。
お前らな、世界文化遺産認定やるからその席空けろと。
NPO法人ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
中東と北米連合の、いつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったと思ったら、次の奴が、新人の発掘、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、新人発掘なんていまどき流行んねーんだよ、ボケが。
得意げな顔して何が、新人の発掘教育が、だ。
お前は本当に伝芸の世界で師匠に師事した事があるのかかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、必用な金を浮かしたいだけちゃうんかと。
NPO通の俺から言わせてもらえば今、NPO通の間での流行はやっぱり、
子供の為の団体、これだね。
子供の為の団体に寄付金。これがNPOへの協力の仕方。
子供の為の団体は子供に教育の機会を与える。そんかわり貧しい国が優先。
で、それに児童虐待(買春)防止法。これ最強。
しかしこれをやるとハリウッド勘違い養子縁組バカ親と一緒にされるという
危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、とりあえず老人ボランティアでみしてなさいってこった。


152 :重要無名文化財:03/01/24 21:58
木戸銭貰ってる分際で見えるようにファソに序列つけてんじゃねー
んなことやっていいのは有名人か御曹司だけじゃい
調子に乗るな

153 :重要無名文化財:03/01/24 21:58
昨日、自称作家主催のパーティ行ったんです。パーティ。
そしたらなんか参加に規定があって、やらせ拍手に協力しないと入れないんです。
で、よく見たらなんかアホな公共電波垂れ流し放送局と左寄り新聞の連中がいて、仕切ってるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、やらせ拍手くらいで普段来ない永田町来てんじゃねーよ、ボケが。
やらせ拍手だよ、やらせ拍手。
なんか歌うたいとか年金ジジイもいるし。皆でやらせ拍手か。おめでてーな。
よーし青森や湯布院でもやらせ仕掛けけちゃうぞーとか叫んでるの。もう見てらんない。
お前らな、サッカーのWカップのチケットやるからその席空けろと。
ブソラク鑑賞ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
隣に座った武智と山城の、いつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったと思ったら、次の奴が、後は浄瑠璃を題材に新作を、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、浄瑠璃で新作なんていまどき流行んねーんだよ、ボケが。
得意げな顔して何が、浄瑠璃の新作、だ。
お前は本当に作家なのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、自分は美人で役者の愛人ですって言いたいだけちゃうんかと。
ブソラク鑑賞通の俺から言わせてもらえば今、鑑賞通の間での最新流行はやっぱり、
床そばで1500円観劇、これだね。
床そばで義大夫節チェック。これが通のブソラクの見方。
床ぞばってのは声がダイレクトに伝わってくる。そん代わりお囃子が聞こえない。これ。
で、それにブソラクせんべい。これ最強。
しかしこの見方だと舞台センターがまるっきし見えないという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、プラソタソ銀座のレクチャー講座でも申し込みなさいってこった。



154 :重要無名文化財:03/01/24 21:59
昨日、ブソラクの若手の会逝ったんです、若手会。
そしたらなんか国立の発表会みたいに無料だと思ったら、有料っぽいんです。
で、よく調べたらなんか一般一人2千円前後で、チケピでも取り扱いしてるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、何でこんな若いのの発表会に2300円も払わなきゃなんねーんだよ、ボケが。
若手会だよ、若手会。
なんか最後にまたカーテンしてるし。皆でやらせ拍手か。おめでてーな。
よーし次は全国公演だ!とかほざいてんの。もう見てらんない。
お前らな、津軽三味線若手全国大会入場券やるからその席空けろと。
若手会ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
忠臣蔵で主人公と準主人公になった芸人と芸人の、いつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったと思ったら、馬鹿な落ヲタが、質屋芝居、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、質屋芝居なんて今時流行んねえんだよ、ボケが。
得意げな顔して何が、質屋芝居、だ。
お前は本当にブソラク好きなのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、自分が古典に造詣深いですと言いたいだけちゃうんかと。
若手会通の俺から言わせてもらえば今、若手会通の間での流行はやっぱり、
花ショー、これだね。
八坂神社に逝って若いのの汗を浴びるくらいがぶりつき。これが通の若手の会の楽しみ方。
京都ってのは地域に芸が密着してるぜ豆腐。これ。
で、さらに祇園コーナーで茂山兄弟が出てないかヲチ。これ最強。
しかしこのやり方だと、2500円払ったのに出演者がそけらの神社の趣味連中である場合
があるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、とりあえず若き獅子たちでも見てなさいってこった。


155 :重要無名文化財:03/01/24 21:59
「文楽を自分で考える」ということの定義の問題なのでしょうが、、、、
「文楽における自分の考え」とは、「自分で考えるタイプの人間」の考えです。このタイプの人間とそうでない人間について以下に考察してみます。

たとえば、他人の考えを振り回して人を批判するだけの批評家タイプの人間と、自分なりによく考えて、自分の考えを自分の言葉で話す人間の違は感覚的にわかりますよね。
なにも決められない、なにも生み出さない人間と、ものごとを前に前進させる人間、いろいろなものを生み出し続ける人間の違いです。
あるいは、すでに終わってしまったものごとに対して、ああすればよかったと言う人間と、これからどうしていくべきかを打ち出す人間の違いです。

誤解されるのを覚悟で、もっとイメージしやすい例えをだすと、、、、たとえば、業界を実質的に動かしている、キーパーソンと呼ばれる人たちは、ほぼ例外なく、
自分で考えて、自分で価値判断し、自分で見極めて、自分でビジョンと方針を打ち出します。
また、業界を動かすとまではいかなくても、単なる下請けでなく、自分のプロジェクトの戦略を打ち出す人間というのは、職種に限らず、それぞれの専門分野で、自分の考えを持って動いています。

一方で、他人の考えを批判ばかりして、具体的な提案や問題解決プランを自分で創り出したり、その採用の可否を価値判断/意思決定しない人間は、 役に立たず、なにも生み出しません。
そういうタイプの人間は、自由経済システムに対し、価値を提供しないので、自由経済システムは、彼らに対して復讐します。つまり、会社は彼らを評価しません。
この復讐の結果、彼らはたいてい下っぱのまま、年をとっていきます。
年収も低く、遠距離通勤を強いられるか、ウサギ小屋のような狭い部屋での暮らししか知らずに生涯を終えます。



156 :重要無名文化財:03/01/24 22:00
かく文楽人形浄瑠璃を考察する結果、そういう境遇に追い詰められた批評家タイプの人間は、金持ちや自由経済的価値観を否定する傾向にあり、
そのうち何%かが、本で読みかじった哲学的知識を振り回して、自由経済的価値観を否定したり相対化したりすることで、反撃します。

しかし、「自分で考える」人間を厚遇し、「自分で考えない」人間を冷遇するという原則において、自由経済の風土と哲学の風土は共通しています。
したがって、そもそも、「自分で考えない」ために社会から否定された人間が、「自分で考える」ことに価値をおく哲学の知識を振り回して、
社会的価値観を否定し返すというのは、根本的な方法論において、自己矛盾に陥っており、単なる逆恨み、自己欺瞞でしかないのではないでしょうか。

真に哲学をやる資格のあるのは、「自分で考える」タイプの人間で、自由経済システムにおいても十分に成功するだけの潜在能力、
分かりやすくいえば、金持ちになろうと思えばなれる能力と気概と謙虚さを持ちながら、あえて哲学する道を選んだ人間だけではないでしょうか。

ましてや、実社会を動かして、自分の未来を切り開くのがしんどいので、文楽人形浄瑠璃に現実逃避しているような人間が哲学をやる場合、その人間は哲学に復讐される運命にあります。
すなわち、文楽人形浄瑠璃の価値観が、その人間を否定しようと、その人間の未来で待ち受けているのです。
もちろん、わたしが文楽人形浄瑠璃というものの本質を理解していないという可能性も十分ありますが、
実社会でのし上がるのと同じくらいしんどい「文楽する」でなければ、「文楽している」と呼ぶに値しないのではないでしょうか?

わたしは間違っているでしょうか? だとしたら、どのように間違っているでしょうか?


157 :重要無名文化財:03/01/24 22:06
はぃはぃ
分かった分かった。
せいぜい糞つまんね公演の後に打ち上げして
つまらん宗教音楽聞いて入れ歯じゃかめねえガッチガチの安いぷく
食ってホテル(Wマソショソ)へフェードアウトしろや。
悔しかったら経団連パーティに集まるくらいの大物パトロン
見つけてみろよ
三文役者が

158 :重要無名文化財:03/01/24 22:08
お前らの打ち上げ代=チケ代だったら
お前らファソからマジやられるぞ。
遊びもこれくらいにしとけよ

159 :重要無名文化財:03/01/24 22:29
文楽の舞台を観ていると、クオリア(感覚質)という言葉はなんとなく新鮮かつ
アカデミックに見える(つまりそういうクオリアがある)けれども、
実際には人形浄瑠璃特有のの「あの」味わい、三味線の音の「あの」感じ、
といった「心的」なものを、物理化学的な現象に還元できるかど
うかという問題ですよね。
たとえばあなたが珈琲を飲むときにある種の快い苦味を感じるとします。
そのとき、脳ではそれに対応するある物理化学的な現象が起こっている
でしょう。たとえば、島津製作所(??)の機械で珈琲の香りの成分分
析をすれば、成分Aがどのくらい、成分Bがどのくらいと、まさに
(測定精度に限界があるだろうとはいえ)定量的に
測定できる。それと「あの感じ」が多かれ少なかれ対応するでしょうが、
後者は前者に還元できない。その科学的な分析結果が珈琲が人に与える
ある「感じ」を「定義」する、と言うとしたらそれは不当でしょう。
珈琲の与える感じとは、苦いけれども「それでいて」快いおいしさに
満ちており、こちらの気分を落ち着かせてくれる、たとえばそんな感じ
であって、物理化学的記述の束には還元できません。
ちなみに、このような「感じ」の記述は「私的言語」ではありません。ウィトの
いったようにそんなものはない。感覚質は多かれ少なかれ言語的に記述できる。
「多かれ少なかれ」とはつまり、完全には記述できないということですが、しかし
それをいうなら一滴の水を物理的に記述することだって完全には実行できない
のではないか。
しかし現象一般を説明するのに、個々の現象の具体的内容は関係無いだろう。
電流が自由電子の陰極から陽極への流れだという説明をするのに、
個々の電子の動きを全て説明する必要は無い。
解剖学的所見が、公的言語への変換の問題と同じだというなら、
医者は自分の病気については、レントゲンそのほかの検査を行わなくても、
全て知ることができることになるが。



160 :重要無名文化財:03/01/24 22:30
さて私の思いますに、クオリアは「私的事象」ではない。
文楽を見て私が素晴らしいと思うその「感じ」は単にprivateなものではない。
現代日本語の標準的な用法として、それは「あなた」の感じる感情ではなく「私」の感じる
感情だと言うのは正しい。正しいがしかし、とても重要な意味でそれは
「私の感情」ではないというべきではないか。その感情は私に帰属するとい
うより、様々な連関の中で世界の中に生じたある出来事なのだと思います。
「素晴らしい!」に対応する身体的過程(ニューロン発火を含むであろう脳内で
の物理的過程、発声のための筋肉の緊張、喜びに伴う血流の変化(多分)
その他もろもろ)が私に帰属するというよりも、世界に中に生じた出来事
だといえるのと同じです。
クオリアは疑似問題というOFWさんの意見はよくわかりませんでした。「ある
ような気がする」だけだとしても、そのような気がするという事実は残る。
気がするというクオリアがあるということである・・・
そう、「還元できない」と「説明できない」は違うからね。
物理的現象として「還元できない」と「説明」されていることは、いくらでもある。
現象総体が個々の物理現象に還元できないことは当たり前であって、
そのことをもって「物理現象で無い原因に由来する」と考えるのは、
発想の飛躍としかいいようが無い。
すべてを物理的に理解できるという考え方は物理的には証明できませんよね。
それは高度に蓋然的な意見であるという以上のことは言えない。「非科学的な」人間が
このような言い方をすると、「科学的な」人はムキになってしまうのですが、そのこと
自体が、実は自分の見解が「信仰」でしかないことを語っていると思います。
ちなみに私はまったくいわゆる無宗教な人間です。



161 :重要無名文化財:03/01/24 22:30
さて、文楽を考えるにあたって、クオリア問題を次のように模式化することが出来ます。
「もし人間がコンピュータだとすると次のような矛盾が生じます。
人間の見るもの・聞くもの等はコンピュータに入力される電気信号だとします。
コンピュータは電気信号を受信し、また発信します――これは人間が外部刺激に対し
反応することに対応します。さて、コンピュータは、感情を持たないわけですが、人間は感情を持ちます。
コンピュータの能力は<反応すること>であり、人間のように「入力信号」に対し感情を持つことは
ない、というわけです。コンピュータと人間とのこうした違いは何か」
クオリアを「赤を赤らしく感じる」という例で説明しています。
これは上の図式にあてはめるならば、「赤というデータを黄や青といった他のデータとは違ったものとして<感情的に>峻別する」
ということになります。わざと<感情的に>というわかりにくい語を使ったわけですが、
こう考えるとクオリア問題が取るに足らないことがわかるでしょう。
クオリア論者に対する反論はみな類似しているように思われます。
これらはすべて、「<感情的に>区別するってなんなんだ」ってことです。
そもそも、問題が生じるのはどうしてか、ってことです。
疑問に思うから問題が生じるのですよ。でも、疑問に思ったことってたいてい擬似問題です。
なぜなら、疑問に思う気持ちは主観だからです。個人の感情なんです。
「メジャーが明るく感じるのはどうしてか」これは確かに不思議ですし、メジャーが明るいことは多くの人が同意する
だけに、なにか人間の心理の客観的な事実を扱っているかのような錯覚に陥ります。
しかし、メジャーが明るく感受されない民族がいる、という有名な反論があります。
すなわち文化的な原因でそうなっているんだってことです。文化っていうとそれはそれは複雑な現象です。
だから文化を扱う研究はけっして分析的ではありえないのです。


162 :重要無名文化財:03/01/24 22:30
文楽が素晴らしい芸術であると認識出来るという事は、意識と呼ばれる
経験的現象、つまり主観性(自己意識)・感情・思考
などを備えた現象に対するもう一つのアプローチとして、これらの機能は
必ずしも脳の構造に対応するばかりでなく、「意識そのものの構造」
が存在するという立場が考えられる。
たとえば論理的思考を可能にしているのは、普遍妥当性をもつ論理の規則
であり、それらが脳の構造に基づいて普遍的であるのかどうかは、
(その可能性は担保すべきだが)、われわれにはわからない。
こういうわれわれの経験に基づく内在的な意識構造の探究が、「心」と
呼ばれる現象の「構造」に対する理解のしかたではないか、というわけだ。
ぼくは経験論の立場から、後者を支持しております。つまり「心=脳の機能」説
は、「心」という現象に固有の構造を無視しているという理由で短絡的だと
考え、科学的な実証研究とは矛盾しないが、これとは異なる経験主義的方法に
よって、心の構造を解明していくべきだと考えます。
ぼく個人の関心はあくまで論理的な思考の構造の解明にあり、自己意識や感情
といった問題はパスなのですが、しかしこうした領域についてこそ、
まだまだ内在的な構造研究がなされる余地はあると思います。
そこをいきなり脳内物質や神経インパルスの客観的構造だけで説明しようと
するのは、木を見て森を見ずでしょうね。
脳にはニューロンのシナプス結合等々の生理学的構造があり、この構造は
外界からの情報処理や運動の統合等々の機能を持っている。これはだれにも
異論のないところ。
ところで問題は、いま述べた脳の構造と機能の関係の一環として、
意識は脳の構造に対応する機能の一つである、という見解が脳生理学者の
一部にかつて(いまでも?)見られたことだ。
このような考え方の問題点は、意識という語が、感覚−運動系の統合機能または
反省機能という意味で理解され、主観性(自己意識)・感情・思考という
意識本来の機能が、脳の構造から説明可能である理由が示されなされなかった
ことにある。


163 :重要無名文化財:03/01/24 22:30
つまり文楽を素晴らしいと考える「心=脳の機能」説の問題点は、
たんに科学的厳密性を欠くということにとどまらず、そもそも科学とさえ呼べないという
ところにあるのではないでしょうか。その理由は簡単で、現在の脳生理学の知識では、脳の機能とは
どのようなものか、ほとんどわからないということです。
にもかかわらず「心=脳の機能」と仮定するのはなぜでしょうか。
脳=中枢という生体の構造上の特徴と、心と呼ばれる現象が私たちの内的経験にとって統合的(中心的)である
ということとのアナロジーによるのではないでしょうか。
こうしたずさんなアナロジーに依拠して、かんたんに心=脳の機能と断定してしまう態度が、
「現在知りえている知識において、最も妥当な説明」とみなされる事態に、私は反対しているのです。
ただし、前のレスにも書いたように、私は脳の構造から心という現象が
演繹できないと断定しているわけではありません。
「心=脳の機能」説には根拠がないことを確認し、その上で心脳問題の
議論を先に進めるべきだと思うのです。脳には脳の構造と機能があり、心には心の構造と機能がある、
と言いたいんだろうね。脳と心の短絡的な関係づけに反対する、という点では同意。
ただ、心の構造と機能という場合、それらが客観的に定義できない
点が、心脳問題の最大の難点だと思う。
脳の何を観れば良いのかが分からないのが手詰りであって、
指摘されてもそれを乗り越える方法論がなければ進まない。
それがあるのかないのか
まず定義(意味を還元)する努力からはじめないといかんのです。
還元した結果、意味の誤差が十分小さければ、その誤差の範囲で、
「実証的」な結果を得られます。
これは物理学も経済学も文化人類学も同じ。
科学とは「実証」の精度の問題でしかなく、
多かれ少なかれ、論理実証的でないと、まともな議論なんてできないですよ。


164 :重要無名文化財:03/01/24 22:31
私の代案は、実証主義を包括する立場としての経験主義に立って、脳の構造と機能を研究するそれこそ厳密に
実証的な研究と、われわれの経験する意識という現象の経験的な記述の両立を認めようということです。
たぶんあたりまえのことを言うなと批判されそうですが、脳の実証研究から意識を演繹しようと
試みる人の多くは、脳の構造と意識という現象の間にアナロジーを
認めただけで両者を結びつけようとする(たぶん)ので、このあたりまえのことがよく理解できていないのではないか、
と私は不安に思うのです。どのような脳の機能が、意識という現象(の一部でかまいません)と一致しているのか、
その脳の機能の具体例をあげてくださいませんか?これはからんでいるんじゃありません。ぼくにはこうした単純な点からして、
「意識=脳機能」論が疑わしいので、その疑いを具体的にはらしてほしいのです。
もちろんせさんからも質問してもらえれば、私の主張の問題点もはっきりするでしょう。
自分の立場がまちがっているのなら、私にはそれをあらためる用意があります。
「こういう感じ」とかいう言語障害の受け答えや「意識があると意識しているから」とかいう同語反復の答えは却下
それはトンデモの常套手段だということを知らないものはいまい。心理実験や精神科医が報告した症例やなんかを総合的に判断して
仮説を立ててるわけだが。あんたの言ってることは20年くらい前からごく普通に理解される考え方だよ。何も新しくない。
誰も一人では扱えない対象なんだから共同でやる必要があって、となると、他分野で常識とされてることを無視した的外れな
批判をされてもポカーンって感じ。

165 :重要無名文化財:03/01/24 22:31
文楽について別の論点でいうと、人形の研究では思想の自由ってことも考えないと、
政治的に悪用されかねないから倫理感も問われるね。生命科学の成果は技術による社会変化ばかりが問題にされるけど、
思想的な影響も全く無視できないのであって、その点に関する批判はむしろ哲学者が脳科学者の主張を精査して積極的に出した
方がいいと思う。脳科学者は倫理に比較的敏感とは思うけど、思想的な影響まで考慮してる人がどれくらいいるかは分からん。
経験的と実証的の区別がいまいち分からないのですが、例えば、心理学(といっても色々あるが)は、立派に「実証」を志向した科学ですよ。
ただ、その精度を上げ難い(誤差を小さくし難い)分野であるだけです。「実証的」であることは、別に物理学に還元できることではありません。
学問の中で最も精度が高いのは物理学で、物理学に還元できそうに見える学問を科学というようですが、
「意識(の一部)」が「自己の心的イメージ」を持つことだとすれば、上の機能のためにあるとして説明できる。
「無意識的行動」というものがあるとされるが、「無意識」ということが、「行動の自覚がない」であるとすると、
「行動計画(プログラム)の検証や修正ができない状態」であるともいえる。これは、「意識」というものが、そうした役目を担っているという説明とあう。
動物も経験学習機能はあるが、過去の体験を反芻して行動の計画を練るということはできない。人間の意識的記憶機能も、このシミュレーション機能のためにあるといえる。
動物の"記憶"は即学習の中に集約され処理されてしまうようである。そういう意味、動物には記憶もないといえる。
予測には何の影響もないだろう。説明については、脳科学の説明が完全にクオリア抜きでできるかどうかによるだろう。説明における問題を提起する意味で、クオリアを持ち出す
のは方法論としては否定できない。





166 :重要無名文化財:03/01/24 22:31
私が問題にしているのは、こうした人形浄瑠璃研究の過程で仮説を立てる際の基本姿勢です。
私の主張は単純で、文楽の生化学的・生理学的研究は、「脳はどのような仕組みをもち、どんな作業をしているか」を解明することであって、
「感情」「思考」「自己意識」などの、私たちが経験的・間主観的に認めている現象とのアナロジーに基づく仮説を立てるべきではなく、
その意味では安易に心理学者や精神科医の報告と自らの実証研究とを関係づけるべきではないということです。
これはもちろん新しい問題でも何でもありませんよ。だって、脳科学の実証的な態度の基礎なんですから。
私が使っている経験主義という語は、観察と実験に基づいて帰納的推論を進める立場、程度に受け取ってください。ですから実証的態度を
そのうちに包括します。なぜ経験主義と実証主義をわざわざ分けるのかと言えば、
実証研究の対象にならない規則的な再現性のない現象、たとえば>>134さんの言う「精神科医の報告する症例」などにも、
脳に関する実証研究とは別個に考察する価値があると考えるからです。心理学や精神医学を持ち出さなくても、たとえば「嫉妬」という
語が意味する心理を、われわれはおおよそ理解できるわけですが、こうした非実証的現象について、われわれ自身の経験から
推論して人間の行動や感情のパターンを考察する余地を認めない理由はないでしょう。
それだけでなく、あえて「意識」という未定義概念を「行動シミュレーション」として分析的に定義しよう
という姿勢に賛成です。しかし、「経験主義」的に、非実証的な面にもあえて踏み込んで言うと、
私たちが「意識」と呼ぶ現象には、「行動シミュレーション」に伴う「自己イメージ」が欠かせない。
生命体が環境の中で自分の生存にとって適切な行動を取るには、むしろこうした「自己イメージ」はよけいなのに、
現にわれわれにはそれがある。この「自己イメージ」を、脳の構造から演繹することはいまのところできていません。ニューラル・ネットワークにフィードバックがあるということは
実証されましたが、そこから「行動シミュレーション」とそれに伴う「自己イメージ」を導くことは、いまのところ
できていない。



167 :重要無名文化財:03/01/24 22:32
一番うさんくさい伝統芸能と思う。
常識ないね、顔だす必然性ないのに
目立ちたいいやらしい心でやっちゃった。
日本の恥じさらし。俺もやめれに大賛成。
精神的グロ趣味!。
文楽やってるやつは代々コンプレックス受け継いでるね。
家族的無意識が続けて伝わっていくんだよ。
関わってくる人にも接していくうち伝わってしまう。
顔出すまでいったら、そういった先人たちの屈折した意識も晒してしまうのだろう。
顔出してやることになるときの気持ち、深層にある抑圧されたどろどろの意識が、
そのひとの表面まで出てきて支配するのだろう。
どいつも目が満足げに腐って、妖しい光が覗いてる。
はっきりいって毒々しいな。顔は隠したほうが全体的に健全になる。
文楽の例えば、足使い見てるととてつもなくへたくそなのには笑ってしまう。
足の長さは一定なのにまるでゴムで出来た足のようにズルズルのびて
ろくろっ首のような動きで足が動く。人形に股関節の仕組みがないことが
原因だろうけど。伝統芸だからすごい技術持ってるんだという変な思いこみして
ありがたがってる連中は気の毒だと思う。
話を元に戻すと、一体の人形に何人もの人間が付いてるのに何で一人だけ
顔を出すのかということである。出すなら全員出せばいいものを。足であろうが手であ
ろうが首であろうがどの動きも大事だろなら全員顔出せ。
出せないところ、そこに特権意識きわまれりのイヤーなものをいつも思う。だから
いっそ、出さないでほしいのだ。


168 :重要無名文化財:03/01/24 22:33
この間も昼過ぎNHKで文楽放送していた。最近なぜか良く目にする。
こないだの休日見たのと違って今日はうじゃうじゃと人形ごとに生顔のオンパレード。
いっぺんに先日の気持ちが冷めてしまった。

外の世間を知ってるのか知らないのか、たぶん狭い世界しかしら無さそうな、他の
芝居も見たことなさそうなボーとした顔の連中が顔出して、ぞろぞろ、うろうろホント
にうっとうしかった。

映画館や芝居小屋やコンサート会場にはスタッフはゲートを自由に出入り出来る。
一般人は許されない。当然タブーである。それは分かる。でもゲートで開場を待ってるとき
客の目の前で当然みたいな顔されスタッフが出たり入ったりすると頭に来る。良くでき
たスタッフは客にそんな思いをさせないよう裏口から出入りし気を客に遣う。

文楽もこれと同じだ。文楽の顔出しは、「俺は当事者だ。顔出して何が悪い、俺は偉いんだ
他の連中は黒頭巾かぶってりゃいいんだよ。なにせ俺は上手なんだから。下積みの時には
顔出したくてうずうずしてたんだ。やっと顔出せるようになったんだ。どうだ見てくれこの俺の
晴れ姿を・・・・  と言わんがばかりの気取り顔。
裏口から出入りする気遣い持とうともしない。

悲しそうなときは俺の顔も悲しそうだろ、怒った芝居の時は俺の顔も怖いだろ。長年やってきた
からこの芸が出来るんだどうだ見てくれ俺の芝居を。たまらなくぞっとするだろ。すごいだろ俺の顔。

お前の顔見に来たんでないよ。こういう人形劇大嫌いだ。
他のこと勉強して気合い入れて出直して来るな。他のことやれ。


169 :重要無名文化財:03/01/24 22:33
昨日、ブソラクの若手の会逝ったんです、若手会。
そしたらなんか国立の発表会みたいに無料だと思ったら、有料っぽいんです。
で、よく調べたらなんか一般一人2千円前後で、チケピでも取り扱いしてるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、何でこんな若いのの発表会に2300円も払わなきゃなんねーんだよ、ボケが。
若手会だよ、若手会。
なんか最後にまたカーテンしてるし。皆でやらせ拍手か。おめでてーな。
よーし次は全国公演だ!とかほざいてんの。もう見てらんない。
お前らな、津軽三味線若手全国大会入場券やるからその席空けろと。
若手会ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
忠臣蔵で主人公と準主人公になった芸人と芸人の、いつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったと思ったら、馬鹿な落ヲタが、質屋芝居、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、質屋芝居なんて今時流行んねえんだよ、ボケが。
得意げな顔して何が、質屋芝居、だ。
お前は本当にブソラク好きなのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、自分が古典に造詣深いですと言いたいだけちゃうんかと。
若手会通の俺から言わせてもらえば今、若手会通の間での流行はやっぱり、
花ショー、これだね。
八坂神社に逝って若いのの汗を浴びるくらいがぶりつき。これが通の若手の会の楽しみ方。
京都ってのは地域に芸が密着してるぜ豆腐。これ。
で、さらに祇園コーナーで茂山兄弟が出てないかヲチ。これ最強。
しかしこのやり方だと、2500円払ったのに出演者がそけらの神社の趣味連中である場合
があるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、とりあえず若き獅子たちでも見てなさいってこった。

170 :重要無名文化財:03/01/24 22:33
昨日、アンティーク着物屋(平たく言うと、古着屋)逝ったんです。着物屋。
そしたらなんかいけてない女どもが小紋の周り占領してるんです。
で、よく見たらなんかいつもブソ楽見に来てるうるせえ女どもなんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、ブソ楽見にいくくらいで、普段着ない着物着てんじゃネエよ、ボケが。
アンティーク着物だよ。アンティーク着物。
なんか男と別れたばっかのやつもいるし。男捨ててまでブソ楽鑑賞か。おめでてーな。
ああ、私はブソ楽ないと生きていかれないとか言ってんの。もう見てらんない。
お前らな、東寺の骨董市逝っていいからその席あけろと。
古着屋ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
クリーニング無しで安く売る店と有りで品数少ない店の、いつ喧嘩が始まっても
おかしくない、 刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと小紋見れたかと思ったら、隣の奴が、色無地、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、色無地なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、色無地、だ。
お前は本当に着物TPO知ってるのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、本当は芸人に着物姿見せたいだけちゃうんかと。
古着物通の俺から言わせてもらえば今、古着物通の間での最新流行はやっぱり、
西村、これだね。
大正ロマン柄なのに生地厚。これが通の古着物の買い方。
西村は柄が個性的なの揃えてる。そん代わり古典柄少ない。これ。
で、それに襦袢も合わせておしゃれ。これ最強。
しかしこれをやると紬大好き伝芸おばちゃんに文句たれられるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、ながもち屋でも逝ってなさいってこった。


171 :重要無名文化財:03/01/24 22:34
昨日、親睦パーティ行ったんです。パーティ。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで食事とれないんです。
で、よく見たらなんか素人のバカ女でいっぱいなんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、月に2、3回チケット取ってるくらいで本来入る権利ないパーティきてんじゃねえよ、ボケが。
親睦パーティだよ。ぱあてぃ。
なんか芸人の愛人とかもいるし。皆で乾杯か。おめでてーな。
よーし次は初日と楽日おさえてね、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、激安ホテルバイキング招待券やるからその席空けろと。
パーティってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
挨拶の主賓来賓の、リボン序列の、いつ喧嘩が始まっても
おかしくない、 刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと食えたかと思ったら、隣の奴が、二次会の場所は、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、素人引き連れて二次会なんぞ今日日流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、二次会、だ。
お前は本当に芸人なのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、本当はぼくちゃんはこんなに素人にもてもての芸人なのよ、と言いたいだけちゃうんかと。
パーティ通の俺から言わせてもらえば今、パーティ通の間での最新流行はやっぱり、
海運クラブ、これだね。
料理はうまいし駅のもろそば。これが通のパーティ会場の発注の仕方。
海運クラブはパーコンついてる。そんかわり料金高め。これ。
で、場所は最上階。これ最強。
しかしこれをやると主催者のお財布が傷むという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、かに道楽で忘年会でもしてなさいってこった。

172 :重要無名文化財:03/01/24 22:34
昨日、着物の雑誌買ったんです、着物雑誌。
そしたらなんか普通の雑誌よりすげえ高くて2000円もするんです。
で、よく見たらなんか「ブソラクの魅力」とか逝って変なババアが対談してやがんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。  
お前らな、対談だからって普段着ない着物着てんじゃねーよ、ボケが。
着物で対談だよ。着物で対談。
なんか相手は玉の末裔だし。その文章でプロかよ。おめでてーな。
よーし次は紬揃えちゃうぞーとか叫んでるの。もう見てらんない。
お前らな、インチキちりめんティッシュケースやるからその席空けろと。
着物対談ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
向かいに座った津川@グランパパとからくさ店主の、いつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったと思ったら、次の馬鹿が、着物で楽屋訪問とか逝ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、着物で楽屋訪問なんて今日日流行んねーんだよ、ボケが。
得意げな顔して何が、着物で楽屋訪問、だ。
お前は本当に着付けられるのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、場末のセット専門美容院で着付けてもらうだけちゃうんかと。
着物好きヲチ通の俺から言わせてもらえば今、着物好きヲチ通の間での流行はやっぱり、
群よう子、これだね。
部屋に入って3分で500万。これが通の着物の買い方。
リーズナブルに普段着揃え。そんかわり訪問着が少ない。これ。
で、さらに収納がダンボール。これ最強。
しかしこのやり方で楽しむと、林真理子をはじめとした、ブランド糞高作家
至上主義の目の敵にされるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、原宿モナコでも逝ってなさいってこった。


173 :重要無名文化財:03/01/24 22:34
昨日、ある女の与謝野晶子研究本読んだんです。与謝野晶子。
そしたらなんか後書きしてる香具師が、彼女と与謝野は似ている、とか書いてるんです。
で、よく見たらなんか作者の名前はMMという人みたいで、芸人と不倫の過去があった人なんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、何で子供11人私学にやらした肝っ玉かあさんと不倫女が似てるんだよ、ボケが。
与謝野晶子だよ。与謝野晶子。
なんか野菜みたいな名前の歌集出してるし。皆で連歌か。おめでてーな。
いつもチケット20枚くらいとってんの。もう見てらんない。
お前らな、屁タレ新聞の家庭欄のスペース4分の1やるからその席空けろと。
歌人ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
隣に座った鉄幹と有島の、いつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったと思ったら、次の奴が、浄瑠璃と対比させ歌を、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、本歌取りなんていまどき流行んねーんだよ、ボケが。
得意げな顔して何が、近松の恋は、だ。
お前は本当に歌人なのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、過去の愛人Nとの関係を歌に残してあてつけしたいだけちゃうんかと。
歌通の俺から言わせてもらえば今、歌通の間での流行はやっぱり、
種田山頭火、これだね。
山頭火の幼少母親自殺体験と放蕩記。これが通の歌の楽しみ方。
山頭火の歌は心に染み入る。しかしこいつは社会不適合人間。
で、わけいってもわけいってもあおいやま。これ最強。
しかしこいつを好きだというと、妻や息子が可愛そうだったと反論されるという
危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、とりあえず正岡子規の横顔でも見てなさいってこった。


174 :重要無名文化財:03/01/24 22:35
昨日、自称作家主催のパーティ行ったんです。パーティ。
そしたらなんか参加に規定があって、やらせ拍手に協力しないと入れないんです。
で、よく見たらなんかアホな公共電波垂れ流し放送局と左寄り新聞の連中がいて、仕切ってるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、やらせ拍手くらいで普段来ない永田町来てんじゃねーよ、ボケが。
やらせ拍手だよ、やらせ拍手。
なんか歌うたいとか年金ジジイもいるし。皆でやらせ拍手か。おめでてーな。
よーし青森や湯布院でもやらせ仕掛けけちゃうぞーとか叫んでるの。もう見てらんない。
お前らな、サッカーのWカップのチケットやるからその席空けろと。
ブソラク鑑賞ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
隣に座った武智と山城の、いつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったと思ったら、次の奴が、後は浄瑠璃を題材に新作を、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、浄瑠璃で新作なんていまどき流行んねーんだよ、ボケが。
得意げな顔して何が、浄瑠璃の新作、だ。
お前は本当に作家なのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、自分は美人で役者の愛人ですって言いたいだけちゃうんかと。
ブソラク鑑賞通の俺から言わせてもらえば今、鑑賞通の間での最新流行はやっぱり、
床そばで1500円観劇、これだね。
床そばで義大夫節チェック。これが通のブソラクの見方。
床ぞばってのは声がダイレクトに伝わってくる。そん代わりお囃子が聞こえない。これ。
で、それにブソラクせんべい。これ最強。
しかしこの見方だと舞台センターがまるっきし見えないという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、プラソタソ銀座のレクチャー講座でも申し込みなさいってこった。


175 :重要無名文化財:03/01/24 22:35
昨日、呉服屋逝ったんです。呉服屋。
そしたらなんかヤラセ拍手の女連中が売り場占領してるんです。
で、よく見たらなんか皆ブサばっかりで、逝き遅れか離婚した女ばっかなんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、いくら男にもてないからって、着物で役者の気を引こうとなんてしてんじゃねーよ、ボケが。
呉服屋だよ。呉服屋。
なんかインチキ紬に騙されてる奴もいるし。印刷マルキか。おめでてーな。
正月に七五三みたいな小紋着てヤンの。もう見てらんない。
お前らな、弘法市逝っていいからその席あけろと。
呉服屋ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
展示会でクーリングオフさせない香具師らと客の、いつ喧嘩が始まっても
おかしくない、 刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったかと思ったら、バカの一人が、着物で食事、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、着物で会食なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、着物で食事、だ。
お前は本当に着物が似合うのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、本当は芸人に着物姿見せたいだけちゃうんかと。
呉服屋通の俺から言わせてもらえば今、呉服屋通の間での最新流行はやっぱり、
着物マン、これだね。
男ばっかの着物店。これが通の呉服屋の利用の仕方。
マンは本人の希望通りの品物探してくれる。そん代わり要予約。これ。
で、それに兵児帯。これ最強。
しかしこれをやると生地代だけでボーナスが吹っ飛ぶという、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、レンタル着物でも借りてなさいってこった。


176 :重要無名文化財:03/01/24 22:35
一番うさんくさい伝統芸能と思う。
常識ないね、顔だす必然性ないのに
目立ちたいいやらしい心でやっちゃった。
日本の恥じさらし。俺もやめれに大賛成。
精神的グロ趣味!。
文楽やってるやつは代々コンプレックス受け継いでるね。
家族的無意識が続けて伝わっていくんだよ。
関わってくる人にも接していくうち伝わってしまう。
顔出すまでいったら、そういった先人たちの屈折した意識も晒してしまうのだろう。
顔出してやることになるときの気持ち、深層にある抑圧されたどろどろの意識が、
そのひとの表面まで出てきて支配するのだろう。
どいつも目が満足げに腐って、妖しい光が覗いてる。
はっきりいって毒々しいな。顔は隠したほうが全体的に健全になる
文楽の例えば、足使い見てるととてつもなくへたくそなのには笑ってしまう。
足の長さは一定なのにまるでゴムで出来た足のようにズルズルのびて
ろくろっ首のような動きで足が動く。人形に股関節の仕組みがないことが
原因だろうけど。伝統芸だからすごい技術持ってるんだという変な思いこみして
ありがたがってる連中は気の毒だと思う。
話を元に戻すと、一体の人形に何人もの人間が付いてるのに何で一人だけ
顔を出すのかということである。
出すなら全員出せばいいものを。足であろうが手であ
ろうが首であろうがどの動きも大事だろなら全員顔出せ。
出せないところ、そこに特権意識きわまれりのイヤーなものをいつも思う。だから
いっそ、出さないでほしいのだ。

177 :重要無名文化財:03/01/24 22:35
負け犬死刑支持論者は、もとより荒らすことしか出来ない。
負け犬死刑支持論者の主張に沿って誤りを懇切丁寧に指摘すると「妄想」呼ばわり。
負け犬死刑支持論者は反論できなくなったのでスレを荒し始める。よって、
彼と対話可能な唯一の形式は、もはや存在しなくただ負け犬死刑支持論者のキチガイ振りを見て楽しむのみ。
まことに馬鹿々々しいが、負け犬死刑支持論者が妄想を垂流すこと禁忌とするのが彼ら負け犬死刑支持論者のルール。
ではとりあえず、ルールをつくるにはどのような方法をとればよいのか、について話しましょうよ
そしてそれに従ってローカルルールをたて、そのルールに従って議論を再開しましょうよ
荒らしに付き合ってはならないというのはわかりますけどね。
ほっとくとこのような連中の荒らしがやまないのは過去ログをみれば明らかなのですよ。気分を害したのであれば、この辺で止めておきます。
教導者に付き合ってはならないというのはわかりますけどね。ほっといても教導者の荒らしがやまないのは過去ログをみれば明らかなのですよ。「この辺で止めておきます」なんて
彼が自分の書き込みを二日以上覚えていたことが過去にありましたか。負け犬死刑支持論者は自分の書き込みすら覚えていないから、その観点でも過去ログを目を通すことを条件とするのは妥当だ。
新たにスレッドを立てて、「負け犬」(笑)を全員隔離すること。「負け犬」以外は、このスレッドで引き続き「論理的な議論」を続ける。「負け犬」は、「隔離スレ」で「主観的な妄想」を続ける。
もちろん、勝者である教導者は「隔離スレ」には立ち入らず、「妄想」に干渉しない。このルールを教導者が順守すれば、棲み分けが出来て、何も問題はないと思われる。
ルールはすでに出ている、荒らしはまともに付き合わないこと。(言ってる教導者が荒らしなのだから無意味だが)
というわけで、別に誰も司会しなくても、教導者が他人の論理的な発言に耳を傾けさえすれば良いだろう。(但し「過去ログにある」と言う場合には、part何のレス何番と
 明記することを条件とする)負け犬教導者は、今までに何回も、ありもしない「事実」をタテに取ってきたのだから、具体的に典拠を示すことを条件とするのは当然だ。

178 :重要無名文化財:03/01/24 22:36
決して意味の無い中傷やオウム返しで勝敗を分かつためではないでしょう
誰もが自由に思想を持つことができるというのはすばらしいことではないでしょうか
例え、それがはたからは愚かに見えたとしても
その愚かさもまた、真理の探究という行動のもとに、自由な討論のもとに
よりよき理論の追求に役立つこともあると思います

主張はただ一つ
中傷をするなら、議論をしましょう
時間と労力の無駄使いであり、何より板に負荷がかかり落ちやすくなります
負け犬死刑支持論者は私の論理的な発言を無視し、
その反面私は如何なる指摘をも反論している。
過去ログから明らか。
負け犬死刑支持論者は、今までに何回も、ありもしない「事実」を
タテに取ってきたのだから、具体的に典拠を示すことを
条件とするのは当然だ。
教導者が必要かどうかは、教導者本人ではなく、そこの住民が決めること。
というわけで、死刑論議があるかぎりどこへでも荒らしに行く教導者は迷惑。
負け犬を教化するといいながら、いまだに一人も教化できていない教導者は
名前の根拠がないのである。
しかし、場を荒らしているのは、
私に論破されたからといって腹いせに荒らしている連中でして、
私は死刑論議に関する主張ならば如何なるものを中傷せず(言葉がもともと汚いので
完全にとはまだいえませんが)
やってきております。
しかし、ここで荒らしに屈してしまうと折角の議論スレが台無しになってしまいます。
私が必要かどうかは衆愚状態の客観的な考察が出来ない
連中が判断してよいものではない。
負け犬を教化して、負け犬死刑支持論者の行動から
焦っているところをみると負け犬死刑支持論者は自らの敗北を
認めている兆候が見られる。


179 :重要無名文化財:03/01/24 22:36
今までに私が負け犬死刑支持論者の事実誤認や論理破綻を指摘し、
その反面負け犬死刑支持論者は、都合の悪い指摘をことごとく無視して反論していない。
過去ログから明らか。
負け犬負け犬死刑支持論者は、今までに何回も、ありもしない「事実」を
タテに取ってきたのだから、具体的に典拠を示すことを
条件とするのは当然だ。
場を荒らしているのは、
みんなに論破されたからといって腹いせに荒らしている教導者でして、
彼は死刑論議のみならずあらゆる議論をぶちこわして回っています。
今までに、教導者に屈して議論スレがいくつ台無しになってしまったでしょうか。

教導者が必要かどうかは、多数決の結果であっても自分に都合悪ければ「衆愚状態だ」と
決めつけたがる駄々っ子が判断してよいものではない。
この程度のオウム返しに対して必死になっているところをみると、負け犬教導者は、
自らの敗北を認めている兆候が見られる。
今までに大勢の人間が教導者の事実誤認や論理破綻を指摘し、
その反面教導者は、都合の悪い指摘をことごとく無視して反論していない。
過去ログにいくらでも例がある。
負け犬教導者は、今までに何回も、ありもしない「事実」を
タテに取り、一方で他人の主張は「妄想」呼ばわりしてきたのだから、
具体的に典拠を示すことを条件とするのは当然だ。
ポパーの『よりよき世界を求めて』の第14章、寛容と知的責任にもあるように
自由な議論はそのままよりよき理論を淘汰し選別する、と思います

他の板では非現実的で効果がないかもしれませんが
哲学板ぐらいは議論におけるルールの押し付けではなく、
自由な議論をできる場でありたいと僕は願っています
そして、これは僕個人の意見ですが、
荒らしに対して最も効果がある行為は、誠実な文章の書き方であると思います

180 :重要無名文化財:03/01/24 22:37
事実の掲載によって教導者に自覚を促し、
過ちを認めさせるいう意図は、無惨にも破綻しました。
まぁ他に彼を説得する方策がない。何故なら、
彼は完全に論破されたから事実とはかけ離れた妄想によって
荒らして議論を妨害するだけですから。
それをまずは自覚させるほかないのですが、それは不可能です。
私は、円滑かつまともな態度で教導者という粘着嵐に対処することは不可能だと
今までの長い長い努力によって思い知りました。
彼が自分を論破した者たちに「負け犬」と延々冠し続けているのは、
自分の敗北を認めたくないという屈折した心理によるものです。
ですから真摯に主張する他の死刑廃止論者が彼と同類と思われないためにも
荒らしには屈せず教導者を駆除すべきという態度がよろしいと判断したものです。
今までに私が負け犬死刑支持論者の事実誤認や論理破綻を指摘し、
その反面負け犬死刑支持論者は、都合の悪い指摘をことごとく無視して反論していない。
過去ログから明らか。
負け犬負け犬死刑支持論者は、今までに何回も、ありもしない「事実」を
タテに取ってきたのだから、具体的に典拠を示すことを
条件とするのは当然だ。
今までに大勢の人間が教導者の事実誤認や論理破綻を指摘してきたし、
その反面教導者は、都合の悪い指摘をことごとく無視して反論していない。
過去ログから明らか。
過去ログという客観的な事実さえも直視する勇気を持てない教導者は、
自らの敗北を直視することもなく、永遠に勝ち誇り続けるであろう。
ついでに言わせて貰えれば、議論を中断させるために中傷をしたり、
自分に都合の悪い意見を封殺するためにオウム返しをするのは、
議論を進める上で非建設的であるばかりではなく、そのような行為を
した側(中傷やオウム返しをされた側ではなく)の知性や常識の程度を
著しく低く見せる行為です。

181 :重要無名文化財:03/01/24 22:37
「文楽を自分で考える」ということの定義の問題なのでしょうが、、、、
「文楽における自分の考え」とは、「自分で考えるタイプの人間」の考えです。このタイプの人間とそうでない人間について以下に考察してみます。

たとえば、他人の考えを振り回して人を批判するだけの批評家タイプの人間と、自分なりによく考えて、自分の考えを自分の言葉で話す人間の違は感覚的にわかりますよね。
なにも決められない、なにも生み出さない人間と、ものごとを前に前進させる人間、いろいろなものを生み出し続ける人間の違いです。
あるいは、すでに終わってしまったものごとに対して、ああすればよかったと言う人間と、これからどうしていくべきかを打ち出す人間の違いです。

誤解されるのを覚悟で、もっとイメージしやすい例えをだすと、、、、たとえば、業界を実質的に動かしている、キーパーソンと呼ばれる人たちは、ほぼ例外なく、
自分で考えて、自分で価値判断し、自分で見極めて、自分でビジョンと方針を打ち出します。
また、業界を動かすとまではいかなくても、単なる下請けでなく、自分のプロジェクトの戦略を打ち出す人間というのは、職種に限らず、それぞれの専門分野で、自分の考えを持って動いています。

一方で、他人の考えを批判ばかりして、具体的な提案や問題解決プランを自分で創り出したり、その採用の可否を価値判断/意思決定しない人間は、 役に立たず、なにも生み出しません。
そういうタイプの人間は、自由経済システムに対し、価値を提供しないので、自由経済システムは、彼らに対して復讐します。つまり、会社は彼らを評価しません。
この復讐の結果、彼らはたいてい下っぱのまま、年をとっていきます。
年収も低く、遠距離通勤を強いられるか、ウサギ小屋のような狭い部屋での暮らししか知らずに生涯を終えます。


182 :重要無名文化財:03/01/24 22:37
かく文楽人形浄瑠璃を考察する結果、そういう境遇に追い詰められた批評家タイプの人間は、金持ちや自由経済的価値観を否定する傾向にあり、
そのうち何%かが、本で読みかじった哲学的知識を振り回して、自由経済的価値観を否定したり相対化したりすることで、反撃します。

しかし、「自分で考える」人間を厚遇し、「自分で考えない」人間を冷遇するという原則において、自由経済の風土と哲学の風土は共通しています。
したがって、そもそも、「自分で考えない」ために社会から否定された人間が、「自分で考える」ことに価値をおく哲学の知識を振り回して、
社会的価値観を否定し返すというのは、根本的な方法論において、自己矛盾に陥っており、単なる逆恨み、自己欺瞞でしかないのではないでしょうか。

真に哲学をやる資格のあるのは、「自分で考える」タイプの人間で、自由経済システムにおいても十分に成功するだけの潜在能力、
分かりやすくいえば、金持ちになろうと思えばなれる能力と気概と謙虚さを持ちながら、あえて哲学する道を選んだ人間だけではないでしょうか。

ましてや、実社会を動かして、自分の未来を切り開くのがしんどいので、文楽人形浄瑠璃に現実逃避しているような人間が哲学をやる場合、その人間は哲学に復讐される運命にあります。
すなわち、文楽人形浄瑠璃の価値観が、その人間を否定しようと、その人間の未来で待ち受けているのです。
もちろん、わたしが文楽人形浄瑠璃というものの本質を理解していないという可能性も十分ありますが、
実社会でのし上がるのと同じくらいしんどい「文楽する」でなければ、「文楽している」と呼ぶに値しないのではないでしょうか?


183 :重要無名文化財:03/01/24 22:38
文楽人形浄瑠璃においてもし、新しい局面がもうないとするのなら、たぶんもう「文楽人形浄瑠璃は終わった」のだと思う。そうすると、わたしたちにできるのは、せいぜい「文楽人形浄瑠璃を学んで実践すること」であって、「文楽人形浄瑠璃すること」ではなくなる。

だとすると、わたしたちが、文楽人形浄瑠璃に疑問や衝動を抱いても、そのすべては、すでに本の中にあるので、その疑問や衝動は、なにも本質的なものは生み出さないということになる。

しかし、ほんとうに「文楽人形浄瑠璃は終わった」のだろうか?
わたしは文楽人形浄瑠璃の本をあまり読んだことがないのでよく知らないのだけど、とくに近現代において、文楽人形浄瑠璃の新しい局面を切り開いてきた人たちの何人かは、どこか、彼らの生きた時代の空気(Zeitgeist)と戦ってきたようなところがあるのではないの?

だから、文楽人形浄瑠璃の新局面を切り開く鍵があるとしたら、それは、わたしたちの生きている、この現代日本の時代の空気の中にあるのじゃないの。

今の日本において、「自分で考える」とは、なんなのか、という疑問を抱いて、その答えを何百年も前のヨーロッパに
生きた人間の書いた本の中を探し回ったとしても、はたして、納得のいく文楽人形浄瑠璃についての答えが得られるだろうか?

今の日本社会で、「自分で考える」ということの最も大切な本質は、時代の空気の中にあるのではないの?

これは、あなた自身が、どこまで「わがまま」になれるかどうか、ということにかかっているのかもしれない。つまり、他人の創り出した
「自分で考える」ということの説教臭い理屈を権威主義的にそのまま受け入れてしまうのではなく、いいやこんなもんでおれは納得しないぞ、
と、理屈とかではなく、自分の体が、ほんとに自然にすっと受け入れられるような、
「自分で考える」というこを今の日本の時代の空気の中から、
つかみだそうとする姿勢。そういう姿勢が、哲学の新局面を切り開く可能性があるんじゃないの。少なくとも、そういう努力をただの一度もしたことのない人間が
文楽人形浄瑠璃を語るのは、哲学という言葉に対する冒涜というものではないかしら。

まぁ、文楽人形浄瑠璃について無知な人間のたんなる思いつきなので、それほど真剣に考えるようなことじゃないのかもしれませんが・

184 :重要無名文化財:03/01/24 22:38
文楽人形浄瑠璃とは
それは、人間が分子からできているから、人間は、物質にすぎない、という議論と同じでは?
たしかに人間は、分子から構成されているけど、
その分子の組み合わせ方が創り出した人間という構造に意味があるのであって、
人間の価値が、酸素分子の多さや炭素分子の多さで決まらないのと同じ。

もちろん、昔は、あたしも、「文楽人形浄瑠璃」とは、単なる邦楽ではないかと考えたことも
ありましたが。。。
たとえば、いちいち細かい指示だしをしなければ、なにも自分で
判断できない部下を持つことって、ありますよね。
そういう部下にドキュメントをつくらせる場合、
細かいことをいちいちきいてくるものだから、時間をとられるのを覚悟で、
細かく細かく指示しますよね。
そうしてできあがってくるドキュメントって、
細部に渡るまで、あたしの精神が忠実に反映されているわけですよ。
一方で、ドキュメントに彼の判断はほとんどはいっていない。
そうすると、そのドキュメントの中身は、たしかに彼が書いたものだけど、
そのドキュメントの精神を創り出した、百個の連続した判断はあたしが
紡ぎだしたものなわけ。
その百個の判断も、じつはあたしは、他のさまざまな情報を見聞きした結果、
総合的に行っているのだけど、ただ単に他のさまざまな情報を集めてくるだけでは、
なにも判断ができない。なにも「構造」が創り出されない。
構造は、結局のところ、あたしの判断を組み合わせた構造が決めてるわけ。
あたしを構成する部品は、あたしの過去の経験集合だとしても、
その過去の経験集合(=部品集合)そのものがあたしではなく、
その部品をどのような構造に組み立ていくかには、
無限のバリエーションがあるわけで、その無限の
バリエーションのなかから、ただひとつをあたしは、
自ら(=ルール構造)の自由意志であたし独自の構造に
組み立て続けているわけですよ。
そこに文楽人形浄瑠璃の難しさが存在しうる。

185 :重要無名文化財:03/01/24 22:38
文楽人形浄瑠璃のもう一つの点は、人間は、本当に義太夫を聞くこともできなければ、
床本を読むこともできなければ、舞台をながめることもできない、
ということ。
人が丸本を読んで理解している、と思い込んでいるとき、
じつは、そのひと(ルール構造)は、
その人のオリジナルの解釈をその本の文面から創りあげているだけで、
じつはその本そのものを理解しているわけではない。
その本そのものを理解するなんて、まったく不可能。

これは、人間を理解する場合も同じ。たとえば、
あたしは、短文御免さんを、こういう人間なんだな、
と文面をみながら理解していくけど、じつは、
それは、あたしが、あたしのオリジナルの短文御免解釈を
創りあげているだけで、あたしが短文御免さんそのものを
理解しているわけではない。

もちろん、これは程度問題と場合によるで、理解しているというのが
適切な場合もあれば、解釈を創り出している、というのが
適切な場合もある。

これは、文楽人形浄瑠璃をみることでも同じ。あたしというルール構造
は、何かを見聞きするたびにあたし独自の新しいルール構造を
つくり続けているわけです。なにしろ、あたしは外からの情報を
取り入れることが一切できず、外からの情報を参考に、
その情報の解釈をあたし自身の内部で創りあげるしかないので。

186 :重要無名文化財:03/01/24 22:38
文楽人形浄瑠璃は客観的な思考ができるだけでは文楽人形浄瑠璃とはいえないのでは?
根拠もないのに信じる人は非哲学的じゃないですかね。
私は根拠ないのに信じてることたくさんあると思う。
だから中途半端に哲学的ですね。
原因のない結果はない、これ哲学の基本ですね。
でもこれじゃ底がない。だから神様登場ってわけです。
数学には底として公理がある。公理が正しくなければそれから演繹したことも
正しくないわけですか? 公理が現実を反映していないとそれから導かれた論理的体系は
現実を反映しないのでしょうか? 非ユークリッド幾何学は現実性あったん
でしたよね。公理は不自然であるように思えたのにもかかわらず。
さらに応用可能な数学である条件としてはもう現実を反映していること
というのはいらないんですよね。人間には創造性があるから。いままでにない、
ものを作ることができるわけだから。だから公理が現実を反映してない、
直感的にいって明らかに間違っているしそれから導いた体系なんてのは
無意味だなんてことはですよ、もう時代遅れな話ですよね。
そのおかしな体系を反映した世界を計算機上に反映できて、
かつそれは有用かもしれないのだし。文楽人形浄瑠璃は自然を反映する必要はないです。
ブール代数はそのいい例ですよね。このブール代数ってのはそれまでに作られた
文楽人形浄瑠璃とは矛盾してませんでしたっけ? 0+0=0、1+0=1
0+1=1、1+1=1 だったような。
つまりは人間には今までになかったものを創りだす創造性があるということ。
その新しいものを応用してまた何か新しいものを創るのに利用することもできるということ。
人間は既成の文楽人形浄瑠璃世界に囚われている必要などないと言うことですね。


187 :重要無名文化財:03/01/24 22:38
文楽人形浄瑠璃は確かに文楽人形浄瑠璃「心」論だけど、その「文楽」とか「浄瑠璃」というのは、
常識的な「物的に対しての心的」ということではない。
心的だから心持ち次第で、物的・感覚的なものが全く制約を受けずに
思い通りになるとかといっているのではない。
そもそも苦というのは「思い通りにならない」ということであり、文楽人形浄瑠璃もその線上。
この基本を間違えると、とんでもない誤解になる。
だから基本的には心理学とかでの対象化(分別)された対象(施設・仮説)としての「心」とは、
全く意味合いが全く違う。中観が全ては空だと述べたのに対して、
文楽人形浄瑠璃は、四諦(四つの真理。「文」とは真理の謂、世間のは誤用。勿論誤用には誤用の理由があるのだが…。
「楽」=一切皆苦、「人形」=苦の原因・構成過程、「浄瑠璃」=苦の滅、
の内の「人形」と「浄瑠璃」を熱心に考察した。
一切は浄瑠璃ならば、文楽でないものを想定し、苦に縛せられているかそれを問題にした。
何故なら文楽の成立過程を厳密に諦めねば、浄瑠璃を対治する道などありえないからだ。
病を治すのに病がどのようなものかを理解せずに病を治すことは不可能なのだ。
というわけで文楽人形浄瑠璃は「対象化」という「事」を問題にする。だから現象学等と比較される。
深層心理学については、U女史が文楽人形浄瑠璃を勉強したことを知ってるぐらいだが、
無意識を立ててそれを分析することによって、意識をよくしようとする=肯定する
(無意識を立てたとはいっても、この発想はいかにも義太夫的だ)のだから、動機の部分が全く違うし、
それだと「諦めない=あきらかに観ない」姿勢の地平内で終始する。
だから、それを受けた文楽人形浄瑠璃とかは「抑圧された感情を解放して、自己実現する自己を構築する」
みたいなことを発想し実践するんだろうが…。たしかに途中が重なっているから、
素人的には同じように見えるが、これだと浄瑠璃的には問題があると思う。
現象学と比すのは良いが、文楽人形浄瑠璃と比すのは問題があると個人的には思う。


188 :重要無名文化財:03/01/24 22:39
一般に「文楽人形浄瑠璃」と呼ばれているのは、厳密には「浄瑠璃」という高度な
修行の境地を指しており、通常の認識一般を説明するものではなかった。
上記の差異は「無境(対象がないこと)」との関係づけで、さらにまった
く意味が違ってきます。加えて、義太夫の解釈では、対象は外部に実在する
ものではなく識に内在的なものとし、認識一般の心のあり方として理解さ
れてしまったのです。すなわち、主体も客体も義太夫によって仮に作
り出されたものにすぎない。ところが、bの文脈(初期説)では、「唯識
無境」という場合に、何らの対象を措定することなしに、識bのみがある
ことで、近松は、これを無相、一切浄瑠璃とも換言している。一切の対
象化を廃して、自己が自己をあるがままに見ているとでも言ったらよいだ
ろうか。この辺は言葉にすると誤解されそうですが、何も対象を持たずに
認識されたもののみがあるということは、認識主体それ自体が無相である
認識されたものと一体となることであり、最初に引用した「二つのものは
存在しない」がまさにこれに相当するのです。ここに無分別智が生ずると
考えます。これを井筒氏の『意識と本質』の表現を借りれば、「…の意識」
としてあるものが、「…」を失うことに他ならず、このような存在の無文
節的真相をそのまま本源的な形で受け入れようとすると、近松の「文楽人形浄瑠璃」体験に至るというのです。しかし、文楽人形浄瑠璃は、このような
境地においても狼狽しないだけの方法が準備されていると断言している。

さて唐突ながら、この境地は、キリスト教神秘主義者エックハルトが説く
「無心の意識」とも重なりを見せることになるし、ヴェーダーンタにおけ
る「無分別三昧」とも合致してくる。さらに言えば、トランスパーソナル
学の理論家であるウィルバーが究極の段階とする「非二元知の様式」の代
表例として、この文楽人形浄瑠璃の概念を紹介していることも理解に役立つと思いま
す。

189 :重要無名文化財:03/01/24 22:39
文楽人形浄瑠璃は去りゆくのみと書いてしまって矛盾していますが、そういう質問には維摩の
ように沈黙していられない質なので、私なりの思いを書かせてください。

まずは理想と現実という問題だと思います。私は僧でもありませんし、仏教
以外も含めて特定の団体には所属したことがありません。伝統芸能には、期
待を持っていません。ただし、真摯に修行をされ、文楽人形浄瑠璃の現状に憂いを
感じているお坊さんもいるとは思います。実際に文楽界に詳しくないので、
推測の域を出ませんが。私がはっきり言えることは、文楽人形浄瑠璃そのものの潜在力
には期待を持っています。そして、現代に即した文楽人形浄瑠璃みたいなものを、
自分のなかでは心に描いています。

以前、仕事でアメリカに滞在していた時に、感じたのですが、カリフォルニ
アだけでも、かなりの文化センターがありました。
聞いてみるとキリスト教徒も多いんですね。宗教というよりは、一種の精神
療法のように捉えられているのかもしれません。しかし、単なる東洋的なも
のへの好奇心などという半端なものではなかったと思います。私自身も、学
生時代から鎌倉に通って禅を組んだり、禅のみならず、色々な身体技法を学
んできました。現在は、もっぱら我流ですが。
文楽人形浄瑠璃の出演者さんが、堕落している云々というだけでは、単なる現状認識に過ぎ
ません。ここへも、唯識哲学を語ろうとあったので、とても希望のようなも
のを感じてやってきたのです。一素人として。


190 :重要無名文化財:03/01/24 22:40
確かに文楽人形浄瑠璃は迷妄の源泉ではあります。無我説は、そういう迷妄につながる
自我への執着の克服を説いているのだと思います。竹本義太夫の最後の語りでは、
「自らを拠り所とし、人形浄瑠璃を拠り所とせよ(自灯明・法灯明)」とも説かれて
います。また、人形浄瑠璃では、われわれの心の本質は光り輝けるものとも説
いています。社会学者のいう自我とはどのような関係になるかは明言できま
せんが、自己の確立を否定するものではないのです。仮に悟ったとしても、
無分別智を得たとしても、自己がなくなるわけではないのです。唯識でも菩
薩の修行階梯である修道位を十地という段階で説明しますが、自己の変容・
深化を目指しています。それは、智慧によって生かされている自己でありま
しょう。

例えば、文楽人形浄瑠璃の最高指導者4世竹本越路大夫は、芸術家という側面も持っ
ていますが、毎日の冥想は欠かさないようですし、絶えず現代的な問題につ
いて発言もし、行動もしています。確かに坐禅だけを強調するつもりはあり
ませんが、それを抜いたら文楽人形浄瑠璃ではなくなるでしょう。例えば、戒律・
禅定・智慧の三学、聞・思・修の三慧ともいいます。聞とは、仏教の教えを
聞くことであり、今日では仏教書を通して学ぶことも含まれるでしょう。思
では、それを根源的に、批判的に思索していく。私の書いていることだって、
すべて受け売りの域は出ませんが、より納得のいくものを求めているつもり
です。そして、やはり修という禅定が挙げられています。文楽人形浄瑠璃における悟りを徹底
して思考する傾向は、確かに現実とかけ離れているようにも見えますが、そ
れでは、なぜ近松は、文楽人形浄瑠璃下での成道の後、四十年近くも作劇し続け
たのでしょうか。

ちなみに、文楽人形浄瑠璃では、論理学を重んじるようですね。偉大な文楽人形浄瑠璃理学者として尊敬もしています。彼らは中観派の立場から
唯識を部分的には批判もしています。しつこいようですが、自証分の文楽人形浄瑠璃
意義を心からお持ちしています。どうぞ、皮相的かつ無知な私をご指導くだ
さい。


191 :重要無名文化財:03/01/24 22:40
文楽人形浄瑠璃における知識の道と存在の道の乖離、また、その乖離の部分的には原因であり、
結果でもある理解の欠如は、一つは人の話している言語に由来する。
この言語は、誤った概念や分類、誤った連想でいっぱいだ。

そして重要なことは、普通の思考法の本質的な特性、つまりその曖昧さと不適切さの為に、
個々の演目は、語り手が好き勝手に出す話題と、その時に彼の中で働いている連想の複雑さに従って、
何千という違った意味を持ちうるということだ。

自分達の言葉がどれほど主観的であるか、つまり、
同じ語を使う時でも一人一人がいかに違うことを言っているかを人々ははっきりと認識していないのだ。
彼らは、他の人の言葉をただ曖昧に理解するかもしくは全く理解せず、また、
自分には未知の言葉を話しているなどとは考えもせず、
それぞれ自分勝手な言葉を話しているということにも気づいていない。

彼らは、自分達は同じ言語を話しており、互いに理解しあっているという強い確信、
あるいは信念を持っている。
実際にはこの確信には何の根拠もない。

彼らの話している言語は、実際の生活の中でだけなら何とか使い物になる。
つまり、実務的な性質の情報であれば彼らは互いに意思疎通ができるのだが、
少しばかり複雑な領域に踏み込んだとたんに道を失い、
気づかない内に互いに文楽人形浄瑠璃を理解することをやめてしまうのだ。


192 :重要無名文化財:03/01/24 22:40
論理実証的認識における文楽人形浄瑠璃と感覚実証的認識による演劇
の概念というものは、デカルト以来、反概念的に考えられてきま
したが、そもそも反概念とする理由は何かということと、
どうして分節させるのか、という問いに帰着します。
前者の問いは、反概念とせず、個別に存する、関連性の無い概念ではないか、と考えるところに
非常に興味を覚えます。研究する余地が残されていそうですね。
また、後者についてですが、論理は人間を介在させず分析に頼り、
感覚はその出発点を人間に求めているわけですから、両者を
主体と客体の二元論的な構造として捉えることは異を挟めないでしょう。
この分節の所以は、主客合一論で説明が可能なのではないかと考察する。
この思想は知る限りでは、文楽人形浄瑠璃の経験論および認識論に記述されていたと記憶しております。
文楽人形浄瑠璃を分化という過程を経てから、片方で論じ、片方で感じるの
ではなく、未分化な状態で直観すべきである。 傾聴すべき示唆なのではないかと思います。
これら二点から、文楽人形浄瑠璃の本質は演劇を含めた世界そのものであると
考察する。感覚価値(感情・信仰)に共同体的恣意性があるのは、
そうしたものが、「文楽人形浄瑠璃」を中心とした愛憎距離の玉葱状の同心円をなす感覚価値世界にあり、
その世界では「文楽人形浄瑠璃」と「演劇」が対称(同格)では無いからなのです。
「文楽人形浄瑠璃」を中心とした感覚感情世界は、「近松」を中心としたものとは、もはや別の世界なのです。
「文楽人形浄瑠璃」即ち「演劇」は、拡大したり縮小したりします。
例えば、文楽人形浄瑠璃が「自己」として振舞います。
そうしたときに、その感覚感情世界の「自己」の内部の他我は解消します。
そこに、善や利他的行為の倫理性の原理があると思われます。

193 :重要無名文化財:03/01/24 22:40
文楽の本質とか本質的とかの言葉を、俺が使ったように使わなければならないという考えは、
本質的でない。例えば、日常生活の中で、内容の核心をつかなければだめだ、という意味で、
「本質的に考えなくてはだめだ」と言うことは、問題ない。「言葉の定義」の話だ。今まで俺が問題にしたのは「事物の定義」の話。

ただ、文楽は、「人形浄瑠璃の定義」の方を求めてないと思う。なぜかというと、
それを求めることは個性を認めないことと同じ事であり、そんな質問に
答えられるかどうかをテストする、と思われるからだ。

文楽が真剣に取り組むべき課題を、いろいろ検討するといい。
検討した結果から、帰納的に人間に共通する特徴を導き、
(言葉の定義の方の)本質とすればいい。
次に、その特徴が克服されるべきか、伸ばされるべきかを論じ、
伸ばされるべきなら、伸ばされるべき点を、素直に(言葉の定義の方の)本質と
結論とし、克服されるべきであるなら、今まで論じた話を含めてやればいい。

実際は前述の通り、両方の面が出てくるはずだから、本質をOFWのように分けて
考えなければ、正確な答えが与えられないことになるはずだ。
もちろん、面倒であれば、言葉の定義の方の枠内でとどめても問題ない。

それだけでも、文楽が真剣に取り組むべき課題を検討する中で現れてくる、
人形浄瑠璃の特徴を丁寧に捉えようとするだけで、きちんとした評価を得られるだろう。


194 :重要無名文化財:03/01/24 22:41
能と文楽人形浄瑠璃は所取(実体措定された主観・客観/物心二元論的領野・遍計的領野)は無く、
虚妄分別(超越論的領野、実体措定“化”・物心ニ元論“化”という“事”)のみが実在。
虚妄分別(依他起)から、実体措定性(能遍計)を除いた状態が円成実。
能と文楽人形浄瑠璃の大きな違いは、この依他起に見分・相分を認めるか否か。
前者は否定し後者は認める。この違いは遠く真如縁起論や如来蔵思想とも絡む。

後者では、見分・相分は、実体措定された主観・客観(「我法の仮設」)と同義ではなく、
我法「として」みなされる当体として似我似法(ノエシス・ノエマ)として、在るとされる。
それは能縁・所縁としてあり相依的であり、能取・所取のように
他を待たない絶対的存在者ではなく相依的(「主観が因で客観が果=物心二元論的観念論」や、
「客観が因で主観が果=物心二元論的唯物論」のように、どちらかを絶対的根拠とし、
他方をその従属物として包摂する、という不毛で形而上学的な“諦めない”思考法を認めない=中道、
それは、刹那をまたいでの因果としての主客/能取・所取ではなく同時的・相依的ということ。)
であり、また無始時来の歴史的な因縁所生とされる。

前者で見分・相分が依他起とされないのは、能取・所取と見分・相分の別があることが、
認められていない故かもしれない。(←違っている可能性あり)
仮に別を認めているにも関わらず、依他起と認めない場合、それは如何なる理由からなのか。
(『根本中頌』や『中遍分別論』に依拠するから、ということなのだろうか。
だがその場合でも、この二書が能取・所取を認めないのは当然にしても、
上述したような相依的な見分・相分を認めないのだろうか。)
あるいは、別は認めていてもノエシス・ノエマとしてではないから依他起ではない、
ということなのかもしれない。前者が見分・相分を依他起と見とめないについては、
御覧の通り不明瞭なので知者の補足を御願いしたい。


195 :重要無名文化財:03/01/24 22:41
文楽人形浄瑠璃においてもし、新しい局面がもうないとするのなら、たぶんもう「文楽人形浄瑠璃は終わった」のだと思う。そうすると、わたしたちにできるのは、せいぜい「文楽人形浄瑠璃を学んで実践すること」であって、「文楽人形浄瑠璃すること」ではなくなる。

だとすると、わたしたちが、文楽人形浄瑠璃に疑問や衝動を抱いても、そのすべては、すでに本の中にあるので、その疑問や衝動は、なにも本質的なものは生み出さないということになる。

しかし、ほんとうに「文楽人形浄瑠璃は終わった」のだろうか?
わたしは文楽人形浄瑠璃の本をあまり読んだことがないのでよく知らないのだけど、とくに近現代において、文楽人形浄瑠璃の新しい局面を切り開いてきた人たちの何人かは、どこか、彼らの生きた時代の空気(Zeitgeist)と戦ってきたようなところがあるのではないの?

だから、文楽人形浄瑠璃の新局面を切り開く鍵があるとしたら、それは、わたしたちの生きている、この現代日本の時代の空気の中にあるのじゃないの。

今の日本において、「自分で考える」とは、なんなのか、という疑問を抱いて、その答えを何百年も前のヨーロッパに
生きた人間の書いた本の中を探し回ったとしても、はたして、納得のいく文楽人形浄瑠璃についての答えが得られるだろうか?

今の日本社会で、「自分で考える」ということの最も大切な本質は、時代の空気の中にあるのではないの?

これは、あなた自身が、どこまで「わがまま」になれるかどうか、ということにかかっているのかもしれない。つまり、他人の創り出した
「自分で考える」ということの説教臭い理屈を権威主義的にそのまま受け入れてしまうのではなく、いいやこんなもんでおれは納得しないぞ、
と、理屈とかではなく、自分の体が、ほんとに自然にすっと受け入れられるような、
「自分で考える」というこを今の日本の時代の空気の中から、
つかみだそうとする姿勢。そういう姿勢が、哲学の新局面を切り開く可能性があるんじゃないの。少なくとも、そういう努力をただの一度もしたことのない人間が
文楽人形浄瑠璃を語るのは、哲学という言葉に対する冒涜というものではないかしら。

まぁ、文楽人形浄瑠璃について無知な人間のたんなる思いつきなので、それほど真剣に考えるようなことじゃないのかもしれませんが・・

196 :重要無名文化財:03/01/24 22:41
文楽人形浄瑠璃の性格
貴方の厳しさと我儘ぶり、冷たさと放縦ぶりは、生半可(なまはんか)なものでは有りません。 周囲の人々の云う事を頭の何処かでは、全て理解しているのですが、
並外れた自己顕示欲の強さや権力指向性、先天的とも云える冷淡さと無神経さ等が、 全ての理解を知らず知らずの間に何処かへ弾き飛ばしてしまい、
結局最後は、お山の大将俺ひとり、と云う事に成ってしまいます。 それは所詮、観客全員が外方(そっぽ)を向いている舞台で、
独りよがりの六方を踏んでいる大根役者と同じ様なもので、 力むだけ草臥(くたびれ)儲けと云う事になるでしょう。

文楽人形浄瑠璃に対して、自分の意志を一方的に押し付けるタイプでしょう。
かなりの自惚れ屋ですから、俺(女の場合には、わたし)程の者が、
これ程思いを懸けているのだから、有難く思え(又は、思いなさい)と云うような按配です。
結婚生活の基盤となるべき、温かい心情が殆ど欠けている上に、
我儘一杯、頑固無類のタイプと来ていますから、相手が余程のイエスマンで
右に向けと云えば右を、左に向けと云えば左を、素直に向くような配偶者で、
しかも強靭な忍耐力の持ち主で無い限り、末永く無事に添い遂げる事は難しいでしょう。

文楽人形浄瑠璃適性
警察官、刑務官、検事、判事、弁護士など治安関係公務員か法律家が最も適職でしょう。
自衛官なども適性があり、極右、極左の政治活動家は最もピッタリです。
性格的に見て、それらを志望する可能性は少ないでしょうけれども、念の為に必ず失敗する職業を列挙しますと、
カウンセラー、宗教家、教師、保母(父)、看護婦(士)秘書、サービス業、接客業などです。

文楽人形浄瑠璃関係
*アドバイス
貴方は一匹狼的要素を数多く持ちながら、所詮一匹狼には成りきれないタイプなのです。
何故ならば、権力指向が滅多矢鱈(めったやたら)に強いため、嫌でも何処かで一度は、
権力に屈服したり、尾を振ったりしなければ、自分が権力を振るえる地位へ辿り着けないからです。
そこの所を良く理解して、もう少し円やかな人格を形成する必要が有るでしょう。



197 :重要無名文化財:03/01/24 22:42
文楽人形浄瑠璃とは
それは、人間が分子からできているから、人間は、物質にすぎない、という議論と同じでは?
たしかに人間は、分子から構成されているけど、その分子の組み合わせ方が創り出した人間という構造に意味があるのであって、
人間の価値が、酸素分子の多さや炭素分子の多さで決まらないのと同じ。
もちろん、昔は、あたしも、「文楽人形浄瑠璃」とは、単なる邦楽ではないかと考えたことも
ありましたが。。。たとえば、いちいち細かい指示だしをしなければ、なにも自分で
判断できない部下を持つことって、ありますよね。
そういう部下にドキュメントをつくらせる場合、
細かいことをいちいちきいてくるものだから、時間をとられるのを覚悟で、
細かく細かく指示しますよね。
そうしてできあがってくるドキュメントって、
細部に渡るまで、あたしの精神が忠実に反映されているわけですよ。
一方で、ドキュメントに彼の判断はほとんどはいっていない。
そうすると、そのドキュメントの中身は、たしかに彼が書いたものだけど、
そのドキュメントの精神を創り出した、百個の連続した判断はあたしが
紡ぎだしたものなわけ。
その百個の判断も、じつはあたしは、他のさまざまな情報を見聞きした結果、
総合的に行っているのだけど、ただ単に他のさまざまな情報を集めてくるだけでは、
なにも判断ができない。なにも「構造」が創り出されない。
構造は、結局のところ、あたしの判断を組み合わせた構造が決めてるわけ。
あたしを構成する部品は、あたしの過去の経験集合だとしても、
その過去の経験集合(=部品集合)そのものがあたしではなく、
その部品をどのような構造に組み立ていくかには、
無限のバリエーションがあるわけで、その無限の
バリエーションのなかから、ただひとつをあたしは、
自ら(=ルール構造)の自由意志であたし独自の構造に
組み立て続けているわけですよ。
そこに文楽人形浄瑠璃の難しさが存在しうる。




198 :重要無名文化財:03/01/24 22:42
文楽人形浄瑠璃のもう一つの点は、人間は、本当に義太夫を聞くこともできなければ、
床本を読むこともできなければ、舞台をながめることもできない、
ということ。
人が丸本を読んで理解している、と思い込んでいるとき、
じつは、そのひと(ルール構造)は、
その人のオリジナルの解釈をその本の文面から創りあげているだけで、
じつはその本そのものを理解しているわけではない。
その本そのものを理解するなんて、まったく不可能。

これは、人間を理解する場合も同じ。たとえば、
あたしは、短文御免さんを、こういう人間なんだな、
と文面をみながら理解していくけど、じつは、
それは、あたしが、あたしのオリジナルの短文御免解釈を
創りあげているだけで、あたしが短文御免さんそのものを
理解しているわけではない。

もちろん、これは程度問題と場合によるで、理解しているというのが
適切な場合もあれば、解釈を創り出している、というのが
適切な場合もある。

これは、文楽人形浄瑠璃をみることでも同じ。あたしというルール構造
は、何かを見聞きするたびにあたし独自の新しいルール構造を
つくり続けているわけです。なにしろ、あたしは外からの情報を
取り入れることが一切できず、外からの情報を参考に、
その情報の解釈をあたし自身の内部で創りあげるしかないので。


199 :重要無名文化財:03/01/24 22:43
文楽人形浄瑠璃は客観的な思考ができるだけでは文楽人形浄瑠璃とはいえないのでは?
根拠もないのに信じる人は非哲学的じゃないですかね。
私は根拠ないのに信じてることたくさんあると思う。
だから中途半端に哲学的ですね。
原因のない結果はない、これ哲学の基本ですね。
でもこれじゃ底がない。だから神様登場ってわけです。
数学には底として公理がある。公理が正しくなければそれから演繹したことも
正しくないわけですか? 公理が現実を反映していないとそれから導かれた論理的体系は
現実を反映しないのでしょうか? 非ユークリッド幾何学は現実性あったん
でしたよね。公理は不自然であるように思えたのにもかかわらず。
さらに応用可能な数学である条件としてはもう現実を反映していること
というのはいらないんですよね。人間には創造性があるから。いままでにない、
ものを作ることができるわけだから。だから公理が現実を反映してない、
直感的にいって明らかに間違っているしそれから導いた体系なんてのは
無意味だなんてことはですよ、もう時代遅れな話ですよね。
そのおかしな体系を反映した世界を計算機上に反映できて、
かつそれは有用かもしれないのだし。文楽人形浄瑠璃は自然を反映する必要はないです。
ブール代数はそのいい例ですよね。このブール代数ってのはそれまでに作られた
文楽人形浄瑠璃とは矛盾してませんでしたっけ? 0+0=0、1+0=1
0+1=1、1+1=1 だったような。
つまりは人間には今までになかったものを創りだす創造性があるということ。
その新しいものを応用してまた何か新しいものを創るのに利用することもできるということ。
人間は既成の文楽人形浄瑠璃世界に囚われている必要などないと言うことですね。


200 :重要無名文化財:03/01/24 22:43
文楽人形浄瑠璃は確かに文楽人形浄瑠璃「心」論だけど、その「文楽」とか「浄瑠璃」というのは、
常識的な「物的に対しての心的」ということではない。
心的だから心持ち次第で、物的・感覚的なものが全く制約を受けずに
思い通りになるとかといっているのではない。
そもそも苦というのは「思い通りにならない」ということであり、文楽人形浄瑠璃もその線上。
この基本を間違えると、とんでもない誤解になる。
だから基本的には心理学とかでの対象化(分別)された対象(施設・仮説)としての「心」とは、
全く意味合いが全く違う。中観が全ては空だと述べたのに対して、
文楽人形浄瑠璃は、四諦(四つの真理。「文」とは真理の謂、世間のは誤用。勿論誤用には誤用の理由があるのだが…。
「楽」=一切皆苦、「人形」=苦の原因・構成過程、「浄瑠璃」=苦の滅、
の内の「人形」と「浄瑠璃」を熱心に考察した。
一切は浄瑠璃ならば、文楽でないものを想定し、苦に縛せられているかそれを問題にした。
何故なら文楽の成立過程を厳密に諦めねば、浄瑠璃を対治する道などありえないからだ。
病を治すのに病がどのようなものかを理解せずに病を治すことは不可能なのだ。
というわけで文楽人形浄瑠璃は「対象化」という「事」を問題にする。だから現象学等と比較される。
深層心理学については、U女史が文楽人形浄瑠璃を勉強したことを知ってるぐらいだが、
無意識を立ててそれを分析することによって、意識をよくしようとする=肯定する
(無意識を立てたとはいっても、この発想はいかにも義太夫的だ)のだから、動機の部分が全く違うし、
それだと「諦めない=あきらかに観ない」姿勢の地平内で終始する。
だから、それを受けた文楽人形浄瑠璃とかは「抑圧された感情を解放して、自己実現する自己を構築する」
みたいなことを発想し実践するんだろうが…。たしかに途中が重なっているから、
素人的には同じように見えるが、これだと浄瑠璃的には問題があると思う。
現象学と比すのは良いが、文楽人形浄瑠璃と比すのは問題があると個人的には思う。


201 :重要無名文化財:03/01/24 22:43
一般に「文楽人形浄瑠璃」と呼ばれているのは、厳密には「浄瑠璃」という高度な
修行の境地を指しており、通常の認識一般を説明するものではなかった。
上記の差異は「無境(対象がないこと)」との関係づけで、さらにまった
く意味が違ってきます。加えて、義太夫の解釈では、対象は外部に実在する
ものではなく識に内在的なものとし、認識一般の心のあり方として理解さ
れてしまったのです。すなわち、主体も客体も義太夫によって仮に作
り出されたものにすぎない。ところが、bの文脈(初期説)では、「唯識
無境」という場合に、何らの対象を措定することなしに、識bのみがある
ことで、近松は、これを無相、一切浄瑠璃とも換言している。一切の対
象化を廃して、自己が自己をあるがままに見ているとでも言ったらよいだ
ろうか。この辺は言葉にすると誤解されそうですが、何も対象を持たずに
認識されたもののみがあるということは、認識主体それ自体が無相である
認識されたものと一体となることであり、最初に引用した「二つのものは
存在しない」がまさにこれに相当するのです。ここに無分別智が生ずると
考えます。これを井筒氏の『意識と本質』の表現を借りれば、「…の意識」
としてあるものが、「…」を失うことに他ならず、このような存在の無文
節的真相をそのまま本源的な形で受け入れようとすると、近松の「文楽人形浄瑠璃」体験に至るというのです。しかし、文楽人形浄瑠璃は、このような
境地においても狼狽しないだけの方法が準備されていると断言している。

さて唐突ながら、この境地は、キリスト教神秘主義者エックハルトが説く
「無心の意識」とも重なりを見せることになるし、ヴェーダーンタにおけ
る「無分別三昧」とも合致してくる。さらに言えば、トランスパーソナル
学の理論家であるウィルバーが究極の段階とする「非二元知の様式」の代
表例として、この文楽人形浄瑠璃の概念を紹介していることも理解に役立つと思いま
す。


202 :重要無名文化財:03/01/24 22:43
文楽人形浄瑠璃は去りゆくのみと書いてしまって矛盾していますが、そういう質問には維摩の
ように沈黙していられない質なので、私なりの思いを書かせてください。

まずは理想と現実という問題だと思います。私は僧でもありませんし、仏教
以外も含めて特定の団体には所属したことがありません。伝統芸能には、期
待を持っていません。ただし、真摯に修行をされ、文楽人形浄瑠璃の現状に憂いを
感じているお坊さんもいるとは思います。実際に文楽界に詳しくないので、
推測の域を出ませんが。私がはっきり言えることは、文楽人形浄瑠璃そのものの潜在力
には期待を持っています。そして、現代に即した文楽人形浄瑠璃みたいなものを、
自分のなかでは心に描いています。

以前、仕事でアメリカに滞在していた時に、感じたのですが、カリフォルニ
アだけでも、かなりの文化センターがありました。
聞いてみるとキリスト教徒も多いんですね。宗教というよりは、一種の精神
療法のように捉えられているのかもしれません。しかし、単なる東洋的なも
のへの好奇心などという半端なものではなかったと思います。私自身も、学
生時代から鎌倉に通って禅を組んだり、禅のみならず、色々な身体技法を学
んできました。現在は、もっぱら我流ですが。
文楽人形浄瑠璃の出演者さんが、堕落している云々というだけでは、単なる現状認識に過ぎ
ません。ここへも、唯識哲学を語ろうとあったので、とても希望のようなも
のを感じてやってきたのです。一素人として。


203 :重要無名文化財:03/01/24 22:43
確かに文楽人形浄瑠璃は迷妄の源泉ではあります。無我説は、そういう迷妄につながる
自我への執着の克服を説いているのだと思います。竹本義太夫の最後の語りでは、
「自らを拠り所とし、人形浄瑠璃を拠り所とせよ(自灯明・法灯明)」とも説かれて
います。また、人形浄瑠璃では、われわれの心の本質は光り輝けるものとも説
いています。社会学者のいう自我とはどのような関係になるかは明言できま
せんが、自己の確立を否定するものではないのです。仮に悟ったとしても、
無分別智を得たとしても、自己がなくなるわけではないのです。唯識でも菩
薩の修行階梯である修道位を十地という段階で説明しますが、自己の変容・
深化を目指しています。それは、智慧によって生かされている自己でありま
しょう。

例えば、文楽人形浄瑠璃の最高指導者4世竹本越路大夫は、芸術家という側面も持っ
ていますが、毎日の冥想は欠かさないようですし、絶えず現代的な問題につ
いて発言もし、行動もしています。確かに坐禅だけを強調するつもりはあり
ませんが、それを抜いたら文楽人形浄瑠璃ではなくなるでしょう。例えば、戒律・
禅定・智慧の三学、聞・思・修の三慧ともいいます。聞とは、仏教の教えを
聞くことであり、今日では仏教書を通して学ぶことも含まれるでしょう。思
では、それを根源的に、批判的に思索していく。私の書いていることだって、
すべて受け売りの域は出ませんが、より納得のいくものを求めているつもり
です。そして、やはり修という禅定が挙げられています。文楽人形浄瑠璃における悟りを徹底
して思考する傾向は、確かに現実とかけ離れているようにも見えますが、そ
れでは、なぜ近松は、文楽人形浄瑠璃下での成道の後、四十年近くも作劇し続け
たのでしょうか。

ちなみに、文楽人形浄瑠璃では、論理学を重んじるようですね。偉大な文楽人形浄瑠璃理学者として尊敬もしています。彼らは中観派の立場から
唯識を部分的には批判もしています。しつこいようですが、自証分の文楽人形浄瑠璃
意義を心からお持ちしています。どうぞ、皮相的かつ無知な私をご指導くだ
さい。


204 :重要無名文化財:03/01/24 22:44
能と文楽人形浄瑠璃は所取(実体措定された主観・客観/物心二元論的領野・遍計的領野)は無く、
虚妄分別(超越論的領野、実体措定“化”・物心ニ元論“化”という“事”)のみが実在。
虚妄分別(依他起)から、実体措定性(能遍計)を除いた状態が円成実。
能と文楽人形浄瑠璃の大きな違いは、この依他起に見分・相分を認めるか否か。
前者は否定し後者は認める。この違いは遠く真如縁起論や如来蔵思想とも絡む。

後者では、見分・相分は、実体措定された主観・客観(「我法の仮設」)と同義ではなく、
我法「として」みなされる当体として似我似法(ノエシス・ノエマ)として、在るとされる。
それは能縁・所縁としてあり相依的であり、能取・所取のように
他を待たない絶対的存在者ではなく相依的(「主観が因で客観が果=物心二元論的観念論」や、
「客観が因で主観が果=物心二元論的唯物論」のように、どちらかを絶対的根拠とし、
他方をその従属物として包摂する、という不毛で形而上学的な“諦めない”思考法を認めない=中道、
それは、刹那をまたいでの因果としての主客/能取・所取ではなく同時的・相依的ということ。)
であり、また無始時来の歴史的な因縁所生とされる。

前者で見分・相分が依他起とされないのは、能取・所取と見分・相分の別があることが、
認められていない故かもしれない。(←違っている可能性あり)
仮に別を認めているにも関わらず、依他起と認めない場合、それは如何なる理由からなのか。
(『根本中頌』や『中遍分別論』に依拠するから、ということなのだろうか。
だがその場合でも、この二書が能取・所取を認めないのは当然にしても、
上述したような相依的な見分・相分を認めないのだろうか。)
あるいは、別は認めていてもノエシス・ノエマとしてではないから依他起ではない、
ということなのかもしれない。前者が見分・相分を依他起と見とめないについては、
御覧の通り不明瞭なので知者の補足を御願いしたい。


205 :重要無名文化財:03/01/24 22:44
論理実証的認識における文楽人形浄瑠璃と感覚実証的認識による演劇
の概念というものは、デカルト以来、反概念的に考えられてきま
したが、そもそも反概念とする理由は何かということと、
どうして分節させるのか、という問いに帰着します。
前者の問いは、反概念とせず、個別に存する、関連性の無い概念ではないか、と考えるところに
非常に興味を覚えます。研究する余地が残されていそうですね。
また、後者についてですが、論理は人間を介在させず分析に頼り、
感覚はその出発点を人間に求めているわけですから、両者を
主体と客体の二元論的な構造として捉えることは異を挟めないでしょう。
この分節の所以は、主客合一論で説明が可能なのではないかと考察する。
この思想は知る限りでは、文楽人形浄瑠璃の経験論および認識論に記述されていたと記憶しております。
文楽人形浄瑠璃を分化という過程を経てから、片方で論じ、片方で感じるの
ではなく、未分化な状態で直観すべきである。 傾聴すべき示唆なのではないかと思います。
これら二点から、文楽人形浄瑠璃の本質は演劇を含めた世界そのものであると
考察する。感覚価値(感情・信仰)に共同体的恣意性があるのは、
そうしたものが、「文楽人形浄瑠璃」を中心とした愛憎距離の玉葱状の同心円をなす感覚価値世界にあり、
その世界では「文楽人形浄瑠璃」と「演劇」が対称(同格)では無いからなのです。
「文楽人形浄瑠璃」を中心とした感覚感情世界は、「近松」を中心としたものとは、もはや別の世界なのです。
「文楽人形浄瑠璃」即ち「演劇」は、拡大したり縮小したりします。
例えば、文楽人形浄瑠璃が「自己」として振舞います。
そうしたときに、その感覚感情世界の「自己」の内部の他我は解消します。
そこに、善や利他的行為の倫理性の原理があると思われます。


206 :重要無名文化財:03/01/24 22:45
文楽人形浄瑠璃における知識の道と存在の道の乖離、また、その乖離の部分的には原因であり、
結果でもある理解の欠如は、一つは人の話している言語に由来する。
この言語は、誤った概念や分類、誤った連想でいっぱいだ。

そして重要なことは、普通の思考法の本質的な特性、つまりその曖昧さと不適切さの為に、
個々の演目は、語り手が好き勝手に出す話題と、その時に彼の中で働いている連想の複雑さに従って、
何千という違った意味を持ちうるということだ。

自分達の言葉がどれほど主観的であるか、つまり、
同じ語を使う時でも一人一人がいかに違うことを言っているかを人々ははっきりと認識していないのだ。
彼らは、他の人の言葉をただ曖昧に理解するかもしくは全く理解せず、また、
自分には未知の言葉を話しているなどとは考えもせず、
それぞれ自分勝手な言葉を話しているということにも気づいていない。

彼らは、自分達は同じ言語を話しており、互いに理解しあっているという強い確信、
あるいは信念を持っている。
実際にはこの確信には何の根拠もない。

彼らの話している言語は、実際の生活の中でだけなら何とか使い物になる。
つまり、実務的な性質の情報であれば彼らは互いに意思疎通ができるのだが、
少しばかり複雑な領域に踏み込んだとたんに道を失い、
気づかない内に互いに文楽人形浄瑠璃を理解することをやめてしまうのだ。


207 :重要無名文化財:03/01/24 22:45
ドタロシはここには二度とくるな
私が鸚鵡返しをするのは、内容を見てもらえれば理解できるように。すべて的確な反論になっているのです。
その反論が都合が悪く反論できないので、私に完全に論破された論客は、
鸚鵡返しだからといって中傷してにげるのです。これは内容が的確な反論になっている鸚鵡返しをされた側の
知性や常識の程度を 著しく低く見せる行為です。
このような常軌を逸した行動が議論の場で許されないのは当然です。
また、過去ログを見れば明らかにわかる内容の質問や、議論の蒸し返しを行うなど効率的な議論を妨害する行動も
議論の場で許されるものでは当然ありません。
そうやって私が客観的な主張を論じても私に論破された論客の共通点は 追証不可能で反論に耐えられない「思いこみ」を
指す出張する点で、このような論者の主張は、まさに「妄想」でしょう。
教導者による鸚鵡返しは、内容を見てもらえれば理解できるように、的確な反論どころか、句読点や
テニヲハさえもおかしく、主語と述語の対応すらしていない、デタラメなコピペでしかありません。
たとえば↓>そうやって私が客観的な主張を論じても
>私に論破された論客の共通点は 追証不可能で反論に耐えられない「思いこみ」を
>指す出張する点で、このような論者の主張は、まさに「妄想」でしょう。
このことは、教導者の日本語作文能力を著しく低くみせるものであるばかりではなく、渠の読解力の低さを露呈するものでもあります。
このような常軌を逸した文章が議論の場で通用しないのは当然です。
また、過去ログを見てもそんな主張は無かったという指摘を無視し、
自分がシカトした質問の蒸し返しを許さないなど、正常な議論を
妨害する行動も許されるものではありません。
いくら皆さんが論理的な主張を行っても、皆さんに論破された教導者は、
追証不可能で反論に耐えられない「思いこみ」を主張し続けるだけなのです。
このような論者の主張は、まさに「妄想」でしょう。


208 :重要無名文化財:03/01/24 22:45
一番うさんくさい伝統芸能と思う。
常識ないね、顔だす必然性ないのに
目立ちたいいやらしい心でやっちゃった。
日本の恥じさらし。俺もやめれに大賛成。
精神的グロ趣味!。
文楽やってるやつは代々コンプレックス受け継いでるね。
家族的無意識が続けて伝わっていくんだよ。
関わってくる人にも接していくうち伝わってしまう。
顔出すまでいったら、そういった先人たちの屈折した意識も晒してしまうのだろう。
顔出してやることになるときの気持ち、深層にある抑圧されたどろどろの意識が、
そのひとの表面まで出てきて支配するのだろう。
どいつも目が満足げに腐って、妖しい光が覗いてる。
はっきりいって毒々しいな。顔は隠したほうが全体的に健全になる
文楽の例えば、足使い見てるととてつもなくへたくそなのには笑ってしまう。
足の長さは一定なのにまるでゴムで出来た足のようにズルズルのびて
ろくろっ首のような動きで足が動く。人形に股関節の仕組みがないことが
原因だろうけど。伝統芸だからすごい技術持ってるんだという変な思いこみして
ありがたがってる連中は気の毒だと思う。
話を元に戻すと、一体の人形に何人もの人間が付いてるのに何で一人だけ
顔を出すのかということである。
出すなら全員出せばいいものを。足であろうが手であ
ろうが首であろうがどの動きも大事だろなら全員顔出せ。
出せないところ、そこに特権意識きわまれりのイヤーなものをいつも思う。だから
いっそ、出さないでほしいのだ。


209 :重要無名文化財:03/01/24 22:46
「文楽を自分で考える」ということの定義の問題なのでしょうが、、、、
「文楽における自分の考え」とは、「自分で考えるタイプの人間」の考えです。このタイプの人間とそうでない人間について以下に考察してみます。

たとえば、他人の考えを振り回して人を批判するだけの批評家タイプの人間と、自分なりによく考えて、自分の考えを自分の言葉で話す人間の違は感覚的にわかりますよね。
なにも決められない、なにも生み出さない人間と、ものごとを前に前進させる人間、いろいろなものを生み出し続ける人間の違いです。
あるいは、すでに終わってしまったものごとに対して、ああすればよかったと言う人間と、これからどうしていくべきかを打ち出す人間の違いです。

誤解されるのを覚悟で、もっとイメージしやすい例えをだすと、、、、たとえば、業界を実質的に動かしている、キーパーソンと呼ばれる人たちは、ほぼ例外なく、
自分で考えて、自分で価値判断し、自分で見極めて、自分でビジョンと方針を打ち出します。
また、業界を動かすとまではいかなくても、単なる下請けでなく、自分のプロジェクトの戦略を打ち出す人間というのは、職種に限らず、それぞれの専門分野で、自分の考えを持って動いています。

一方で、他人の考えを批判ばかりして、具体的な提案や問題解決プランを自分で創り出したり、その採用の可否を価値判断/意思決定しない人間は、 役に立たず、なにも生み出しません。
そういうタイプの人間は、自由経済システムに対し、価値を提供しないので、自由経済システムは、彼らに対して復讐します。つまり、会社は彼らを評価しません。
この復讐の結果、彼らはたいてい下っぱのまま、年をとっていきます。
年収も低く、遠距離通勤を強いられるか、ウサギ小屋のような狭い部屋での暮らししか知らずに生涯を終えます。


210 :重要無名文化財:03/01/24 22:46
かく文楽人形浄瑠璃を考察する結果、そういう境遇に追い詰められた批評家タイプの人間は、金持ちや自由経済的価値観を否定する傾向にあり、
そのうち何%かが、本で読みかじった哲学的知識を振り回して、自由経済的価値観を否定したり相対化したりすることで、反撃します。

しかし、「自分で考える」人間を厚遇し、「自分で考えない」人間を冷遇するという原則において、自由経済の風土と哲学の風土は共通しています。
したがって、そもそも、「自分で考えない」ために社会から否定された人間が、「自分で考える」ことに価値をおく哲学の知識を振り回して、
社会的価値観を否定し返すというのは、根本的な方法論において、自己矛盾に陥っており、単なる逆恨み、自己欺瞞でしかないのではないでしょうか。

真に哲学をやる資格のあるのは、「自分で考える」タイプの人間で、自由経済システムにおいても十分に成功するだけの潜在能力、
分かりやすくいえば、金持ちになろうと思えばなれる能力と気概と謙虚さを持ちながら、あえて哲学する道を選んだ人間だけではないでしょうか。

ましてや、実社会を動かして、自分の未来を切り開くのがしんどいので、文楽人形浄瑠璃に現実逃避しているような人間が哲学をやる場合、その人間は哲学に復讐される運命にあります。
すなわち、文楽人形浄瑠璃の価値観が、その人間を否定しようと、その人間の未来で待ち受けているのです。
もちろん、わたしが文楽人形浄瑠璃というものの本質を理解していないという可能性も十分ありますが、
実社会でのし上がるのと同じくらいしんどい「文楽する」でなければ、「文楽している」と呼ぶに値しないのではないでしょうか?

わたしは間違っているでしょうか? だとしたら、どのように間違っているでしょうか?



211 :重要無名文化財:03/01/24 22:47
文楽人形浄瑠璃においてもし、新しい局面がもうないとするのなら、たぶんもう「文楽人形浄瑠璃は終わった」のだと思う。そうすると、わたしたちにできるのは、せいぜい「文楽人形浄瑠璃を学んで実践すること」であって、「文楽人形浄瑠璃すること」ではなくなる。

だとすると、わたしたちが、文楽人形浄瑠璃に疑問や衝動を抱いても、そのすべては、すでに本の中にあるので、その疑問や衝動は、なにも本質的なものは生み出さないということになる。

しかし、ほんとうに「文楽人形浄瑠璃は終わった」のだろうか?
わたしは文楽人形浄瑠璃の本をあまり読んだことがないのでよく知らないのだけど、とくに近現代において、文楽人形浄瑠璃の新しい局面を切り開いてきた人たちの何人かは、どこか、彼らの生きた時代の空気(Zeitgeist)と戦ってきたようなところがあるのではないの?

だから、文楽人形浄瑠璃の新局面を切り開く鍵があるとしたら、それは、わたしたちの生きている、この現代日本の時代の空気の中にあるのじゃないの。

今の日本において、「自分で考える」とは、なんなのか、という疑問を抱いて、その答えを何百年も前のヨーロッパに
生きた人間の書いた本の中を探し回ったとしても、はたして、納得のいく文楽人形浄瑠璃についての答えが得られるだろうか?

今の日本社会で、「自分で考える」ということの最も大切な本質は、時代の空気の中にあるのではないの?

これは、あなた自身が、どこまで「わがまま」になれるかどうか、ということにかかっているのかもしれない。つまり、他人の創り出した
「自分で考える」ということの説教臭い理屈を権威主義的にそのまま受け入れてしまうのではなく、いいやこんなもんでおれは納得しないぞ、
と、理屈とかではなく、自分の体が、ほんとに自然にすっと受け入れられるような、
「自分で考える」というこを今の日本の時代の空気の中から、
つかみだそうとする姿勢。そういう姿勢が、哲学の新局面を切り開く可能性があるんじゃないの。少なくとも、そういう努力をただの一度もしたことのない人間が
文楽人形浄瑠璃を語るのは、哲学という言葉に対する冒涜というものではないかしら。

まぁ、文楽人形浄瑠璃について無知な人間のたんなる思いつきなので、それほど真剣に考えるようなことじゃないのかもしれませんが・・・


212 :重要無名文化財:03/01/24 22:47
文楽人形浄瑠璃とは
それは、人間が分子からできているから、人間は、物質にすぎない、という議論と同じでは?
たしかに人間は、分子から構成されているけど、その分子の組み合わせ方が創り出した人間という構造に意味があるのであって、
人間の価値が、酸素分子の多さや炭素分子の多さで決まらないのと同じ。

もちろん、昔は、あたしも、「文楽人形浄瑠璃」とは、単なる邦楽ではないかと考えたことも
ありましたが。。。
たとえば、いちいち細かい指示だしをしなければ、なにも自分で判断できない部下を持つことって、ありますよね。
そういう部下にドキュメントをつくらせる場合、細かいことをいちいちきいてくるものだから、時間をとられるのを覚悟で、
細かく細かく指示しますよね。
そうしてできあがってくるドキュメントって、細部に渡るまで、あたしの精神が忠実に反映されているわけですよ。
一方で、ドキュメントに彼の判断はほとんどはいっていない。
そうすると、そのドキュメントの中身は、たしかに彼が書いたものだけど、
そのドキュメントの精神を創り出した、百個の連続した判断はあたしが
紡ぎだしたものなわけ。
その百個の判断も、じつはあたしは、他のさまざまな情報を見聞きした結果、
総合的に行っているのだけど、ただ単に他のさまざまな情報を集めてくるだけでは、
なにも判断ができない。なにも「構造」が創り出されない。
構造は、結局のところ、あたしの判断を組み合わせた構造が決めてるわけ。
あたしを構成する部品は、あたしの過去の経験集合だとしても、
その過去の経験集合(=部品集合)そのものがあたしではなく、
その部品をどのような構造に組み立ていくかには、
無限のバリエーションがあるわけで、その無限の
バリエーションのなかから、ただひとつをあたしは、
自ら(=ルール構造)の自由意志であたし独自の構造に
組み立て続けているわけですよ。
そこに文楽人形浄瑠璃の難しさが存在しうる。



213 :重要無名文化財:03/01/24 22:47
文楽人形浄瑠璃のもう一つの点は、人間は、本当に義太夫を聞くこともできなければ、
床本を読むこともできなければ、舞台をながめることもできない、
ということ。
人が丸本を読んで理解している、と思い込んでいるとき、
じつは、そのひと(ルール構造)は、
その人のオリジナルの解釈をその本の文面から創りあげているだけで、
じつはその本そのものを理解しているわけではない。
その本そのものを理解するなんて、まったく不可能。

これは、人間を理解する場合も同じ。たとえば、
あたしは、短文御免さんを、こういう人間なんだな、
と文面をみながら理解していくけど、じつは、
それは、あたしが、あたしのオリジナルの短文御免解釈を
創りあげているだけで、あたしが短文御免さんそのものを
理解しているわけではない。

もちろん、これは程度問題と場合によるで、理解しているというのが
適切な場合もあれば、解釈を創り出している、というのが
適切な場合もある。

これは、文楽人形浄瑠璃をみることでも同じ。あたしというルール構造
は、何かを見聞きするたびにあたし独自の新しいルール構造を
つくり続けているわけです。なにしろ、あたしは外からの情報を
取り入れることが一切できず、外からの情報を参考に、
その情報の解釈をあたし自身の内部で創りあげるしかないので。


214 :重要無名文化財:03/01/24 22:47
文楽人形浄瑠璃は客観的な思考ができるだけでは文楽人形浄瑠璃とはいえないのでは?
根拠もないのに信じる人は非哲学的じゃないですかね。
私は根拠ないのに信じてることたくさんあると思う。
だから中途半端に哲学的ですね。
原因のない結果はない、これ哲学の基本ですね。
でもこれじゃ底がない。だから神様登場ってわけです。
数学には底として公理がある。公理が正しくなければそれから演繹したことも
正しくないわけですか? 公理が現実を反映していないとそれから導かれた論理的体系は
現実を反映しないのでしょうか? 非ユークリッド幾何学は現実性あったん
でしたよね。公理は不自然であるように思えたのにもかかわらず。
さらに応用可能な数学である条件としてはもう現実を反映していること
というのはいらないんですよね。人間には創造性があるから。いままでにない、
ものを作ることができるわけだから。だから公理が現実を反映してない、
直感的にいって明らかに間違っているしそれから導いた体系なんてのは
無意味だなんてことはですよ、もう時代遅れな話ですよね。
そのおかしな体系を反映した世界を計算機上に反映できて、
かつそれは有用かもしれないのだし。文楽人形浄瑠璃は自然を反映する必要はないです。
ブール代数はそのいい例ですよね。このブール代数ってのはそれまでに作られた
文楽人形浄瑠璃とは矛盾してませんでしたっけ? 0+0=0、1+0=1
0+1=1、1+1=1 だったような。
つまりは人間には今までになかったものを創りだす創造性があるということ。
その新しいものを応用してまた何か新しいものを創るのに利用することもできるということ。
人間は既成の文楽人形浄瑠璃世界に囚われている必要などないと言うことですね。



215 :重要無名文化財:03/01/24 22:47
文楽人形浄瑠璃は確かに文楽人形浄瑠璃「心」論だけど、その「文楽」とか「浄瑠璃」というのは、
常識的な「物的に対しての心的」ということではない。
心的だから心持ち次第で、物的・感覚的なものが全く制約を受けずに
思い通りになるとかといっているのではない。
そもそも苦というのは「思い通りにならない」ということであり、文楽人形浄瑠璃もその線上。
この基本を間違えると、とんでもない誤解になる。
だから基本的には心理学とかでの対象化(分別)された対象(施設・仮説)としての「心」とは、
全く意味合いが全く違う。中観が全ては空だと述べたのに対して、
文楽人形浄瑠璃は、四諦(四つの真理。「文」とは真理の謂、世間のは誤用。勿論誤用には誤用の理由があるのだが…。
「楽」=一切皆苦、「人形」=苦の原因・構成過程、「浄瑠璃」=苦の滅、
の内の「人形」と「浄瑠璃」を熱心に考察した。
一切は浄瑠璃ならば、文楽でないものを想定し、苦に縛せられているかそれを問題にした。
何故なら文楽の成立過程を厳密に諦めねば、浄瑠璃を対治する道などありえないからだ。
病を治すのに病がどのようなものかを理解せずに病を治すことは不可能なのだ。
というわけで文楽人形浄瑠璃は「対象化」という「事」を問題にする。だから現象学等と比較される。
深層心理学については、U女史が文楽人形浄瑠璃を勉強したことを知ってるぐらいだが、
無意識を立ててそれを分析することによって、意識をよくしようとする=肯定する
(無意識を立てたとはいっても、この発想はいかにも義太夫的だ)のだから、動機の部分が全く違うし、
それだと「諦めない=あきらかに観ない」姿勢の地平内で終始する。
だから、それを受けた文楽人形浄瑠璃とかは「抑圧された感情を解放して、自己実現する自己を構築する」
みたいなことを発想し実践するんだろうが…。たしかに途中が重なっているから、
素人的には同じように見えるが、これだと浄瑠璃的には問題があると思う。
現象学と比すのは良いが、文楽人形浄瑠璃と比すのは問題があると個人的には思う。


216 :重要無名文化財:03/01/24 22:48
文楽人形浄瑠璃は去りゆくのみと書いてしまって矛盾していますが、そういう質問には維摩の
ように沈黙していられない質なので、私なりの思いを書かせてください。

まずは理想と現実という問題だと思います。私は僧でもありませんし、仏教
以外も含めて特定の団体には所属したことがありません。伝統芸能には、期
待を持っていません。ただし、真摯に修行をされ、文楽人形浄瑠璃の現状に憂いを
感じているお坊さんもいるとは思います。実際に文楽界に詳しくないので、
推測の域を出ませんが。私がはっきり言えることは、文楽人形浄瑠璃そのものの潜在力
には期待を持っています。そして、現代に即した文楽人形浄瑠璃みたいなものを、
自分のなかでは心に描いています。

以前、仕事でアメリカに滞在していた時に、感じたのですが、カリフォルニ
アだけでも、かなりの文化センターがありました。
聞いてみるとキリスト教徒も多いんですね。宗教というよりは、一種の精神
療法のように捉えられているのかもしれません。しかし、単なる東洋的なも
のへの好奇心などという半端なものではなかったと思います。私自身も、学
生時代から鎌倉に通って禅を組んだり、禅のみならず、色々な身体技法を学
んできました。現在は、もっぱら我流ですが。
文楽人形浄瑠璃の出演者さんが、堕落している云々というだけでは、単なる現状認識に過ぎ
ません。ここへも、唯識哲学を語ろうとあったので、とても希望のようなも
のを感じてやってきたのです。一素人として。



217 :重要無名文化財:03/01/24 22:48
能と文楽人形浄瑠璃は所取(実体措定された主観・客観/物心二元論的領野・遍計的領野)は無く、
虚妄分別(超越論的領野、実体措定“化”・物心ニ元論“化”という“事”)のみが実在。
虚妄分別(依他起)から、実体措定性(能遍計)を除いた状態が円成実。
能と文楽人形浄瑠璃の大きな違いは、この依他起に見分・相分を認めるか否か。
前者は否定し後者は認める。この違いは遠く真如縁起論や如来蔵思想とも絡む。

後者では、見分・相分は、実体措定された主観・客観(「我法の仮設」)と同義ではなく、
我法「として」みなされる当体として似我似法(ノエシス・ノエマ)として、在るとされる。
それは能縁・所縁としてあり相依的であり、能取・所取のように
他を待たない絶対的存在者ではなく相依的(「主観が因で客観が果=物心二元論的観念論」や、
「客観が因で主観が果=物心二元論的唯物論」のように、どちらかを絶対的根拠とし、
他方をその従属物として包摂する、という不毛で形而上学的な“諦めない”思考法を認めない=中道、
それは、刹那をまたいでの因果としての主客/能取・所取ではなく同時的・相依的ということ。)
であり、また無始時来の歴史的な因縁所生とされる。

前者で見分・相分が依他起とされないのは、能取・所取と見分・相分の別があることが、
認められていない故かもしれない。(←違っている可能性あり)
仮に別を認めているにも関わらず、依他起と認めない場合、それは如何なる理由からなのか。
(『根本中頌』や『中遍分別論』に依拠するから、ということなのだろうか。
だがその場合でも、この二書が能取・所取を認めないのは当然にしても、
上述したような相依的な見分・相分を認めないのだろうか。)
あるいは、別は認めていてもノエシス・ノエマとしてではないから依他起ではない、
ということなのかもしれない。前者が見分・相分を依他起と見とめないについては、
御覧の通り不明瞭なので知者の補足を御願いしたい。


218 :重要無名文化財:03/01/24 22:50
文楽の舞台を観ていると、クオリア(感覚質)という言葉はなんとなく新鮮かつ
アカデミックに見える(つまりそういうクオリアがある)けれども、
実際には人形浄瑠璃特有のの「あの」味わい、三味線の音の「あの」感じ、
といった「心的」なものを、物理化学的な現象に還元できるかど
うかという問題ですよね。
たとえばあなたが珈琲を飲むときにある種の快い苦味を感じるとします。
そのとき、脳ではそれに対応するある物理化学的な現象が起こっている
でしょう。たとえば、島津製作所(??)の機械で珈琲の香りの成分分
析をすれば、成分Aがどのくらい、成分Bがどのくらいと、まさに
(測定精度に限界があるだろうとはいえ)定量的に
測定できる。それと「あの感じ」が多かれ少なかれ対応するでしょうが、
後者は前者に還元できない。その科学的な分析結果が珈琲が人に与える
ある「感じ」を「定義」する、と言うとしたらそれは不当でしょう。
珈琲の与える感じとは、苦いけれども「それでいて」快いおいしさに
満ちており、こちらの気分を落ち着かせてくれる、たとえばそんな感じ
であって、物理化学的記述の束には還元できません。
ちなみに、このような「感じ」の記述は「私的言語」ではありません。ウィトの
いったようにそんなものはない。感覚質は多かれ少なかれ言語的に記述できる。
「多かれ少なかれ」とはつまり、完全には記述できないということですが、しかし
それをいうなら一滴の水を物理的に記述することだって完全には実行できない
のではないか。
しかし現象一般を説明するのに、個々の現象の具体的内容は関係無いだろう。
電流が自由電子の陰極から陽極への流れだという説明をするのに、
個々の電子の動きを全て説明する必要は無い。
解剖学的所見が、公的言語への変換の問題と同じだというなら、
医者は自分の病気については、レントゲンそのほかの検査を行わなくても、
全て知ることができることになるが。


219 :重要無名文化財:03/01/24 22:50
さて私の思いますに、クオリアは「私的事象」ではない。
文楽を見て私が素晴らしいと思うその「感じ」は単にprivateなものではない。
現代日本語の標準的な用法として、それは「あなた」の感じる感情ではなく「私」の感じる
感情だと言うのは正しい。正しいがしかし、とても重要な意味でそれは
「私の感情」ではないというべきではないか。その感情は私に帰属するとい
うより、様々な連関の中で世界の中に生じたある出来事なのだと思います。
「素晴らしい!」に対応する身体的過程(ニューロン発火を含むであろう脳内で
の物理的過程、発声のための筋肉の緊張、喜びに伴う血流の変化(多分)
その他もろもろ)が私に帰属するというよりも、世界に中に生じた出来事
だといえるのと同じです。
クオリアは疑似問題というOFWさんの意見はよくわかりませんでした。「ある
ような気がする」だけだとしても、そのような気がするという事実は残る。
気がするというクオリアがあるということである・・・
そう、「還元できない」と「説明できない」は違うからね。
物理的現象として「還元できない」と「説明」されていることは、いくらでもある。
現象総体が個々の物理現象に還元できないことは当たり前であって、
そのことをもって「物理現象で無い原因に由来する」と考えるのは、
発想の飛躍としかいいようが無い。
すべてを物理的に理解できるという考え方は物理的には証明できませんよね。
それは高度に蓋然的な意見であるという以上のことは言えない。「非科学的な」人間が
このような言い方をすると、「科学的な」人はムキになってしまうのですが、そのこと
自体が、実は自分の見解が「信仰」でしかないことを語っていると思います。
ちなみに私はまったくいわゆる無宗教な人間です。


220 :重要無名文化財:03/01/24 22:51
さて、文楽を考えるにあたって、クオリア問題を次のように模式化することが出来ます。
「もし人間がコンピュータだとすると次のような矛盾が生じます。
人間の見るもの・聞くもの等はコンピュータに入力される電気信号だとします。
コンピュータは電気信号を受信し、また発信します――これは人間が外部刺激に対し
反応することに対応します。さて、コンピュータは、感情を持たないわけですが、人間は感情を持ちます。
コンピュータの能力は<反応すること>であり、人間のように「入力信号」に対し感情を持つことは
ない、というわけです。コンピュータと人間とのこうした違いは何か」
クオリアを「赤を赤らしく感じる」という例で説明しています。
これは上の図式にあてはめるならば、「赤というデータを黄や青といった他のデータとは違ったものとして<感情的に>峻別する」
ということになります。わざと<感情的に>というわかりにくい語を使ったわけですが、
こう考えるとクオリア問題が取るに足らないことがわかるでしょう。
クオリア論者に対する反論はみな類似しているように思われます。
これらはすべて、「<感情的に>区別するってなんなんだ」ってことです。
そもそも、問題が生じるのはどうしてか、ってことです。
疑問に思うから問題が生じるのですよ。でも、疑問に思ったことってたいてい擬似問題です。
なぜなら、疑問に思う気持ちは主観だからです。個人の感情なんです。
「メジャーが明るく感じるのはどうしてか」これは確かに不思議ですし、メジャーが明るいことは多くの人が同意する
だけに、なにか人間の心理の客観的な事実を扱っているかのような錯覚に陥ります。
しかし、メジャーが明るく感受されない民族がいる、という有名な反論があります。
すなわち文化的な原因でそうなっているんだってことです。文化っていうとそれはそれは複雑な現象です。
だから文化を扱う研究はけっして分析的ではありえないのです。



221 :重要無名文化財:03/01/24 22:51
文楽が素晴らしい芸術であると認識出来るという事は、意識と呼ばれる
経験的現象、つまり主観性(自己意識)・感情・思考
などを備えた現象に対するもう一つのアプローチとして、これらの機能は
必ずしも脳の構造に対応するばかりでなく、「意識そのものの構造」
が存在するという立場が考えられる。
たとえば論理的思考を可能にしているのは、普遍妥当性をもつ論理の規則
であり、それらが脳の構造に基づいて普遍的であるのかどうかは、
(その可能性は担保すべきだが)、われわれにはわからない。
こういうわれわれの経験に基づく内在的な意識構造の探究が、「心」と
呼ばれる現象の「構造」に対する理解のしかたではないか、というわけだ。
ぼくは経験論の立場から、後者を支持しております。つまり「心=脳の機能」説
は、「心」という現象に固有の構造を無視しているという理由で短絡的だと
考え、科学的な実証研究とは矛盾しないが、これとは異なる経験主義的方法に
よって、心の構造を解明していくべきだと考えます。
ぼく個人の関心はあくまで論理的な思考の構造の解明にあり、自己意識や感情
といった問題はパスなのですが、しかしこうした領域についてこそ、
まだまだ内在的な構造研究がなされる余地はあると思います。
そこをいきなり脳内物質や神経インパルスの客観的構造だけで説明しようと
するのは、木を見て森を見ずでしょうね。
脳にはニューロンのシナプス結合等々の生理学的構造があり、この構造は
外界からの情報処理や運動の統合等々の機能を持っている。これはだれにも
異論のないところ。
ところで問題は、いま述べた脳の構造と機能の関係の一環として、
意識は脳の構造に対応する機能の一つである、という見解が脳生理学者の
一部にかつて(いまでも?)見られたことだ。
このような考え方の問題点は、意識という語が、感覚−運動系の統合機能または
反省機能という意味で理解され、主観性(自己意識)・感情・思考という
意識本来の機能が、脳の構造から説明可能である理由が示されなされなかった
ことにある。


222 :重要無名文化財:03/01/24 22:51
つまり文楽を素晴らしいと考える「心=脳の機能」説の問題点は、
たんに科学的厳密性を欠くということにとどまらず、そもそも科学とさえ呼べないという
ところにあるのではないでしょうか。その理由は簡単で、現在の脳生理学の知識では、脳の機能とは
どのようなものか、ほとんどわからないということです。
にもかかわらず「心=脳の機能」と仮定するのはなぜでしょうか。
脳=中枢という生体の構造上の特徴と、心と呼ばれる現象が私たちの内的経験にとって統合的(中心的)である
ということとのアナロジーによるのではないでしょうか。
こうしたずさんなアナロジーに依拠して、かんたんに心=脳の機能と断定してしまう態度が、
「現在知りえている知識において、最も妥当な説明」とみなされる事態に、私は反対しているのです。
ただし、前のレスにも書いたように、私は脳の構造から心という現象が
演繹できないと断定しているわけではありません。
「心=脳の機能」説には根拠がないことを確認し、その上で心脳問題の
議論を先に進めるべきだと思うのです。脳には脳の構造と機能があり、心には心の構造と機能がある、
と言いたいんだろうね。脳と心の短絡的な関係づけに反対する、という点では同意。
ただ、心の構造と機能という場合、それらが客観的に定義できない
点が、心脳問題の最大の難点だと思う。
脳の何を観れば良いのかが分からないのが手詰りであって、
指摘されてもそれを乗り越える方法論がなければ進まない。
それがあるのかないのか
まず定義(意味を還元)する努力からはじめないといかんのです。
還元した結果、意味の誤差が十分小さければ、その誤差の範囲で、
「実証的」な結果を得られます。
これは物理学も経済学も文化人類学も同じ。
科学とは「実証」の精度の問題でしかなく、
多かれ少なかれ、論理実証的でないと、まともな議論なんてできないですよ。


223 :重要無名文化財:03/01/24 22:51
私の代案は、実証主義を包括する立場としての経験主義に立って、脳の構造と機能を研究するそれこそ厳密に
実証的な研究と、われわれの経験する意識という現象の経験的な記述の両立を認めようということです。
たぶんあたりまえのことを言うなと批判されそうですが、脳の実証研究から意識を演繹しようと
試みる人の多くは、脳の構造と意識という現象の間にアナロジーを
認めただけで両者を結びつけようとする(たぶん)ので、このあたりまえのことがよく理解できていないのではないか、
と私は不安に思うのです。どのような脳の機能が、意識という現象(の一部でかまいません)と一致しているのか、
その脳の機能の具体例をあげてくださいませんか?これはからんでいるんじゃありません。ぼくにはこうした単純な点からして、
「意識=脳機能」論が疑わしいので、その疑いを具体的にはらしてほしいのです。
もちろんせさんからも質問してもらえれば、私の主張の問題点もはっきりするでしょう。
自分の立場がまちがっているのなら、私にはそれをあらためる用意があります。
「こういう感じ」とかいう言語障害の受け答えや「意識があると意識しているから」とかいう同語反復の答えは却下
それはトンデモの常套手段だということを知らないものはいまい。心理実験や精神科医が報告した症例やなんかを総合的に判断して
仮説を立ててるわけだが。あんたの言ってることは20年くらい前からごく普通に理解される考え方だよ。何も新しくない。
誰も一人では扱えない対象なんだから共同でやる必要があって、となると、他分野で常識とされてることを無視した的外れな
批判をされてもポカーンって感じ。


224 :重要無名文化財:03/01/24 22:52
文楽について別の論点でいうと、人形の研究では思想の自由ってことも考えないと、
政治的に悪用されかねないから倫理感も問われるね。生命科学の成果は技術による社会変化ばかりが問題にされるけど、
思想的な影響も全く無視できないのであって、その点に関する批判はむしろ哲学者が脳科学者の主張を精査して積極的に出した
方がいいと思う。脳科学者は倫理に比較的敏感とは思うけど、思想的な影響まで考慮してる人がどれくらいいるかは分からん。
経験的と実証的の区別がいまいち分からないのですが、例えば、心理学(といっても色々あるが)は、立派に「実証」を志向した科学ですよ。
ただ、その精度を上げ難い(誤差を小さくし難い)分野であるだけです。「実証的」であることは、別に物理学に還元できることではありません。
学問の中で最も精度が高いのは物理学で、物理学に還元できそうに見える学問を科学というようですが、
「意識(の一部)」が「自己の心的イメージ」を持つことだとすれば、上の機能のためにあるとして説明できる。
「無意識的行動」というものがあるとされるが、「無意識」ということが、「行動の自覚がない」であるとすると、
「行動計画(プログラム)の検証や修正ができない状態」であるともいえる。これは、「意識」というものが、そうした役目を担っているという説明とあう。
動物も経験学習機能はあるが、過去の体験を反芻して行動の計画を練るということはできない。人間の意識的記憶機能も、このシミュレーション機能のためにあるといえる。
動物の"記憶"は即学習の中に集約され処理されてしまうようである。そういう意味、動物には記憶もないといえる。
予測には何の影響もないだろう。説明については、脳科学の説明が完全にクオリア抜きでできるかどうかによるだろう。説明における問題を提起する意味で、クオリアを持ち出す
のは方法論としては否定できない。


225 :重要無名文化財:03/01/24 22:52
私が問題にしているのは、こうした人形浄瑠璃研究の過程で仮説を立てる際の基本姿勢です。
私の主張は単純で、文楽の生化学的・生理学的研究は、「脳はどのような仕組みをもち、どんな作業をしているか」を解明することであって、
「感情」「思考」「自己意識」などの、私たちが経験的・間主観的に認めている現象とのアナロジーに基づく仮説を立てるべきではなく、
その意味では安易に心理学者や精神科医の報告と自らの実証研究とを関係づけるべきではないということです。
これはもちろん新しい問題でも何でもありませんよ。だって、脳科学の実証的な態度の基礎なんですから。
私が使っている経験主義という語は、観察と実験に基づいて帰納的推論を進める立場、程度に受け取ってください。ですから実証的態度を
そのうちに包括します。なぜ経験主義と実証主義をわざわざ分けるのかと言えば、
実証研究の対象にならない規則的な再現性のない現象、たとえば>>134さんの言う「精神科医の報告する症例」などにも、
脳に関する実証研究とは別個に考察する価値があると考えるからです。心理学や精神医学を持ち出さなくても、たとえば「嫉妬」という
語が意味する心理を、われわれはおおよそ理解できるわけですが、こうした非実証的現象について、われわれ自身の経験から
推論して人間の行動や感情のパターンを考察する余地を認めない理由はないでしょう。
それだけでなく、あえて「意識」という未定義概念を「行動シミュレーション」として分析的に定義しよう
という姿勢に賛成です。しかし、「経験主義」的に、非実証的な面にもあえて踏み込んで言うと、
私たちが「意識」と呼ぶ現象には、「行動シミュレーション」に伴う「自己イメージ」が欠かせない。
生命体が環境の中で自分の生存にとって適切な行動を取るには、むしろこうした「自己イメージ」はよけいなのに、
現にわれわれにはそれがある。この「自己イメージ」を、脳の構造から演繹することはいまのところできていません。ニューラル・ネットワークにフィードバックがあるということは
実証されましたが、そこから「行動シミュレーション」とそれに伴う「自己イメージ」を導くことは、いまのところ
できていない。



226 :重要無名文化財:03/01/25 06:48
128 :重要無名文化財 :03/01/24 21:52
本名ネタ来るの怖いからって
ハリコしてんなや
インチキ法律家はっくさんよ
今度は大原町にでも住んだらどうですか?
お仲間が多くて楽しいわよ(プ

133 :重要無名文化財 :03/01/24 21:53
そうだそうだ
カーテンも見守っとけや

138 :重要無名文化財 :03/01/24 21:55
ふぐ屋チェックもな
けけけ


227 :重要無名文化財:03/01/25 06:50
>>226

ってどういう事かしらん?

228 :重要無名文化財:03/01/25 23:19
皆の衆! とりあえずここ行っとけや!
http://hobby2.2ch.net/test/read.cgi/rakugo/1041607357/l50

229 :重要無名文化財:03/01/26 02:42
128 :重要無名文化財 :03/01/24 21:52
本名ネタ来るの怖いからって
ハリコしてんなや
インチキ法律家はっくさんよ
今度は大原町にでも住んだらどうですか?
お仲間が多くて楽しいわよ(プ

インチキ法律家はっくさん
っていったい誰?

230 :重要無名文化財:03/01/26 02:42
133 :重要無名文化財 :03/01/24 21:53
そうだそうだ
カーテンも見守っとけや

っていったいどういう意味?

231 :重要無名文化財:03/01/26 02:44
138 :重要無名文化財 :03/01/24 21:55
ふぐ屋チェックもな
けけけ

って ふぐ屋で誰が逢引してたわけ?

232 :重要無名文化財:03/01/26 09:04
みーんなでっちage             

233 :重要無名文化財:03/01/26 16:34
>>1
何だよこのスレ
馬鹿がまたおっ立てやがったな

234 :重要無名文化財:03/01/26 16:35
【逢引ホテルは】アンチ文楽【ワシソトソ】
お題目もお笑いだな
1や 気ぃつけろや 身の回りにな

235 :重要無名文化財:03/01/26 20:08
>>1
てめえよくこんな馬鹿な駄スレおっ立てたもんだな
文楽のブの字も知らねえから出来るこったな

236 :重要無名文化財:03/01/26 20:09
The high caliber of English on business means the ablity
to speak English on a daily conversation level to the full,
not being well-versed in the business terms or
having the experience and the knowledge on business.
When you are talking with your friends and if you don't know
a word, you can ask "What does it mean?" and get the meaning
of the word so that keep conversation going.
In business, however, you don't have a moment to do that.
I mean, there are few peope who graduated from Kansai Gaidai
University and who have good command of English covering
business category as well as a daily situation.
We call this sort of fancy picture an Ideal; and the policy of forcing individuals to an act
on the assumption that all ideals are real, and to recognize and accept such
action as standard moral conduct, absolutely valid under all circumstances,
contrary conduct or any advocacy of it being discountenanced and punished
as immoral, may therefore be described as the policy of Idealism.
Get a regular deck of cards (BICYCLE IS BEST) and shuffle it. Then have
a spector choose and card he/she wants. While he/she is doing this
FINGER BREAK the top two cards of the deck. Then take the card and slip
it in between the little gap you left it adds an extra depth to it, to
make it look like you put it in the middle of the deck. Then do a
DOUBLE LIFT of the top two cards and flip them over. It then shows
their card on top. Flip it back over and do once again the DOUBLE LIFT
and slip the supposed card in the middle really not in between the cards.
The real signed card is already on top.


237 :重要無名文化財:03/01/26 20:10
There are many reasons for returning to study: to get a qualification, improve your knowledge and skills, change direction, further your career or simply for enjoyment.
Goldsmiths offers full-time and part-time courses at a range of levels. Full-time undergraduate
degrees generally take about 30 hours per week for three to four years. Part-time degrees
take less time per week but are spread over a greater number of years; the number of hours varies between subjects. Access courses,
certificates and foundation courses need less time per week.
The amount of time you spend in the classroom depends on your subject. Most of your time will be spent studying, in the library or in studios so there is some room for flexibility.
You don't necessarily need A-levels to study at Goldsmiths. We offer courses at a range of levels including undergraduate
and postgraduate degrees, certificates, Access and foundation courses.
You can join a certificate, Access or foundation course with few formal qualifications. If you complete the programmes
at the right level, you can apply to do a degree at Goldsmiths or another university.
Undergraduate degrees require A-levels, an Access course or equivalent qualifications or experience. You may have
life or work experience which is relevant to your studies which can be taken into account when you apply.
Goldsmiths offers courses in a wide range of subjects. Contact the admissions tutor for the course
if you have further questions; you'll find their name in the course description in the Undergraduate
Prospectus (or online under the various programme descriptions), or talk to staff at our Open Day in June. If you are uncertain
about the qualifications you need for your chosen career, visit your local


238 :重要無名文化財:03/01/26 20:10
New Cross station: turn right out of the station, and right again into New Cross Road. For the Main Building,
cross New Cross Road at the pedestrian crossing into Amersham Road, keeping on the right hand side.
Follow the road round to the right into Parkfield Road. The Main Building is straight ahead, at the junction
of Parkfield Road and Lewisham Way. For Deptford Town Hall Building, keep straight ahead on New Cross Road.
Deptford Town Hall Building is on the left hand side after about five minutes' walk.
New Cross Gate: turn left and cross the road at the pedestrian lights.
Deptford Town Hall Building is just to the left of you; for the Main Building,
turn left and follow New Cross Road, past Laurie Grove onto Lewisham Way,
and past the Rutherford Information Services Building, and Dixon Road.
The Main Building is on the right immediately after this.
From Heathrow Airport (LHR): Piccadilly Underground Line to Central London,
change at Green Park onto the Jubilee Line to Canada Water,
then the East London Line to New Cross or New Cross Gate
From Stansted Airport (STN): train to Liverpool Street,
then by Hammersmith and City Underground Line to Whitechapel.
Change onto East London Underground Line to New Cross or New Cross Gate.
From City Airport (LCY): the airport is five miles from Goldsmiths.
Take the shuttle bus to Canning Town. Catch a Jubilee Line tube westbound to Canada Water,
then the East London Line to New Cross or New Cross Gate.
From Luton Airport (LTN): shuttle buses connect
the airport to Luton station, from where you catch the
hameslink to London Bridge, then travel to New Cross or New Cross Gate stations.
From Gatwick Airport (LGW): train from the station in the airport to
East Croydon station. Change there and take the first train to New Cross Gate.
he journey time is about one hour.


239 :重要無名文化財:03/01/26 20:11
Major delays on A2 at New Cross Gate March 2001 - May 2003 (estimated finish date).
On the A2 by New Cross Gate Station, Railtrack is currently strengthening
the road bridge and there are lane restrictions resulting in severe disruption
to traffic on all approach roads - especially at peak times, but also throughout weekends.
We advise you to travel on public transport by rail or underground to either
New Cross or New Cross Gate Stations, whenever possible.
Alternatively, park in adjacent streets and walk to Goldsmiths. T
he main streets are on a red route and it is not possible to park at any time.
Please park considerately and be aware of local restrictions in force.
If you have mobility difficulties, please contact the person at
Goldsmiths who you are meeting, for advice.
A major section of the A2 (Blackheath Hill) has been closed in
both directions near its junction with the A2211 (Greenwich South Street
and Lewisham Road) following subsidence. It is likely to remain closed
until mid-June 2002 at least.The closure has meant that all traffic including
some bus routes has been diverted, resulting in heavy traffic and delays
along the diversion routes, in Greenwich and Lewisham town centres,
in Blackheath Village and on local roads.London Buses have also re-scheduled
certain routes including the 53 - Plumstead/Oxford Circus, which travels via New Cross.
For further informtion please call Transport for London on 020 7941 7335
for details on road works and traffic diversions.



240 :重要無名文化財:03/01/26 20:11
Noh developed into its present form during the 14th and 15th centuries under the leadership
of the distinguished performer -playwrights Kannami and his son Zeami. Zeami, in particular,
wrote numerous plays which are still performed in today's classical reper-tory of some 250 plays.
He also wrote a number of secret works which explain
the aesthetic principles governing Noh and give details on how the art should
be composed, acted, directed, taught, and produced.
Noh flourished during Zeami's time under the patronage
of the mili-tary shogun Ashikaga Yoshimitsu. Later during the Edo period (1603-1868),
Noh became the officialperformance art of the military government.
Feudal military lords throughout the country supported their
own troupes and many studied and performed the art themselves.
With the societal reforms of the Meiji period (1868-1912),
Noh lost its govern mental patronage and was leftto fend for itself. a
lthough it nearly died out, enough performers regrouped, found private spon-sors,
and began teaching the art to amateurs so that i
t slowly began to flourish again. Today, like many classical performance
forms throughout the world, Noh cannotbe described as a popular art
among the Japanese people as a whole. Yet its supporters are enthusiastic
and its professional per-formers are highly trained and extremely
busy performing and teaching throughout the country.
There are today approximately 1,500 professional performers who make their living


241 :重要無名文化財:03/01/26 20:11
Instrumentalists known as hayashi sit at the back of the stage.
They consist of a transverse flute (nohkan), an hourglass-shaped
drum held at the shoulder (kotsuzumi), a slightly larger hourglass-shaped
drum placed on the lap (okawa or otsuzumi), and a barrel-shaped drum
placed on a small floor stand and played with two sticks (taiko).
The rhythms and melody of these instruments follow highly prescribed systems.
One particularly unique feature is the use of drum calls (kakegoe),
the shouts or cries of the drummers which serve as signals between
the drummers as well as between the drummers and singers.
These drum calls also add an important element to the sound texture of the performance.
A performance of Noh is not a performance of realistic theatre. Rather,
its movement is highly stylized and prescribed. While some gestures have specific meaning,
others serve as an abstract aesthetic expression to convey the emotions of the main character.
All of Noh can be described as dance. Sometimes there is very little movement
as dramatic tension is built mainly through narration. At other times there is strong,
vigorous movement. Movement takes place sometimes to the singing of the chorus
or sometimes to purely instrumental music. In general, deliberateness, brevity,
suppression and abstraction are important features of Noh movement.


242 :重要無名文化財:03/01/26 20:11
Makeup is not used in Noh. Rather, delicately carved masks are usually used by the shite main
character and/or the tsure attend-ant. These masks are considered objects of superb beauty
as well as powerful means of expression. Any character being portrayed which is not a middle
aged man living in the present will wear a mask. There-fore all characters portraying women
and old men wear masks as well as supernatural beings such as ghosts, deities, demons, and divine beasts.
In general, masks either have a more or less neutral express-ion or portray a very strong emotion.
The former in fact allows the mask a variety of expression with the play of light and shadow on it
as the actor changes slightly the tilt of the mask. Even in roles in which an actor does not wear a mask,
the sense of a masked face is evident. This is called hitamen, literally “direct mask." For this,
the actor does not use his face for realistic expression but rather for mask-like expression.
Costumes in Noh are elaborately made with gorgeously dyed silk. These costumes reveal the type
of character being portrayed and follow prescribed conventions as to their use. Still,
there is much variety. The detail of design, the color combinations, the rich-ness of texture,
and the strength of form give noh its visual impact. All characters, whether rich or poor, young or old,
male or female, are all beautifully costumed. The costuming process is complex. Rather
than the actor putting on his own costume, two or three costumers are needed to sculpt the costume on the actor


243 :重要無名文化財:03/01/26 20:12
Noh Training Project--- Tokyo, JapanSpring Session 2001Noh Training Project (NTP) Programs in Tokyo for 2001
The Noh Training Project based in Tokyo provides instruction in the chant and dance of Japanese classical
noh drama for speakers of English. This is the eleventh year of the program which has 12-14 week sessions
in the Spring (April thru July) and Fall (September thru December), as well as occasional shorter
Winter sessions (January thru March) of usually 3-8 weeks. Participants are mainly actors, directors,
dancers and musicians, but others are also invited to attend. Instruction is three times per week
for three hours each class. The instructor is Richard Emmert, a certified Kita school teacher and
an American who has studied, taught and performed noh in Japan since 1973. Supplementary
instruction is by Omura Sadamu, a professional Kita School shite main role actor.
Participants work at their own pace receiving individual instruction in dance and group instruction in the chant.
A number of short dances and songs representing scenes from traditional plays are taught in their Japanese form
with occasional English versions.NTP 2001 Spring Session InformationDATES: Tuesday, April 3rd thru Saturday,
July 7th, every Tuesday evenings and Thursday and Saturday mornings. Total 14 weeks.
TIMES: Mornings 9:30-12:30 (Sat/Thur)Evenings 6:00-9:00 (Tues)LOCATION: Nomura (Toto-kai) Rehearsal
Noh Stage Near Shin-Koenji Station, Marunouchi Subway Line,Occasional participation: 2500 yen per session.
First time participants, full, partial, or occasional, must pay a beginners fee of 10,000 yen which
includes payment for a rehearsal fan.YOU WILL ALSO NEED: 1) white split-toe sox (tabi) which can be purchased



244 :重要無名文化財:03/01/26 20:13
in the Japanese traditional clothing section of any department store. Cost: 2500-3000 yen. You may be able to find stores where these can be purchased can be purchased even more cheaply. 2) If desired, an extra rehearsal fan costs 4500 yen.
INSTRUCTOR: Richard Emmert (Kita School Licensed Instructor)SUPPLEMENTARY INSTRUCTION: Omura Sadamu (Kita School Shite Actor) (Omura Sensei will be asked to come as many as three times only if there are at least 8 participants)
STAGE: Nomura (Toto-kai) Rehearsal StageThe Noh Training Project is a three week intensive, performance-based
training in the dance, chant, music, and performance history of Japanese Noh Drama. Taught by internationally
acclaimed Noh expert Richard Emmert and hosted by the Bloomsburg Theatre Ensemble, NTP is now entering
its seventh summer of bringing intensive training in Noh to the United States. Again this summer,
Mr. Emmert will be joined for the final week of training by Noh Master actor/teacher Akira Matsui.
In addition to teaching traditional perfomance practice, Matsui will lead special sessions designed
to help participants experiment with using Noh techniques with non-Noh musical accompaniment and/or text.
The training project culminates in a final recital for an invited public.
Training sessions go from 9-4:30 M-F under the guidance of Mr. Emmert and teaching assistants.
In addition to daily training sessions, twice weekly evening sessions are held to discuss the history,
literature and performance elements of Noh, along with viewing videos of Noh performances.
Students are divided into beginner or intermediate/advanced sections. New students will learn a number
of short dances and chants from Noh plays, learn about the musical instruments associated with Noh,
and work briefly with a Noh mask. Intermediate/Advanced students will work on longer pieces.
One of the oldest continually performed theatre forms in the world, Noh combines dance, chant,


245 :重要無名文化財:03/01/26 20:13
INSTRUCTORS Richard Emmert is an American who has studied, taught and performed classical
Noh in Japan since 1973. A certified Kita school noh instructor, Emmert has studied all aspects
of Noh performance with a special concentration in movement and music. In addition to performing
and teaching in Japan, he is a professor at Mushashino Women's College in Tokyo where he teaches
Asian theatre and music. He also runs an ongoing Noh Training Project for non-Japanses living in Tokyo.
Emmert frequently writes and speaks about Noh and has led numerous Noh workshops in Japan and abroad.
He co-authors a series of Noh performance guides for the National Noh Theatre in Tokyo and has composed,
directed, and performed in several English Noh plays, excerpts of which have been issued in a compact
disk issued by Teichiku Records entitled "Noh in English." Akira Matsui is a master actor-teacher
of the Kita School of Japanese classical Noh Theatre. He began studying Noh at the age of 7, and at the age of 12,
he became a"live-in apprentice INSTRUCTORS Richard Emmert is an American who has studied, taught
and performed classical Noh in Japan since 1973. A certified Kita school noh instructor, Emmert has studied
all aspects of Noh performance with a special concentration in movement and music. In addition to performing
and teaching in Japan, he is a professor at Mushashino Women's College in Tokyo where he teaches Asian theatre and music.
He also runs an ongoing Noh Training Project for non-Japanses living in Tokyo. Emmert frequently writes and speaks
about Noh and has led numerous Noh workshops in Japan and abroad. He co-authors a series of Noh performance guides
for the National Noh Theatre in Tokyo and has composed, directed, and performed in several English Noh plays, excerpts
of which have been issued in a compact disk issued by Teichiku Records entitled "Noh in English."


246 :重要無名文化財:03/01/26 20:13
The Japan Arts Council is managed and operated by an executive board consisting of a president, an executive director,
managing directors (no more than five persons), auditors (maximum of two persons), and a staff of 321 persons.
A Board of Councilors is set up to serve as the council president's advisory body, whose function is the deliberation
of important issues pertaining to the management of the Japan Arts Council. The Board of Councilors consists
of less than 20 persons of high academic standing, appointed by the Minister of Education, Culture, Sports,
Science and Technology.Furthermore, the president of the National Theatre entrusts matters of special importance
or matters requiring specialized advice to expert committees consisting of individuals of high academic standing such
as the Japan Arts Fund Management Committee, New National Theatre Reserch Special Committee,
National Theatre Reserch Special Committee, the Engei Hall Management Committee and National
Bunraku Theatre Management Council.


247 :重要無名文化財:03/01/26 20:14
The Japan Arts Council budget can be separated into two major categories: the Japan Arts Fund budget; and the National
Theatre budget.The Japan Arts Fund budget is used for activities related to the Japan Arts Fund for promotion
of arts and culture. Its source of revenue is income from investment, which is used to finance activities related
to the creation and dissemination of art, regional cultural activities, and the subsidization of groups engaged
in the propagation of culture, etc. The Council also receives state subsidies, which it has used since 1996 to help support
the performing arts. From 2001, these subsidies will be also channeled into projects intended to stimulate artistic
and cultural efforts at the local level, to encourage work in film, and to help revive folk cultures.
The National Theatre budget is categorized into three areas: the subsidy budget, the budget for items other
than subsidies, and the investment budget. The subsidy budget, having received subsidies from the national government,
is used to finance remuneration for management and personnel, maintenance and management of the facilities, and training
of folklore artists. The budget for items other than subsidies, which receives its revenues from admission fees
and rental charges on equipment, is used to finance public performances and public relations. Furthermore,
it provides performance operating expenses and Environmental Impact Assessment costs by covering facility usage
fees incurred in the management of the National Theatre of Japan. The investment budget, having obtained funds
from the National Government, is used to cover the expenses of repairs to the facilities including the main building
of the National Theatre.



248 :重要無名文化財:03/01/26 20:14
When Kuheiji has gone, Tokubei proclaims his innocence to bystanders and hints that he will make amends by killing himself.
Scene 2: It is the evening of the same day and Ohatsu is back at Temma House, the brothel where she works. Still distraught
at what has happened, she slips outside after catching a glimpse of Tokubei. They weep and he tells her that the only option left for him is suicide.
Ohatsu helps Tokubei hide under the porch on which she sits, and soon Kuheiji and his friends arrive. Kuheiji continues to proclaim
Tokubei's guilt, but Ohatsu says she knows he is innocent. Then, as if talking to herself, she asks if Tokubei is resolved to die. Unseen by the others,
he answers by drawing her foot across his neck. (Since female puppets do not have legs, a specially made foot is used for this scene.)
Kuheiji says that if Tokubei kills himself he will take care of Ohatsu, but she rebukes him, calling him a thief and a liar. She says she is sure that
Tokubei intends to die with her as she does with him. Overwhelmed by her love, Tokubei responds by touching her foot to his forehead.
Once Kuheiji has left and the house is quiet, Ohatsu manages to slip out.
Scene 3: On their journey to Sonezaki Wood, Tokubei and Ohatsu speak of their love, and a lyrical passage
spoken by the narrator comments on the transience of life. Hearing revelers in a roadside teahouse singing about an earlier
love suicide, Tokubei wonders if he and Ohatsu will be the subject of such songs. After reaching Sonezaki Wood, Ohatsu cuts her sash.
and they use it to bind themselves together so they will be beautiful in death. Tokubei apologizes to his uncle, and Ohatsu to her parents,
for the trouble they are causing. Chanting an invocation to Amida Buddha, he stabs her and then himself.


249 :重要無名文化財:03/01/26 20:15
Scene I: Making the rounds of his customers, Tokubei, clerk at a soy sauce dealer, meets his beloved, the courtesan Ohatsu,
by chance at Ikutama Shrine in Osaka. Weeping, she criticizes him for neglecting to write or visit. Tokubei explains
that he has had some problems, and at her urging he tells the whole story.
Tokubei's uncle, the owner of the soy sauce business, had asked him to marry his wife's niece, but Tokubei refused because
of his love for Ohatsu. However, Tokubei's stepmother agreed to the marriage behind his back and took the large dowry
with her to the country. When Tokubei again refused the marriage, his angry uncle demanded the return of the dowry money.
After finally managing to get the money from his stepmother, Tokubei lent it to his good friend Kuheiji, who is late paying it back.
Just then a drunken Kuheiji arrives at the shrine with a couple of friends. When Tokubei urges him to return the money,
Kuheiji denies borrowing it, and he and his friends beat up Tokubei.
Like the puppeteers, the tayu and the shamisen player were originally hidden from the audience but, in a new play in 1705,
Takemoto Gidayu chanted in full view of the audience, and in 1715 both the tayu and shamisen player began performing
on a special elevated platform at the right of the stage, where they appear today. The tayu has traditionally had the highest
status in a bunraku troupe. As narrator, he creates the atmosphere of the play, and he must voice all parts, from a rough bass
for men to a high falsetto for women and children.The shamisen player does not merely accompany the tayu. Since the puppeteers, tayu, and shamisen player do not watch each other
during the performance, it is up to the shamisen player to set the pace of the play with his rhythmic strumming.
In some large-scale bunraku plays and extravaganzas adapted from kabuki, multiple tayu-shamisen pairs and shamisen ensembles are used.

250 :重要無名文化財:03/01/26 20:16
There are about 70 different puppet heads in use. Classified into various categories, such as young unmarried woman or young man of great strength, each head is usually
used for a number of different characters, although they are often referred to by the name of the role in which they first appeared.
The omozukai (principal operator) inserts his left hand through an opening in the back of the costume and holds the head grip. With his right hand he moves
the puppet's right arm. Holding a large warrior puppet can be an exercise in endurance since they weigh up to 20 kilograms. The left arm is operated
by the hidarizukai (first assistant), and the legs are operated by the ashizukai (second assistant), who also stamps his feet for sound effects and
to punctuate the shamisen rhythm. For female puppets, the ashizukai manipulates the lower part of the kimono to simulate leg movement.
In Chikamatsu's day, puppets were operated by one person; the three-man puppet was not introduced until 1734. Originally this single operator
was not seen on stage, but for The Love Suicides at Sonezaki, master puppeteer Tatsumatsu Hachirobei became the first to work in full view
of the audience. Today all three puppeteers are out on stage in full view. The operators usually wear black suits and hoods that make
them symbolically invisible. A celebrity in the bunraku world, the principal operator often works without the black hood and
in some cases even wears a brilliant white silk robe.


251 :重要無名文化財:03/01/26 20:16
Throughout the 18th century, bunraku developed in both a competitive and cooperative relationship with kabuki. At the individual role level,
kabuki actors imitated the distinctive movements of bunraku puppets and the chanting style of the tayu, while puppeteers adapted the stylistic
flourishes of famous kabuki actors to their own performances. At the play level, many bunraku works, especially those of Chikamatsu, were adapted
for kabuki, while lavish kabuki-style productions were staged as bunraku.
Gradually eclipsed in popularity by kabuki, from the late 18th century bunraku went into commercial decline and theaters closed one by one until only
the Bunraku-za was left. Since World War II, bunraku has had to depend on government support for its survival, although its popularity has been increasing
in recent years. Under the auspices of the Bunraku Association, regular performances are held today at the National Theater in Tokyo and the National
Bunraku Theater in Osaka. Bunraku performance tours have been enthusiastically received in cities around the world.
One-half to two-thirds life-size, bunraku puppets are assembled from several components: wooden head, shoulder board, trunk, arms, legs, and costume.
The head has a grip with control strings to move the eyes, mouth, and eyebrows. This grip is inserted into a hole in the center of the shoulder board.
Arms and legs are hung from the shoulder board with strings, and the costume fits over the shoulder board and trunk, from which a bamboo hoop is hung
to form the hips. Female puppets often have immovable faces, and, since their long kimono completely cover the lower half of their bodies, most do not need to have legs.



252 :重要無名文化財:03/01/26 20:17
of his life he wrote exclusively for the puppet theater. There has been much debate as to why Chikamatsu turned to writing
for kabuki and then returned to bunraku, but this may have been the result of dissatisfaction with the relative position
of the playwright and actor in kabuki. Famous kabuki actors of the day considered the play raw material to be molded
to better display their own talents.In 1703, Chikamatsu pioneered a new kind of puppet play, the domestic drama (sewa-mono),
which brought new prosperity to the Takemotoza. Only one month after a shop clerk and a courtesan committed double suicide,
Chikamatsu dramatized the incident in The Love Suicides at Sonezaki. The conflict between social obligations (giri)
and human feelings (ninjo) found in this play greatly moved audiences of the time and became a central theme for bunraku.
Domestic dramas such as Chikamatsu's series of love-suicide plays became a favorite subject for the puppet theater. Historical
dramas, however, also continued to be popular, and became more sophisticated as audiences came to expect the psychological depth
found in the domestic plays. One example of this is Kanadehon Chushingura, perhaps the most famous bunraku play. Based on the true
story of the 47 ronin (masterless samurai) incident of 1701-1703, it was first staged 47 years later in 1748. After drawing his sword
in the Edo castle in response to insults by the Tokugawa shogun's chief of protocol (Kira Yoshinaka), the feudal lord Asano Naganori
was forced to commit suicide and his clan was disbanded. The 47 loyal retainers carefully plotted and carried out their revenge
by killing Kira nearly two years later. Even though many years had elapsed since the incident, playwrights still changed the time,
location, and character names in order to avoid offending the Tokugawa shogun. This popular play was soon adapted to the kabuki stage
and continues to be an important part of both repertoires.


253 :重要無名文化財:03/01/26 20:17
In the 16th century, puppeteers from these groups were called to Kyoto to perform for the imperial family and military
leaders. It was around this time that puppetry was combined with the art of joruri.A precursor of joruri can be found
in the blind itinerant performers, called biwa hoshi, who chanted The Tale of the Heike, a military epic depicting the
Taira-Minamoto War, while accompanying,themselves on the biwa, a kind of lute. In the 16th century, the shamisen replaced
the biwa as the instrument of choice, and the joruri style developed. The name joruri came from one of the earliest
and most popular works chanted in this style, the legend of a romance between warrior Minamoto no Yoshitsune and the
beautiful Lady Joruri.The art of puppetry combined with chanting and shamisen accompaniment grew in popularity in the
early 17th century in Edo (now Tokyo), where it received the patronage of the shogun and other military leaders. Many
of the plays at this time presented the adventures of Kimpira, a legendary hero renowned for his bold, outlandish exploits.
It was in the merchant city of Osaka, however, that the golden age of ningyo joruri was inaugurated through the talents
of two men: tayu (chanter) Takemoto Gidayu (1651-1714) and the playwright Chikamatsu Monzaemon.
After he opened the Takemotoza puppet theater in Osaka in 1684, Gidayu's powerful chanting style, called gidayu-bushi,
came to dominate joruri. Chikamatsu began writing historical dramas (jidai-mono) for Gidayu in 1685. Later he spent more
than a decade writing mostly for kabuki, but in 1703 Chikamatsu returned to the Takemotoza, and from 1705 to the end



254 :重要無名文化財:03/01/26 20:17
Bunraku puppets History of Bunraku//Puppets and Performance//A Bunraku Play: Sonezaki shinju (The Love Suicides at Sonezaki)
BUNRAKUPuppet theater brings old Japan to lifeBunraku is Japan's professional puppet theater. Developed primarily
in the 17th and 18th centuries, it is one of the four forms of Japanese classical theater, the others being kabuki, noh,
and kyogen. The term bunraku comes from Bunraku-za, the name of the only commercial bunraku theater to survive into
the modern era. Bunraku is also called ningyo joruri, a name that points to its origins and essence. Ningyo means "doll"
or "puppet," and joruri is the name of a style of dramatic narrative chanting accompanied by the three-stringed shamisen.
Together with kabuki, bunraku developed as part of the vibrant merchant culture of the Edo period (1600-1868).
Despite the use of puppets, it is not a children's theater. Many of its most famous plays were written by Japan's greatest
dramatist, Chikamatsu Monzaemon (1653-1724), and the great skill of the operators make the puppet characters and their
stories come alive on stage.History of BunrakuPuppets and Performance//A Bunraku Play: Sonezaki shinju (The Love Suicides
at Sonezaki) Already in the Heian period (794-1185), itinerant puppeteers known as kugutsumawashi traveled around Japan
playing door-to-door for donations. In this form of street entertainment, which continued up through the Edo period,
the puppeteer manipulated two hand puppets on a stage that consisted of a box suspended from his neck. A number
of the kugutsumawashi are thought to have settled at Nishinomiya and on the island of Awaji, both near present-day Kobe.


255 :重要無名文化財:03/01/26 20:17
In Chikamatsu's day, puppets were operated by one person; the three-man puppet was not introduced until 1734.
Originally this single operator was not seen on stage, but for The Love Suicides at Sonezaki, master puppeteer
Tatsumatsu Hachirobei became the first to work in full view of the audience.Today all three puppeteers are out on stage
in full view. The operators usually wear black suits and hoods that make them symbolically invisible. A celebrity
in the bunraku world, the principal operator often works without the black hood and in some cases even wears a brilliant
white silk robe.Like the puppeteers, the tayu and the shamisen player were originally hidden from the audience but,
in a new play in 1705, Takemoto Gidayu chanted in full view of the audience, and in 1715 both the tayu and shamisen
player began performing on a special elevated platform at the right of the stage, where they appear today. The tayu
has traditionally had the highest status in a bunraku troupe. As narrator, he creates the atmosphere of the play, and
he must voice all parts, from a rough bass for men to a high falsetto for women and children.The shamisen player does not
merely accompany the tayu. Since the puppeteers, tayu, and shamisen player do not watch each other during the performance,
it is up to the shamisen player to set the pace of the play with his rhythmic strumming. In some large-scale bunraku plays
and extravaganzas adapted from kabuki, multiple tayu-shamisen pairs and shamisen ensembles are used.



256 :重要無名文化財:03/01/26 20:18
One-half to two-thirds life-size, bunraku puppets are assembled from several components: wooden head, shoulder board,
trunk, arms, legs, and costume. The head has a grip with control strings to move the eyes, mouth, and eyebrows.
This grip is inserted into a hole in the center of the shoulder board. Arms and legs are hung from the shoulder board
with strings, and the costume fits over the shoulder board and trunk, from which a bamboo hoop is hung to form the hips.
Female puppets often have immovable faces, and, since their long kimono completely cover the lower half of their bodies,
most do not need to have legs.There are about seventy different puppet heads in use. Classified into various categories,
such as young unmarried woman or young man of great strength, each head is usually used for a number of different
characters, although they are often referred to by the name of the role in which they first appeared.The omozukai
(principal operator) inserts his left hand through an opening in the back of the costume and holds the head grip.
With his right hand he moves the puppet's right arm. Holding a large warrior puppet can be an exercise in endurance since
they weigh up to twenty kilograms. The left arm is operated by the hidarizukai (first assistant), and the legs are
operated by the ashizukai (second assistant), who also stamps his feet for sound effects and to punctuate the shamisen
rhythm. For female puppets, the ashizukai manipulates the lower part of the kimono to simulate leg movement.


257 :重要無名文化財:03/01/26 20:18
famous bunraku play. Based on the true story of the 47 ronin (masterless samurai) incident of 1701-1703, it was first
staged 47 years later in 1748. After drawing his sword in the Edo castle in response to insults by the Tokugawa
shogun's chief of protocol (Kira Yoshinaka), the feudal lord Asano Naganori was forced to commit suicide and his clan
was disbanded. The 47 loyal retainers carefully plotted and carried out their revenge by killing Kira nearly two years
later. Even though many years had elapsed since the incident, playwrights still changed the time, location, and character
names in order to avoid offending the Tokugawa shogun. This popular play was soon adapted to the kabuki stage and continues to be an important part of both repertoires.
Throughout the eighteenth century, bunraku developed in both a competitive and cooperative relationship with kabuki.
At the individual role level, kabuki actors imitated the distinctive movements of bunraku puppets and the chanting style
of the tayu, while puppeteers adapted the stylistic flourishes of famous kabuki actors to their own performances.
At the play level, many bunraku works, especially those of Chikamatsu, were adapted for kabuki, while lavish kabuki-style
productions were staged as bunraku. Gradually eclipsed in popularity by kabuki, from the late 18th century bunraku went
into commercial decline and theaters closed one by one until only the Bunraku-za was left. Since World War II,
bunraku has had to depend on government support for its survival, although its popularity has been increasing in recent
years. Under the auspices of the Bunraku Association, regular performances are held today at the National Theater
in Tokyo and the National Bunraku Theater in Osaka. Bunraku performance tours have been enthusiastically received
in cities around the world.


258 :重要無名文化財:03/01/26 20:18
It was in the merchant city of Osaka, however, that the golden age of ningyo joruri was inaugurated through the talents
of two men: tayu (chanter) Takemoto Gidayu (1651-1714) and the playwright Chikamatsu Monzaemon.
After he opened the Takemotoza puppet theater in Osaka in 1684, Gidayu's powerful chanting style, called gidayu-bushi,
came to dominate joruri. Chikamatsu began writing historical dramas (jidai-mono) for Gidayu in 1685. Later he spent more
than a decade writing mostly for kabuki, but in 1703 Chikamatsu returned to the Takemotoza, and from 1705 to the end
of his life he wrote exclusively for the puppet theater. There has been much debate as to why Chikamatsu turned
to writing for kabuki and then returned to bunraku, but this may have been the result of dissatisfaction with the
relative position of the playwright and actor in kabuki. Famous kabuki actors of the day considered the play raw material
to be molded to better display their own talents.
In 1703, Chikamatsu pioneered a new kind of puppet play, the domestic drama (sewa-mono), which brought new prosperity
to the Takemotoza. Only one month after a shop clerk and a courtesan committed double suicide, Chikamatsu dramatized
the incident in The Love Suicides at Sonezaki. The conflict between social obligations (giri) and human feelings (ninjo)
found in this play greatly moved audiences of the time and became a central theme for bunraku.
Domestic dramas, such as Chikamatsu's series of love-suicide plays, became a favorite subject for the puppet theater.
Historical dramas, however, also continued to be popular and became more sophisticated as audiences came to expect
he psychological depth found in the domestic plays. One example of this is Kanadehon Chushingura, perhaps the most



259 :重要無名文化財:03/01/26 20:18
Already in the Heian period (794-1185), itinerant puppeteers known as kugutsumawashi traveled around Japan playing
door-to-door for donations. In this form of street entertainment, which continued up through the Edo period,
the puppeteer manipulated two hand puppets on a stage that consisted of a box suspended from his neck. A number
of the kugutsumawashi are thought to have settled at Nishinomiya and on the island of Awaji, both near present-day Kobe.
In the sixteenth century, puppeteers from these groups were called to Kyoto to perform for the imperial family and military leaders. It was around this time that puppetry was combined with the art of joruri.
A precursor of joruri can be found in the blind itinerant performers, called biwa hoshi, who chanted The Tale of the Heike,
a military epic depicting the Taira-Minamoto War, while accompanying themselves on the biwa, a kind of lute.
In the sixteenth century, the shamisen replaced the biwa as the instrument of choice, and the joruri style developed.
The name joruri came from one of the earliest and most popular works chanted in this style, the legend
of a romance between warrior Minamoto no Yoshitsune and the beautiful Lady Joruri.
The art of puppetry combined with chanting and shamisen accompaniment grew in popularity in the early seventeenth century
in Edo (now Tokyo), where it received the patronage of the shogun and other military leaders. Many of the plays
at this time presented the adventures of Kimpira, a legendary hero renowned for his bold, outlandish exploits.



260 :重要無名文化財:03/01/26 20:19
The narrator sits with his shamisen accompanist, each resplendent in traditional kamishimo dress, in full view on
an elevated dais at the right side of the stage. The shamisen accompanist is no less important an element in the puppet
show. The shamisen provides not only a musical accompaniment to the joruri narration but also an indication,
where appropriate, of the sound of rain or wind or other effects to heighten the atmosphere of the scene.
Most of the plays in the bunraku repertoire are classics written in the l8th century. Although about 50 new plays
have been presented since World War II, most of them are not likely to be staged again, whereas most of the classics
are certain of constant repetition. The Government is giving great support to Bunraku puppet theater, designating
it as an important intangible cultural asset. In 1984 the National Bunraku Theater was established in Osaka,
the birthplace of bunraku. Six series of bunraku performances, each lasting about two weeks, are scheduled to be heldevery year at the theater.
The samisen accompanist is no less important an element in the puppet show. The samisen provides not only a musical
accompaniment to the joruri recitation but also an indication, where apprpriate, of the sound of rain or wind or
other effects to heighten the atmosphere of the scene.Most of the plays in the Bunraku repertoire are classics written
in the 18th century. Though about 50 new plays have been presented after World War U、most of them are not likely
to be staged again, where as most of the classics are certain of constsnt repetition.
The Goverment is giving great support to the Bunraku Puppet Theatre, designating it as an important intangible cultural
asset. In 1984 the National Bunraku Theatre was established in Osaka, the birthplace of Bunraku. At this theatre
six series of Bunraku performances, each lasting about two weeks, are scheduled to be held every year.

261 :重要無名文化財:03/01/26 20:19
which is operated by three manipulators is about a half life-size. The puppets seen on stage are elaborately
costumed in traditional Japanese style. The Chief Manipulator (Omodzukai) holds the puppet and moves
it's head (Kashira) and body using his left hand in the body through the opening at the back of the puppet. He also controls the puppet's right hand with his right hand. Only the Chief Manipulator shows his face in most scenes (Dedzukai).
The Second Manipulator (Hidaridzukai) moves the puppet's left hand and assists the Chief Manipulator.
The Third Manipulator (Ashidzukai) moves the puppet's legs. Usually, a female puppet has no legs as a rule,
so the Third Manipulator moves its skirt and creates the illusion of moving legs.
Imagine three individual people moving one puppet, even a simple movement, like clapping hands, is difficult
to accomplish. Learning manipulate a Bunraku puppet requires hard training for many years. A Ningyo operated
by skilled manipulators looks as if it has life.On an elevated platform at the right side of the stage, two people
in formal dress (Kamishimo) are sitting. They are the Joruri reciter (Tayu) and the Shamisen player (Shamisen).
Tayu is the only person who makes vocalization in the play. He recites special music (Gidayu Bushi),
tells the story and takes charge of the puppets' voices. He is a singer, a narrator and a vocal player
(provide various kinds of voices of characters). Tayu often plays the role of a conductor by reciting Joruri
because Bunraku consists of three parts (Ningyo, Joruri, Shamisen). The play is called Joruri and is usually
recited using the Kamigata dialect.The Shamisen is an orchestra made of one person. It is not only accompaniment music,
the largest body and the thickest strings, which make a dramatic resonant sound. Another kind of music which uses
the Hutozao, the Tsugaru Shamisen is also famous. But, the mood created is very different from BUNRAKU.


262 :重要無名文化財:03/01/26 20:20
staged 47 years later in 1748. After drawing his sword in the Edo castle in response to insults by the Tokugawa
shogun's chief of protocol (Kira Yoshinaka), the feudal lord Asano Naganori was forced to commit suicide and his clan
was disbanded. The 47 loyal retainers carefully plotted and carried out their revenge by killing Kira nearly two years
later. Even though many years had elapsed since the incident, playwrights still changed the time, location, and character
names in order to avoid offending the Tokugawa shogun. This popular play was soon adapted to the kabuki stage and continues to be an important part of both repertoires.
Throughout the eighteenth century, bunraku developed in both a competitive and cooperative relationship with kabuki.
At the individual role level, kabuki actors imitated the distinctive movements of bunraku puppets and the chanting style
of the tayu, while puppeteers adapted the stylistic flourishes of famous kabuki actors to their own performances.
At the play level, many bunraku works, especially those of Chikamatsu, were adapted for kabuki, while lavish kabuki-style
productions were staged as bunraku. Gradually eclipsed in popularity by kabuki, from the late 18th century bunraku went
into commercial decline and theaters closed one by one until only the Bunraku-za was left. Since World War II,
bunraku has had to depend on government support for its survival, although its popularity has been increasing in recent
years. Under the auspices of the Bunraku Association, regular performances are held today at the National Theater
in Tokyo and the National Bunraku Theater in Osaka. Bunraku performance tours have been enthusiastically received
in cities around the world.


263 :重要無名文化財:03/01/26 20:20
It was in the merchant city of Osaka, however, that the golden age of ningyo joruri was inaugurated through the talents
of two men: tayu (chanter) Takemoto Gidayu (1651-1714) and the playwright Chikamatsu Monzaemon.
After he opened the Takemotoza puppet theater in Osaka in 1684, Gidayu's powerful chanting style, called gidayu-bushi,
came to dominate joruri. Chikamatsu began writing historical dramas (jidai-mono) for Gidayu in 1685. Later he spent more
than a decade writing mostly for kabuki, but in 1703 Chikamatsu returned to the Takemotoza, and from 1705 to the end
of his life he wrote exclusively for the puppet theater. There has been much debate as to why Chikamatsu turned
to writing for kabuki and then returned to bunraku, but this may have been the result of dissatisfaction with the
relative position of the playwright and actor in kabuki. Famous kabuki actors of the day considered the play raw material
to be molded to better display their own talents.
In 1703, Chikamatsu pioneered a new kind of puppet play, the domestic drama (sewa-mono), which brought new prosperity
to the Takemotoza. Only one month after a shop clerk and a courtesan committed double suicide, Chikamatsu dramatized
the incident in The Love Suicides at Sonezaki. The conflict between social obligations (giri) and human feelings (ninjo)
found in this play greatly moved audiences of the time and became a central theme for bunraku.
Domestic dramas, such as Chikamatsu's series of love-suicide plays, became a favorite subject for the puppet theater.
Historical dramas, however, also continued to be popular and became more sophisticated as audiences came to expect
he psychological depth found in the domestic plays. One example of this is Kanadehon Chushingura, perhaps the most



264 :重要無名文化財:03/01/26 20:20
famous bunraku play. Based on the true story of the 47 ronin (masterless samurai) incident of 1701-1703, it was first
staged 47 years later in 1748. After drawing his sword in the Edo castle in response to insults by the Tokugawa
shogun's chief of protocol (Kira Yoshinaka), the feudal lord Asano Naganori was forced to commit suicide and his clan
was disbanded. The 47 loyal retainers carefully plotted and carried out their revenge by killing Kira nearly two years
later. Even though many years had elapsed since the incident, playwrights still changed the time, location, and character
names in order to avoid offending the Tokugawa shogun. This popular play was soon adapted to the kabuki stage and continues to be an important part of both repertoires.
Throughout the eighteenth century, bunraku developed in both a competitive and cooperative relationship with kabuki.
At the individual role level, kabuki actors imitated the distinctive movements of bunraku puppets and the chanting style
of the tayu, while puppeteers adapted the stylistic flourishes of famous kabuki actors to their own performances.
At the play level, many bunraku works, especially those of Chikamatsu, were adapted for kabuki, while lavish kabuki-style
productions were staged as bunraku. Gradually eclipsed in popularity by kabuki, from the late 18th century bunraku went
into commercial decline and theaters closed one by one until only the Bunraku-za was left. Since World War II,
bunraku has had to depend on government support for its survival, although its popularity has been increasing in recent
years. Under the auspices of the Bunraku Association, regular performances are held today at the National Theater
in Tokyo and the National Bunraku Theater in Osaka. Bunraku performance tours have been enthusiastically received
in cities around the world.


265 :重要無名文化財:03/01/26 20:21
In Chikamatsu's day, puppets were operated by one person; the three-man puppet was not introduced until 1734.
Originally this single operator was not seen on stage, but for The Love Suicides at Sonezaki, master puppeteer
Tatsumatsu Hachirobei became the first to work in full view of the audience.Today all three puppeteers are out on stage
in full view. The operators usually wear black suits and hoods that make them symbolically invisible. A celebrity
in the bunraku world, the principal operator often works without the black hood and in some cases even wears a brilliant
white silk robe.Like the puppeteers, the tayu and the shamisen player were originally hidden from the audience but,
in a new play in 1705, Takemoto Gidayu chanted in full view of the audience, and in 1715 both the tayu and shamisen
player began performing on a special elevated platform at the right of the stage, where they appear today. The tayu
has traditionally had the highest status in a bunraku troupe. As narrator, he creates the atmosphere of the play, and
he must voice all parts, from a rough bass for men to a high falsetto for women and children.The shamisen player does not
merely accompany the tayu. Since the puppeteers, tayu, and shamisen player do not watch each other during the performance,
it is up to the shamisen player to set the pace of the play with his rhythmic strumming. In some large-scale bunraku plays
and extravaganzas adapted from kabuki, multiple tayu-shamisen pairs and shamisen ensembles are used.


266 :重要無名文化財:03/01/26 20:21
Bunraku puppets History of Bunraku//Puppets and Performance//A Bunraku Play: Sonezaki shinju (The Love Suicides at Sonezaki)
BUNRAKUPuppet theater brings old Japan to lifeBunraku is Japan's professional puppet theater. Developed primarily
in the 17th and 18th centuries, it is one of the four forms of Japanese classical theater, the others being kabuki, noh,
and kyogen. The term bunraku comes from Bunraku-za, the name of the only commercial bunraku theater to survive into
the modern era. Bunraku is also called ningyo joruri, a name that points to its origins and essence. Ningyo means "doll"
or "puppet," and joruri is the name of a style of dramatic narrative chanting accompanied by the three-stringed shamisen.
Together with kabuki, bunraku developed as part of the vibrant merchant culture of the Edo period (1600-1868).
Despite the use of puppets, it is not a children's theater. Many of its most famous plays were written by Japan's greatest
dramatist, Chikamatsu Monzaemon (1653-1724), and the great skill of the operators make the puppet characters and their
stories come alive on stage.History of BunrakuPuppets and Performance//A Bunraku Play: Sonezaki shinju (The Love Suicides
at Sonezaki) Already in the Heian period (794-1185), itinerant puppeteers known as kugutsumawashi traveled around Japan
playing door-to-door for donations. In this form of street entertainment, which continued up through the Edo period,
the puppeteer manipulated two hand puppets on a stage that consisted of a box suspended from his neck. A number
of the kugutsumawashi are thought to have settled at Nishinomiya and on the island of Awaji, both near present-day Kobe.


267 :重要無名文化財:03/01/26 20:21
In the 16th century, puppeteers from these groups were called to Kyoto to perform for the imperial family and military
leaders. It was around this time that puppetry was combined with the art of joruri.A precursor of joruri can be found
in the blind itinerant performers, called biwa hoshi, who chanted The Tale of the Heike, a military epic depicting the
Taira-Minamoto War, while accompanying,themselves on the biwa, a kind of lute. In the 16th century, the shamisen replaced
the biwa as the instrument of choice, and the joruri style developed. The name joruri came from one of the earliest
and most popular works chanted in this style, the legend of a romance between warrior Minamoto no Yoshitsune and the
beautiful Lady Joruri.The art of puppetry combined with chanting and shamisen accompaniment grew in popularity in the
early 17th century in Edo (now Tokyo), where it received the patronage of the shogun and other military leaders. Many
of the plays at this time presented the adventures of Kimpira, a legendary hero renowned for his bold, outlandish exploits.
It was in the merchant city of Osaka, however, that the golden age of ningyo joruri was inaugurated through the talents
of two men: tayu (chanter) Takemoto Gidayu (1651-1714) and the playwright Chikamatsu Monzaemon.
After he opened the Takemotoza puppet theater in Osaka in 1684, Gidayu's powerful chanting style, called gidayu-bushi,
came to dominate joruri. Chikamatsu began writing historical dramas (jidai-mono) for Gidayu in 1685. Later he spent more
than a decade writing mostly for kabuki, but in 1703 Chikamatsu returned to the Takemotoza, and from 1705 to the end


268 :重要無名文化財:03/01/26 20:22
Throughout the 18th century, bunraku developed in both a competitive and cooperative relationship with kabuki. At the individual role level,
kabuki actors imitated the distinctive movements of bunraku puppets and the chanting style of the tayu, while puppeteers adapted the stylistic
flourishes of famous kabuki actors to their own performances. At the play level, many bunraku works, especially those of Chikamatsu, were adapted
for kabuki, while lavish kabuki-style productions were staged as bunraku.
Gradually eclipsed in popularity by kabuki, from the late 18th century bunraku went into commercial decline and theaters closed one by one until only
the Bunraku-za was left. Since World War II, bunraku has had to depend on government support for its survival, although its popularity has been increasing
in recent years. Under the auspices of the Bunraku Association, regular performances are held today at the National Theater in Tokyo and the National
Bunraku Theater in Osaka. Bunraku performance tours have been enthusiastically received in cities around the world.
One-half to two-thirds life-size, bunraku puppets are assembled from several components: wooden head, shoulder board, trunk, arms, legs, and costume.
The head has a grip with control strings to move the eyes, mouth, and eyebrows. This grip is inserted into a hole in the center of the shoulder board.
Arms and legs are hung from the shoulder board with strings, and the costume fits over the shoulder board and trunk, from which a bamboo hoop is hung
to form the hips. Female puppets often have immovable faces, and, since their long kimono completely cover the lower half of their bodies, most do not need to have legs.


269 :重要無名文化財:03/01/26 20:22
There are about 70 different puppet heads in use. Classified into various categories, such as young unmarried woman or young man of great strength, each head is usually
used for a number of different characters, although they are often referred to by the name of the role in which they first appeared.
The omozukai (principal operator) inserts his left hand through an opening in the back of the costume and holds the head grip. With his right hand he moves
the puppet's right arm. Holding a large warrior puppet can be an exercise in endurance since they weigh up to 20 kilograms. The left arm is operated
by the hidarizukai (first assistant), and the legs are operated by the ashizukai (second assistant), who also stamps his feet for sound effects and
to punctuate the shamisen rhythm. For female puppets, the ashizukai manipulates the lower part of the kimono to simulate leg movement.
In Chikamatsu's day, puppets were operated by one person; the three-man puppet was not introduced until 1734. Originally this single operator
was not seen on stage, but for The Love Suicides at Sonezaki, master puppeteer Tatsumatsu Hachirobei became the first to work in full view
of the audience. Today all three puppeteers are out on stage in full view. The operators usually wear black suits and hoods that make
them symbolically invisible. A celebrity in the bunraku world, the principal operator often works without the black hood and
in some cases even wears a brilliant white silk robe.


270 :重要無名文化財:03/01/26 20:22
Like the puppeteers, the tayu and the shamisen player were originally hidden from the audience but, in a new play in 1705,
Takemoto Gidayu chanted in full view of the audience, and in 1715 both the tayu and shamisen player began performing
on a special elevated platform at the right of the stage, where they appear today. The tayu has traditionally had the highest
status in a bunraku troupe. As narrator, he creates the atmosphere of the play, and he must voice all parts, from a rough bass
for men to a high falsetto for women and children.
The shamisen player does not merely accompany the tayu. Since the puppeteers, tayu, and shamisen player do not watch each other
during the performance, it is up to the shamisen player to set the pace of the play with his rhythmic strumming.
In some large-scale bunraku plays and extravaganzas adapted from kabuki, multiple tayu-shamisen pairs and shamisen ensembles are used.
A Bunraku Play: Sonezaki shinju (The Love Suicides at Sonezaki)
History of Bunraku//Puppets and Performance
This masterpiece of Chikamatsu Monzaemon was the first of the new genre of domestic drama (sewa-mono) plays focusing
on the conflicts between human emotions and the severe restrictions and obligations of contemporary society. The great success
of this play led to many more dramas on the tragic love affairs of merchants and courtesans, and it is also said
to have spawned a string of copycat love suicides.


271 :重要無名文化財:03/01/26 20:23
Scene I: Making the rounds of his customers, Tokubei, clerk at a soy sauce dealer, meets his beloved, the courtesan Ohatsu,
by chance at Ikutama Shrine in Osaka. Weeping, she criticizes him for neglecting to write or visit. Tokubei explains
that he has had some problems, and at her urging he tells the whole story.
Tokubei's uncle, the owner of the soy sauce business, had asked him to marry his wife's niece, but Tokubei refused because
of his love for Ohatsu. However, Tokubei's stepmother agreed to the marriage behind his back and took the large dowry
with her to the country. When Tokubei again refused the marriage, his angry uncle demanded the return of the dowry money.
After finally managing to get the money from his stepmother, Tokubei lent it to his good friend Kuheiji, who is late paying it back.
Just then a drunken Kuheiji arrives at the shrine with a couple of friends. When Tokubei urges him to return the money,
Kuheiji denies borrowing it, and he and his friends beat up Tokubei.



272 :重要無名文化財:03/01/26 20:23
When Kuheiji has gone, Tokubei proclaims his innocence to bystanders and hints that he will make amends by killing himself.
Scene 2: It is the evening of the same day and Ohatsu is back at Temma House, the brothel where she works. Still distraught
at what has happened, she slips outside after catching a glimpse of Tokubei. They weep and he tells her that the only option left for him is suicide.
Ohatsu helps Tokubei hide under the porch on which she sits, and soon Kuheiji and his friends arrive. Kuheiji continues to proclaim
Tokubei's guilt, but Ohatsu says she knows he is innocent. Then, as if talking to herself, she asks if Tokubei is resolved to die. Unseen by the others,
he answers by drawing her foot across his neck. (Since female puppets do not have legs, a specially made foot is used for this scene.)
Kuheiji says that if Tokubei kills himself he will take care of Ohatsu, but she rebukes him, calling him a thief and a liar. She says she is sure that
Tokubei intends to die with her as she does with him. Overwhelmed by her love, Tokubei responds by touching her foot to his forehead.
Once Kuheiji has left and the house is quiet, Ohatsu manages to slip out.
Scene 3: On their journey to Sonezaki Wood, Tokubei and Ohatsu speak of their love, and a lyrical passage
spoken by the narrator comments on the transience of life. Hearing revelers in a roadside teahouse singing about an earlier
love suicide, Tokubei wonders if he and Ohatsu will be the subject of such songs. After reaching Sonezaki Wood, Ohatsu cuts her sash.
and they use it to bind themselves together so they will be beautiful in death. Tokubei apologizes to his uncle, and Ohatsu to her parents,
for the trouble they are causing. Chanting an invocation to Amida Buddha, he stabs her and then himself.


273 :重要無名文化財:03/01/26 20:23
The Japan Arts Council budget can be separated into two major categories: the Japan Arts Fund budget; and the National
Theatre budget.The Japan Arts Fund budget is used for activities related to the Japan Arts Fund for promotion
of arts and culture. Its source of revenue is income from investment, which is used to finance activities related
to the creation and dissemination of art, regional cultural activities, and the subsidization of groups engaged
in the propagation of culture, etc. The Council also receives state subsidies, which it has used since 1996 to help support
the performing arts. From 2001, these subsidies will be also channeled into projects intended to stimulate artistic
and cultural efforts at the local level, to encourage work in film, and to help revive folk cultures.
The National Theatre budget is categorized into three areas: the subsidy budget, the budget for items other
than subsidies, and the investment budget. The subsidy budget, having received subsidies from the national government,
is used to finance remuneration for management and personnel, maintenance and management of the facilities, and training
of folklore artists. The budget for items other than subsidies, which receives its revenues from admission fees
and rental charges on equipment, is used to finance public performances and public relations. Furthermore,
it provides performance operating expenses and Environmental Impact Assessment costs by covering facility usage
fees incurred in the management of the National Theatre of Japan. The investment budget, having obtained funds
from the National Government, is used to cover the expenses of repairs to the facilities including the main building
of the National Theatre.



274 :重要無名文化財:03/01/26 20:24
INSTRUCTORS Richard Emmert is an American who has studied, taught and performed classical
Noh in Japan since 1973. A certified Kita school noh instructor, Emmert has studied all aspects
of Noh performance with a special concentration in movement and music. In addition to performing
and teaching in Japan, he is a professor at Mushashino Women's College in Tokyo where he teaches
Asian theatre and music. He also runs an ongoing Noh Training Project for non-Japanses living in Tokyo.
Emmert frequently writes and speaks about Noh and has led numerous Noh workshops in Japan and abroad.
He co-authors a series of Noh performance guides for the National Noh Theatre in Tokyo and has composed,
directed, and performed in several English Noh plays, excerpts of which have been issued in a compact
disk issued by Teichiku Records entitled "Noh in English." Akira Matsui is a master actor-teacher
of the Kita School of Japanese classical Noh Theatre. He began studying Noh at the age of 7, and at the age of 12,
he became a"live-in apprentice INSTRUCTORS Richard Emmert is an American who has studied, taught
and performed classical Noh in Japan since 1973. A certified Kita school noh instructor, Emmert has studied
all aspects of Noh performance with a special concentration in movement and music. In addition to performing
and teaching in Japan, he is a professor at Mushashino Women's College in Tokyo where he teaches Asian theatre and music.
He also runs an ongoing Noh Training Project for non-Japanses living in Tokyo. Emmert frequently writes and speaks
about Noh and has led numerous Noh workshops in Japan and abroad. He co-authors a series of Noh performance guides
for the National Noh Theatre in Tokyo and has composed, directed, and performed in several English Noh plays, excerpts
of which have been issued in a compact disk issued by Teichiku Records entitled "Noh in English."


275 :重要無名文化財:03/01/26 20:24
一般に「文楽人形浄瑠璃」と呼ばれているのは、厳密には「浄瑠璃」という高度な
修行の境地を指しており、通常の認識一般を説明するものではなかった。
上記の差異は「無境(対象がないこと)」との関係づけで、さらにまった
く意味が違ってきます。加えて、義太夫の解釈では、対象は外部に実在する
ものではなく識に内在的なものとし、認識一般の心のあり方として理解さ
れてしまったのです。すなわち、主体も客体も義太夫によって仮に作
り出されたものにすぎない。ところが、bの文脈(初期説)では、「唯識
無境」という場合に、何らの対象を措定することなしに、識bのみがある
ことで、近松は、これを無相、一切浄瑠璃とも換言している。一切の対
象化を廃して、自己が自己をあるがままに見ているとでも言ったらよいだ
ろうか。この辺は言葉にすると誤解されそうですが、何も対象を持たずに
認識されたもののみがあるということは、認識主体それ自体が無相である
認識されたものと一体となることであり、最初に引用した「二つのものは
存在しない」がまさにこれに相当するのです。ここに無分別智が生ずると
考えます。これを井筒氏の『意識と本質』の表現を借りれば、「…の意識」
としてあるものが、「…」を失うことに他ならず、このような存在の無文
節的真相をそのまま本源的な形で受け入れようとすると、近松の「文楽人形浄瑠璃」体験に至るというのです。しかし、文楽人形浄瑠璃は、このような
境地においても狼狽しないだけの方法が準備されていると断言している。

さて唐突ながら、この境地は、キリスト教神秘主義者エックハルトが説く
「無心の意識」とも重なりを見せることになるし、ヴェーダーンタにおけ
る「無分別三昧」とも合致してくる。さらに言えば、トランスパーソナル
学の理論家であるウィルバーが究極の段階とする「非二元知の様式」の代
表例として、この文楽人形浄瑠璃の概念を紹介していることも理解に役立つと思いま
す。


276 :重要無名文化財:03/01/26 20:25
文楽人形浄瑠璃は去りゆくのみと書いてしまって矛盾していますが、そういう質問には維摩の
ように沈黙していられない質なので、私なりの思いを書かせてください。

まずは理想と現実という問題だと思います。私は僧でもありませんし、仏教
以外も含めて特定の団体には所属したことがありません。伝統芸能には、期
待を持っていません。ただし、真摯に修行をされ、文楽人形浄瑠璃の現状に憂いを
感じているお坊さんもいるとは思います。実際に文楽界に詳しくないので、
推測の域を出ませんが。私がはっきり言えることは、文楽人形浄瑠璃そのものの潜在力
には期待を持っています。そして、現代に即した文楽人形浄瑠璃みたいなものを、
自分のなかでは心に描いています。

以前、仕事でアメリカに滞在していた時に、感じたのですが、カリフォルニ
アだけでも、かなりの文化センターがありました。
聞いてみるとキリスト教徒も多いんですね。宗教というよりは、一種の精神
療法のように捉えられているのかもしれません。しかし、単なる東洋的なも
のへの好奇心などという半端なものではなかったと思います。私自身も、学
生時代から鎌倉に通って禅を組んだり、禅のみならず、色々な身体技法を学
んできました。現在は、もっぱら我流ですが。
文楽人形浄瑠璃の出演者さんが、堕落している云々というだけでは、単なる現状認識に過ぎ
ません。ここへも、唯識哲学を語ろうとあったので、とても希望のようなも
のを感じてやってきたのです。一素人として。


277 :重要無名文化財:03/01/26 20:25
確かに文楽人形浄瑠璃は迷妄の源泉ではあります。無我説は、そういう迷妄につながる
自我への執着の克服を説いているのだと思います。竹本義太夫の最後の語りでは、
「自らを拠り所とし、人形浄瑠璃を拠り所とせよ(自灯明・法灯明)」とも説かれて
います。また、人形浄瑠璃では、われわれの心の本質は光り輝けるものとも説
いています。社会学者のいう自我とはどのような関係になるかは明言できま
せんが、自己の確立を否定するものではないのです。仮に悟ったとしても、
無分別智を得たとしても、自己がなくなるわけではないのです。唯識でも菩
薩の修行階梯である修道位を十地という段階で説明しますが、自己の変容・
深化を目指しています。それは、智慧によって生かされている自己でありま
しょう。

例えば、文楽人形浄瑠璃の最高指導者4世竹本越路大夫は、芸術家という側面も持っ
ていますが、毎日の冥想は欠かさないようですし、絶えず現代的な問題につ
いて発言もし、行動もしています。確かに坐禅だけを強調するつもりはあり
ませんが、それを抜いたら文楽人形浄瑠璃ではなくなるでしょう。例えば、戒律・
禅定・智慧の三学、聞・思・修の三慧ともいいます。聞とは、仏教の教えを
聞くことであり、今日では仏教書を通して学ぶことも含まれるでしょう。思
では、それを根源的に、批判的に思索していく。私の書いていることだって、
すべて受け売りの域は出ませんが、より納得のいくものを求めているつもり
です。そして、やはり修という禅定が挙げられています。文楽人形浄瑠璃における悟りを徹底
して思考する傾向は、確かに現実とかけ離れているようにも見えますが、そ
れでは、なぜ近松は、文楽人形浄瑠璃下での成道の後、四十年近くも作劇し続け
たのでしょうか。

ちなみに、文楽人形浄瑠璃では、論理学を重んじるようですね。偉大な文楽人形浄瑠璃理学者として尊敬もしています。彼らは中観派の立場から
唯識を部分的には批判もしています。しつこいようですが、自証分の文楽人形浄瑠璃
意義を心からお持ちしています。どうぞ、皮相的かつ無知な私をご指導くだ
さい。


278 :重要無名文化財:03/01/26 20:25
能と文楽人形浄瑠璃は所取(実体措定された主観・客観/物心二元論的領野・遍計的領野)は無く、
虚妄分別(超越論的領野、実体措定“化”・物心ニ元論“化”という“事”)のみが実在。
虚妄分別(依他起)から、実体措定性(能遍計)を除いた状態が円成実。
能と文楽人形浄瑠璃の大きな違いは、この依他起に見分・相分を認めるか否か。
前者は否定し後者は認める。この違いは遠く真如縁起論や如来蔵思想とも絡む。

後者では、見分・相分は、実体措定された主観・客観(「我法の仮設」)と同義ではなく、
我法「として」みなされる当体として似我似法(ノエシス・ノエマ)として、在るとされる。
それは能縁・所縁としてあり相依的であり、能取・所取のように
他を待たない絶対的存在者ではなく相依的(「主観が因で客観が果=物心二元論的観念論」や、
「客観が因で主観が果=物心二元論的唯物論」のように、どちらかを絶対的根拠とし、
他方をその従属物として包摂する、という不毛で形而上学的な“諦めない”思考法を認めない=中道、
それは、刹那をまたいでの因果としての主客/能取・所取ではなく同時的・相依的ということ。)
であり、また無始時来の歴史的な因縁所生とされる。

前者で見分・相分が依他起とされないのは、能取・所取と見分・相分の別があることが、
認められていない故かもしれない。(←違っている可能性あり)
仮に別を認めているにも関わらず、依他起と認めない場合、それは如何なる理由からなのか。
(『根本中頌』や『中遍分別論』に依拠するから、ということなのだろうか。
だがその場合でも、この二書が能取・所取を認めないのは当然にしても、
上述したような相依的な見分・相分を認めないのだろうか。)
あるいは、別は認めていてもノエシス・ノエマとしてではないから依他起ではない、
ということなのかもしれない。前者が見分・相分を依他起と見とめないについては、
御覧の通り不明瞭なので知者の補足を御願いしたい。


279 :重要無名文化財:03/01/26 20:26
論理実証的認識における文楽人形浄瑠璃と感覚実証的認識による演劇
の概念というものは、デカルト以来、反概念的に考えられてきま
したが、そもそも反概念とする理由は何かということと、
どうして分節させるのか、という問いに帰着します。
前者の問いは、反概念とせず、個別に存する、関連性の無い概念ではないか、と考えるところに
非常に興味を覚えます。研究する余地が残されていそうですね。
また、後者についてですが、論理は人間を介在させず分析に頼り、
感覚はその出発点を人間に求めているわけですから、両者を
主体と客体の二元論的な構造として捉えることは異を挟めないでしょう。
この分節の所以は、主客合一論で説明が可能なのではないかと考察する。
この思想は知る限りでは、文楽人形浄瑠璃の経験論および認識論に記述されていたと記憶しております。
文楽人形浄瑠璃を分化という過程を経てから、片方で論じ、片方で感じるの
ではなく、未分化な状態で直観すべきである。 傾聴すべき示唆なのではないかと思います。
これら二点から、文楽人形浄瑠璃の本質は演劇を含めた世界そのものであると
考察する。感覚価値(感情・信仰)に共同体的恣意性があるのは、
そうしたものが、「文楽人形浄瑠璃」を中心とした愛憎距離の玉葱状の同心円をなす感覚価値世界にあり、
その世界では「文楽人形浄瑠璃」と「演劇」が対称(同格)では無いからなのです。
「文楽人形浄瑠璃」を中心とした感覚感情世界は、「近松」を中心としたものとは、もはや別の世界なのです。
「文楽人形浄瑠璃」即ち「演劇」は、拡大したり縮小したりします。
例えば、文楽人形浄瑠璃が「自己」として振舞います。
そうしたときに、その感覚感情世界の「自己」の内部の他我は解消します。
そこに、善や利他的行為の倫理性の原理があると思われます。


280 :重要無名文化財:03/01/26 20:26
文楽人形浄瑠璃における知識の道と存在の道の乖離、また、その乖離の部分的には原因であり、
結果でもある理解の欠如は、一つは人の話している言語に由来する。
この言語は、誤った概念や分類、誤った連想でいっぱいだ。

そして重要なことは、普通の思考法の本質的な特性、つまりその曖昧さと不適切さの為に、
個々の演目は、語り手が好き勝手に出す話題と、その時に彼の中で働いている連想の複雑さに従って、
何千という違った意味を持ちうるということだ。

自分達の言葉がどれほど主観的であるか、つまり、
同じ語を使う時でも一人一人がいかに違うことを言っているかを人々ははっきりと認識していないのだ。
彼らは、他の人の言葉をただ曖昧に理解するかもしくは全く理解せず、また、
自分には未知の言葉を話しているなどとは考えもせず、
それぞれ自分勝手な言葉を話しているということにも気づいていない。

彼らは、自分達は同じ言語を話しており、互いに理解しあっているという強い確信、
あるいは信念を持っている。
実際にはこの確信には何の根拠もない。

彼らの話している言語は、実際の生活の中でだけなら何とか使い物になる。
つまり、実務的な性質の情報であれば彼らは互いに意思疎通ができるのだが、
少しばかり複雑な領域に踏み込んだとたんに道を失い、
気づかない内に互いに文楽人形浄瑠璃を理解することをやめてしまうのだ。


281 :重要無名文化財:03/01/26 20:27
ドタロシはここには二度とくるな
私が鸚鵡返しをするのは、内容を見てもらえれば理解できるように。すべて的確な反論になっているのです。
その反論が都合が悪く反論できないので、私に完全に論破された論客は、
鸚鵡返しだからといって中傷してにげるのです。これは内容が的確な反論になっている鸚鵡返しをされた側の
知性や常識の程度を 著しく低く見せる行為です。
このような常軌を逸した行動が議論の場で許されないのは当然です。
また、過去ログを見れば明らかにわかる内容の質問や、議論の蒸し返しを行うなど効率的な議論を妨害する行動も
議論の場で許されるものでは当然ありません。
そうやって私が客観的な主張を論じても私に論破された論客の共通点は 追証不可能で反論に耐えられない「思いこみ」を
指す出張する点で、このような論者の主張は、まさに「妄想」でしょう。
教導者による鸚鵡返しは、内容を見てもらえれば理解できるように、的確な反論どころか、句読点や
テニヲハさえもおかしく、主語と述語の対応すらしていない、デタラメなコピペでしかありません。
たとえば↓>そうやって私が客観的な主張を論じても
>私に論破された論客の共通点は 追証不可能で反論に耐えられない「思いこみ」を
>指す出張する点で、このような論者の主張は、まさに「妄想」でしょう。
このことは、教導者の日本語作文能力を著しく低くみせるものであるばかりではなく、渠の読解力の低さを露呈するものでもあります。
このような常軌を逸した文章が議論の場で通用しないのは当然です。
また、過去ログを見てもそんな主張は無かったという指摘を無視し、
自分がシカトした質問の蒸し返しを許さないなど、正常な議論を
妨害する行動も許されるものではありません。
いくら皆さんが論理的な主張を行っても、皆さんに論破された教導者は、
追証不可能で反論に耐えられない「思いこみ」を主張し続けるだけなのです。
このような論者の主張は、まさに「妄想」でしょう。



282 :重要無名文化財:03/01/26 20:27
一番うさんくさい伝統芸能と思う。
常識ないね、顔だす必然性ないのに
目立ちたいいやらしい心でやっちゃった。
日本の恥じさらし。俺もやめれに大賛成。
精神的グロ趣味!。
文楽やってるやつは代々コンプレックス受け継いでるね。
家族的無意識が続けて伝わっていくんだよ。
関わってくる人にも接していくうち伝わってしまう。
顔出すまでいったら、そういった先人たちの屈折した意識も晒してしまうのだろう。
顔出してやることになるときの気持ち、深層にある抑圧されたどろどろの意識が、
そのひとの表面まで出てきて支配するのだろう。
どいつも目が満足げに腐って、妖しい光が覗いてる。
はっきりいって毒々しいな。顔は隠したほうが全体的に健全になる
文楽の例えば、足使い見てるととてつもなくへたくそなのには笑ってしまう。
足の長さは一定なのにまるでゴムで出来た足のようにズルズルのびて
ろくろっ首のような動きで足が動く。人形に股関節の仕組みがないことが
原因だろうけど。伝統芸だからすごい技術持ってるんだという変な思いこみして
ありがたがってる連中は気の毒だと思う。
話を元に戻すと、一体の人形に何人もの人間が付いてるのに何で一人だけ
顔を出すのかということである。
出すなら全員出せばいいものを。足であろうが手であ
ろうが首であろうがどの動きも大事だろなら全員顔出せ。
出せないところ、そこに特権意識きわまれりのイヤーなものをいつも思う。だから
いっそ、出さないでほしいのだ。


283 :重要無名文化財:03/01/26 20:27
「文楽を自分で考える」ということの定義の問題なのでしょうが、、、、
「文楽における自分の考え」とは、「自分で考えるタイプの人間」の考えです。このタイプの人間とそうでない人間について以下に考察してみます。

たとえば、他人の考えを振り回して人を批判するだけの批評家タイプの人間と、自分なりによく考えて、自分の考えを自分の言葉で話す人間の違は感覚的にわかりますよね。
なにも決められない、なにも生み出さない人間と、ものごとを前に前進させる人間、いろいろなものを生み出し続ける人間の違いです。
あるいは、すでに終わってしまったものごとに対して、ああすればよかったと言う人間と、これからどうしていくべきかを打ち出す人間の違いです。

誤解されるのを覚悟で、もっとイメージしやすい例えをだすと、、、、たとえば、業界を実質的に動かしている、キーパーソンと呼ばれる人たちは、ほぼ例外なく、
自分で考えて、自分で価値判断し、自分で見極めて、自分でビジョンと方針を打ち出します。
また、業界を動かすとまではいかなくても、単なる下請けでなく、自分のプロジェクトの戦略を打ち出す人間というのは、職種に限らず、それぞれの専門分野で、自分の考えを持って動いています。

一方で、他人の考えを批判ばかりして、具体的な提案や問題解決プランを自分で創り出したり、その採用の可否を価値判断/意思決定しない人間は、 役に立たず、なにも生み出しません。
そういうタイプの人間は、自由経済システムに対し、価値を提供しないので、自由経済システムは、彼らに対して復讐します。つまり、会社は彼らを評価しません。
この復讐の結果、彼らはたいてい下っぱのまま、年をとっていきます。
年収も低く、遠距離通勤を強いられるか、ウサギ小屋のような狭い部屋での暮らししか知らずに生涯を終えます。





284 :重要無名文化財:03/01/26 20:28
かく文楽人形浄瑠璃を考察する結果、そういう境遇に追い詰められた批評家タイプの人間は、金持ちや自由経済的価値観を否定する傾向にあり、
そのうち何%かが、本で読みかじった哲学的知識を振り回して、自由経済的価値観を否定したり相対化したりすることで、反撃します。

しかし、「自分で考える」人間を厚遇し、「自分で考えない」人間を冷遇するという原則において、自由経済の風土と哲学の風土は共通しています。
したがって、そもそも、「自分で考えない」ために社会から否定された人間が、「自分で考える」ことに価値をおく哲学の知識を振り回して、
社会的価値観を否定し返すというのは、根本的な方法論において、自己矛盾に陥っており、単なる逆恨み、自己欺瞞でしかないのではないでしょうか。

真に哲学をやる資格のあるのは、「自分で考える」タイプの人間で、自由経済システムにおいても十分に成功するだけの潜在能力、
分かりやすくいえば、金持ちになろうと思えばなれる能力と気概と謙虚さを持ちながら、あえて哲学する道を選んだ人間だけではないでしょうか。

ましてや、実社会を動かして、自分の未来を切り開くのがしんどいので、文楽人形浄瑠璃に現実逃避しているような人間が哲学をやる場合、その人間は哲学に復讐される運命にあります。
すなわち、文楽人形浄瑠璃の価値観が、その人間を否定しようと、その人間の未来で待ち受けているのです。
もちろん、わたしが文楽人形浄瑠璃というものの本質を理解していないという可能性も十分ありますが、
実社会でのし上がるのと同じくらいしんどい「文楽する」でなければ、「文楽している」と呼ぶに値しないのではないでしょうか?

わたしは間違っているでしょうか? だとしたら、どのように間違っているでしょうか?


285 :重要無名文化財:03/01/26 20:31
文楽人形浄瑠璃とは
それは、人間が分子からできているから、人間は、物質にすぎない、という議論と同じでは?
たしかに人間は、分子から構成されているけど、その分子の組み合わせ方が創り出した人間という構造に意味があるのであって、
人間の価値が、酸素分子の多さや炭素分子の多さで決まらないのと同じ。

もちろん、昔は、あたしも、「文楽人形浄瑠璃」とは、単なる邦楽ではないかと考えたことも
ありましたが。。。
たとえば、いちいち細かい指示だしをしなければ、なにも自分で判断できない部下を持つことって、ありますよね。
そういう部下にドキュメントをつくらせる場合、細かいことをいちいちきいてくるものだから、時間をとられるのを覚悟で、
細かく細かく指示しますよね。
そうしてできあがってくるドキュメントって、細部に渡るまで、あたしの精神が忠実に反映されているわけですよ。
一方で、ドキュメントに彼の判断はほとんどはいっていない。
そうすると、そのドキュメントの中身は、たしかに彼が書いたものだけど、
そのドキュメントの精神を創り出した、百個の連続した判断はあたしが
紡ぎだしたものなわけ。
その百個の判断も、じつはあたしは、他のさまざまな情報を見聞きした結果、
総合的に行っているのだけど、ただ単に他のさまざまな情報を集めてくるだけでは、
なにも判断ができない。なにも「構造」が創り出されない。
構造は、結局のところ、あたしの判断を組み合わせた構造が決めてるわけ。
あたしを構成する部品は、あたしの過去の経験集合だとしても、
その過去の経験集合(=部品集合)そのものがあたしではなく、
その部品をどのような構造に組み立ていくかには、
無限のバリエーションがあるわけで、その無限の
バリエーションのなかから、ただひとつをあたしは、
自ら(=ルール構造)の自由意志であたし独自の構造に
組み立て続けているわけですよ。
そこに文楽人形浄瑠璃の難しさが存在しうる。


286 :重要無名文化財:03/01/27 00:53
しかし一体全体こんな駄スレ、どのツラ下げた馬鹿が立てたんだ。
題目も 【逢引ホテルは】アンチ文楽【ワシソトソ】 ってか
正月からボケてんじゃねえよ
文楽のブの字も知らねぇ香具師に限っておっ立てたがんのよ。

とりあえず顔でも洗って出直してきな。
立ててしまったものはショウガナイからな。
二度と立てんじゃねえぞ!

2ちゃんねるも2ちゃんねるだな。
何でも立てていいのかスレよ。
伝芸スレは全て駄スレばっかしじゃねえか。
レス削除する前にレスを立てさせねえようにしろや!
ええ ド素人の管理人とやらよ!

しかしてめえらのような馬鹿のド素人ばっかしだから
2ちゃんも駄目になるのよ。
わかってんのかよ、馬鹿どもが!



287 :重要無名文化財:03/01/27 00:55
そいでもって 総合スレ ってぇ駄スレな
あれっておっ立てやがった馬鹿女自身が削除願い出してんだろが
それほどの超駄スレまで復活させやがって

管理人ふくめて馬鹿ばっかしだよな!
あきれてものも言えねえな。


288 :重要無名文化財:03/01/27 00:58
2ちゃんって所はな、もっと殺伐としてるべきなんだよ!
わかってんのか!

管理人がまず伝統芸能勉強しなきゃあな
管理できるわけねえわさ
そいでもって2ちゃんから銭もらってるんだから
そういうのを 泥棒 ってんだよ!
覚えときな!

289 :重要無名文化財:03/01/27 00:59
the great Japan empire Emperor who holds heavenly help and takes the post of the grade of the Emperor of the 10,000th one system -- clearly -- loyalty -- the people,
brave you, are told I declare war here to a North Korean people democracy republic.
Promise my land-and-sea army soldiers taking out the best, and being engaged in a battle, the government official of everything of mine making an effort,
and performing a job in response to a command, and the man of everything of mine rendering the duty, mentioning the national aggregate power, and attaining the purpose of this war to prevent mistakes.
first of all, the stability of an Asian area -- securing -- the world -- Emperor Meiji also being said, contributing peacefully being greatly clear and it greatly inheriting from the Taisho Emperor,
and inheriting predecessors' achievements or carrying out --
the place which is a plot by the far future and I always continue having in the heart This and an empire are just always going to use to promote the exchange with every country in the world, since that is right,


290 :重要無名文化財:03/01/27 01:00
and to share both pleasure of world peace as the indicator of diplomatic relations.
Now, it is made a misfortune and came to begin North Korea and war. Although it is very unavoidable, it is not my real intention.
The North Korea government did not understand imperial real intention, but things were established indiscriminately,
the peace of an Asian area was disturbed, and it came to make an empire perform arms at last. It as newly [ an empire ] also fortunately as the North Korea democratic government went into friendship.
Although an empire contracts a peace treaty with the new government and is beginning to tie up mutually,
the Kim Jong-il Administration which remains in Pyongyang does not change fighting in response to secret protection of the People's Republic of China.
North Korea supports "terrorism" and "kidnap activities", promotes the uneasiness of an Asian area, shows off the beauty name of peace, and strengthens ambition of domination of an Asian area further.
The countries which it did not come out [ countries ] so much and had "the axis of evil" named were invited, armaments were reinforced around the empire, our country was challenged,
all disturbance was further done to imperial peaceful exchange, economical rupture was carried out at last,
and the serious threat for imperial fate was added. Although I wished that the government recovered this state of emergency to the inside of peace and negotiation was repeated tenaciously,
North Korea does not have the completely conceded intention, is meaningless,
tended to solve the situation to extension, tended to increase economical and the military threat conversely in the meantime, and tended to make our country obey.


291 :重要無名文化財:03/01/27 01:00
Thus, if it changes, years of efforts of the empire about the stability of an Asian area will finish vainly entirely, and will lapse into a state with imperial dangerous fate.
In this way, all were decided. Just now, for homeland self-defense, an empire will opt for preparedness and will smash all obstacles.
The spirit of the dead of the ancestor of Emperor successive generation is on people.
Carry out bravery reliance and I need to push national loyalty and the unfinished work to which the sovereign of ancestor each generation was left behind,
and eliminate uneasiness promptly more widely, ensure an Asian area or world peace, and pledge to protect an imperial glory based on it.

Imperial sign and seal


292 :重要無名文化財:03/01/27 01:00
>>98
行っとくけどブラクラ使えば簡単に君たちのID調べて個人情報知れるんだからね
もう職業とか住所、氏名、家族構成、病歴、電話番号なんかも簡単に調べられるんだよ
僕を怒らせたのガいけないんだよ
今までも2chで僕にIDばれて悲惨な目に会った人がたくさんいたっけ
住所わかれば君たちに時限式ダイナマイトだって送れるんだよ
ダイナマイトって意外と簡単に作れるんだよね〜
コンビニの花火をちょっといじるだけでね
後悔してもおそいからね
もう君たち普通の生活を出来ないだろうね
あ、住所とか変えても無駄だから
僕はクラッカーだからブラクラとかウイルスとか色々使って君を追いかけるよ
あはははははははははは
これから君たちのID調べるから
もう謝っても無駄だよ
ご愁傷様


293 :重要無名文化財:03/01/27 01:02
>>292
なわけねえだろが
馬鹿がはったりきかしてんじゃねえよ!
カキコしたくれえで 何にもわかんないんだよ 馬鹿!
PC一から勉強しなおせや!
ご愁傷様 はてめえだよ!

294 :重要無名文化財:03/01/27 01:04
















295 :重要無名文化財:03/01/27 01:05
今日2ちゃんねる行ったんです。2ちゃんねる。
そしたらなんかきたねえスレがいっぱいで読めないんです。
で、よく見たらなんか【逢引ホテルは】アンチ文楽【ワシソトソ】 とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、普段来ない2ちゃんねるに来てんじゃねーよ、ボケが。
2ちゃんねるだよ、2ちゃんねる。
なんかバカ女とかもいるし。夫の不倫相手への復讐か。おめでてーな。
Kヤの不倫相手の話とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、多田K子の掲示板やるから、その席空けろと。
2ちゃんねるってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
掲示板の隙間と隙間で、いつ喧嘩が始まっても
おかしくない、 刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと通れたかと思ったら、隣の奴が、文楽スレ、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、文楽なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、文楽、だ。
お前は本当に大阪人なのかと問いたい。問い詰めたい。3時間以上問い詰めたい。
お前、本当は姫路や奈良のインチキ関西人ちゃうんかと。
大阪通の俺から言わせてもらえば今、大阪通の間での最新流行都市はやっぱり、
飛田、これだね。
道路にヤクの売人。これが通の大阪の観光の仕方。
飛田ってのは二階に上がって座布団が布団代わり。そんかわりエイズも多め。これ。
で、それに金出せば薬処方してくれる病院。これ最強。
しかしこれを頼むと次から警察にマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らドタロシは、信太山でも逝ってなさいってこった。


296 :重要無名文化財:03/01/27 01:07
1 :重要無名文化財 :03/01/24 20:33
馬鹿がまた張りコして容量ageましたんで、アンチ用に
作っておきます。
今までのまとめは>>2
以下に

ってよ
誰が馬鹿スレおっ立てていいって言ったんだよ 馬鹿め!
アホか!
正月からボケてんじゃねえよ!


297 :重要無名文化財:03/01/27 01:09
何にも知らねえトウシロが無い頭ひねってまとめてんじゃねえよ!

298 :重要無名文化財:03/01/27 01:09
さぁーて、いいかげんコピペスレ止めろよと削除依頼を出してる方々、
馬鹿な>>1を当てる時間がやってまいりました。
今回は、50/50で残った「捨てられ女」と「同業者」について、>>1の姿
を浮き彫りにしたいと思います。

<バカ女>編

1は、派遣かフリーターか無職引きこもりか主婦か自由業である。
1は、学習院よりバカな学校しか出ていない。
1は、実は子が親と同じ世界に入ったという文楽の家系図についてよく
   わかっていない。
1は、大石神社奉納会に足を運んだことがある。
1の周りには、色仕掛けドキュソ女がいる。
1は、一応着物に興味があるが、持っているのはダサい着物ばかりである。
1は、若手の会の値段と配役に納得がいかない。
1は、大阪に行くとなんばウオークをうろつく。
1は、1の相手が実はものごっつ貧乏であったことに今更おどろいている。
1は、大阪にしょっちゅう逝ったくせに曽根崎ゆかりの寺の参拝はまだである。

まあこのスレは非常に高度というか、プロ用のスレである事は間違いない。
他のドタロシ文楽スレよりははるかに水準が高いのである。
絵文字を貼り付けて一見、冗談でいい加減なスレのようだが、
内容は最高水準である。
ドタロシには理解は全く無理であろう!
まずは 「ドタロシ」 という意味を理解する事がこのスレを理解する第一段階である。
貼り付けられている絵文字はどれも非常に意味が深いという事も私には理解できる。
   では諸君、健闘を祈る!



299 :重要無名文化財:03/01/27 01:09
which is operated by three manipulators is about a half life-size. The puppets seen on stage are elaborately
costumed in traditional Japanese style. The Chief Manipulator (Omodzukai) holds the puppet and moves
it's head (Kashira) and body using his left hand in the body through the opening at the back of the puppet. He also controls the puppet's right hand with his right hand. Only the Chief Manipulator shows his face in most scenes (Dedzukai).
The Second Manipulator (Hidaridzukai) moves the puppet's left hand and assists the Chief Manipulator.
The Third Manipulator (Ashidzukai) moves the puppet's legs. Usually, a female puppet has no legs as a rule,
so the Third Manipulator moves its skirt and creates the illusion of moving legs.
Imagine three individual people moving one puppet, even a simple movement, like clapping hands, is difficult
to accomplish. Learning manipulate a Bunraku puppet requires hard training for many years. A Ningyo operated
by skilled manipulators looks as if it has life.On an elevated platform at the right side of the stage, two people
in formal dress (Kamishimo) are sitting. They are the Joruri reciter (Tayu) and the Shamisen player (Shamisen).
Tayu is the only person who makes vocalization in the play. He recites special music (Gidayu Bushi),
tells the story and takes charge of the puppets' voices. He is a singer, a narrator and a vocal player
(provide various kinds of voices of characters). Tayu often plays the role of a conductor by reciting Joruri
because Bunraku consists of three parts (Ningyo, Joruri, Shamisen). The play is called Joruri and is usually
recited using the Kamigata dialect.The Shamisen is an orchestra made of one person. It is not only accompaniment music,
the largest body and the thickest strings, which make a dramatic resonant sound. Another kind of music which uses
the Hutozao, the Tsugaru Shamisen is also famous. But, the mood created is very different from BUNRAKU.


300 :重要無名文化財:03/01/27 01:10
The Bunraku Puppet Theatre,which is the most refined form of puppetry in the world, is a combination
of three skills each of which requires many years of training to master──puppet manipulation, joruri recitation
and samisen music.The dolls of the Bunraku Puppet Show are about half life-size.Their eyes move. their eyebrows
rise in surprise, their mouths open and shut and their hands and arms gesture gracefully and realistically.
Each of the principal dolls is operated by three manipurators who work in perfect unison. The manipurators carry
the dolls on to the stage and are visible throughout the play. The chief manipurator holds the puppet from the back
with his left hand by a special grip in the figure's chest and directs the puppet's right arm with his right hand.
The second operator moves the left hand and the third,the legs. As a female doll has no legs as a rule, the third
operator moves its skirt in such a way as to create an illusion of moving legs.
The joruri reciter, who tells the story which the puppets act, and who chants, shouts, whispers or sobs the dialogue
for all characters appearing in the play, sits with his samisen accompanist, each resplendent in the traditional
kamisimo dress, in full view on an elevated dais at the right side of the stage.
The samisen accompanist is no less important an element in the puppet show. The samisen provides not only a musical
accompaniment to the joruri recitation but also an indication, where apprpriate, of the sound of rain or wind or
other effects to heighten the atmosphere of the scene.Most of the plays in the Bunraku repertoire are classics written
in the 18th century. Though about 50 new plays have been presented after World War U、most of them are not likely
to be staged again, where as most of the classics are certain of constsnt repetition.

301 :重要無名文化財:03/01/27 01:10
The Goverment is giving great support to the Bunraku Puppet Theatre, designating it as an important intangible cultural
asset. In 1984 the National Bunraku Theatre was established in Osaka, the birthplace of Bunraku. At this theatre
six series of Bunraku performances, each lasting about two weeks, are scheduled to be held every year.
The narrator sits with his shamisen accompanist, each resplendent in traditional kamishimo dress, in full view on
an elevated dais at the right side of the stage. The shamisen accompanist is no less important an element in the puppet
show. The shamisen provides not only a musical accompaniment to the joruri narration but also an indication,
where appropriate, of the sound of rain or wind or other effects to heighten the atmosphere of the scene.
Most of the plays in the bunraku repertoire are classics written in the l8th century. Although about 50 new plays
have been presented since World War II, most of them are not likely to be staged again, whereas most of the classics
are certain of constant repetition. The Government is giving great support to Bunraku puppet theater, designating
it as an important intangible cultural asset. In 1984 the National Bunraku Theater was established in Osaka,
the birthplace of bunraku. Six series of bunraku performances, each lasting about two weeks, are scheduled to be heldevery year at the theater.


302 :重要無名文化財:03/01/27 01:11
Already in the Heian period (794-1185), itinerant puppeteers known as kugutsumawashi traveled around Japan playing
door-to-door for donations. In this form of street entertainment, which continued up through the Edo period,
the puppeteer manipulated two hand puppets on a stage that consisted of a box suspended from his neck. A number
of the kugutsumawashi are thought to have settled at Nishinomiya and on the island of Awaji, both near present-day Kobe.
In the sixteenth century, puppeteers from these groups were called to Kyoto to perform for the imperial family and military leaders. It was around this time that puppetry was combined with the art of joruri.
A precursor of joruri can be found in the blind itinerant performers, called biwa hoshi, who chanted The Tale of the Heike,
a military epic depicting the Taira-Minamoto War, while accompanying themselves on the biwa, a kind of lute.
In the sixteenth century, the shamisen replaced the biwa as the instrument of choice, and the joruri style developed.
The name joruri came from one of the earliest and most popular works chanted in this style, the legend
of a romance between warrior Minamoto no Yoshitsune and the beautiful Lady Joruri.
The art of puppetry combined with chanting and shamisen accompaniment grew in popularity in the early seventeenth century
in Edo (now Tokyo), where it received the patronage of the shogun and other military leaders. Many of the plays
at this time presented the adventures of Kimpira, a legendary hero renowned for his bold, outlandish exploits.


303 :重要無名文化財:03/01/27 01:11
It was in the merchant city of Osaka, however, that the golden age of ningyo joruri was inaugurated through the talents
of two men: tayu (chanter) Takemoto Gidayu (1651-1714) and the playwright Chikamatsu Monzaemon.
After he opened the Takemotoza puppet theater in Osaka in 1684, Gidayu's powerful chanting style, called gidayu-bushi,
came to dominate joruri. Chikamatsu began writing historical dramas (jidai-mono) for Gidayu in 1685. Later he spent more
than a decade writing mostly for kabuki, but in 1703 Chikamatsu returned to the Takemotoza, and from 1705 to the end
of his life he wrote exclusively for the puppet theater. There has been much debate as to why Chikamatsu turned
to writing for kabuki and then returned to bunraku, but this may have been the result of dissatisfaction with the
relative position of the playwright and actor in kabuki. Famous kabuki actors of the day considered the play raw material
to be molded to better display their own talents.
In 1703, Chikamatsu pioneered a new kind of puppet play, the domestic drama (sewa-mono), which brought new prosperity
to the Takemotoza. Only one month after a shop clerk and a courtesan committed double suicide, Chikamatsu dramatized
the incident in The Love Suicides at Sonezaki. The conflict between social obligations (giri) and human feelings (ninjo)
found in this play greatly moved audiences of the time and became a central theme for bunraku.
Domestic dramas, such as Chikamatsu's series of love-suicide plays, became a favorite subject for the puppet theater.
Historical dramas, however, also continued to be popular and became more sophisticated as audiences came to expect
he psychological depth found in the domestic plays. One example of this is Kanadehon Chushingura, perhaps the most


304 :重要無名文化財:03/01/27 01:12
famous bunraku play. Based on the true story of the 47 ronin (masterless samurai) incident of 1701-1703, it was first
staged 47 years later in 1748. After drawing his sword in the Edo castle in response to insults by the Tokugawa
shogun's chief of protocol (Kira Yoshinaka), the feudal lord Asano Naganori was forced to commit suicide and his clan
was disbanded. The 47 loyal retainers carefully plotted and carried out their revenge by killing Kira nearly two years
later. Even though many years had elapsed since the incident, playwrights still changed the time, location, and character
names in order to avoid offending the Tokugawa shogun. This popular play was soon adapted to the kabuki stage and continues to be an important part of both repertoires.
Throughout the eighteenth century, bunraku developed in both a competitive and cooperative relationship with kabuki.
At the individual role level, kabuki actors imitated the distinctive movements of bunraku puppets and the chanting style
of the tayu, while puppeteers adapted the stylistic flourishes of famous kabuki actors to their own performances.
At the play level, many bunraku works, especially those of Chikamatsu, were adapted for kabuki, while lavish kabuki-style
productions were staged as bunraku. Gradually eclipsed in popularity by kabuki, from the late 18th century bunraku went
into commercial decline and theaters closed one by one until only the Bunraku-za was left. Since World War II,
bunraku has had to depend on government support for its survival, although its popularity has been increasing in recent
years. Under the auspices of the Bunraku Association, regular performances are held today at the National Theater
in Tokyo and the National Bunraku Theater in Osaka. Bunraku performance tours have been enthusiastically received
in cities around the world.


305 :重要無名文化財:03/01/27 01:12
One-half to two-thirds life-size, bunraku puppets are assembled from several components: wooden head, shoulder board,
trunk, arms, legs, and costume. The head has a grip with control strings to move the eyes, mouth, and eyebrows.
This grip is inserted into a hole in the center of the shoulder board. Arms and legs are hung from the shoulder board
with strings, and the costume fits over the shoulder board and trunk, from which a bamboo hoop is hung to form the hips.
Female puppets often have immovable faces, and, since their long kimono completely cover the lower half of their bodies,
most do not need to have legs.There are about seventy different puppet heads in use. Classified into various categories,
such as young unmarried woman or young man of great strength, each head is usually used for a number of different
characters, although they are often referred to by the name of the role in which they first appeared.The omozukai
(principal operator) inserts his left hand through an opening in the back of the costume and holds the head grip.
With his right hand he moves the puppet's right arm. Holding a large warrior puppet can be an exercise in endurance since
they weigh up to twenty kilograms. The left arm is operated by the hidarizukai (first assistant), and the legs are
operated by the ashizukai (second assistant), who also stamps his feet for sound effects and to punctuate the shamisen
rhythm. For female puppets, the ashizukai manipulates the lower part of the kimono to simulate leg movement.


306 :重要無名文化財:03/01/27 01:12
In Chikamatsu's day, puppets were operated by one person; the three-man puppet was not introduced until 1734.
Originally this single operator was not seen on stage, but for The Love Suicides at Sonezaki, master puppeteer
Tatsumatsu Hachirobei became the first to work in full view of the audience.Today all three puppeteers are out on stage
in full view. The operators usually wear black suits and hoods that make them symbolically invisible. A celebrity
in the bunraku world, the principal operator often works without the black hood and in some cases even wears a brilliant
white silk robe.Like the puppeteers, the tayu and the shamisen player were originally hidden from the audience but,
in a new play in 1705, Takemoto Gidayu chanted in full view of the audience, and in 1715 both the tayu and shamisen
player began performing on a special elevated platform at the right of the stage, where they appear today. The tayu
has traditionally had the highest status in a bunraku troupe. As narrator, he creates the atmosphere of the play, and
he must voice all parts, from a rough bass for men to a high falsetto for women and children.The shamisen player does not
merely accompany the tayu. Since the puppeteers, tayu, and shamisen player do not watch each other during the performance,
it is up to the shamisen player to set the pace of the play with his rhythmic strumming. In some large-scale bunraku plays
and extravaganzas adapted from kabuki, multiple tayu-shamisen pairs and shamisen ensembles are used.


307 :重要無名文化財:03/01/27 01:13
Bunraku puppets History of Bunraku//Puppets and Performance//A Bunraku Play: Sonezaki shinju (The Love Suicides at Sonezaki)
BUNRAKUPuppet theater brings old Japan to lifeBunraku is Japan's professional puppet theater. Developed primarily
in the 17th and 18th centuries, it is one of the four forms of Japanese classical theater, the others being kabuki, noh,
and kyogen. The term bunraku comes from Bunraku-za, the name of the only commercial bunraku theater to survive into
the modern era. Bunraku is also called ningyo joruri, a name that points to its origins and essence. Ningyo means "doll"
or "puppet," and joruri is the name of a style of dramatic narrative chanting accompanied by the three-stringed shamisen.
Together with kabuki, bunraku developed as part of the vibrant merchant culture of the Edo period (1600-1868).
Despite the use of puppets, it is not a children's theater. Many of its most famous plays were written by Japan's greatest
dramatist, Chikamatsu Monzaemon (1653-1724), and the great skill of the operators make the puppet characters and their
stories come alive on stage.History of BunrakuPuppets and Performance//A Bunraku Play: Sonezaki shinju (The Love Suicides
at Sonezaki) Already in the Heian period (794-1185), itinerant puppeteers known as kugutsumawashi traveled around Japan
playing door-to-door for donations. In this form of street entertainment, which continued up through the Edo period,
the puppeteer manipulated two hand puppets on a stage that consisted of a box suspended from his neck. A number
of the kugutsumawashi are thought to have settled at Nishinomiya and on the island of Awaji, both near present-day Kobe.


308 :重要無名文化財:03/01/27 01:14
Scene I: Making the rounds of his customers, Tokubei, clerk at a soy sauce dealer, meets his beloved, the courtesan Ohatsu,
by chance at Ikutama Shrine in Osaka. Weeping, she criticizes him for neglecting to write or visit. Tokubei explains
that he has had some problems, and at her urging he tells the whole story.
Tokubei's uncle, the owner of the soy sauce business, had asked him to marry his wife's niece, but Tokubei refused because
of his love for Ohatsu. However, Tokubei's stepmother agreed to the marriage behind his back and took the large dowry
with her to the country. When Tokubei again refused the marriage, his angry uncle demanded the return of the dowry money.
After finally managing to get the money from his stepmother, Tokubei lent it to his good friend Kuheiji, who is late paying it back.
Just then a drunken Kuheiji arrives at the shrine with a couple of friends. When Tokubei urges him to return the money,
Kuheiji denies borrowing it, and he and his friends beat up Tokubei.


309 :重要無名文化財:03/01/27 01:14
When Kuheiji has gone, Tokubei proclaims his innocence to bystanders and hints that he will make amends by killing himself.
Scene 2: It is the evening of the same day and Ohatsu is back at Temma House, the brothel where she works. Still distraught
at what has happened, she slips outside after catching a glimpse of Tokubei. They weep and he tells her that the only option left for him is suicide.
Ohatsu helps Tokubei hide under the porch on which she sits, and soon Kuheiji and his friends arrive. Kuheiji continues to proclaim
Tokubei's guilt, but Ohatsu says she knows he is innocent. Then, as if talking to herself, she asks if Tokubei is resolved to die. Unseen by the others,
he answers by drawing her foot across his neck. (Since female puppets do not have legs, a specially made foot is used for this scene.)
Kuheiji says that if Tokubei kills himself he will take care of Ohatsu, but she rebukes him, calling him a thief and a liar. She says she is sure that
Tokubei intends to die with her as she does with him. Overwhelmed by her love, Tokubei responds by touching her foot to his forehead.
Once Kuheiji has left and the house is quiet, Ohatsu manages to slip out.
Scene 3: On their journey to Sonezaki Wood, Tokubei and Ohatsu speak of their love, and a lyrical passage
spoken by the narrator comments on the transience of life. Hearing revelers in a roadside teahouse singing about an earlier
love suicide, Tokubei wonders if he and Ohatsu will be the subject of such songs. After reaching Sonezaki Wood, Ohatsu cuts her sash.
and they use it to bind themselves together so they will be beautiful in death. Tokubei apologizes to his uncle, and Ohatsu to her parents,
for the trouble they are causing. Chanting an invocation to Amida Buddha, he stabs her and then himself.



310 :重要無名文化財:03/01/27 01:16
吉牛の作者さんは若手会(テンカラー会)も康楽館(?だっけ)も湯布院も口語ブソラクも逝った事あるおなごなのかあ。
そしたらかなり限られてこねえか?そんなに追っかけするお金も労力も暇もある人いねーし。
水とか派遣とかで高い時給貰ってお金と暇のある人か、
休み取りやすい会社でも上のほうの人とか、親が金くれるお嬢な学生とか、
そのいずれかだね。でもなんでおなごなんだろー?
しかもブラジルまで逝ってるから、犯人(作者)絞れたようなモンだと思うんだが…
でも吉牛なにげに間違いもあるけど大体はあってるよね。
しかしマイナーな催し&場所までチェックしすぎ。
最近2、3日現れなくなったところを見ると、やっぱ朝錬(藁)関係者?
自分的にツボだったのは変な親睦パーティとかってのですた。
あんなの関係者じゃなかったらありえない。書けるはずない。
作者は今も役者のすぐ側で笑ってんですねえ。
2月も当然来そうですねえ。
しかしワシソトソの逢い引きカプールとはいかに?複数いるようだし。
でも東京だったらワシソトソより渋谷の某ホテールの方が技芸員目撃率高いんだがナー
吉牛女の特徴
・大分逝った
・秋田逝った
・着物に詳しい
・若手会も自主公演も逝った
・関係者しか入れないはずのパーティにも逝った
・ワシソトソにも逝った
・なんか何気に博識
なんか絞れそう
ブサイコかも


311 :重要無名文化財:03/01/27 01:17
同感、まったく同感です。
というか、文楽の技◎員は関西のシケタ客なんか相手にしてないんじゃないか。
東京の客筋とは比べ物にならないよね。
東京じゃ政治経済界のトップクラスが沢山いらっしゃってるけんど、
大阪じゃ、せいぜい中小企業の社長さんがいいとこだもんな。
女もサ、東京じゃ財閥の奥様から超一流企業の女社長から、
人気女優のお忍びや超一流企業のOLってとこでしょ。
大阪じゃ、あれだもんネ。
ご祝儀のケタが一桁違ってんじゃねえのかな。
せいぜい税務署に気いいつけな。


312 :重要無名文化財:03/01/27 01:18
このスレッドの常識の一つに下記のような文字列を貼るか
絵を貼るのが常識だから覚えておくように!
>>1>>1>>1>>1>>1>>1>>1>>1>>1>>1>>1>>1>>1>>1>>1>>1>>1>>1>>1>>1>>1

313 :重要無名文化財:03/01/27 01:19
>>1
それより1の馬鹿女め!
なんだよこのスレのお題目はよ!
説明してみろや!
出来ねえだろがや!
だから女子供は馬鹿だってんだよ! 馬鹿めが!


314 :重要無名文化財:03/01/27 01:20
まあこのスレは非常に高度というか、プロ用のスレである事は間違いない。
他のドタロシ文楽スレよりははるかに水準が高いのである。
絵文字を貼り付けて一見、冗談でいい加減なスレのようだが、内容は最高水準である。
まずは 「ドタロシ」 という意味を理解する事がこのスレを理解する第一段階である。
貼り付けられている絵文字はどれも非常に意味が深いという事も私には理解できる。
あなたはこのスレッドを立てた時、 どれだけのレスがつくと思っていましたか?
500?それとも1000?
今現在、モニターの前でどきどきしながらリロードを繰り返していることと思います。
でも残念ながらこのままのペースでは、自作自演でもしない限り レス100も突破することなく、
数々の駄スレと同じ運命をたどって 奥深く埋もれていくことは確実でしょう。
「自分の立てたスレは他の奴らが立てた”駄スレ”とは一味違う!」
きっとあなたはそんなふうに思っているのでしょう。ですが、
客観的に見てあなたのスレッドは、残念ながら「低レベル」と言わざるを得ません。
あなたが立てた「一味違うスレッド」というものは、
普段あなたが一笑に付し軽蔑している「駄スレ」の正にそれなのです。
ちょっとした勘違いから生まれたスレッドによって、深く傷つくあなた。
そんなあなたが気の毒でなりません。 人は誰しも幸せになれるはずなのに・・・。
だからあなたにこのレスを書きました。sageも入れないでおきました。
私のこのレスが「レス100突破」に微力ながら貢献できるのならば、
そして私のこのレスによるageが、スレッド再燃に微力ながら貢献できるのならば、
こんなにうれしいことはありません。2ちゃんねるという場所ですら、周りと噛み合うことができなかった
不器用なあなたに、両手いっぱいの幸せが訪れますように・・


315 :重要無名文化財:03/01/27 01:20
the great Japan empire Emperor who holds heavenly help and takes the post of the grade of the Emperor of the 10,000th one system -- clearly -- loyalty -- the people,
brave you, are told I declare war here to a North Korean people democracy republic.
Promise my land-and-sea army soldiers taking out the best, and being engaged in a battle, the government official of everything of mine making an effort,
and performing a job in response to a command, and the man of everything of mine rendering the duty, mentioning the national aggregate power, and attaining the purpose of this war to prevent mistakes.
first of all, the stability of an Asian area -- securing -- the world -- Emperor Meiji also being said, contributing peacefully being greatly clear and it greatly inheriting from the Taisho Emperor,
and inheriting predecessors' achievements or carrying out --
the place which is a plot by the far future and I always continue having in the heart This and an empire are just always going to use to promote the exchange with every country in the world, since that is right,
and to share both pleasure of world peace as the indicator of diplomatic relations.
Now, it is made a misfortune and came to begin North Korea and war. Although it is very unavoidable, it is not my real intention.
The North Korea government did not understand imperial real intention, but things were established indiscriminately,
the peace of an Asian area was disturbed, and it came to make an empire perform arms at last. It as newly [ an empire ] also fortunately as the North Korea democratic government went into friendship.
Although an empire contracts a peace treaty with the new government and is beginning to tie up mutually,
the Kim Jong-il Administration which remains in Pyongyang does not change fighting in response to secret protection of the People's Republic of China.


316 :重要無名文化財:03/01/27 01:21
North Korea supports "terrorism" and "kidnap activities", promotes the uneasiness of an Asian area, shows off the beauty name of peace, and strengthens ambition of domination of an Asian area further.
The countries which it did not come out [ countries ] so much and had "the axis of evil" named were invited, armaments were reinforced around the empire, our country was challenged,
all disturbance was further done to imperial peaceful exchange, economical rupture was carried out at last,
and the serious threat for imperial fate was added. Although I wished that the government recovered this state of emergency to the inside of peace and negotiation was repeated tenaciously,
North Korea does not have the completely conceded intention, is meaningless,
tended to solve the situation to extension, tended to increase economical and the military threat conversely in the meantime, and tended to make our country obey.
Thus, if it changes, years of efforts of the empire about the stability of an Asian area will finish vainly entirely, and will lapse into a state with imperial dangerous fate.
In this way, all were decided. Just now, for homeland self-defense, an empire will opt for preparedness and will smash all obstacles.
The spirit of the dead of the ancestor of Emperor successive generation is on people.
Carry out bravery reliance and I need to push national loyalty and the unfinished work to which the sovereign of ancestor each generation was left behind,
and eliminate uneasiness promptly more widely, ensure an Asian area or world peace, and pledge to protect an imperial glory based on it.

Imperial sign and seal


317 :重要無名文化財:03/01/27 01:21
わけの和姦ねえ事欠きこしてんじゃねえよ
英語で開店の禍害国人なのか波っきり城や

318 :重要無名文化財:03/01/27 01:22
さぁーて、いいかげんコピペスレ止めろよと削除依頼を出してる方々、
馬鹿な>>1を当てる時間がやってまいりました。
今回は、50/50で残った「捨てられ女」と「同業者」について、>>1の姿
を浮き彫りにしたいと思います。

<バカ女>編

1は、派遣かフリーターか無職引きこもりか主婦か自由業である。
1は、学習院よりバカな学校しか出ていない。
1は、実は子が親と同じ世界に入ったという文楽の家系図についてよく
   わかっていない。
1は、大石神社奉納会に足を運んだことがある。
1の周りには、色仕掛けドキュソ女がいる。
1は、一応着物に興味があるが、持っているのはダサい着物ばかりである。
1は、若手の会の値段と配役に納得がいかない。
1は、大阪に行くとなんばウオークをうろつく。
1は、1の相手が実はものごっつ貧乏であったことに今更おどろいている。
1は、大阪にしょっちゅう逝ったくせに曽根崎ゆかりの寺の参拝はまだである。

まあこのスレは非常に高度というか、プロ用のスレである事は間違いない。
他のドタロシ文楽スレよりははるかに水準が高いのである。
絵文字を貼り付けて一見、冗談でいい加減なスレのようだが、
内容は最高水準である。
ドタロシには理解は全く無理であろう!
まずは 「ドタロシ」 という意味を理解する事がこのスレを理解する第一段階である。
貼り付けられている絵文字はどれも非常に意味が深いという事も私には理解できる。
   では諸君、健闘を祈る!


319 :重要無名文化財:03/01/27 01:22
もし僕が人形使いだったらいくら年を重ねようが演じてるときは自ら決して顔など
出さない。
又、ほんとに文楽の事思ってるなら出せるわけがない。
はっきり言って見るもののじゃまだからです。見るものは操り方の妙を鑑賞する
訳だし誰が演じてるかは分かってみてるわけだから。
最後の挨拶で見せればいいのだ。
特権意識が鼻につく。ふざけるなと言う感じ。いつも思う。だから自ら見にいかない。
文楽は変!!。
人形の横で、きたない爺の大顔があるなんて、
劇全体を殺している。
何が無の境地じゃ。きたならしい自己顕示欲だけじゃ。
良識と由緒ある日本国民は
人形遣いは目立つ格好するな!顔だしやめれ!といってやってください。


320 :重要無名文化財:03/01/27 01:23
昨日、ブソラクの若手の会逝ったんです、若手会。
そしたらなんか国立の発表会みたいに無料だと思ったら、有料っぽいんです。
で、よく調べたらなんか一般一人2千円前後で、チケピでも取り扱いしてるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、何でこんな若いのの発表会に2300円も払わなきゃなんねーんだよ、ボケが。
若手会だよ、若手会。
なんか最後にまたカーテンしてるし。皆でやらせ拍手か。おめでてーな。
よーし次は全国公演だ!とかほざいてんの。もう見てらんない。
お前らな、津軽三味線若手全国大会入場券やるからその席空けろと。
若手会ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
忠臣蔵で主人公と準主人公になった芸人と芸人の、いつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったと思ったら、馬鹿な落ヲタが、質屋芝居、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、質屋芝居なんて今時流行んねえんだよ、ボケが。
得意げな顔して何が、質屋芝居、だ。
お前は本当にブソラク好きなのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、自分が古典に造詣深いですと言いたいだけちゃうんかと。
若手会通の俺から言わせてもらえば今、若手会通の間での流行はやっぱり、
花ショー、これだね。
八坂神社に逝って若いのの汗を浴びるくらいがぶりつき。これが通の若手の会の楽しみ方。
京都ってのは地域に芸が密着してるぜ豆腐。これ。
で、さらに祇園コーナーで茂山兄弟が出てないかヲチ。これ最強。
しかしこのやり方だと、2500円払ったのに出演者がそけらの神社の趣味連中である場合
があるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、とりあえず若き獅子たちでも見てなさいってこった。


321 :重要無名文化財:03/01/27 01:23
昨日、自称作家主催のパーティ行ったんです。パーティ。
そしたらなんか参加に規定があって、やらせ拍手に協力しないと入れないんです。
で、よく見たらなんかアホな公共電波垂れ流し放送局と左寄り新聞の連中がいて、仕切ってるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、やらせ拍手くらいで普段来ない永田町来てんじゃねーよ、ボケが。
やらせ拍手だよ、やらせ拍手。
なんか歌うたいとか年金ジジイもいるし。皆でやらせ拍手か。おめでてーな。
よーし青森や湯布院でもやらせ仕掛けけちゃうぞーとか叫んでるの。もう見てらんない。
お前らな、サッカーのWカップのチケットやるからその席空けろと。
ブソラク鑑賞ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
隣に座った武智と山城の、いつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったと思ったら、次の奴が、後は浄瑠璃を題材に新作を、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、浄瑠璃で新作なんていまどき流行んねーんだよ、ボケが。
得意げな顔して何が、浄瑠璃の新作、だ。
お前は本当に作家なのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、自分は美人で役者の愛人ですって言いたいだけちゃうんかと。
ブソラク鑑賞通の俺から言わせてもらえば今、鑑賞通の間での最新流行はやっぱり、
床そばで1500円観劇、これだね。
床そばで義大夫節チェック。これが通のブソラクの見方。
床ぞばってのは声がダイレクトに伝わってくる。そん代わりお囃子が聞こえない。これ。
で、それにブソラクせんべい。これ最強。
しかしこの見方だと舞台センターがまるっきし見えないという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、プラソタソ銀座のレクチャー講座でも申し込みなさいってこった。


322 :重要無名文化財:03/01/27 01:23
負け犬死刑支持論者は、もとより荒らすことしか出来ない。
負け犬死刑支持論者の主張に沿って誤りを懇切丁寧に指摘すると「妄想」呼ばわり。
負け犬死刑支持論者は反論できなくなったのでスレを荒し始める。よって、
彼と対話可能な唯一の形式は、もはや存在しなくただ負け犬死刑支持論者のキチガイ振りを見て楽しむのみ。
まことに馬鹿々々しいが、負け犬死刑支持論者が妄想を垂流すこと禁忌とするのが彼ら負け犬死刑支持論者のルール。
ではとりあえず、ルールをつくるにはどのような方法をとればよいのか、について話しましょうよ
そしてそれに従ってローカルルールをたて、そのルールに従って議論を再開しましょうよ
荒らしに付き合ってはならないというのはわかりますけどね。
ほっとくとこのような連中の荒らしがやまないのは過去ログをみれば明らかなのですよ。気分を害したのであれば、この辺で止めておきます。
教導者に付き合ってはならないというのはわかりますけどね。ほっといても教導者の荒らしがやまないのは過去ログをみれば明らかなのですよ。「この辺で止めておきます」なんて
彼が自分の書き込みを二日以上覚えていたことが過去にありましたか。負け犬死刑支持論者は自分の書き込みすら覚えていないから、その観点でも過去ログを目を通すことを条件とするのは妥当だ。
新たにスレッドを立てて、「負け犬」(笑)を全員隔離すること。「負け犬」以外は、このスレッドで引き続き「論理的な議論」を続ける。「負け犬」は、「隔離スレ」で「主観的な妄想」を続ける。
もちろん、勝者である教導者は「隔離スレ」には立ち入らず、「妄想」に干渉しない。このルールを教導者が順守すれば、棲み分けが出来て、何も問題はないと思われる。
ルールはすでに出ている、荒らしはまともに付き合わないこと。(言ってる教導者が荒らしなのだから無意味だが)
というわけで、別に誰も司会しなくても、教導者が他人の論理的な発言に耳を傾けさえすれば良いだろう。(但し「過去ログにある」と言う場合には、part何のレス何番と
 明記することを条件とする)負け犬教導者は、今までに何回も、ありもしない「事実」をタテに取ってきたのだから、具体的に典拠を示すことを条件とするのは当然だ。


323 :重要無名文化財:03/01/27 01:24
文楽の起源は真理の探究です
我々が伝統芸能板でやるべきことは真理の探究に寄与することであって
決して意味の無い中傷やオウム返しで勝敗を分かつためではないでしょう
誰もが自由に思想を持つことができるというのはすばらしいことではないでしょうか
例え、それがはたからは愚かに見えたとしてもその愚かさもまた、真理の探究という行動のもとに、自由な討論のもとに
よりよき理論の追求に役立つこともあると思います
主張はただ一つ
中傷をするなら、議論をしましょう
時間と労力の無駄使いであり、何より板に負荷がかかり落ちやすくなります
負け犬死刑支持論者は私の論理的な発言を無視し、
その反面私は如何なる指摘をも反論している。
過去ログから明らか。
負け犬死刑支持論者は、今までに何回も、ありもしない「事実」を
タテに取ってきたのだから、具体的に典拠を示すことを
条件とするのは当然だ。
教導者が必要かどうかは、教導者本人ではなく、そこの住民が決めること。
というわけで、死刑論議があるかぎりどこへでも荒らしに行く教導者は迷惑。
負け犬を教化するといいながら、いまだに一人も教化できていない教導者は
名前の根拠がないのである。
しかし、場を荒らしているのは、
私に論破されたからといって腹いせに荒らしている連中でして、
私は死刑論議に関する主張ならば如何なるものを中傷せず(言葉がもともと汚いので
完全にとはまだいえませんが)
やってきております。
しかし、ここで荒らしに屈してしまうと折角の議論スレが台無しになってしまいます。
私が必要かどうかは衆愚状態の客観的な考察が出来ない
連中が判断してよいものではない。
負け犬を教化して、負け犬死刑支持論者の行動から
焦っているところをみると負け犬死刑支持論者は自らの敗北を
認めている兆候が見られる。


324 :重要無名文化財:03/01/27 01:25
今までに私が負け犬死刑支持論者の事実誤認や論理破綻を指摘し、
その反面負け犬死刑支持論者は、都合の悪い指摘をことごとく無視して反論していない。
過去ログから明らか。
負け犬負け犬死刑支持論者は、今までに何回も、ありもしない「事実」を
タテに取ってきたのだから、具体的に典拠を示すことを
条件とするのは当然だ。
場を荒らしているのは、
みんなに論破されたからといって腹いせに荒らしている教導者でして、
彼は死刑論議のみならずあらゆる議論をぶちこわして回っています。
今までに、教導者に屈して議論スレがいくつ台無しになってしまったでしょうか。

教導者が必要かどうかは、多数決の結果であっても自分に都合悪ければ「衆愚状態だ」と
決めつけたがる駄々っ子が判断してよいものではない。
この程度のオウム返しに対して必死になっているところをみると、負け犬教導者は、
自らの敗北を認めている兆候が見られる。
今までに大勢の人間が教導者の事実誤認や論理破綻を指摘し、
その反面教導者は、都合の悪い指摘をことごとく無視して反論していない。
過去ログにいくらでも例がある。
負け犬教導者は、今までに何回も、ありもしない「事実」を
タテに取り、一方で他人の主張は「妄想」呼ばわりしてきたのだから、
具体的に典拠を示すことを条件とするのは当然だ。
ポパーの『よりよき世界を求めて』の第14章、寛容と知的責任にもあるように
自由な議論はそのままよりよき理論を淘汰し選別する、と思います

他の板では非現実的で効果がないかもしれませんが
哲学板ぐらいは議論におけるルールの押し付けではなく、
自由な議論をできる場でありたいと僕は願っています
そして、これは僕個人の意見ですが、
荒らしに対して最も効果がある行為は、誠実な文章の書き方であると思います


325 :重要無名文化財:03/01/27 01:25
事実の掲載によって教導者に自覚を促し、
過ちを認めさせるいう意図は、無惨にも破綻しました。
まぁ他に彼を説得する方策がない。何故なら、
彼は完全に論破されたから事実とはかけ離れた妄想によって
荒らして議論を妨害するだけですから。
それをまずは自覚させるほかないのですが、それは不可能です。
私は、円滑かつまともな態度で教導者という粘着嵐に対処することは不可能だと
今までの長い長い努力によって思い知りました。
彼が自分を論破した者たちに「負け犬」と延々冠し続けているのは、
自分の敗北を認めたくないという屈折した心理によるものです。
ですから真摯に主張する他の死刑廃止論者が彼と同類と思われないためにも
荒らしには屈せず教導者を駆除すべきという態度がよろしいと判断したものです。
今までに私が負け犬死刑支持論者の事実誤認や論理破綻を指摘し、
その反面負け犬死刑支持論者は、都合の悪い指摘をことごとく無視して反論していない。
過去ログから明らか。
負け犬負け犬死刑支持論者は、今までに何回も、ありもしない「事実」を
タテに取ってきたのだから、具体的に典拠を示すことを
条件とするのは当然だ。
今までに大勢の人間が教導者の事実誤認や論理破綻を指摘してきたし、
その反面教導者は、都合の悪い指摘をことごとく無視して反論していない。
過去ログから明らか。
過去ログという客観的な事実さえも直視する勇気を持てない教導者は、
自らの敗北を直視することもなく、永遠に勝ち誇り続けるであろう。
ついでに言わせて貰えれば、議論を中断させるために中傷をしたり、
自分に都合の悪い意見を封殺するためにオウム返しをするのは、
議論を進める上で非建設的であるばかりではなく、そのような行為を
した側(中傷やオウム返しをされた側ではなく)の知性や常識の程度を
著しく低く見せる行為です。


326 :重要無名文化財:03/01/27 01:25
私が鸚鵡返しをするのは、内容を見てもらえれば
理解できるように。すべて的確な反論になっているのです。
その反論が都合が悪く反論できないので、
私に完全に論破された論客は、
鸚鵡返しだからといって中傷してにげるのです。
これは内容が的確な反論になっている鸚鵡返しをされた側の
知性や常識の程度を 著しく低く見せる行為です。
このような常軌を逸した行動が議論の場で許されないのは当然です。
また、過去ログを見れば明らかにわかる内容の質問や、
議論の蒸し返しを行うなど効率的な議論を妨害する行動も
議論の場で許されるものでは当然ありません。
そうやって私が客観的な主張を論じても
私に論破された論客の共通点は 追証不可能で反論に耐えられない「思いこみ」を
指す出張する点で、このような論者の主張は、まさに「妄想」でしょう。
教導者による鸚鵡返しは、内容を見てもらえれば
理解できるように、的確な反論どころか、句読点や
テニヲハさえもおかしく、主語と述語の対応すらしていない、
デタラメなコピペでしかありません。
たとえば↓
>そうやって私が客観的な主張を論じても
>私に論破された論客の共通点は 追証不可能で反論に耐えられない「思いこみ」を
>指す出張する点で、このような論者の主張は、まさに「妄想」でしょう。
このことは、教導者の日本語作文能力を著しく低くみせるもので
あるばかりではなく、渠の読解力の低さを露呈するものでもあります。
このような常軌を逸した文章が議論の場で通用しないのは当然です。
また、過去ログを見てもそんな主張は無かったという指摘を無視し、
自分がシカトした質問の蒸し返しを許さないなど、正常な議論を
妨害する行動も許されるものではありません。
いくら皆さんが論理的な主張を行っても、皆さんに論破された教導者は、
追証不可能で反論に耐えられない「思いこみ」を主張し続けるだけなのです。
このような論者の主張は、まさに「妄想」でしょう。


327 :重要無名文化財:03/01/27 02:13
人形の横で、きたない爺の大顔があるなんて、
劇全体を殺している。
何が無の境地じゃ。きたならしい自己顕示欲だけじゃ。
良識と由緒ある日本国民は
人形遣いは目立つ格好するな!顔だしやめれ!といってやってください。
このスレの主張ある意味伝統的だわあ。まじ。
江戸時代の文書にある。
人につける敬称だけど、太夫と三味線弾きは敬称ありなんだが
人形遣いは人形遣いども、なんだよねえ。
参考までに歌舞伎役者は匹、扱い。ちなみに。
人形遣いまではいちおう人だけど役者は人じゃなかったんだねえ。
当時は。河原乞食だし。あ。これ常識だからね。
ま。このスレの主張は正しいってことで
もし僕が人形使いだったらいくら年を重ねようが演じてるときは自ら決して顔など
出さない。
又、ほんとに文楽の事思ってるなら出せるわけがない。
はっきり言って見るもののじゃまだからです。見るものは操り方の妙を鑑賞する
訳だし誰が演じてるかは分かってみてるわけだから。
最後の挨拶で見せればいいのだ。
特権意識が鼻につく。ふざけるなと言う感じ。いつも思う。だから自ら見にいかない。


328 :重要無名文化財:03/01/27 02:15
もしわたしが>>1だったらいくら年を重ねようが2chしてるときは自ら決してスレなど
立てない。
又、ほんとに文楽の事思ってるならスレ立てられるわけがない。
はっきり言ってロムるもののじゃまだからです。ロムるものは貼り方の妙を鑑賞する
訳だし誰が貼ってるかは分かってみてるわけだから。
文楽のスレなんて全く必要ないのだ。
“スレ立て”意識が鼻につく。ふざけるなと言う感じ。いつも思う。だから自らスレ立てない。
2chの伝芸板で、きたない>>1のスレがあるなんて、
板全体を殺している。
何が無の境地じゃ。きたならしい自己顕示欲だけじゃ。
良識と由緒ある日本国民は
>>1は駄スレ立てるな!やめれドタロシ!といってやってください。


329 :重要無名文化財:03/01/27 02:16
>>1の妹です。
このたびはお兄様がこんなスレッドを立ててしまってゴメンナサイ!
お兄様ったら私とのデートのときもずっと上の空で、口を開いたと思ったら
出てくるのはパソコンと2ちゃんねるのことばかり。
鈴凛の影響なのかしら、ほんと困っちゃう!
お兄様には私だけを見ていてほしいのに…

こうなったらお兄様を私の奴隷にして、私しか目に入らないように
しちゃうんだから!
手錠と鞭とお薬と…やっぱり縄とボンデージスーツも必須かしら。
ウフフ、なんだかドキドキしてきちゃった。
まっててね、お兄様。
どうもごめんなさいデス。(ペコリ)
はぁ……なんでこんなことになっちゃったんだろ。
昔の兄チャマは、優しくて、家族思いで、頭だってテスト100点
ばっかりだったし、お友達に囲まれていっつも楽しそうだったのデス。
でも、あの日の後、もう兄チャマは兄チャマじゃなくなっちゃった。
……兄チャマは、少しも悪くないんデス。悪いのは、アイツ。
なにか、皆さんに、おわびにしてあげられることがあると、いいんデスけど……
ううん、待ってて。
私が、兄チャマを元通りの兄チャマにしてみせるデス。
そして、兄チャマ自身が、自分でこのあやまちをつぐなうのデス。
だから、ほんの少しだけ、待ってて。ごめんね、おねがいデス。
兄チャマ、チェキよっ!


330 :重要無名文化財:03/01/27 02:16
>>1よ、この下の何処に行きたい?

五代目山口組 兵庫県神戸市灘区篠原本町4-3-1 渡邉 芳則 1都1道2府41県 約1万7,900人
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=34.43.3.218&el=135.13.43.834&fi=1
稲川会 東京都港区六本木7-8-4 稲川 角二 1都1道21県 約5,100人
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=35.39.43.174&el=139.43.58.090&fi=1
住吉会 東京都港区赤坂6-4-21 西口 茂男 1都1道1府17県 約6,300人
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=35.40.3.158&el=139.44.17.412&fi=1


331 :重要無名文化財:03/01/27 02:16
>>1は、死ね・くたばれ・消えろ・失せろ・潰れろ・馬鹿・あほ・間抜け・ドジ。
ポンコツ・トンチキ・ガラクタ・クズ・ゴミ・カス・最低以下の下劣・下等種族。
劣等種族・下衆野郎・腐れ外道・邪道・外道・非道・ウジ虫・害虫・ガン細胞。
ウィルス・ばい菌・疫病神・病原体・汚染源・公害・ダイオキシン・有毒物質。
廃棄物・発ガン物質・猛毒・毒物・アメーバ・ダニ・ゴキブリ・シラミ・ノミ。
毛虫・蠅・蚊・ボウフラ・芋虫・掃き溜め・汚物・糞・ゲロ・糞虫野郎・ほら吹き。
基地外・デタラメ・ハッタリ・穀潰し・ろくでなし・ごろつき・ヤクザ者。
社会の敵・犯罪者・反乱者・前科者・インチキ・エロ・痴漢・ゴミ・シデムシ。
ゴミ虫・毒虫・便所コオロギ・詐欺師・ペテン師・道化師・危険分子・痴呆・白痴。
魔物・妖怪・悪霊・怨霊・死神・貧乏神・奇天烈・奇人・変人・毒ガス・サリン。
ソマン・マスタードガス・イペリット・クソブタ・ブタ野郎・畜生・鬼畜・悪鬼。
邪気・邪鬼・ストーカー・クレイジー・ファッキン・サノバビッチ・シット・ガッデム。
小便・便所の落書き・不要物・障害物・邪魔者・除け者・不良品・カビ・腐ったミカン。
土左衛門・腐乱・腐臭・落伍者・犯人・ならず者・チンカス・膿・垢・フケ・化膿菌。
放射能・放射線・鬼っ子・異端者・妄想・邪宗・異教徒・恥垢・陰毛・白ブタ。
ケダモノ・ボッコ・ろくでなし・VXガス・ヒ素・青酸・監獄・獄門・さらし首。
打ち首・市中引きずり回し・戦犯・絞首刑・斬首・乞食・浮浪者・ルンペン・物乞い。
放射性廃棄物・余命1年・アク・割れたコップ・精神年齢7歳・3審は必要なし。
不良品、規格外、欠陥品、不要物、埃、掃き溜め、吹き溜まり、塵埃、インチキ、居直り。
ふてぶてしい、盗人、盗賊、残忍、残酷、冷酷、非情、薄情者、ガキ、クソガキ。
ファッキン、ガッデム、サノバビッチ、シット、ブルシット、ボロ、ボッコ、妄信。
狂信者、有害物質、毒薬、猛毒、発ガン物質、誇大妄想狂。
他人の悪口は山ほどほざくが反省は一切しないガキ根性野郎、腐れ根性。
腐って歪んだプライドの持ち主、狭量、ボケ、ボケナス、アホンダラ、たわけ。
怠け者、無能、無脳、脳軟化症、思考停止、アメーバ、単細胞、蠅、蚊、カビ。


332 :重要無名文化財:03/01/27 02:17
ぶち殺すぞ・・・・>>1・・・・!

お前は、強く見誤っている。
この世の実態が見えていない。
まるで3歳か4歳の幼児のように、この世を自分中心・・
求めれば、回りは右往左往して世話を焼いてくれる、そんなふうに、
まだ考えてやがるんだ・・。臆面もなく・・・・!

甘えを捨てろ。

お前の甘え・・その最もたるは、
毎日のように立てている、その糞スレだ。

糞スレを立てればオレがレス立ててくれるとでも思ったか・・・・?
なぜそんなふうに考える・・・・?
バカがっ・・・・!
とんでもない誤解だ。世間というものはとどのつまり、
誰も他人の助けになど応えたりはしない。
飢餓で苦しむアフリカの子供たち・・戦争で住む家を失った者たち・・
食べ物を持て余し、馬鹿げたことに金をつぎこむ日本人は、彼らの助けに応えてやったか?
応えちゃいないだろうが・・!
これは身近にないからだとか、そういうことじゃあない。目前にあってもそうなのだ。
何か得られるものでもない限り、糞スレをageたりはしない。それが基本だ。
その基本をはき違えているから、わざわざ幼なじみのオレがでる羽目になったんだ・・・・!!

無論中には、ageるものもいる。
しかしそれは自分にとって都合がいいからであって・・つまりは・・のせられてるってことだ。
なぜ・・それがわからない・・?
なぜ・・それに気付かない・・・・?


333 :重要無名文化財:03/01/27 02:18
>>1
行っとくけどブラクラ使えば簡単に1のID調べて個人情報知れるんだからね
もう職業とか住所、氏名、家族構成、病歴、電話番号なんかも簡単に調べられるんだよ
僕を怒らせたのガいけないんだよ
今までも2chで僕にIDばれて悲惨な目に会った人がたくさんいたっけ
住所わかれば君たちに時限式ダイナマイトだって送れるんだよ
ダイナマイトって意外と簡単に作れるんだよね〜
コンビニの花火をちょっといじるだけでね
後悔してもおそいからね
もう君たち普通の生活を出来ないだろうね
あ、住所とか変えても無駄だから
僕はクラッカーだからブラクラとかウイルスとか色々使って君を追いかけるよ
あはははははははははは
これから君たちのID調べるから
もう謝っても無駄だよ
ご愁傷様


334 :重要無名文化財:03/01/27 02:19
>>1攻撃AA保存スレ〜第11弾薬庫〜
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/kitchen/1036476885/l50
http://www.google.co.jp/search?q=cache:C2pDQbV2SxYC:tmp.2ch.net/test/read.cgi/kitchen/1036476885/l50+%3E%3E1%E6%94%BB%E6%92%83%EF%BC%A1%EF%BC%A1%E4%BF%9D%E5%AD%98%E3%82%B9%E3%83%AC%EF%BD%9E%E7%AC%AC12%E5%BC%BE%E8%96%AC%E5%BA%AB%EF%BD%9E&hl=ja&ie=UTF-8
>>1攻撃AA保存スレ」
http://piza2.2ch.net/kao/kako/996/996685229.html
>>1攻撃AA保存スレ〜第2弾薬庫〜 」
http://piza2.2ch.net/kao/kako/1001/10017/1001788493.html
>>1攻撃AA保存スレ〜第3弾薬庫〜 」
http://choco.2ch.net/kao/kako/1005/10058/1005874094.html
>>1攻撃AA保存スレ〜第3.5弾薬庫〜 」
http://choco.2ch.net/kao/kako/1009/10095/1009541127.html
>>1攻撃AA保存スレ〜第4弾薬庫〜 」
http://choco.2ch.net/kao/kako/1011/10114/1011445321.html
>>1攻撃AA保存スレ〜第5弾薬庫〜 」
http://salami.2ch.net/kao/kako/1015/10158/1015861404.html
>>1攻撃AA保存スレ〜第6弾薬庫〜
http://salami.2ch.net/kao/kako/1019/10195/1019553313.html
>>1攻撃AA保存スレ〜第7弾薬庫〜
http://aa.2ch.net/kao/kako/1025/10258/1025831529.html
>>1攻撃AA保存スレ〜第8弾薬庫〜
http://aa.2ch.net/kao/kako/1030/10300/1030001729.html


335 :重要無名文化財:03/01/27 02:19
糞スレを葬るためのアスキー☆★ 過去スレ一覧
ヽ(`Д´)ノ 糞スレを葬るためのアスキー ☆★
http://choco.2ch.net/kao/kako/1014/10146/1014608908.html
ヽ(`Д´)ノ 糞スレを葬るためのアスキー ☆★ Part 2
http://salami.2ch.net/kao/kako/1017/10172/1017298611.html
ヽ(`Д´)ノ 糞スレを葬るためのアスキー ☆★ Part 3
http://salami.2ch.net/kao/kako/1020/10207/1020789405.html
ヽ(`Д´)ノ 糞スレを葬るためのアスキー ☆★ Part 4
http://aa.2ch.net/kao/kako/1024/10241/1024129931.html
ヽ(`Д´)ノ 糞スレを葬るためのアスキー ☆★ Part 5
http://aa.2ch.net/kao/kako/1026/10266/1026613473.html
ヽ(`Д´)ノ 糞スレを葬るためのアスキー ☆★ Part 6
http://aa.2ch.net/kao/kako/1028/10289/1028902549.html
( ´∀`)糞スレを葬るためのアスキー ☆★ Part 7
http://aa.2ch.net/kao/kako/1030/10308/1030833803.html
ヽ(`Д´)ノ 糞スレを攻撃するためのAA 〜第8弾薬庫〜
http://aa.2ch.net/test/read.cgi/kao/1032583444/l50
ヽ(`Д´)ノ 糞スレを攻撃するためのAA 〜第9弾薬庫〜
http://aa.2ch.net/test/read.cgi/kao/1035264726/l50


336 :重要無名文化財:03/01/27 02:21

しかし1はどうしてこんな不必要なスレを作ったのか?
日本国民90%以上が文楽という存在をも知らないのに、
わざわざこんな駄スレを立てる必要があるのか?
コピぺ荒らしの冬厨かよ。
はよ宿題すませろよ。
おまえ、いじめられっこだろ。


337 :重要無名文化財:03/01/27 02:25
大鶴義丹並小説家(ぶちゃいく)
吟遊歌人(小柄)
ヤラセカーテンの時に真っ先に立ち上がった職業不明のババア
同上の時に、誰もカーテンがあるなんて言ってないのに真っ先に
舞台に駆け寄り写真を取りまくったA新聞の社員
メガネのうさんくせー中年ジジイ
中堅馬鹿芸人
さわりごごちのよさそなべっぴんさん

VS

かたくりこ   ってことで


338 :重要無名文化財:03/01/27 02:26
大鶴義丹並小説家(ぶちゃいく) H谷
吟遊歌人(小柄) M平
・・・・・・

さわりごごちのよさそなべっぴんさん
って誰の事?
そんな美人があの中にいたっけ?


339 :重要無名文化財:03/01/27 02:26
昨日、ブソラク掲示板行ったんです。玄人用掲示板。
そしたらなんか皆文章が古語になっててよくわかんないんです。
で、よく見たらなんか本名微妙に変えた女がいて、母の味、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、調味料ネタくらいで普段来ない玄人掲示板来てんじゃねーよ、ボケが。
味の素だよ、味の素。
なんか他の女も参入してるし。アンチH谷で連合か。おめでてーな。
よーしT子漬物漬けちゃうぞーとか叫んでるの。もう見てらんない。
お前らな、味の素やるからその席空けろと。
料理材料批判ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
神足裕司とボリあわび専門店の店主の、いつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったと思ったら、次の奴が、合成調味料で味覚破壊、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、アンチ合成調味料なんていまどき流行んねーんだよ、ボケが。
得意げな顔して何が、合成調味料で味覚が、だ。
お前は本当に味の素を使った事がないのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、若いのに漬物漬けてるんですって言いたいだけちゃうんかと。
漬物通の俺から言わせてもらえば今、漬物通の間での最新流行はやっぱり、
西利、これだね。
たくわん柚子入り。これが通の漬物の買い方。
たくわんってのは柚子が多めに入ってる。そん代わりたくわんが少なめ。これ。
で、それに10個入りの方の大たこ。これ最強。
しかしこれを買いに行くと大阪と京都間の渋滞に巻き込まれて開演時間に間に合わない
危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、エバラ朝漬けの素で漬けた漬物でも食ってなさいってこった。


340 :重要無名文化財:03/01/27 02:27
昨日、自称作家主催のパーティ行ったんです。パーティ。
そしたらなんか参加に規定があって、やらせ拍手に協力しないと入れないんです。
で、よく見たらなんかアホな公共電波垂れ流し放送局と左寄り新聞の連中がいて、仕切ってるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、やらせ拍手くらいで普段来ない永田町来てんじゃねーよ、ボケが。
やらせ拍手だよ、やらせ拍手。
なんか歌うたいとか年金ジジイもいるし。皆でやらせ拍手か。おめでてーな。
よーし青森や湯布院でもやらせ仕掛けけちゃうぞーとか叫んでるの。もう見てらんない。
お前らな、サッカーのWカップのチケットやるからその席空けろと。
ブソラク鑑賞ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
隣に座った武智と山城の、いつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったと思ったら、次の奴が、後は浄瑠璃を題材に新作を、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、浄瑠璃で新作なんていまどき流行んねーんだよ、ボケが。
得意げな顔して何が、浄瑠璃の新作、だ。
お前は本当に作家なのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、自分は美人で役者の愛人ですって言いたいだけちゃうんかと。
ブソラク鑑賞通の俺から言わせてもらえば今、鑑賞通の間での最新流行はやっぱり、
床そばで1500円観劇、これだね。
床そばで義大夫節チェック。これが通のブソラクの見方。
床ぞばってのは声がダイレクトに伝わってくる。そん代わりお囃子が聞こえない。これ。
で、それにブソラクせんべい。これ最強。
しかしこの見方だと舞台センターがまるっきし見えないという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、プラソタソ銀座のレクチャー講座でも申し込みなさいってこった。


341 :重要無名文化財:03/01/27 02:28
特番の、一番高齢のおじいちゃんに
群がる女性達のこともぼろくそに書いて書いて書きまくって責めて
いたけど、彼女らも漬物女の敵なのかしらね。
漬物主婦より山の↑ホテエル女を敵に持つ主婦は、とっとと
山の↑ホテル女を訴えてお金踏んだくってやりゃよかったのに。
あ、でも時効か。
じゃ、今の男の妻がやるべきだな。
不倫の時効は3年、3時間二人で密室にいたらエッチ行為確定です。
ここを見てる主婦の方も今からでも遅くないのでどんどん訴えて
ガキの教育費・生活費にあてませう。
最近の不倫裁判の慰謝料だが、最高で100万円までしか出てないぞ。
不倫ってのはもう犯罪とは言いがたいという事だ。


342 :重要無名文化財:03/01/27 02:30
浄瑠璃の事なら ◎村翁 に教わりなさい!!!

◎村翁も素晴らしいですが、元◎HKのT木さんも浄瑠璃をよく御存知ですな。
御存知というのは、学問的に知ってるようなドタロシではなく、
浄瑠璃を聴き分ける力があるという事ですぞ!

オンを聞き分ける事が出来るのは今の日本で
文楽のプロ以外には◎村翁と元◎HKのT木さん
くらいかも知れませんなあ
録音を聴いてもオンの存在すら分からない連中ばかりですわ

それからドタロシに一つ教えておかねばならぬ事があるが、
先程から○村翁という方の名前があがっておるが、先般亡くなられた越路大夫師の
追悼番組の中で越路大夫師と対談されておられた方であるという事だ。ご存知だったのかな?



343 :重要無名文化財:03/01/27 02:33
ドタロシなど相手にするでない。勝手に上げさせておきなさい。
こんな駄スレは、「あって無きが如し」じゃ
文楽は変!!。人形の横で、きたない爺の大顔があるなんて、劇全体を殺している。
何が無の境地じゃ。きたならしい自己顕示欲だけじゃ。良識と由緒ある日本国民は
人形遣いは目立つ格好するな!顔だしやめれ!といってやってください。
このスレの主張ある意味伝統的だわあ。まじ。江戸時代の文書にある。
人につける敬称だけど、太夫と三味線弾きは敬称ありなんだが人形遣いは人形遣いども、なんだよねえ。
参考までに歌舞伎役者は匹、扱い。ちなみに。
人形遣いまではいちおう人だけど役者は人じゃなかったんだねえ。
当時は。河原乞食だし。あ。これ常識だからね。このスレの主張は正しいってことで。
精神的グロ趣味!。文楽やってるやつは代々コンプレックス受け継いでるね。
家族的無意識が続けて伝わっていくんだよ。関わってくる人にも接していくうち伝わってしまう。
顔出すまでいったら、そういった先人たちの屈折した意識も晒してしまうのだろう。
顔出してやることになるときの気持ち、深層にある抑圧されたどろどろの意識が、
そのひとの表面まで出てきて支配するのだろう。
いつも目が満足げに腐って、妖しい光が覗いてる。
はっきりいって毒々しいな。顔は隠したほうが全体的に健全になる。
文楽の例えば、足使い見てるととてつもなくへたくそなのには笑ってしまう。
足の長さは一定なのにまるでゴムで出来た足のようにズルズルのびて
ろくろっ首のような動きで足が動く。人形に股関節の仕組みがないことが
原因だろうけど。伝統芸だからすごい技術持ってるんだという変な思いこみして
ありがたがってる連中は気の毒だと思う。
話を元に戻すと、一体の人形に何人もの人間が付いてるのに何で一人だけ
顔を出すのかということである。ここでの>>10(どなたか本スレからコピーしてくれ
てるけど)で述べているが出すなら全員出せばいいものを。足であろうが手であ
ろうが首であろうがどの動きも大事だろなら全員顔出せ。
出せないところ、そこに特権意識きわまれりのイヤーなものをいつも思う。だから
いっそ、出さないでほしいのだ。

344 :重要無名文化財:03/01/27 02:34
the great Japan empire Emperor who holds heavenly help and takes the post of the grade of the Emperor of the 10,000th one system -- clearly -- loyalty -- the people,
brave you, are told I declare war here to a North Korean people democracy republic.
Promise my land-and-sea army soldiers taking out the best, and being engaged in a battle, the government official of everything of mine making an effort,
and performing a job in response to a command, and the man of everything of mine rendering the duty, mentioning the national aggregate power, and attaining the purpose of this war to prevent mistakes.
first of all, the stability of an Asian area -- securing -- the world -- Emperor Meiji also being said, contributing peacefully being greatly clear and it greatly inheriting from the Taisho Emperor,
and inheriting predecessors' achievements or carrying out --
the place which is a plot by the far future and I always continue having in the heart This and an empire are just always going to use to promote the exchange with every country in the world, since that is right,
and to share both pleasure of world peace as the indicator of diplomatic relations.
Now, it is made a misfortune and came to begin North Korea and war. Although it is very unavoidable, it is not my real intention.
The North Korea government did not understand imperial real intention, but things were established indiscriminately,
the peace of an Asian area was disturbed, and it came to make an empire perform arms at last. It as newly [ an empire ] also fortunately as the North Korea democratic government went into friendship.
Although an empire contracts a peace treaty with the new government and is beginning to tie up mutually,
the Kim Jong-il Administration which remains in Pyongyang does not change fighting in response to secret protection of the People's Republic of China.


345 :重要無名文化財:03/01/27 02:34
North Korea supports "terrorism" and "kidnap activities", promotes the uneasiness of an Asian area, shows off the beauty name of peace, and strengthens ambition of domination of an Asian area further.
The countries which it did not come out [ countries ] so much and had "the axis of evil" named were invited, armaments were reinforced around the empire, our country was challenged,
all disturbance was further done to imperial peaceful exchange, economical rupture was carried out at last,
and the serious threat for imperial fate was added. Although I wished that the government recovered this state of emergency to the inside of peace and negotiation was repeated tenaciously,
North Korea does not have the completely conceded intention, is meaningless,
tended to solve the situation to extension, tended to increase economical and the military threat conversely in the meantime, and tended to make our country obey.
Thus, if it changes, years of efforts of the empire about the stability of an Asian area will finish vainly entirely, and will lapse into a state with imperial dangerous fate.
In this way, all were decided. Just now, for homeland self-defense, an empire will opt for preparedness and will smash all obstacles.
The spirit of the dead of the ancestor of Emperor successive generation is on people.
Carry out bravery reliance and I need to push national loyalty and the unfinished work to which the sovereign of ancestor each generation was left behind,
and eliminate uneasiness promptly more widely, ensure an Asian area or world peace, and pledge to protect an imperial glory based on it.

Imperial sign and seal


346 :重要無名文化財:03/01/27 02:35
てめえ 何人だよ!
わけわかんねえことほざいてんじゃねえよ


347 :重要無名文化財:03/01/27 02:36
結婚2年目。そろそろレスっぽい雰囲気が出てきた。
旦那は淡泊なほうだから、はやめに手を打とうとあれこれやってるけど
ダメみたい。もともとセックスへのモチベーションが低いみたいで。
この間、無理矢理お風呂に入った時、あたしが旦那の身体を洗ってあげた時に
いろんなところをさわりまくったら、
「ずいぶん手慣れてるね」ってひかれた。(T_T)
そのままムシして手コキやフェラをしてあげたり、
おっぱいを顔にすり寄せたりあれこれしたけど(本来はこんなキャラじゃないのよ!)
余計にひかれた。
思わず泣き出したら、ちょっと罪悪感を感じたらしくて平謝りしてきた。
今度は旦那が丁寧に身体を洗ってきて、あそこもちょこちょことだけどイジってくれたよ(ホント久しぶり!)。
脱衣所でねっとりキスをしてくれたけど、その日はそこまで。でもまずまず。
淡白な男なんてごまんといるよ!うちのばかだんな!
もう私は絶倫彼がいるからいいもんね。お前なんか
給料もっとかせいでこい!この甲斐性無しめ!
女のひとりも満足させられないような男に惚れる女なんかおらんわ。
旦那に私からしようと誘ったら頑なに拒まれた。しかも、その前が10月に
したきり。何処かの誰かと「姫はじめ」のお約束でもしてたみたい。
結婚する時に我が家へ挨拶にくる2日前に浮気女とH済みだった夫。
その次の日は私とお泊りで何もしないで寝てました。その時はただ疲れてる
と言い様に解釈。やっぱりセックスレスというより
相手がいたんだな〜と思いまつ。
旦那に拒まれてレスの奥様方、上手なフェラ・手コキ(ローションありだと割と簡単)
机上位で逝ける事を身に付ければ、旦那を襲えます。主導権を握ってしま
えばセクースでイラつく事もなくなります。


348 :重要無名文化財:03/01/27 02:36
やっぱりさ、男と女のどっちがスケベかっていったら、圧倒的に
女だよ。淫乱すぎ。なんでセックスばっかりなんだよ。
うちはレスってわけじゃないけど、会社が大変な時に自分はとにかく
休日返上で仕事ばっかりしていた。
もちろん会社がコケれば家族を養えなくなるのは当たり前だから必死だったよ。
だのに、疲れて帰ってくる俺にセックスを迫ってくるバカ妻をみて、
俺が守るべき家族がこんな淫乱妻なのか、、とマジで疲弊感に襲われた。
バカ妻曰く、仕事は大変だろうけどセックスは大事なコミュニケーションだからお願い、
って、もう絞め殺してやろうかと思った。バカすぎる。

それを会社の人間に話したら同じようなバカ妻が多いことが判明。
一方的な奉仕の風俗セックスをしてくれるのならまだ分かるが、
なんでバカ妻によけいな体力を使う必要があるんだ!

なにがなんでもセックスのことしか考えられないなら、風俗嬢にでもなって
家計を助けることぐらい考えろ!!

思い出すだけでも腹が立つ。思わず書き込んでしまったがセックスのことばかり
かんがえている人間はやっぱりどこか作りが安普請だ。

今日もいっぱい釣れたなー。変質者のみなさん。


349 :重要無名文化財:03/01/27 02:37
☆★☆新規参加者随時募集中☆★☆

sage進行でお願いします。
荒らし・age厨は放置して下さい。
次スレは901が立てて下さい。無理な場合は次の人を指名してください。

99の指定に関して
・集計の都合上、99付近ではトリップをつけて下さい。
・99の指定は1レスにつき1レースのみ、『レース名・馬名・式別』を正確に書いて下さい。
・指定対象レースはJRAの主場の9〜12Rとローカルのメインのみとします。
・00の負担を考えて10点以上の買い目はなるべく避けて下さい。

・スレッドによってはsage進行など暗黙のルールがあったりします。空気を読んで書き込みましょう

AMA涙色氏提供、馬券アップローダー
http://ime.nu/rain.prohosting.com/shao/cgi-bin/up/upboard.cgi
マッハラジャー氏提供、過去ログ等様々なリスト
http://ime.nu/horsegame.tripod.co.jp/
前スレ
99が指定した馬券を00が買うスレ その155
http://gamble.2ch.net/test/read.cgi/keiba/1039528300/


350 :重要無名文化財:03/01/27 02:37
ハメ撮りの被写体だけど、、。
相手は人妻や既婚者を狙うのがお約束。出会い系とかナンパは特に楽勝。
マルチ商法のマニュアルにも「バカな主婦を狙え」って書いてあるぐらいだから。

まずな、女を落とす場合はとにかく褒めろ。くだらんことでもいいから褒めろ。
不倫願望のある既婚者は心が寂れてるからそれを癒してやればいいんだ。
あと優しくマメに接しろ。イヤミなぐらいでやれ。接するときは真面目な顔しとけ。
顔は関係ない。不細工でも誠心誠意を見せていれば必ず落ちる。

俺らのチームはそれで人妻を落としまくりのハメまくり。
携帯番号をおさえてるから、何かあったら「こっから住所バラして旦那に
たれるぞ!」って無問題。
それにアレはバカだから「純愛」って雰囲気を作ってやればなんでもやる。
中出しからアナル舐めから図に乗ればSMだってOK。
基本は「純愛雰囲気」、終始これを作っておけば、怪しまれない。
まさか自分が盗撮されてるなんて絶対に思いもしない。
この辺はけっこう真面目に”作って”おいたほうがいい。
とにかく終始褒める。優しい言葉。「好き」とか「きれい」とか「可愛い」とか。

最近店頭に並ぶ人妻系や熟女系の盗撮やハメ盗りなんかは、
多くが素人の投稿か俺らみたいな奴らの裏工作だよ。
仮に相手にバレても無問題。だって奴ら不倫中なんだから出るとこ出れないし。


351 :重要無名文化財:03/01/27 02:38
昨日、新宿2丁目逝ったんです。2丁目。
そしたらなんかどこかで見覚えがある顔がいると思ったら、ブソラクの技芸員なんです。。
で、よく見たらなんかそこはモーホー・両刀のハッテン場みたいで、チークタイムにちんぽ晒してるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、何でこんな場末のくそったれ店でストレス解消してんだよ、ボケが。
新宿2丁目だよ、新宿2丁目。
なんか最後に乱交してるし。皆で入り乱れてフェラチオか。おめでてーな。
よし!おじさん舞台の打ち上げでもちんぽ出しちゃうぞー!とか叫んでんの。もう見てらんない。
お前らな、台湾美女足裏マッサージ割引券やるからその席空けろと。
ハッテン場ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
サウナで隣に座ったホモとホモの、いつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったと思ったら、次の奴が、この業界は両刀が多いから、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、稚児を愛でるなんで今時流行んねえんだよ、ボケが。
得意げな顔して何が、この世界は両刀が、だ。
お前は本当に芸人なのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、自分の趣味の性癖を業界のせいにしてるだけちゃうんかと。
2丁目通の俺から言わせてもらえば今、2丁目通の間での流行はやっぱり、
○○○、これだね。
邪ニーズに所属する売れない青年を2時間2万ほどで買う。これが通の2丁目の楽しみ方。
2丁目ってのは芸能人予備軍がいっぱい埋もれてる。これ。
で、さらに売れてる芸人のお相手をする。これ最強。
しかしこのやり方で遊んでいると、東京都に捕まり社会的地位もすべて失うという
危険も伴う、諸刃の剣。素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人ホモは、とりあえずユー民のコンサートでも逝ってなさいってこった。

交換日記
ボトルに手紙(メール)を入れて海(インターネット)に流します。何時何処で誰に拾われるかわかりません。拾った人から返事がくることも!そんなロマンチックなボトルメールをあなたも流してみませんか?
http://www.mylovers.tv/bottlemail/cgi-bin/index.cgi?ID=00411


352 :重要無名文化財:03/01/27 02:40
彼がHな下着が好きで、ネットで買ったのを私にくれた。
奥にプレゼントしても履いてくれないんだそう。
目立つ色のTバックや黒の紐パンなど、数点もらった。
逢うときにしか履いていかないので、普段は旦那にばれないように隠してある。
家から履いていかずに、途中で履き変えることも多い。
色っぽい感じの人が履くのはいいかもしれないけど、私には似合わない。
それでも彼は逢う度に履いていくと喜ぶ。
似合ってなくても、関係ないのだろうか。
清楚な感じのブルー地(やや光沢のあるツルツル生地)に
前面にレースをあしらったようなやつ・・なのに
あえて派手目でないものを選んだのに、
ケコーン17年の既婚彼は喜んでいた。
それ以降もだいたいそんな感じのものを着けてるんだけど、
毎回「今日はどんなの?」と嬉しそうにしてます。
考えちゃいましたよ、奥ってそんなに色気のない下着を
着けてんのか??って。。
私、サイズがあまり無いので、(65のBかC)結局普通に買いに行っても
派手なのになりやすい。ピンクとかはすぐ売れてるし。だから、普段から
ワインカラーとか、紺とか、オレンジとかブルーとか、そんなのつけてる
ので、彼に逢いに行くときもそんな感じ。昔そろえた紺の下着にキャミも
揃いで来て行ったら、彼がセクシーだな、って喜んでた。セクシー下着
の好きな人なので、ガーターベルトなしではけるストッキングもわざわざ
買ってはいてったよ。寒かったけど。なんか凄い萌えてた。
下着つけてくるな、とかいうけど、この寒空に30女がそんな事はできん。
下着が大好き!でも、旦那は下着を見てくれずすぐ脱がすだけなので・・だんだん
買う楽しみナクナッテ・・家ではババパンツ履くようになってしまった。
外に彼のような人が出来たら、また下着買い込むようになるんだろうなあ。
最近はガーターベルトや濃い色で新たな魅力を発見できたらいいなあって・・
彼が居たらナア・・サミシーヨー


353 :重要無名文化財:03/01/27 02:41
文楽の彼(既婚小蟻)が急に転勤になりとりあえず彼1人引っ越したので
奥が越してくるまでの4泊5日、一緒に彼の家で過ごしました。
初めて彼と4日連続でエチー。
けれど新しい現場で身も心も疲れ果てて帰宅する彼は毎夜1回こっきり
で限界。帰宅時間も23時とかだし、出勤時間は6時半なので時間もあんま
かけられないし。
まえはどんな疲れてても一晩絶対3回以上はしたのにー…ってちょっと彼には
文句言ったけれど。
でもまだベッドもない部屋で、床にしいた蒲団で抱き合って朝まで
眠れただけでホントは充分幸せ。
仕事から帰ってくる彼にお風呂の準備したり、食事の用意したりできたのも
実家住まいのわたしには絶対してあげられないことだって思ってたから、
有意義な時間でした。
ずっと遠距離で、今後も遠距離だけど、今度の場所は新幹線も停車する駅
だから通いやすくなったし、わーい。


354 :重要無名文化財:03/01/27 02:42
―――復讐○仕返し○特殊探偵○悩み事相談○駆込み寺―――
●復讐・貴方に代って恨み晴らします!★★★別れ工作★★★
騙された・捨てられた・弄ばれた・相手に誠意がない・債権トラブル・不倫疑惑・証拠収集・★★★仕返し代行★★★悩み事相談★★★
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確実に貴方の悩みや困り事、トラブル等を迅速に解決致します。
●下記記載のURLがジャンプしない場合には・コピ−してファイルから開いて下さい! ・・・マル秘事件簿・緊急殺人現場・・・
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(緊急情報)必ずご覧下さい★驚愕の事実&復讐の実態★★★
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http://www.blacklist.jp/ 
リンク・興信所・・> http://www.okudaira.co.jp/ 


355 :重要無名文化財:03/01/27 02:42
>>354
おい しゃれになんねえぜ

356 :重要無名文化財:03/01/27 02:43
昨日、ブソラクの若手の会逝ったんです、若手会。
そしたらなんか国立の発表会みたいに無料だと思ったら、有料っぽいんです。
で、よく調べたらなんか一般一人2千円前後で、チケピでも取り扱いしてるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、何でこんな若いのの発表会に2300円も払わなきゃなんねーんだよ、ボケが。
若手会だよ、若手会。
なんか最後にまたカーテンしてるし。皆でやらせ拍手か。おめでてーな。
よーし次は全国公演だ!とかほざいてんの。もう見てらんない。
お前らな、津軽三味線若手全国大会入場券やるからその席空けろと。
若手会ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
忠臣蔵で主人公と準主人公になった芸人と芸人の、いつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったと思ったら、馬鹿な落ヲタが、質屋芝居、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、質屋芝居なんて今時流行んねえんだよ、ボケが。
得意げな顔して何が、質屋芝居、だ。
お前は本当にブソラク好きなのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、自分が古典に造詣深いですと言いたいだけちゃうんかと。
若手会通の俺から言わせてもらえば今、若手会通の間での流行はやっぱり、
花ショー、これだね。
八坂神社に逝って若いのの汗を浴びるくらいがぶりつき。これが通の若手の会の楽しみ方。
京都ってのは地域に芸が密着してるぜ豆腐。これ。
で、さらに祇園コーナーで茂山兄弟が出てないかヲチ。これ最強。
しかしこのやり方だと、2500円払ったのに出演者がそけらの神社の趣味連中である場合
があるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、とりあえず若き獅子たちでも見てなさいってこった。


357 :重要無名文化財:03/01/27 02:44
昨日、屋魔の↑ホテル逝ったんです、屋魔の↑ホテル。
そしたらなんか前のプルカーがチェックインてこずってて、こっちもチェックインできないんです。
で、よく見たらなんか見覚えのある顔だなとおもったら、NとMなんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、不倫逢い引きくらいで普段来ないお茶の水来てんじゃねえよ、ボケが。
屋魔の↑だよ、屋魔の↑。
なんか他のカップルもいるし。皆で逢い引きか。おめでてーな。
よーしパパ会員券買っちゃうぞ!とかほざいてんの。もう見てらんない。
お前らな、朝食チケットやるからその席空けろと。
不倫逢い引きってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
偶然出くわした女の夫と芸人の、いつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったと思ったら、その女が、フランス産ワイン、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、核の国フランスなんて今時流行んねえんだよ、ボケが。
得意げな顔して何が、フランス産、だ。
お前は本当に何をしに来たのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、男は肉便器としてしか見てないんちゃうんかと。
不倫逢い引き通の俺から言わせてもらえば今、不倫逢い引き通流行はやっぱり、
移動の中日に中点とって観光、これだね。
東京名古屋間で熱海へ。これが通のばれにくい逢い引きの仕方。
実家にはまめに電話。これ。
で、さらにカードは使わない。これ最強。
しかしこれだと、宿が団体と外れるのでばれやすくなるという
危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、とりあえずパークハイヤットでも逝ってなさいってこった。


358 :重要無名文化財:03/01/27 02:44
誠に申し訳ございません。
私がその一家4人で文楽鑑賞の父親でござりまする。
すべて貴方の仰る通りでござりまする。
今後二度とこのような間違いはおかしません。
どうかお許し下さいませ。


359 :重要無名文化財:03/01/27 02:45
昨日、文学賞選考会逝ったんです、選考会。
そしたらなんか皆どんぐりの背比べみたいで、なかなか決まらないんです。
で、よく見たらなんか学歴経歴が大事みたいで、選考にも影響してるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、W卒でNHKに勤めてるってくらいでヘタクソな文章に軍杯上げてんじゃねえよ、ボケが。
文学賞だよ、文学賞。
なんか学歴で派閥あるし。後輩を受賞させようってか。おめでてーな。
よーし次は芥川賞だ!とかほざいてんの。もう見てらんない。
お前らな、コスモス文学賞やるからその席空けろと。
受賞選考会ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
選んだ井伏と漏れた太宰の、いつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったと思ったら、次の香具師が、追っかけハンドブック、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、ハンドブックなんて今時流行んねえんだよ、ボケが。
得意げな顔して何が、ハンドブック、だ。
お前は本当に小説家なのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、ただのミーハー同人作家ちゃうんかと。
新人賞通の俺から言わせてもらえば今、新人賞通の間での流行はやっぱり、
坊ちゃん文学賞、これだね。
これで若い才能を青田買い。これが通の楽しみ方。
腐っても夏目漱石ブランド。これ。
で、さらに賞金を高めに設定。これ最強。
しかしこれだと、ワープロ以外不可だから手書きのいい才能を見落とすという
危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、とりあえずコバルト新人賞にでも作品送ってなさいってこった。


360 :重要無名文化財:03/01/27 02:46
誠に申し訳ございません。
私がそのW卒でNHKに勤めてるってくらいでヘタクソな文章を書いた者でござりまする。
すべて貴方の仰る通りでござりまする。
今後二度とこのような間違いはおかしません。
どうかお許し下さいませ。


361 :重要無名文化財:03/01/27 02:46
昨日甲南大逝ったったんです。甲南大。
そしたらなんかギャルがいっぱいで授業受けれないんです。
で、よく見たらなんか、単位取りやすい授業で、人形の実演してるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、単位取りやすいからって、普段見たこともない文楽見てんじゃねーよ、ボケが。
文楽だよ、人形浄瑠璃。
なんか爺が鼻の下伸ばしてるし。うまく女子大生食っちゃおうってか。おめでてーな。
金持ちの馬鹿大で寄付金も高いし。もう見てらんない。
お前らな、前期授業の単位やるから、その席空けろと。
大学ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
関学と関西の、くわんせいとバンカラの、いつ喧嘩が始まっても
おかしくない、 刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと座れたかと思ったら、隣の奴が、就職、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、きょうびコネがなきゃ甲南レベルで就職なんかできるわきゃねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、就職、だ。
お前は本当に大学生なのかと問いたい。問い詰めたい。小一時間問い詰めたい。
お前、本当はそけらの専門学校か短大生ちゃうんかと。
大学通の俺から言わせてもらえば今、大学通の間での最新流行はやっぱり、
芦屋大、これだね。
名前書いて寄付金三桁。これが通の入学の仕方。
芦屋大ってのは帝京大以上に学費高い。そのくせ文系。これ。
で、就職はコネ100パーセント。これ最強。
しかしここに入ると入らなかったほうがマシな学歴になるという、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、ダムから京女でも逝ってなさいってこった。


362 :重要無名文化財:03/01/27 02:47
昨日IP抜いたんです。IP。
そしたらなんかレスがほとんど同一人物で、関西圏のサーバーなんです。
で、よく見たらなんか、妻ですとかファソが苦言をとかいって人格使い分けしてるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前な、暇だからって、無いIT知識でネットなんかしてんじゃねーよ、ボケが。
IPだよ、IP。
なんか情報には間違いもあるし。旦那の恋人を晒し者にってか。おめでてーな。
旦那の先輩の愛人情報もあるし。もう見てらんない。
お前らな、馴れ合い掲示板でごねてていいから、その席空けろと。
落とし込みってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
松本と尾上の、お家とお家の、いつ喧嘩が始まっても
おかしくない、 刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと消えたかと思ったら、隣の奴が、割烹着のジジイ、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、女流義太夫交流会を知らなけりゃ、割烹着なんて知るわきゃねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、割烹着、だ。
お前は本当に何者なのかと問いたい。問い詰めたい。小一時間問い詰めたい。
お前、本当は後ろで装置動かしてるだけちゃうんかと。
ハッカーの俺から言わせてもらえば今、ハッカーの間での最新流行はやっぱり、
ある香具師の妻のネット不倫、これだね。
旦那が10時に家を出た後に回線つなぎ。これが通のハッキングの仕方。
専業主婦は思ってるより時間が多い。でも子供は大事。これ。
で、旦那が死ぬのを待つか慰謝料ゲット。これ最強。
しかしこれを待っていると旦那の親の介護をする羽目になるかも知れないという、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、真珠婦人でも見てなさいってこった。


363 :重要無名文化財:03/01/27 02:47
吉野家コピペうざい!
読みにくいんだよ!!
情報は面白いんだけど。
別にスレでも立てたら?
今月の出し物【吉野屋(吉田屋×)】で語る文楽内情スレ!
なんてどう?


364 :重要無名文化財:03/01/27 02:51
こねえだから気になってんだが
ヤラセコール一族の中の着物美人って本当にいるのかよ?
あん中に美人なんて一人もいねえぜ

ただHたにんが自分の職場から知り合いのむすめっこから総動員かけたんで
若い子はいるかもってなとこだって

って事はさ
広Tがやらせコール無理に作りやがったわけだな
文楽の恥さらしだな まさに

なんで未だに楽屋出入りさせてんだよ

365 :重要無名文化財:03/01/27 02:55
しかし一体全体こんな駄スレ、どのツラ下げた馬鹿が立てたんだ。
題目も 【逢引ホテルは】アンチ文楽【ワシソトソ】 ってか
正月からボケてんじゃねえよ
文楽のブの字も知らねぇ香具師に限っておっ立てたがんのよ。

とりあえず顔でも洗って出直してきな。
立ててしまったものはショウガナイからな。
二度と立てんじゃねえぞ!

2ちゃんねるも2ちゃんねるだな。
何でも立てていいのかスレよ。
伝芸スレは全て駄スレばっかしじゃねえか。
レス削除する前にレスを立てさせねえようにしろや!
ええ ド素人の管理人とやらよ!

しかしてめえらのような馬鹿のド素人ばっかしだから
2ちゃんも駄目になるのよ。
わかってんのかよ、馬鹿どもが!


366 :重要無名文化財:03/01/27 02:56
そいでもって 総合スレ ってぇ駄スレな
あれっておっ立てやがった馬鹿女自身が削除願い出してんだろが
それほどの超駄スレまで復活させやがって

管理人ふくめて馬鹿ばっかしだよな!
あきれてものも言えねえな。

2ちゃんって所はな、もっと殺伐としてるべきなんだよ!
わかってんのか!

管理人がまず伝統芸能勉強しなきゃあな
管理できるわけねえわさ
そいでもって2ちゃんから銭もらってるんだから
そういうのを 泥棒 ってんだよ!
覚えときな!


367 :重要無名文化財:03/01/27 02:58
>>386
貴女に賛成いたします
100%正しいです。

368 :重要無名文化財:03/01/27 03:00
もう一度言っておく
しかし一体全体こんな駄スレ、どのツラ下げた馬鹿が立てたんだ。
題目も 【逢引ホテルは】アンチ文楽【ワシソトソ】 ってか 正月からボケてんじゃねえよ
文楽のブの字も知らねぇ香具師に限っておっ立てたがんのよ。
とりあえず顔でも洗って出直してきな。立ててしまったものはショウガナイからな。
二度と立てんじゃねえぞ!
2ちゃんねるも2ちゃんねるだな。何でも立てていいのかスレよ。
伝芸スレは全て駄スレばっかしじゃねえか。レス削除する前にレスを立てさせねえようにしろや!
ええ ド素人の管理人とやらよ!
しかしてめえらのような馬鹿のド素人ばっかしだから 2ちゃんも駄目になるのよ。
わかってんのかよ、馬鹿どもが!
そいでもって 総合スレ ってぇ駄スレな
あれっておっ立てやがった馬鹿女自身が削除願い出してんだろが
それほどの超駄スレまで復活させやがって
管理人ふくめて馬鹿ばっかしだよな!あきれてものも言えねえな。
2ちゃんって所はな、もっと殺伐としてるべきなんだよ!わかってんのか!
管理人がまず伝統芸能勉強しなきゃあな 管理できるわけねえわさ
そいでもって2ちゃんから銭もらってるんだから そういうのを 泥棒 ってんだよ!
覚えときな!


369 :重要無名文化財:03/01/27 03:06
ところでココで真の犯人を明かす事にする
真犯人は

>>87

これが真実である
遅くまでお付き合いいただいた方へのほんのお礼である

370 :重要無名文化財:03/01/27 09:10
もう一度言っておく
しかし一体全体こんな駄スレ、どのツラ下げた馬鹿が立てたんだ。
題目も 【逢引ホテルは】アンチ文楽【ワシソトソ】 ってか 正月からボケてんじゃねえよ
文楽のブの字も知らねぇ香具師に限っておっ立てたがんのよ。
とりあえず顔でも洗って出直してきな。立ててしまったものはショウガナイからな。
二度と立てんじゃねえぞ!
2ちゃんねるも2ちゃんねるだな。何でも立てていいのかスレよ。
伝芸スレは全て駄スレばっかしじゃねえか。レス削除する前にスレを立てさせねえようにしろや!
ええ ド素人の管理人とやらよ!
しかしてめえらのような馬鹿のド素人ばっかしだから 2ちゃんも駄目になるのよ。
わかってんのかよ、馬鹿どもが!
そいでもって 総合スレ ってぇ駄スレな
あれっておっ立てやがった馬鹿女自身が削除願い出してんだろが
それほどの超駄スレまで復活させやがって
管理人ふくめて馬鹿ばっかしだよな!あきれてものも言えねえな。
2ちゃんって所はな、もっと殺伐としてるべきなんだよ!わかってんのか!
管理人がまず伝統芸能勉強しなきゃあな 管理できるわけねえわさ
そいでもって2ちゃんから銭もらってるんだから そういうのを 泥棒 ってんだよ!
覚えときな!


371 :重要無名文化財:03/01/27 19:08
こねえだから気になってんだが
ヤラセコール一族の中の着物美人って本当にいるのかよ?
あん中に美人なんて一人もいねえぜ

ただHたにんが自分の職場から知り合いのむすめっこから総動員かけたんで
若い子はいるかもってなとこだって

って事はさ
広Tがやらせコール無理に作りやがったわけだな
文楽の恥さらしだな まさに

なんで未だに楽屋出入りさせてんだよ




372 :重要無名文化財:03/01/29 07:46
皆の衆 下記へ急ぎなされ!

http://hobby2.2ch.net/test/read.cgi/rakugo/1043764991/l50

373 :重要無名文化財:03/01/29 07:47
昨日、ブソラク掲示板行ったんです。玄人用掲示板。
そしたらなんか皆文章が古語になっててよくわかんないんです。
で、よく見たらなんか本名微妙に変えた女がいて、母の味、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、調味料ネタくらいで普段来ない玄人掲示板来てんじゃねーよ、ボケが。
味の素だよ、味の素。
なんか他の女も参入してるし。アンチH谷で連合か。おめでてーな。
よーしT子漬物漬けちゃうぞーとか叫んでるの。もう見てらんない。
お前らな、味の素やるからその席空けろと。
料理材料批判ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
神足裕司とボリあわび専門店の店主の、いつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっといなくなったと思ったら、次の奴が、合成調味料で味覚破壊、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、アンチ合成調味料なんていまどき流行んねーんだよ、ボケが。
得意げな顔して何が、合成調味料で味覚が、だ。
お前は本当に味の素を使った事がないのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、若いのに漬物漬けてるんですって言いたいだけちゃうんかと。
漬物通の俺から言わせてもらえば今、漬物通の間での最新流行はやっぱり、
西利、これだね。
たくわん柚子入り。これが通の漬物の買い方。
たくわんってのは柚子が多めに入ってる。そん代わりたくわんが少なめ。これ。
で、それに10個入りの方の大たこ。これ最強。
しかしこれを買いに行くと大阪と京都間の渋滞に巻き込まれて開演時間に間に合わない
危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、エバラ朝漬けの素で漬けた漬物でも食ってなさいってこった。

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